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第137話 古都炎上

1917年12月19日 オスマン帝国 イスタンブル べシクタシュ地区 ドルマバプチェ宮殿

イスタンブルは1453年の東ローマ帝国の滅亡以来、オスマン帝国の首都だったが、現在の主であるメフメト5世をはじめとするオスマン帝国政府は欧州各国連合軍の攻撃が始まるとイスタンブルからすぐにアナトリア鉄道を使って、アンカラに避難していた。

これはイスタンブルを守り切ることは難しいという判断からだったが、戦わずしてイスタンブルを明け渡すという決断をしたともいえ、オスマン帝国軍の士気は大いに下がっていた。


「閣下、敵軍がすでに金角湾(ハリチュ)に達しました。現在は東ローマ帝国時代の防壁と金角湾、キャウターネ川を結ぶ線で防衛を続けていますが、それも厳しいかと」

「そうか…こうなれば"アレ"よりほかに手はない、か」


イスタンブル防衛軍の参謀の一人であるダダイル-ハリド-ベイの報告を受けて、イスタンブル防衛司令部の指揮官ヌーレッディン-イブラヒム-パシャ中将はそう言った。


「閣下、しかしそれは…」

「敵はどのような犠牲を払っても我らを滅ぼす気でいるのだ。ここで兵士が何人死のうが関係ないだろうし、我々が何人死んだかなどは端から考えてもいないだろう。せめて、何もしないより、何かをするべきだ。たとえ我々が後世で何を言われようともな」

「わかりました。残存する全部隊に"最終防衛計画"に則った行動をとるように命じます」

「ああ…それでいい」


イブラヒムのいた部屋から退出したハリドは通信兵に声をかけると野戦電話が通じる各部隊には最終防衛計画に則った行動をとるように命じ、通じない部隊には同様の内容を伝令によって伝えるように指示した。


その上空をロシア帝国航空隊のイリヤ-ムーロメッツやイタリア陸軍航空隊のカプローニCa.32、イギリス陸軍航空隊のハンドレページO/400、ドイツ帝国航空隊のツェッペリンシュターケンRVIといった機体が護衛の戦闘機とともに飛んでいった。連合軍にとってイスタンブルは無傷で奪還すべきものだったため、爆撃などは行なわれていなかったが、オスマン帝国航空隊のなけなしの機体はすべてアンカラ周辺に移動させられていたので、上空を飛ぶ連合軍の航空機を迎撃する事も不可能だった。


「まったく…どうしてこうなってしまったのだ」


指示を終えたイブラヒムは悠然と空を飛ぶ機体を見ながらそう言ったが、その言葉に答える者は誰もいなかった。


1917年12月19日 オスマン帝国 イスタンブル ファティ地区 エディルネ門

かつてはカリシウスの門と呼ばれ、オスマン帝国の征服後にエディルネ門と改名されたこの門の付近では依然として、激しいオスマン軍の抵抗が続いていた。かつてのコンスタンティンノ―プルの陥落の際には東ローマ帝国最後の皇帝であるコンスタンティノス11世がここで防衛の指揮を執っていたのだが、今回は攻めてきたキリスト教国の軍をオスマン帝国が防衛するという構図だった。


「前に進めといわれても、機関銃と鉄条網が邪魔です。…ええ、そうです。敵陣地はいまだ健在です。直ちに支援砲撃を…救世主聖堂にあたるかもしれないから撃てないとはどういうことですか…すでに工兵を送ったですと?我々が欲しいのは砲撃で…くそ、切られた」


連合軍の一員であるドイツ帝国陸軍第19師団第38歩兵旅団第73フュズィリーア連隊『ゲネラルフェルトマルシャル-プリンツ-アルプレヒト-フォン-プロイセン』第7中隊中隊長エルンスト-ユンガーは地面に野戦電話の受話器を叩きつけた。


「…支援砲撃は無い。工兵が来るまでここで待機」


地面に受話器を叩きつけたユンガーを、戸惑いと不満の入り混じった顔で見た兵士に向かってユンガーは努めて冷静にそう言った。本当は、今すぐにでも腰のホルスターからマウザーM1914拳銃を抜いて役に立たない命令しかよこさない野戦電話を射撃の的にしてやりたいほど怒っていたのだが、部下を動揺させないよう自分でも驚くほどの精神力で抑え込んだ。


ユンガーたちはこのエディルネ門の周辺に築かれたオスマン軍の陣地によって足止めされていた。

本来なら今頃はコーラ修道院付属救世主聖堂、現在はイスラームのモスクとして使用され、カーリエ-ジャーミーと呼ばれているはずの建物を"奪還"しているはずだったのだが。その聖堂を傷つけないためにユンガーの度重なる要請にもかかわらず支援砲撃がなされなかった為、オスマン軍の抵抗もあって足止めを受けていた。

ユンガーは1895年に生まれ、第一次世界大戦の中で育ち、1914年に勃発したバルカン戦争では義勇兵として志願して戦い、その後、今の部隊に配属された人間だった。バルカンでの実戦を経験していたユンガーからすれば、友軍の兵士が上層部からの無茶な命令で死んでいくのは耐えがたいものがあった。


ユンガーが思考を続けている間にドイツ陸軍第2予備近衛師団から派遣された工兵小隊が到着していた。


エーリヒ-パウル-レマルクにとってはこれが初めての実戦だった。1898年、敬虔なカトリックの家に生まれたレマルクは、ヨーロッパ全土で高まっていた反オスマン熱もあって学業を中断して、軍に志願し、工兵として従軍していた。


「よし、まずはあの鉄条網を吹き飛ばす。爆薬筒を持て」


小隊長の命令と共に、レマルクを含めた兵士たちがバンガロール爆薬筒を持って前進する。味方歩兵部隊からの援護を受けつつ敵に接近し…爆薬筒を鉄条網の下に入れ、退避してから起爆した。起爆と同時に、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()が鳴り響いた。


「よし」


レマルクは初めての任務の成功に喜びを覚えた、だが、何かがおかしかった。何がおかしいのか、そうだ景色だ。

コーラ修道院付属救世主聖堂が()()()()()()()。正確にはあったはずの場所には瓦礫が転がっているだけだった。あの中隊長が要請した支援砲撃が遂に行われたのだろうか?だが、砲弾の飛翔音は聞こえなかった。

そんなことを考えていると近くで爆発音がした。辺りを見回すと各地で爆発が起こっている事が分かった。近くに見えるギリシャ正教の教会が崩落していく、レマルクは思った。これは味方の支援砲撃ではない、敵の破壊工作だと。


レマルクが思った通り、この爆発はオスマン軍の発動した"最終防衛計画"によるものだった。オスマン軍はイスタンブルを敵の手に渡す前に重要な建物群を破壊する事を選んだのだった。


歴史ある教会も栄華を誇った宮殿もみな炎に飲まれていった。古代ローマ帝国とそこから分裂した東ローマ帝国、そしてその東ローマを征服したオスマン帝国の都として栄えた大都市は炎上しつつあった。

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[気になる点] オスマン帝国からしたら悪夢以外の何物でもないな 大戦が終わったと思ったら束になって殴られてからの首都破壊 後世の歴史家が思わず嘆くこと請け合いだあ [一言] マイナー人物についての情報…
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