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第134話 ニコシアのカフェにて

1917年11月18日 イギリス領キプロス ニコシア

キプロス島は1878年のベルリン会議でイギリスに統治権が与えられて以来、実質的なイギリス領だったが、2年前のアブデュルハミト2世暗殺事件後には、島内での混乱を収束させるためとして、艦隊を派遣し、更にその後、正式にイギリスの植民地として併合したのだった。


これにはオスマン帝国のみならず、キプロス島の併合を狙っていたギリシア王国も激怒した。

ギリシア王国のエレフテリオス-ヴェザニロス首相は大ギリシア主義者であって、その彼からすればギリシア人が多数住むキプロス島が他国領となることは許されないことだった。また、政治的にはブルガリア王国がギリシア王国が領有権を主張していたトラキアを保持したまま、講和したことでヴェザニロスに対する批判は強まっていたため、強硬論を唱える事で、ギリシア国内を団結させたいという思惑もあった。


しかし、当のキプロス島の住民はといえば、民族主義的な人間を除けば、イギリス統治に概ね満足していた。

対トルコ戦争の開始後は島に暮らすトルコ人の収容あるいは追放が議論されたこともあったが、『そうした政策は島内の勢力均衡を揺るがし、結果的にキプロスのギリシア化、ひいてはギリシアによるキプロス島の併合に繋がりかねない』との報告により断念されていた。イギリスは楽な戦いであるはずのオスマン帝国との戦争よりもその後の統治の事を優先したのだった。


その為、ニコシアにおいてトルコ人が闊歩しているのは当然の事だったが、トルコ人に連れられたギリシア人というのは珍しかった。彼等はとあるカフェの中に入っていった。


「待っていたぞ、同志ケマル」

「同志スビ、お久しぶりです。ああ、それから…」

「ミールサイト-スルタンガリエフだ。よろしく同志ケマル」


カフェの中で待っていた男が、案内していた男に声をかけた。案内をしていたのはオスマン帝国から姿を消したムスタファ-ケマルだった。

ケマルは彼の師である社会主義者ムスタファ-スビからの指示でとあるギリシア人との接触を図っていたのだった。そして、この日、スビに社会主義を教えた人物であるミールサイト-スルタンガリエフも加わってそのギリシア人と会う事になっていたのだった。


ミールサイト-スルタンガリエフは1882年にロシア帝国領ウファ県ステルリタマクに生まれ、ムスリムとしてクルアーンとシャリーアを学び、歴史、地理、数学と言った近代的な教育を受け、さらにはトルストイやプーシキンといったロシア文学を母語であるタタール語に翻訳できるほどロシア語に通じており、まさに当時のタタール人エリートの典型例と言える人物だった。


そんなスルタンガリエフだが、訪れたバク―でタタール人ボリシェヴィキのナリマン-ケルベライ-ナジャフ-オグルイ-ナリマノフと出会い、社会主義思想に感化された事から社会主義者となっていた。

スルタンガリエフの思想は独特であり、タタール人の多くが信仰するイスラームを排除すべきものではなく反帝国主義思想の鍵として考えており、テュルク系諸民族の団結を目的とする汎テュルク主義を唱えるなどボリシェヴィキの思想の中でも反植民地主義と民族自決に重きを置いた主張をしていた人物だった。


ボリシェヴィキと同じ社会主義活動家の中でも被支配下の植民地や民族集団をどう扱うかというのは、未だに見解が分かれており、例えば、ドイツ帝国からスイスに活動拠点を移して活動を継続中のスパルタクス団においてはローザ-ルクセンブルクが中心となって、『資本主義の成熟後に労働者の革命によって社会主義体制が実現する』というマルクスとエンゲルスの言葉をもとに、それらの被支配下の植民地、民族の独立を認めずあくまで自治の範囲に留める事で混乱を防ぎ、社会主義的な理想社会の建設を優先する方針を打ち出していた。彼らからすれば理想社会の建設よりも優先すべきことなど無く、被支配民族の独立などは些末なことだった。


そうした、ルクセンブルクの理論に反対していたのがウラジーミル-イリイッチ-レーニンを中心とするボリシェヴィキであり、ボリシェヴィキは反帝国主義闘争としての東欧やアジア、アフリカでの独立闘争を支援するような姿勢を見せていたが、肝心の指導者であるレーニンが行方不明となって以降はルクセンブルクの理論が主流となっていた。


「…こちらも名乗らねばいけませんな。イオン-ドラゴウミスです」

「アタナシオス-スリオティス-ニコライディスだ」


その場にいたギリシア人たちが口を開いた。

ドラゴウミスはヴェザニロスの先代の首相であるステファノス-ドラミウゴスの息子であり、外交官としてギリシアの為に働いていたが、やがて独自の思想を持つようになった。


その思想とは従来、西洋の一部であると語られがちだった、ギリシアをヘレニズムに基づいた東洋的な存在として定義し、不俱戴天の敵ともいえるトルコ人との連帯を説き、ヒューマニズムに基づく社会主義的経済の建設と古代から受け継がれる伝統の再興を主張した。西欧にしか目を向けず、トルコ人を敵としか考えないギリシアの他の知識人とは一線を画する思想を持った人物だった。


アタナシオス-スリオティス-ニコライディスはギリシアとトルコの連帯を説いていたドラミウゴスと共に活動していた元ギリシア陸軍軍人で、ギリシアを東洋と考えるドラミウゴスとギリシアとトルコは西洋でもなく東洋でもない、その狭間である『中間地帯』を構成する存在であるとしていたニコライディスは主張的に噛み合っていない部分もあったが、そもそもギリシアとトルコの連帯を説く人間がギリシア国内では少数だったため必然的に協力しあっていた。


こうして、ケマル、スビ、スルタンガリエフ、ドラミウゴス、ニコライディスの5人は社会主義に基づくギリシア-トルコ連合の実現に向けて動き出す事になる。

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