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第132話 侮蔑と噛み合わぬ思惑

1917年11月15日 ロシア帝国 ペトログラード 

その日、いつもの通りロシア帝国首相兼内務大臣を務めるピョートル-アルガエーヴィッチ-ストルイピンは皇帝ニコライ2世のもとを訪れていた。しかし、その顔は明らかに疲れ切っていた。8月のイギリスとのペルシア出兵をめぐる諍いを収め、何とか戦争を回避したが、その代償は大きかった。


第一次世界大戦で唯一手を挙げてしまった国、そう蔑まれているのは他ならぬロシア人が一番よく知っていた。

『あの時はフランスもベネルクスも皆、手を挙げる寸前だった。決定的な敗戦の前に戦争をやめて何が悪い』と言ったところで、他国人からは嘲笑されるだけだった。祖先たちが造った国土の半分を水浸しにしてまで戦ったオランダ人、リエージュ要塞の奮戦によって連合国にとって貴重な時間を稼いだベルギー人、仏独国境やベルギー、オランダで多くの若者が命を散らしたが、復讐(ルバンシェ)の為に最後まであきらめなかったフランス人、そういった人間たちからすれば、ロシア帝国という国家は『憎きドイツ帝国を挟撃する機会を潰した裏切者』だった。


鉄道網の整備などが不十分だったロシアでは、多くの一般市民の配給を削りながら、ギリギリの状態で戦争を続けていたのだが、ロシアを批判する者たちはそんな事を知ろうともしなかった。


敵国であったドイツ人から見ても、ロシアは侮蔑の対象だった。西部戦線での塹壕戦によって戦線が降着してからは、戦線がまるで進まないまま終戦となってしまったことは、無敵のドイツ軍が独仏戦争と同様にフランス軍を踏み躙り、再びパリを行進するという、未来予想図を描いていたドイツ人にとっては予想外の出来事であり、ドイツ人の間でフランスを再び脅威と捉える見方が強まった一方で、たまりにたまった不満をぶつけるかのように、ロシアのことを蔑み始めた。オーストリア=ハンガリー帝国でも同様だったがこちらはどちらかと言えば大戦中にボヘミア人などのスラブ系兵士がロシア帝国側に投降し、その後、寝返った事などによる反スラブ感情の高まりの方が理由としては大きかった。


だが、ロシア人が最も我慢ならないのは、第一次世界大戦において一発の弾丸も撃たず、一人の戦死者も出していないイギリス人から蔑まれる事だった。


そうした事からロシア人の多くはペルシア出兵において、政府がイギリス人の要求に屈せず、出兵を継続する事を望んだ。だが、ストルイピンが選んだのはイギリスの要求を呑む形での妥協、事実上の敗北だった。両国の国力差を理解し、何よりもロシアの再建を重視したための決断だったが、左右両派からこの妥協に対して批判され、ストルイピン自身も幾度となく暗殺未遂にあい、先日には息子のアルカディ-ペトロヴィッチ-ストルイピンが襲撃を受けていた。


たびかさなる批判と襲撃事件、そして何より家族が標的になった事はストルイピンを少しづつ追い詰めていた。

そうした事情を知っていたからこそニコライ2世はストルイピンを労った。


「…ストルイピンよ。イギリスとの交渉を良く成し遂げてくれた」

「陛下…しかし、民は私の事を売国奴と蔑んでおります」

「民に政治のことは分かるまいよ。神は高く、皇帝は遠い、などと民は嘆いているようだが、全くその通りだ。神が人の手では到底届かぬ天上におわすように、皇帝たる余の近くにいるのはストルイピン、其方のような忠臣でなければならぬ。何も知らず其方の事を蔑むような無知なものたちではないのだ」

「陛下…私はもう首相になってから8年が過ぎました…もう、そろそろ…」

「何を言うストルイピン、余にはまだ其方が必要だ」

「しかし、すでに対イギリス追従政策には限界が見え始めています。偉大なるロシアに住むものたちは、その誇りを捨てて、一時の金を得る為に屈辱にまみれる事を良しとしておりません。遠からず何かが切っ掛けで破滅する事はわかりきっております。…だからこそ、今しかないのです。今、私がここで身を引けば、最悪の事態は避けられます。"売国奴"、私がそう呼ばれるだけでロシアがすくわれるのです。たとえこの先殺される事になっても…」


首相の職を辞するという決断をしたストルイピンをニコライ2世は引き留めたが、ストルイピンは自分が責任を取る事によって、批判がニコライ2世にまで及ぶのを避けようとしており、その決意は固かった。


これは、過激すぎる組織ではあるが、一応は皇帝による親政を掲げている極右の黒百人組よりも、左派の最大勢力である社会革命党をストルイピンが警戒しているためでもあり、社会革命党の幹部の一人であるエヴノ-フィシェレヴィチ-アゼフやキリスト教社会主義者として社会革命党と共に行動し、強い影響力を持つにいたったゲオルギー-アポロヴィチ-ガボン司祭が祈祷師こと怪僧グレゴリー-エフィモヴィチ-ラスプーチンと繋がっている事をストルイピンは知っていた為に、対立する立場にある自分さえいなくなれば、穏健な改革実現の為にも自然と攻撃を止めるはずであり、そうでなければ、同じく自分という攻撃対象を失った黒百人組が、勝手に社会革命党を攻撃し始めるだろうと考えていた。何しろ非合法活動を止めたと言っても、社会主義者には変わりないのだからそんな党が極右組織である黒百人組と仲が良いはずが無かった。


しかし、ニコライ2世からすればラスプーチンが精神的な支えだとすれば、ストルイピンは実務面での要であり、何としても辞めさせるわけにはいかなかった。そのため、『其方の程の者の後継者を選ぶのは中々難しいし、オスマン帝国との戦争の事もある、後継者の選任が終わるまで今しばらく力を貸してくれないか』と言って少しでも引き延ばそうとしていた。


皇帝への批判を避けるべく辞任しようとするストルイピンと、政治の混乱を避けるべくストルイピンを留任させようとするニコライ2世、2人の思惑は噛み合わなかった。

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