第129話 メキシコ出兵
1917年8月12日、第一歩兵師団を主力とするアメリカメキシコ遠征軍は越境し、テキサス州エルパソの対岸であるシウダーフアレスを占領、さらに翌日にはアメリカ海軍と海兵隊によって、メキシコ湾の重要な港であるユカタン半島のベラクルスを攻撃しこちらも占領した。メキシコ遠征、またはメキシコ出兵と呼ばれる軍事介入の始まりだった。
この時のベラクルスに対する攻撃では給炭艦ジュピターに据え付けられたカタパルトからヒューイット-スペリー-オートマチック-プレーンを発艦させて、世界初の船から発艦した航空機による攻撃を行なった。
ヒューイット-スペリー-オートマチック-プレーンは、無線とジャイロで誘導される飛行爆弾だったが、発艦後には人の手で一定高度まで上昇させる必要があった。そのため、4機搭載されていたヒューイット-スペリー-オートマチック-プレーンにはそれぞれ、セオドア-ゴードン-エリソン、パトリック-ネルソン-リンチ-ベリンジャー、ゴッドフリー-デクルーセイ-シュヴァリア、マーク-アンドリュー-ミッチャーが搭乗して発艦させ、飛行が安定したのちにパラシュートで脱出した。この航空攻撃によりベラクルス沿岸の砲台を損傷させる事に成功し、防衛するメキシコ軍の士気を大いに下げる事に成功したのだった。この活躍によりエリソン、ベリンジャー、シュヴァリア、ミッチャーの4人はジュピターフォーと呼ばれベラクルス占領の立役者として英雄視される事になるが、アメリカ海軍は危険すぎる賭けがたまたま成功しただけだと見ており、以後アメリカ海軍はウィリアム-アジャー-モフェット中佐の提言に従って、アメリカ海軍の要請により、オスカー-エルプスレーが開発していた飛行船からの運用を中心に考えるようになる。
エルプスレーはドイツ帝国からアメリカ合衆国へ帰化した航空技術者であり、元々はドイツで飛行船の開発を行なっていたが、すでにドイツではツェッペリン伯爵の開発した飛行船が性能、実績ともに優れていると思われたために支援するものはおらず、海を渡ってアメリカへと移住し、近年正式にアメリカ国籍を取得していたのだった。
アメリカ海軍内部には愛国党政権誕生以前から盛り上がり始めていた反移民主義的な主張から、帰化したばかりのエルプスレーに飛行船の開発を任せるのは問題ではないかという声もあったが、現状、アメリカにはエルプスレー以上の専門家がいないことやグレート-ホワイト-フリート構想の目玉である大型戦艦の建艦計画の方をアメリカ海軍としては重要視していたため、飛行船などの航空機の開発は片手間に過ぎないという認識が主流であり、エルプスレーが開発から外される事は無かった。
一方、攻撃を受けたメキシコの各勢力は混乱していた。
まず、一応メキシコを代表する立場にあるフランシスコ-デ-ラ-バーラ大統領はアメリカによる侵略であると非難したが、駐墨アメリカ大使から、アメリカがすでに現メキシコ政府を正統政権として認めていない事を告げられ、困惑しつつも憤慨した。メキシコ政府としてもアメリカ内部で反墨感情が高まっている事は知っていたが、いきなり奇襲攻撃を受けるとは思ってもいなかったからだった。ルーズベルト政権という新政権がどのような政権であるかを考えもせずに、今まで通りの不介入が続くと考えたが故の誤算だった。デ-ラ-バーラは後悔したが、赤い星を描いたアメリカ陸軍航空部所属の機体がメキシコシティ上空を飛んでいる中で後悔した所で遅かった。
デ-ラ-バーラ政権と敵対する立場の反政府勢力の側でも誤算があった。
これまで、アメリカではアブラハム-ゴンザレス-カサヴァンテス率いる自由主義者が大きな支持を受けているとされており、カサヴァンテス以外の勢力からしても、もし、何らかの形で介入が起こった時にアメリカが支持するのは間違いなく自由主義者だろう、と見なされていたからだった。
しかし、今回、ルーズベルト政権が支持を表明したのはベルナルド-ドロテオ-レイエス-オガソン元国防相率いるハリスコ州軍閥だった。
これには、メキシコのみならずアメリカ国内やアメリカ以外からも反発があったのだが、ルーズベルトはメキシコの安定化のためにはハリスコ州軍閥による支配が一番である事、また、実際にハリスコ州軍閥の支配地域では農地改革を含む進歩的な改革が行なわれている事、などを挙げて反論した。
アメリカによる介入とその後のハリスコ州軍閥承認により、現メキシコ政府とハリスコ州軍閥以外の反政府勢力の勝ち目は無くなった、と思われるようになり、多くの国が現メキシコ政府の支配下にあるメキシコシティから外交官らを退去させ、代わりに非公式にではあるがハリスコ州軍閥の拠点であるグアダラハラに特使を送り込んだ。
また、スイスのSIG社からはハリスコ州軍閥に多額の金が支払われるようになった。これは別に賄賂などではなく、ハリスコ州軍閥所属軍人であり、レイエスの副官であるマヌエル-モンドラゴンが設計した半自動小銃のライセンス料だった。内戦以前に開発されたこの半自動小銃はメキシコでは生産が難しかったことから、SIG社でライセンス生産されていた。その後、内戦が勃発後にはモンドラゴンが開発者である自身が所属するハリスコ州軍閥に対しライセンス料を振り込むように主張していたのだが、SIG社側はメキシコの正統政府でないことを理由に拒否していた。しかし、アメリカによる承認後は一転して正統政府と認め、ライセンス料を支払い始めたのだった。
このように各勢力が混乱する中で事前にアメリカの動きを察知して、いち早く動いたものたちがいた。
リカルド-フロレス-マゴン率いる無政府主義者だった。米墨国境の両側を拠点にしていた彼らはアメリカ軍の攻撃が近いことを察知して、同じく無政府主義者であるエミリアーノ-サパタ-サラサールの支配するモレロス州を目指して行軍を開始していたのだった。メキシコをほぼ縦断するこの行軍は長き行軍と呼ばれ、後にイギリス系アメリカ人のアナキストでマゴン派のスポークスマン的存在だったウィリアム-チャールズ-オーウェンの日記が出版されたことによって、ロングマーチの名で広く知られる事になる。
メキシコ出兵自体は3カ月という短い期間で終わったが、遠征から帰還した多くの兵士たちが咳や発熱などの症状を訴え始めた。メキシコ遠征軍参加兵士が多く罹患し、感染源となった事からのちにメキシコ風邪と呼ばれる大流行が始まった瞬間だったが、世界は当初無関心だった。欧州各国によるオスマン帝国への出兵が時を同じくして始まっていたからである。




