第128話 越境準備(下)
1917年8月10日 アメリカ合衆国 テキサス州 エルパソ郡 フォート-ブリス
ロシア帝国でコルニーロフがケルレルと話している頃、アメリカとメキシコの国境地帯にあるフォート-ブリスでも軍事行動の準備が進められていた。
「いよいよ明日に迫っているわけだが、パットン君どうかね」
「はい、基本的には滞りなく進んでいます。明日にはメキシコ人を蹴り上げてやりますよ」
「頼もしいな。…時にパットン君、君は大統領の決定をどう考えているのかね?」
「もちろん、大歓迎ですよ。最も強き者に統治を任せる、というのはわかりやすくて良いですな」
「その言い方だとまるで、ディアドコイ戦争のきっかけになったアレキサンダー大王の遺言だな」
「なに、最終的には、だれが勝とうとも現代のローマ帝国たる我がアメリカに屈するでしょうから、問題ないでしょう。それこそ、大王の後継者たちが建国した国々と同様にです」
ジョージ-スミス-パットン-ジュニア中尉はメキシコ遠征軍司令官のレオナード-ウッド少将に対してそう答えた。
ウッドはジェロニモ討伐での活躍により名誉勲章を授与され、米西戦争ではセオドア-ルーズベルトと共に義勇騎兵部隊ラフライダーズの組織、指揮に関わり、その後はキューバのハバナ市、フィリピンのモロ州の総督を経て、陸軍参謀総長に任じられたという経歴を持つ人物だった。
軍内には米西戦争や米比戦争で功績のあるジョン-ジョセフ-パーシング少将を推す声もあったが、パーシングがクリーク族との戦闘において黒人部隊を率いて戦ったことから、ブラック-ジャックと呼ばれ広く知られていたのだが、その事からパーシングが黒人に対して融和的な軍人なのではないかと危惧した愛国党政権のもう一人の中心人物であるベンジャミン-ティルマンからの反対があり、結果としてルーズベルトと親しかったこともあって、ウッドが今回のメキシコ遠征軍司令官に任じられていた。
しかし、コネで任じられた司令官という立場は、部下からの反発を招くのではないか、と危惧していたウッドは部下からの人望も厚いパットンに大統領の決定を支持するか、と聞く事によって、遠回しにその大統領に任じられた自分を支持するのか、と聞いたのだった。
パットンはカリフォルニア州のロサンゼルス郡サンガブリエル生まれで、祖父の南部連合軍大佐ジョージ-パットン-シニアはヴァージニア州ウィンチェスターで行われた第三次ウィンチェスターの戦いで戦死しており、パットンから見て大叔父にあたるジョージの弟ウォーラー-パットンもゲティスバーグの戦いの最終日に有名なピケットの突撃に加わって戦死していた。
一方、パットンの父であるジョージ-スミス-パットン-シニアはヴァージニア州立軍事学校こそ卒業したものの、父たちとは違いロサンゼルス郡の弁護士を経て、ロサンゼルス郡サンマリノ市の市長となり、民主党員としてカリフォルニア州選出の上院議員として立候補して、愛国党のハイラム-ジョンソンに敗れたという悪く言えば平凡な人間だった。
パットンはそんな父よりも祖父や大叔父の事を尊敬していたし、更に言えば祖父や大叔父以上にアレキサンダー大王やハンニバル、シーザー、ナポレオンといったかつての英雄を尊敬し、また彼らに憧れてもいた。そのため、パットンが軍人を志すのは当然だった。
パットンは父と同じヴァージニア州立軍事学校に入学、卒業した後ウェストポイント士官学校に入学し、さらにウェストポイント卒業後には1912年のローマオリンピックの近代五種競技で5位に入賞するという快挙を成し遂げていた。この1912年のオリンピックは本来ならば1908年に開催されたはずのものが、第一次世界大戦の勃発によって延期されたものだった。
「ところで基本的には、といったな?何か問題でもあるのか」
「問題というほどではないのですが…例の"ジェントルメン"の連中に関してはいささか不安ですな」
「ああ、まあ、なんだ、そのあたりは君が指導してやれ。無論、私からも言っておくがね」
ウッドが歯切れが悪そうに言うのを見て、パットンは落胆した。
"ジェントルメン"とはニューヨーク市長のジョン-パーロイ-ミッチェルや弁護士のグレンヴィル-クラーク、投資家のウィラード-ディッカーマン-ストレートなどが中心となって設立したニューヨーク州クリントン郡ブラッツバーグで開催された夏季軍事訓練キャンプの参加者の事で、大学卒業者という参加条件があった事から上流または中流階級の人間で占められており、参加者たちはキャンプでの訓練を通して、戦時には士官としての役割を担える人材になる事が期待されていた。
しかし、パットンのような正規の教育を受けて士官となったものからすると、こうしたキャンプで多少の教育を受けただけの人間が優秀な士官になり得るとは思えず、富裕層の者たちが多かったことから紳士の方々と呼んで疎んじていたが、愛国党政権からすれば愛国党支持者も多かったキャンプ参加者の従軍希望を無視する事も出来ず、メキシコ遠征軍にもこうしたキャンプ参加者がいたのだった。大統領と現場の士官たちとの間で板挟みになったウッドとしては問題が起きないようにするだけで精いっぱいだった。
実際の所、ウッドに対する不満の多くは任命の経緯よりも、こうした優柔不断に見えなくもない態度から来ているものが大半なのだが、ウッド本人はそんなことは知る由も無かった。
その後、わずかな失望と共に退出したパットンが駐屯地内を歩いていると咳をしている兵士を見つけた。
「おい、貴様大丈夫か」
「これは中尉殿、申し訳ありません。少し調子が悪くて…ゴホッ」
「大丈夫か、妙な病気じゃないだろうな」
「はい、問題ありません。明日には元気になってますよ」
メキシコ遠征軍は5月に編成されたばかりのカンザス州フォート-ライリーを拠点とする第一歩兵師団がその主力とされていた。フォート-ライリーには最初の黒人部隊であるバッファローソルジャーズの4つの部隊の中の2つである第9騎兵連隊と第10騎兵連隊が駐屯していたこともあったが、第一歩兵師団からは彼等のような黒人の兵士が除かれていた事は言うまでも無かった。合衆国の守護者たる第一歩兵師団に有色人種は不要だからだ。
そんな、第一歩兵師団の一部の兵士の間では最近、奇妙な風邪のようなものがはやり始めていたのだが、パットンもウッドも特に気にしていなかった。パットンもウッドも準備に忙しく、奇妙な風邪の事を考える余裕などは無かったからだった。




