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第124話 主力艦

今回は(いつもながら?)ほぼ文章だけです。

当世界での帝国海軍の戦略とその中での金剛型の位置づけの話です。

1917年7月1日 大日本帝国 第一艦隊 第一水雷戦隊旗艦 一等巡洋艦 金剛


「海軍記念日まであと一月か…」


第一水雷戦隊司令官林三子雄少将は海面を見つめながら誰に言うでもなくそう言った。


帝国海軍において、海軍記念日は8月1日とされていた。伝承によると神武東征の際に神武天皇が日向国美々津より出航した日だからである。本来ならば旧暦にすべきなのだが、他の祭日と同じくグレゴリオ暦に統一されていた。


後に書かれた第2次ヘルゴラント海戦で戦死した東郷平八郎が、平行世界においてロシア帝国のバルチック艦隊と戦う架空戦記小説ではバルチック艦隊との激闘に勝利した5月27日を記念日としているが、現実の帝国海軍にはそのような華々しい勝利は無かった。

基本的に健軍以来帝国海軍は陸軍の支援に徹しており、海軍単独での初の晴れ舞台ともいえる第2次へルゴラント海戦では海上封鎖の維持という戦略的な目標こそ達成したものの、遣欧艦隊を率いていた東郷平八郎大将を含む司令部もろとも最新鋭の戦艦薩摩が爆沈するという悲劇に見舞われたのだった。


その後、帝国海軍は仮想敵である大清帝国海軍に対抗するかのように薩摩型を小改良した河内型(河内、摂津)、イギリスのアームストロング社の設計を元に建造した扶桑型(扶桑、山城)がすでに就役していたが、帝国海軍ではさらに伊勢型の建造に取り掛かっていた。


だが、こうした戦艦は帝国海軍にとっては組織の存続とポストの確保のために国民と議員からの支持を集める為の見せ札のようなものだった。

実際のところ帝国海軍は苦々しい敗北で終わった第2次ヘルゴラント海戦以降、艦隊決戦の回避と海上封鎖を目的とした海軍を目指していた。


第一次世界大戦において、帝国海軍は積極的に欧州派兵を行なった。これはイギリスのドレッドノートには遅れたものの薩摩型という単一口径の主砲を持つ戦艦を自力で建艦した事により、世界の海軍と並んだという意識もあったからだが、それ以上に自らの組織的な拡大を意識してのものだった。

当時は参戦の見返りとしての日本軍が新黒旗軍の鎮圧にあたった仏領インドシナやドイツ領だった南洋諸島が戦後には日本に割譲されるという噂が囁かれており、連合国各国との関係悪化を懸念した政府によって、そのような記事を書いた記者が処分されるといったことがあったほどだった。

要するに初の本格的対外戦争に浮かれていただけだったが、浮かれていたのは国民だけではなく、当時は陸軍内部でも戦後の仏領インドシナ経営に関する検討が真面目に行なわれていた。しかし、こうした陸軍の動きに危機感を持ったのが海軍だった。仏領インドシナは清国の隣接地域であり、そこに日本領ができるという事は駐屯させるべき兵力は膨大なものになり、それだけ陸軍に多くの予算がさかれるという事だからだ。


その為、帝国海軍は戦後も自らの組織的な地位を安泰なものとするべく、欧州派兵必要論を説いた。遠く欧州まで行ってドイツ帝国に直接的な打撃を与える事で、その武功を確かなものとしようとしたのだ。ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世が日本人を猿と蔑んだことから、ドイツ憎しで固まっていた国内世論もそれを支持した。


そして、そうした日本国民の期待を背負った決戦、第2次ヘルゴラント海戦において帝国海軍はその象徴たる薩摩を失ったのだった。

戦ったドイツ帝国海軍も艦隊首脳部が全滅したという点では同じだったが、旗艦であるナッサウ自体は生き残っていた事と、中立国からの海上封鎖への批判を抑える為にフランス共和国海軍が、積極的に中立国記者たちを乗艦させていた為、爆沈の瞬間が記事として出回ってしまった事なども相まって薩摩の爆沈のみが注目される形になってしまった。


当然、日本国内でも『欧州までわざわざ恥をさらしに行った海軍』として批判される事になった。尤も国内での批判については陸軍による欧州派兵により多くの死者が出始めると陸軍の方に注目が集まるようになり、海軍への批判は和らいだが、それでも期待されていた勝利を成し得ず、国民からの信頼を失いかけたという事態は帝国海軍にとってある種のトラウマであり、一度の決戦だけで勝敗を決しようとするのは愚策である、とまで戦後には言われるようになった。


こうした背景から、大日本帝国の周辺は工業化の未発達な地域が多く、また主要な港も限られているため、これらを海上封鎖して孤立化させ、陸軍によって占領する事で近隣の海域を制圧し、敵が阻止のために艦隊決戦を挑んできた場合のみ決戦を行なうという消極的にも見える戦略を帝国海軍は取るようになった。

つまり帝国海軍にとっては艦隊決戦はやむを得ず行なうものであり、主眼はあくまで本土の近隣主要港の封鎖だった。そしてそのために必要とされたのが、巡洋艦と渡り合える戦闘能力を持った大型の機雷戦艦艇であった。一等巡洋艦金剛は、表向きは陸兵または物資の輸送能力を持った巡洋艦とされていたが、実際の所は主砲として14センチ砲単装2基、同連装2基6門を備えた、排水量7000トン近くの敷設巡洋艦としては世界最大級にして世界屈指の戦闘力を持った艦だった。従来は装甲巡洋艦ぐらいしか分類されなかった一等巡洋艦に分類されている事からも帝国海軍が金剛を主力艦として位置付けている事がわかるようだった。


諸外国は第一次世界大戦時の日本軍の行動から、表向きの説明を信じ輸送と陸軍支援のための艦を整備していると解釈したが、同時に植民地奪取のための動きなのではないかと疑いを強める事にも繋がるのだがそれはまだ先の話だった。

文中にもある通り、当世界では海軍記念日は8月1日です。陸軍記念日はどうしようかなぁ…


林三子雄少将は史実だと旅順港閉塞作戦で戦死した人物で、機雷戦に詳しそうだったので採用しました。


当世界の金剛型は武装が強力なアドヴェンチャーのような感じです。

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― 新着の感想 ―
[一言] 強襲施設艦金剛はちょっと斬新すぎませんかね… 強襲揚陸艦金剛(誤)はさらに斬新じゃないですか見たいです
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