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第120話 戦艦と蜃気楼

今日(3月12日)で連載が始めてから丸一年となります。


ここまで続けてこれたのは読者の皆様のおかげです。

拙い小説ですが、これからも頑張って書いていきたいと思います。

1917年5月7日 ロシア帝国 ロストフ郡 タガンログ タガンログ海軍工廠

かつて、ピョートル大帝がアゾフ海、そして黒海への進出のために築いた要塞を起源とするタガンログは、黒海艦隊の最初の拠点でもあり、黒海艦隊の拠点が他へ移された後も依然として重要な交易港の一つだった。


そんなタガンログに再び軍港としての役割が与えられたのは5年ほど前の事だった。

きっかけは第一次世界大戦後のウクライナ西部の割譲だった。これによってニコラエフの造船所を失ったロシア帝国海軍はすぐさま代わりとなる造船所を求めた。

しかし、海上封鎖以外大戦中には特に目立った活動も無く、それすらも効果が疑問視されていた(興味深い事に逆にドイツ帝国では、戦中の海上封鎖の影響が過大評価されていた)ために中々、新規の造船所の建設となると許可が下りなかった。


しかし、ドイツ帝国海軍が接収したニコラエフ海軍工廠の再整備を始めると、新規の造船所建設計画は承認された。もともとはセヴァストポリやノヴォロシースクに建設予定だったのだが、ドイツ帝国が本格的な艦隊を整備し始めた場合に備えて、アゾフ海の奥にあるタガンログに建設される事になり、あわせてアゾフ海沿岸部では要塞化が実施された。


そんな、タガンログ海軍工廠では、1隻の巨大戦艦の建艦が進んでいた。

タガンログ海軍工廠にはイギリスのヴィッカーズ社の支援によって最新の設備を備えており、そのため当然というか建造する艦もヴィッカーズ社の誇る造船官サー-ジョージ-サーストンの設計による16インチ45口径砲四基の主砲を持った常備排水量2万9650トンの戦艦で速力は本来25ノットの所を大戦中の第二次ヘルゴラント海戦の戦訓から甲板装甲を増やしたため23ノットとなっていた。


本来は2隻建艦する予定だったのだが、経済優先のストルイピン政権の意向と海軍よりも陸軍の近代化が優先されたため取りあえずは大型のドックを備えていたタガンログで1隻だけ作る事となっていた。

もっとも、1隻だけでも黒海のパワーバランスは大きくロシア側に傾くだろうと予測されていた。

完成すればヴェーリーキー-クニャージ-アレクセイ-アレクサンドロヴィッチと名付けられる予定の、この戦艦に現状で対抗可能なのは仮想敵であるドイツ帝国海軍には先ごろ4番艦ヴュルテンベルクが就役した事で4隻全てがそろったバイエルン級ぐらいしかなく、加えて言えばバイエルン級は全て北海かバルト海にあったので黒海に対抗できる艦は存在しなかった。


「うむ、いつ見てもいい艦だな」


そんな戦艦を見ながら、恍惚とした表情を浮かべている海軍士官がいた。アレクサンドル-ヴァシーリエヴィチ-コルチャーク大佐。戦艦ヴェーリーキー-クニャージ-アレクセイ-アレクサンドロヴィッチの艤装員長であり、竣工後にはその初代艦長になる事が約束された人物だった。


(イギリス人はこの艦を実験艦とするつもりらしいが…知った事か、私はこの巨艦を操る事が出来ればどうでもいい)


コルチャークがそう思った通り、ヴィッカーズ社にとってはヴェーリーキー-クニャージ-アレクセイ-アレクサンドロヴィッチは実験艦だった。初期提案の中には主砲前方集中配置などがあったらしいが、結局は常識的な配置に落ち着いていた。

しかし、そんなことはコルチャークにとってはどうでもよかった。かつて、大戦中の第二次ヘルゴラント海戦で乗艦である水雷艇から薩摩とナッサウという新世代の戦艦が撃ち合う様を見ている事しかできなかったコルチャークにとっては、このような戦艦を祖国が保有しており、そして自分が操る艦であるという事が重要だった。


コルチャークは自らが操る戦艦の姿を幻視して悦に浸っていた。コルチャークは実に幸福だった。


1917年5月23日 フランス共和国 セーヌ県 サン=ドニ郡 サン=ドニ ドローネ-ベルヴィル自動車工場

ドローネ-ベルヴィル自動車は高級自動車の生産で知られる自動車会社だったが、第一次世界大戦後から航空機製造も行なうようになっていた。

そんな、工場の片隅で頭を抱えている2人の男がいた。ルーマニア王国出身の航空技術者アンリ-コアンダとフランスの航空技術者でラムジェットの考案者であるルネ-ロリンだった。


「では、今回の試験も失敗か…」

「やはり、耐熱材料の不足が問題なのでは?」

「そもそも、このわずかな期間で飛ばそうというのが無理があるのだよ。やるならもっと時間をかけてやるべきだ…コアンダ君、本当にオーストリアは実用化したと思うかね?」

「…その点については私も前々から疑問に思ってはいましたが…何しろ軍からの依頼である以上、軍がそうだと言うものに対して無理に自説を述べ続けるのも…」

「…まあ、そうか」


コアンダとロリンが共に試験をしているのは、ラムジェットを利用した航空機だった。完成すればこれまでにない高速機となるはずだったが、肝心のラムジェットエンジンの開発が上手くいっていなかった。

もともと、このプロジェクトは1910年に初のモータージェット機をコアンダが飛ばした事に着目したフランス陸軍航空隊が翌年にコアンダを招聘した事から始まった。


レシプロ動力に代わる新型航空エンジンの実用性について検討するだけ…の筈だった。

事態が動き出したのは2年前、きっかけはオーストリア=ハンガリー帝国がラムジェットエンジンと同様の原理で駆動するエンジンを搭載した航空機の開発を開始したという報告だった。


実際の所はハンガリー出身の発明家アルベルト-フォノがラムジェットの原理を利用した射程延伸砲弾の特許を取得し、それがオーストリア=ハンガリー帝国軍の目に留まった、というだけの話だったのだが、とにかくフランス陸軍航空隊は大騒ぎとなった。


コアンダに対して新型航空エンジンの開発が命じられると共に、フランス国内の特許の中に埋もれているかもしれない貴重なアイデアを見つける為にフランス中の特許を探した結果、見出されたルネ-ロリンも後に開発に加わった。


当時のエンジン馬力の少なさ故に早々に限界にぶちあたっていたコアンダはロリンの主張するラムジェットエンジンへの転換にあっさり同意し、それ以来2人は開発を続けてきた。


だが、2人がいくら苦労を重ねようとも実機が完成する事は無かった。


こうして、しばらくの間オーストリア=ハンガリー帝国陸軍航空隊が開発した(とされた)新型機はフランス陸軍航空隊内部で蜃気楼(ミラージュ)の名で怖れられることになる。

戦艦ヴェーリーキー-クニャージ-アレクセイ-アレクサンドロヴィッチはその名の通りアレクセイ-アレクサンドロヴィッチ大公から取ったのですが、海軍の艦なので大公の称号より海軍元帥の称号を優先してゲネラル-アドミラル-アレクセイ-アレクサンドロヴィッチ-ロマノフとかにした方がいいのでしょうか


ロシア帝国の命名基準分からん…。

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