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第119話 王の切り札

1917年4月16日 シャム王国 ナコーンパタム サナームチャン宮殿

東南アジアにおいて唯一の独立国であるシャム王国。

賢君ラーマ5世による改革、チャクリー改革によって植民地化の危機を回避したシャムだが、次代のラーマ6世の統治下である現在シャム王国には一つの火種が存在していた。


その火種とは国王であるラーマ6世とシャム王国軍、特に青年将校を中心とする急進的な改革を求める派閥との対立だった。

ラーマ5世の指導の元、近代的な統治機構と軍を整備して地方の有力者たちを次々と服属させ、国王を頂点とする中央集権体制を築き上げたシャム王国だったが、シャムの時代を担う新たなエリートである青年将校たちにとっては、シャム王国という一つの国家に全土がまとまった以上、国王はその絶対的な権力を手放し、近代的憲法のもとで立憲君主制に移行するべきである、と青年将校たちは訴えていた。

東アジアの大日本帝国や大清帝国が相次いで憲法を制定して、立憲君主制となっていた事から、そうする事がシャムにとっての最善の道であると思っての訴えであった。


しかし、その訴えをラーマ6世は拒絶した。ラーマ6世にとっては国王である自らが主導する統治こそが、現在のシャムにとって最もふさわしいものであり、立憲君主制への移行は時期尚早であるという考えであり、青年将校らの動きは断じて許せるものではなかった。そのため、ラーマ6世は青年将校たちの基盤である軍による力の独占を崩そうと画策していた。ラーマ6世には切り札があった。


『諸君、いいか、諸君の任務は諸君らの君主である国王陛下とシャム王国を守るために最大限の努力をする事である。諸君一人一人が王と祖国を守る盾であり、剣なのだ。その事を忘れるな』

「はい」


通訳を介して伝えられた教官の言葉に整列している若者たちは確固たる意志を込めて答えた。

一見すると軍人のように見える若者たちだが、正確には彼らは軍人ではなかった。彼らは虎部隊(スアパー)と呼ばれる、英国の義勇軍を範としてラーマ6世が創設した国王直属の準軍事組織だった。


この虎部隊(スアパー)こそが、ラーマ6世の切り札だった。

数こそ僅か4000人に過ぎなかったが、主に貧困層出身者の中から選抜されたものたちであり、国王への忠誠心と自身の栄達への期待からその士気は高かった。


ラーマ6世も虎部隊(スアパー)に所属する兵士たちと出身や階級の区別なく交流する事を楽しんでいて、ラーマ6世を批判していた改革派の軍人や官吏、知識人などが虎部隊(スアパー)の事を『国王の軍隊ごっこ』と馬鹿にしていた事から、貧困層出身の自分たちを馬鹿にするエリートよりも気さくに接する国王の方が虎部隊(スアパー)の兵士たちの間で人気が高いのは当然と言えた。


『よし、いい返事だ。ではこれより行軍訓練を開始する』


そういうと指示に従って、虎部隊(スアパー)の兵士たちは行進を始めた。

その様子を見て、教官、ルイ-フランシェ-デスパレは満足そうにその様子を見ていた。


(それにしても、まさかこの私が国王の切り札を育てる事になるとはな)


デスパレは運命とは皮肉なものだと、つくづく思った。

デスパレの家系は元々はリヨンの裕福な家庭だった、だが、デスパレの祖父にあたるフランシス-フランシェ-デスパレは1793年のリヨンの反乱に反革命派として加わった事をきっかけに、王党派の側に立って戦い続け、復古王政では1821年に警察局長に任じられていた。


だが、そうした祖父の功績は徹底的な共和主義政策がとられていた孫であるデスパレの時代には汚点にしかならなかった。デスパレ自身は優秀な将校だったが、常に王党派であるという批判が付いて回った。

チュニジア駐留やトンキンへの遠征を経験した彼は、第一次世界大戦ではフランス陸軍第60歩兵連隊の連隊長として、オランダ、ベルギー軍と共に低地地方で戦った。突撃よりも塹壕を掘る事を兵士たちに命令し、徹底した攻勢が基本とされた当時のフランス軍では珍しく持久的な戦法によってドイツ軍に出血を強要した。


また、デスパレはオランダ、ベルギー両軍との良好な関係構築に苦心した。

特にベルギーはかつてフランスとの間で、その領土をめぐって対立していた経緯があった事から、デスパレは尚更フランスとベルギーの関係を良好なものとするべく軍人や政治家たちとの交流を重ねた。


しかし、こうしたデスパレの軍事、そして政治的にも優れた才能は逆にフランス軍、そしてフランス政府から警戒された。

第三共和政の第二代大統領であり王党派として強引に王政復古を進めようとして、失敗したフランス元帥パトリス-ド-マクマオン、王党派ではなかったが権力奪取のためには王党派と手を結ぶことも辞さずに反共和主義勢力をまとめ上げ第三共和政打倒まであと一歩のところまで迫ったジョルジュ-ブーランジェ。こうした人物たちと同じような存在に成長することを軍も政府も恐れたのだった。


それでも、デスパレはフランスへの奉仕をやめる事は無かったが、そんなデスパレに言い渡されたのが今回のラーマ6世の要請に応じた虎部隊(スアパー)の教官としてのシャム王国への派遣…という名の左遷だった。


『デスパレ大佐、余の兵士たちの様子はどうかな』

『…陛下、ええ、順調ですよ。皆優秀な者たちです』

『それはよかった』


突然流暢なフランス語で話し掛けられたデスパレが振り向くと、そこには国王のラーマ6世が立っていた。王党派の疑いのせいでその功績を認められず、不当な扱いを受け続け遂には事実上の左遷のような形でのシャムへの派遣はデスパレにとっても流石に納得しかねるものだったが、一応、フランスの国益を考えてなるべく友好的な態度を取っていた。


仏領インドシナとの間で国境紛争を起こすほどの激しい対立関係にあったシャム王国だったが、第一次世界大戦後から次第に友好的な関係構築が模索されるようになった。これはラーマ6世が従来の華人優遇策を取りやめる動きをみせていた事に対して、大戦中の新黒旗軍の乱を受けて華人追放政策を行なっていたフランス側がシャムに接近し、シャム国内ではラーマ6世の政策が不評であった事からラーマ6世も警戒はしつつもフランスの力を後ろ盾として利用しようとしたからだった。

シャムからの華人の排除という点でフランス政府とラーマ6世の利害は一致していたのだった。


しかし、こうしたラーマ6世の対仏友好政策はシャム国内では独立国としてのシャムの地位を危険に晒すものであると受け止められ、ラーマ6世に対する反発はさらに強くなるのだった。

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