第116話 情熱と受難
1917年3月2日 アメリカ合衆国 ワシントンD.C 国務-陸軍-海軍ビル 海軍長官室
国務-陸軍-海軍ビルはその名の通り国務省、陸軍省、海軍省の合同庁舎であり、1888年にフランス第二帝政様式で建てられて以来、文豪マーク-トウェインにアメリカで最も醜い建物と酷評された事もあったが、依然としてその役割を全うし続けていた。その中にある海軍長官室に陳情をしに来た男がいた。
「長官どうしてもご理解いただけないのですか」
「勘違いしないでほしい。別に私は海軍航空に未来が無い、などとは思っていない。ただ、我々にとって今すぐやるべきことは他にある、というだけなんだよ」
「しかし、長官の進めている『グレート-ホワイト-フリート』計画にも偵察や弾着観測のために航空機の力が必要なのではありませんか」
「モフェット君、君の情熱は判っているがね。今は受難の時だと思って耐えてくれ」
「しかし…」
「これはすでに決定事項なんだよ…下がりたまえ」
アメリカ合衆国海軍長官ジョセファス-ダニエルズにそう言われたグレートレイクス海軍訓練施設長ウィリアム-アジャー-モフェット中佐は退室していった。
モフェットはアメリカ海軍の中でも航空機に理解のある人物であり、グレートレイクス海軍訓練施設にて、航空機を将来のアメリカの防衛にどう役立てるかという事について日々研鑽を重ねていた人物だった。
しかし、こうした考えは当時のアメリカ海軍の進めていた戦艦中心の海軍拡張計画と真っ向から衝突するものだった。
海軍長官のダニエルズによって発表された事から、ダニエルズプランとして知られる海軍拡張構想は7万トンから8万トンの巨大戦艦をまずは2隻建艦し、その後1年ごとに2隻ずつ増やし計10隻の巨大戦艦を整備するというものだった。
近年の研究では、この巨大戦艦の発案者は副大統領だったベンジャミン-ティルマンであった事が判明しているが、当時はダニエルズの発案とされた事からダニエルズ-プランと呼ばれる事が多かったこのプランは、マスコミ向けの発表の場において想像図として描かれた絵の中の戦艦が全て白色だったため、グレート-ホワイト-フリートの名の方が一般では広く知られていた。
わざわざ、白色で描かせたのは仮想敵国を大日本帝国や大清帝国といった東洋の国々としており、白人の力の象徴として、大戦艦を整備しようとしていたためだったが、逆にこの建艦計画が白人国家である欧州各国、中でも世界最強のロイヤルネイビーを擁し、それに挑戦するものを決して許さないイギリスを刺激する事になったのは大いなる皮肉といえた。
実利を求め続けた結果、7つの海を支配するに至ったイギリスからすれば、旧植民地人たちが本気で白人文明の防波堤とならん、と思い艦隊を整備しているなどとは露ほどにも思っていなかった。信仰を基礎として成立した13植民地を起源に持つアメリカ合衆国という国は時としてそうした宗教めいた情熱に従って突き進む事があるが、この時のアメリカはセオドア-ルーズベルト大統領はじめとして白人文明の防衛に情熱を燃やしていたのだった。
ルーズベルト、ティルマン、ダニエルズ、3人の情熱はアメリカ海軍を受難へと導く事になるのだが、それはまだ先の話だった。
1917年3月6日 アメリカ合衆国 ワシントンD.C 議会議事堂 副大統領室
ダニエルズとのやり取りから3日後、モフェットは自らが目を掛けていた操縦士であるジョン-ヘンリー-タワーズ少佐と共に議会議事堂を訪れていた。
議会議事堂には1859年のジョン-キャベル-ブレッキンリッジ副大統領以来使用されてきた、副大統領室という専用の執務室があった。これは副大統領が上院議長を兼ねる事が憲法に明記されているからだったが、逆にいえば上院議長としての仕事ぐらいしか副大統領にできる仕事は無いという事を如実に表すものでもあった。
しかし、現副大統領のベンジャミン-ティルマンとの密接な連携を必要としたルーズベルト愛国党政権の誕生後はかつてルーズベルトが大統領を務めていた時に家族用のスペースとして増築したウエストウイングを副大統領の執務用空間として充てるように申し出ていた。
これまでの副大統領の役割を考えると異例の事だったが、議員生活の長いティルマンはホワイトハウスのウエストウイングよりも議会議事堂を気に入っていたため『上院の円滑な議事進行の為』との理由で拒否し、この副大統領室で常に執務を行なっていた。
「君たちは何故ここに来たのかね?私は人類の作った最も不幸な職にある者だぞ?」
テイルマンは副大統領室に入ってきたモフェットとタワーズを迎え入れてからそう言った。『人類の作った最も不幸な職』とは初代副大統領のジョン-アダムズ(後に第2代大統領)の言葉であり彼が副大統領であった時に自らの役職の事をそう呼んだのだった。
「ですが、"奇妙な事に"その最も不幸な職にあるはずの閣下が海軍に対して多大な影響力があるのは疑いようのない事実でしょう」
モフェットはティルマンに対してひるまずにそう言った。
「…何を言っているかよくわからないが…モフェット中佐、君は確か海軍の中でも航空機の可能性について独自の"過激"な見解を持っているようだね?」
「ええ、まあ。しかしながら私は将来必ず起こりうる可能性を申し上げているに過ぎません」
「必ず起こりうるか…君の提言によると、例えば近い将来飛行船ではなく通常の航空機が大西洋を越えて欧州からこのアメリカに飛んでくる、とあるが、私にはどうもそうなるとは思えないのだがね」
「いえ、必ずやそうなるでしょう。いえ、もしかすればすでに可能かもしれません」
「その根拠は?」
「技術の進歩、です」
「では、中佐、君がパリかロンドンに飛んで行くと?」
「いえ、私よりも適任がいますよ、ここにいるタワーズ少佐です。彼はとても優秀な操縦士ですよ」
え、何言ってるんだ。
タワーズは驚愕した。副大統領の所に陳情しに行くとだけ言われたので、とりあえずついてきたが、何故大西洋を越えるなんて話になっているんだ?しかも自分が。
「ふむ、成し遂げれば英雄だが、失敗すれば若く優秀な操縦士が命を散らす事になる…危険な賭けだぞ中佐」
「出来ますとも閣下。彼はやってのけると信じたからこそ、ここに連れてきたのです」
「タワーズ少佐だったな。出身は?」
「…アトランタであります」
「なるほどな。モフェット中佐は私と同じサウスカロライナ出身ではあるしな。…いいだろう横断飛行成功の暁には同じ南部の男として君たちに多少の手助けはしよう」
ティルマンから言質を取ったモフェットとタワーズは退出していった。モフェットの足取りは軽く対照的にタワーズの足取りは重かったという。無理もなかった大西洋横断飛行ができるとは、モフェット以外は誰も思っていなかったのだ。
この日のティルマンの日記には『上官の間違った情熱の結果、南部の若者が投機的かつ絶望的な飛行によってその命を失おうとしている。かの者に神の御加護があらんことを』と記されている。




