第115話 査問と実例
1917年2月25日 オスマン帝国 イスタンブル 某所
そこは統一と進歩委員会の数ある拠点の一つだった。未だにオスマン帝国内では守旧派が実権を握っており、統一と進歩委員会に代表される西洋で教育を受けた進歩派、いわゆる青年トルコ人たちは、アブデュルハミト2世時代のような露骨な弾圧こそ無くなったが、表だっての大規模な活動は出来なかった。だが、このたび合法野党として統一と進歩委員会の存在が認められることになり、拠点は歓喜に包まれていた。
そのようなめでたい日にも拘らず、拠点の地下では戦争中からの"活動"について、ムスタファ-ケマルが査問を受けていた。
「さて、ケマル、君を呼んだのは他でもない。君が戦争中からあちこちの支部を我々に無断で訪問しているのはすでに知っている。が、その目的が分からないのだよ。…我々としても改革を目指す仲間を痛めつけるのは心が痛むのだよ。君の口から話してはくれないかね?」
統一と進歩委員会の中心人物の一人であるアリ-フアトは、ムスタファ-ケマルに対して脅しを交えながらも柔らかな声で問い質したが、ケマルは答えなかった。
「…お前は、我々が本当に何も知らないと思って言っているのか?だとすれば大間違いだぞケマル」
もう一人の中心人物であるイスマイル-エンヴェルが、殺意にあふれた目でケマルの事を睨みながら言った。
「では、逆に聞くがどこまでで知っているのかな?」
「無論、全てだ。お前がムスタファ-スビと会っていたことも含めてな」
ムスタファ-スビはオスマン帝国では珍しい共産主義者だった。
1914年に皇帝アブデュルハミト2世を批判したことでオスマン帝国からの亡命を余儀なくされたスビは、ロシア帝国領バクーに居を構えていたのだが、そこで現地のボリシェヴィキと接触し共産主義者となったのだった。その後、アブデュルハミト2世暗殺後のオスマン帝国内の混乱に紛れて帰国し、共産主義を広めるための活動をしていたのだが、スビが結党したオスマン帝国共産党は政府から即日解散を命じられ、スビ自身も指名手配されてしまった。
そんなスビとケマルが会っているという情報は衝撃的なものだったが、だからこそ今回の査問が行われたとも言えた。
「まったく、なぜアカと接触などしたのか…まさか、これまで奴が憲兵隊の追跡をかわし続けていたのも、ケマル、お前が奴に情報を漏らしていたからか」
「…もし、そうだと言ったら?」
「なに?」
ケマルの衝撃的な言葉に、エンヴェルですら驚きの声を上げる事しかできなかった。理解が追い付かなかったのだ。
「正気か、ケマル。共産主義者というのは、平等の名のもとに神を否定し、皇帝を否定する危険思想だぞ、何故そんなものを君が…」
「遅すぎるからだ。遅すぎ、そして温すぎる。君たちは統一と進歩委員会が合法野党として認められたことを喜んでいるようだが、こうしている間にも世界は動いているんだ。我々に対して牙をむこうとな」
「だからこそ、だからこそ帝国の団結が必要なのではないのか?団結を破壊しようとする共産主義者に手を貸してどうする気だ」
欧州の列強諸国がアルメニア人やアッシリア人の虐殺を理由にオスマン帝国に対し懲罰的戦争を仕掛ける事を望んでいるという噂はすでに子供で知っているほどに広まっていた。それ故になぜ帝国を破壊しようとする共産主義者に与するのか、とのフアトの問いにケマルは不思議なものでも見るような顔した後、言った。
「…団結してどうするのかね?恩知らずのアラブ人や保身のためにはそこに住まう国民共々領土を売り渡した皇帝と一緒に暮らせと?…もはや、帝国という古い枠組みにとらわれていては我々トルコ人の未来は無い。そんな枠組みは一度打ち壊されるべきだ。他ならぬトルコ人自身の手によってな」
「狂人めが…もういい、連れていけ」
エンヴェルの指示によりケマルは憲兵隊に引き渡された。こうして、革命家ムスタファ-ケマルの野望は潰えたかに思われた。
だが、ケマルを連行していた憲兵隊のトラックが突如として武装集団の襲撃を受け、ケマルは武装集団と共にその場から逃走した。その後、ケマルの姿はオスマン帝国領内から消える事になる。
1917年2月27日ロシア帝国 ペトログラード モイカ宮殿
ここ、モイカ宮殿は別名をユスポフ宮殿といい、名家として知られるユスポフ家の所有する宮殿だった。
「いまや、帝国は病んでおります。宮廷内では英国に尻尾を振る売国奴の首相と怪しげな祈祷で陛下を惑わす不届き者の祈祷師が争っております、ゆえにわれらはこの2つを排除する他なりません。そしてその暁には陛下による親政を持ってこの帝国を立て直していただかねばならないのです」
モイカ宮殿の広間にてロシア帝国きっての超国家主義者にして、反共、反ユダヤ主義者、ウラジーミル-ミトロファノヴィッチ-プリシュケヴィッチが演説を行なっていた。
プリシュケヴィッチは過激な反ユダヤ主義団体黒百人組の中心人物の一人であり、ロシアを脅かすすべてのものはユダヤ人による陰謀が原因だと考えていた。
そんな、プリシュケヴィッチにとってユダヤ人の多い英国からの資本導入によってロシアを立て直そうとするストルイピンの政策は亡国への道にしか見えず、ラスプーチンについては論外だった。
「素晴らしい、ウラジーミル-ミトロファノヴィッチ。貴方こそまさに現代のイリヤー-ムーロメッツだ。貴方は必ずや現代のタタールであるユダヤ人を打ち滅ぼすだろう」
この宮殿の主でもあるフェリックス-フェリクソヴィッチ-ユスポフがプリシュケヴィッチをロシアの伝説的英雄イリヤー-ムーロメッツに例え、激賞した。その言葉を皮切りにプリシュケヴィッチに対する賛美の言葉で広間は覆い尽くされた。
(タタールか…皮肉だな)
そんなユスポフの言葉を聞いて出席者の一人であるウラジーミル-ニコラエヴィッチ-ココツェフは皮肉だとしか思えなかった。
長年、セルゲイ-ユリエヴィッチ-ヴィッテの補佐をしていたココツェフは冷静な人間だった。反ユダヤ主義者ではあったが他の人間がユダヤ人の劣等性をその根拠とするのに対し、彼はユダヤ人の優秀さを認めた上でそれを脅威と見なしている点で異質だった。ユダヤ人は優秀であるが故にロシア社会に入り込み、やがてはロシアを支配してしまうだろうと信じていた。
ココツェフがユスポフの言葉を皮肉だと思ったのは、ユスポフ家がかつてのタタールの軛の時代にロシアを支配したジョチ-ウルスの武将エディゲの末裔にあたるからだった。リューリク朝最後の皇帝であるフョードル1世の時代にユスポフ家の一族はイスラームの信仰を捨てて正教会へと改宗する事で公爵の地位を得て、現在ではロシア帝国の中でも有数の大貴族となっていた。
いかに異質なものであったとしても、優秀なものは取り込まれ、その歯車となり、やがては支配階級となる。その実例はココツェフのすぐ近くに存在していたのだった。




