表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
113/330

第113話 腸詰め会

1917年2月1日 大日本帝国 東京府 東京

この日、東京では『腸詰め会』という会合が行われていた。

『腸詰め会』という奇妙な名前の由来としては必ず会合の中で腸詰めが出されるからというのがその理由だった。この腸詰め、横浜から広がった一般的な腸詰めとは違い、欧州各国などで広く食されているものの日本では馴染みの薄い、血を肉と共に詰めたもの、所謂、ブラッドソーセージ、とされているものだった。


何故、そんなものを食べているのかといえば、会の中心人物である上原勇作陸軍大将が好んで食べていたことに由来するのだが、その訳は第一次世界大戦時の欧州派兵にまで遡る。


西部戦線にてドイツ帝国軍、並びにオーストリア=ハンガリー帝国軍との激戦が続く中で、大日本帝国陸軍遣欧軍司令部には多くの問題が報告されていた。

連合軍として共に戦っているはずのオランダ、ベルギー、フランスの各軍との諍いや言語の問題から連携がうまくいかないこともしばしばあり、そうした事から連合軍、特に西部戦線の主力であるフランス軍の中には遣欧軍を解体した上で自軍の指揮下に置いて、実質的な植民地兵部隊として扱おうとする意見すらあった。


こうした意見に対し大日本帝国としては遣欧軍が作成した簡易なフランス語テキストの配布等で、兵士たちに対する速成教育を行なうと共に連合国各国政府、並びに軍首脳部との交渉によって、遣欧軍の独自性を確保しようとした。


連合国の中でもオランダ王国やベルギー王国などは目的があくまで自国領の奪還であった事から、戦争の長期化によってライン地方の割譲から、果てはドイツ、オーストリア=ハンガリー両帝国の解体を叫ぶようになったフランス世論に引き摺られて、フランス政府が戦争目標を必要以上に拡大した場合、自国もそれに付き合わされるのでは、との危惧があったため、フランス軍司令部による他国軍指揮の先例となりかねない遣欧軍の解体には消極的ながらも反対の意を示した。


こうして、残るはフランス政府並びに軍司令部の説得のみだった。

フランス軍司令部説得の切り札として遣欧軍司令部が頼りにしていたのが、遣欧軍参謀だった上原だった。陸軍の中でも異色の工兵出身の上原が選ばれたのは、フランス陸軍最高戦争会議参謀長ジョセフ-ジョフルと上原との間に面識があったからだ。ジョフルはかつて上原がフォンテーヌブロー砲工学校に留学していた際の同級生だった。


フランス陸軍最高戦争会議は、フランス陸軍の戦略を決定するための機関であり、参謀長は陸軍大臣が兼任する議長、現役軍人が務める副議長に次ぐ地位であり大きな影響力があった。


ジョフルは副議長であるヴィクトル-コンスタント-ミシェル中将がフランス軍ではそれまであまり重視されていなかった予備役の活用と防衛的な戦略を提唱していた事から、攻撃精神を持ち、かつ内閣から目を付けられないように政治色のないものを参謀に据えるべきという軍内の圧力によって参謀長となっていた。上原はジョフルが前線への視察に出ると聞くと、すぐに会談を申し入れた。


両者の会談の際に料理が振る舞われたのだが、その料理こそが『腸詰め会』の名前の由来となった『ブルターニュ風ブーダンノワール』だった。

ブーダンノワールはフランスのブラッドソーセージだが、この『ブルターニュ風』は脂身の量が多く、また下処理も雑で、普通のブーダンノワールよりも血生臭く、申し訳程度に添えられた香草は臭みを消すどころか、つなぎというには多すぎる燕麦とともに一層そのまずさを引き立てる、という代物だった。


同席していた者たちの中にはこの『ブルターニュ風』に耐えかねて、食事を中断するものもいたがジョフルと上原だけはこれを最後まで食べきったという。その後、ジョフルと上原は2人だけで話し合い、ジョフルは上原の意見を受け入れて、遣欧軍のフランス軍への編入をやめるように提言を行なったのだった。


後年、何故そんなものを食べたのか、と質問された上原は、


「一瞬迷ったが、亡くなられた野津閣下が昔は胆力が付くからと死体から生き胆を取って食べたものだ、と言われていたことを思い出し、これも胆力を付ける為と思い食べた」


と回答している。以来、上原は胆力をつけるためには、自分はもちろん周囲の者にも必ずこの『ブルターニュ風』を食べさせていたのだった。


無論、食べさせられる周囲はたまったものではなかった。


「うっ、やはり、これは…何度食べても」

「永田、貴様は医者の息子だろうが、多少、血なまぐさいくらい」

「医者は…人をなおすものだ…人を苦しめて殺すもの…では…ないぞ、小畑」

「永田、小畑、うるさいぞ」


『腸詰め会』の参加者である永田鉄山と小畑敏四朗が『ブルターニュ風』を前に悪戦苦闘していると、黙々と片づけていた岡村寧次が2人をたしなめた。


「…岡村は良く黙々と食べれるな」

「まったくだ」

「…別に俺も美味くて喰ってるわけでは無い、だがまあ、欧州の地獄に比べればこんなもの…」

「……それはそうだな」


永田、小畑、岡村の3人は遣欧軍の一員として欧州に派遣された経験があった。


「それに黙々と食っているとは、ああいう奴の事を言うのだ」


そういうと岡村が視線を横にずらした。その視線の先には陸軍士官学校時代の1期後輩にあたる東條英機の姿があった。


東條は陸軍大学校を首席で卒業し大将昇進を目前に控えながら病により亡くなった東條英教を父に持つことから、将来の陸軍を背負うものとして期待を寄せられており、当人もその自負を強く持っていたが、肝心の能力は父、英教ほどには高くなかった。


それでも、周囲からは期待を寄せられているらしく、大尉への昇進が異例なほど遅いのは東條に陸軍大学校への入校資格を失わせないためだ、と囁かれていた。


「こんなものをよく真面目くさった顔で食えるな」

「…案外話してみれば、面白いやつなのかもしれんぞ」

「正気か永田」

「なに、少し話すだけだ」


そういうと永田は席を立った。これが永田、小畑、岡村の3人と東條の出会いだった。



ちなみにフランスには『ブルターニュ風ブーダンノワール』と呼ばれるような料理は無い。

残されたレシピによるとスコットランドのハイランド-ブラックプディングに近いものだったことから『ブルターニュ風』のブルターニュはブルターニュ地方ではなくブリテンを指していたのではないかとされる。

しかし、なぜそのようなものがフランスの、しかも、ジョフルと上原という高級将校の食事に出されたのか、という点については歴史家たちの間で今もなお議論の的になっている。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ