第108話 自棄酒
皆様、あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
1916年12月3日 アメリカ合衆国 ニューヨーク州 ニューヨーク
その日、一人の男が自棄酒を飲んでいた。
「くそっ、面白く無い。少し人気が落ちてきたからと言って、そう簡単に市長職を明け渡せるか」
男は現ニューヨーク市長であるジョン-パーロイ-ミッチェルだった。
反タマニーホール派であり、共和党出身だった彼は愛国党の結党時に愛国党への鞍替えを表明した人間の一人だった。
人気絶頂のテディ、セオドア-ルーズベルトについていけば、この先も自分は生き残れる…そう思っての事だった。
だが、勝利後にルーズベルトから言い渡されたのは、翌年のニューヨーク市長選挙への出馬取りやめと、次の1920年大統領選時の副大統領候補としての立候補の要請だった。
これは、ミッチェルの効率重視の政治姿勢がニューヨーク市民の間で不人気であった事も理由だったが、一番の理由は愛国党の結党以前のハーストとルーズベルト、ティルマンの三者間の取引を忠実に守っていたからだった。
取引の事をぬきにして考えても、人気に陰りの見えているミッチェルでは"ホール"の影響力の未だ強いニューヨーク市長選で勝てるかは分からない、ならば次の選挙ではハーストを愛国党の全面的なバックアップの下で擁立して万全の体制を期す。ミッチェルには何か適当な職を与えよう。そう思っての事だった。実のところ愛国党の党内では、次期大統領選での副大統領候補という役割はミッチェルの来歴を考えるとこれ以上ない適役だと思われていた。
事の始まりは、副大統領のベンジャミン-ティルマン(厳密にはまだ就任していないので次期副大統領)は高齢であり、次の選挙戦では辞退する事を事前にルーズベルトに申し入れていたのだが、その時に、南部出身者または親南部の人間を次期大統領選での副大統領候補に据える事という条件を出してきたことだった。
だが、これは『次こそは我々の側からの候補者を』と息巻いていた旧共和党出身者にとっては受け入れがたい事だった。彼らはヘンリー-カボット-ロッジあるいはハイラム-ジョンソンのどちらかが次なる副大統領候補にふさわしいと考えていたからだった。
所詮、共和党進歩派と民主党の寄り合い所帯に過ぎない愛国党はここで分裂するか思われた、がルーズベルトが指名したミッチェルというダークホースの登場で状況は一変した。
元々、反タマニーホールの進歩派共和党員として知られていたミッチェルだったが、ミッチェルの父ジェームズとミッチェルの2人の叔父は南北戦争において南軍として従軍していた経歴があった。
この父親と叔父2人の従軍経験を知ると当初はミッチェルの事を北部出身の旧共和党として認めようとしなかったティルマンが『北部出身という点は気に食わないが、南部の大義のために命を懸けた男の息子であれば…』と消極的ながら賛成の意を表明した。
自らが候補者として推していたヘンリー-カボット-ロッジとハイラム-ジョンソンのどちらも選ばれなかった旧共和党出身者も実務面では多少の不安はあれど、ミッチェルがすでにニュ―ヨークを代表する進歩派としてその名が知れわたっていた事から、取りあえずは進歩派が候補者ならばと渋々納得した。
愛国党内では納得していないのは、旧共和党、旧民主党の双方の人間の中でも頑固な人間を除けば、もはやミッチェルただ一人だった。
そして、先の選挙で愛国党から立候補した以上今さら共和党に戻る事などありえず、ミッチェルにできるのはただ自棄酒を飲むことだけだった。
1916年12月4日アメリカ合衆国 ワシントンD.C
「いまさら、反"ホール"の活動をやめろとはどういうことですか」
「そのままの意味だよ。我々は愛国党に敗北したのだ。であれば、多少なりともその痛みを和らげようとするのは当然の事ではないかね?」
ニューヨーク州議会上院議員のフランクリン-デラノ-ルーズベルトが怒りを込めて発した言葉に対し、アメリカ合衆国議会下院議長にして、先の大統領選では民主党の大統領候補者だったジェームズ-ボーチャンプ-クラークはどこか諦めたような口調で返した。
「しかし…"ホール"の存在は民主党、いえ合衆国にとって害悪です。それを放置などは…」
「ではどうするかね?党を割るかね?君の叔父上のように、ああ、それで気が済むならすればいいさ。いっそ愛国党員になったらどうかね?」
「…クラーク議長、私は今までもそしてこれからも民主党員です」
「…すまない。大分疲れているようだ。今のは…その、忘れてくれると助かる」
「わかりました。…飲まれているのですか」
「ああ、うん、少しだ。少しだけだよ」
(どう見ても少しではないな…)
よく見るとクラークの出生地であるケンタッキー州ローレンスバーグで製造されたバーボンの空き瓶が部屋に転がっているのが見えた。酒に浸りたい気持ちはフランクリンにも痛いほどわかった。
何しろ先の大統領選は勝てるはずだった。いや、そもそもその前の1912年の大統領選からして本来は勝てるはずだったのだから。
進歩派と保守派の争いによって分裂傾向にあった共和党に引き換え我が民主党は団結していた。しかし、1912年はリンカーンの息子という思わぬ人物の出馬によって敗れ、今回は愛国党という新党結成によってよりにもよって民主党内部からも離反者を出したうえでの敗北だったからだ。
(だが、だからといって歩みを止めていい理由にはならない)
腐敗したタマニーホールの改革はフランクリンにとっては早急に取り組むべき政治課題であり、民主党が議席維持するためとはいえそれを容認する事は自ら政治家としての死を選ぶのと同じようなものだった。
その後もフランクリンはクラークの説得をつづけたが、クラークが首を縦に振る事は無かった。
「わかりました。議長…どうしても答えは変わらないという訳ですか。ああ、一杯だけ頂いてもよろしいですか」
クラークの意思が固い以上、この場でフランクリンができるのはクラークの自棄酒に付き合うことだけだった。




