第104話 野望と希望
1916年10月1日 蘭領東インド ジャワ島 環翠山荘
環翠山荘は浄土真宗本願寺派第22代法主大谷光瑞が建てさせたジャワ島の別荘だった。
「やはり、オランダ政府からの許可は下りなかったか」
「はい、法主…残念です」
「まあ、あの遺跡が守られただけでも良しとしよう」
法主と呼ばれた男、大谷の言う遺跡とはジャワ島中部にあるボロブドゥール遺跡の事だった。
8世紀に興ったシャイレーンドラ朝が建立した寺院であるボロブドゥールは長らく歴史から忘れ去られていたが1814年に再発見されると盗掘が相次いだ。
この事に危機感を覚えたオランダ政府は1900年に正式な調査委員会を発足させ、委員会主導での調査を行なうと共にその修復に乗り出そうとした。
しかし、そうする前にオランダ本国が第一次世界大戦に巻き込まれたために、修復をしている余裕はあるはずもなく、ボロブドゥールの修復はなされないまま放置されてしまう。そのため、ボロブドゥールは再び密林の中で忘れされられていくのだと思われていた。
だが、第一次世界大戦後の日本人移民、いわゆる南方移民によってそうした状況に変化が訪れた。
移民先で日本人移民たちは日本本土と同様に拠り所として神社や寺などを作り始めるようになったのだが、特に元々海外布教に積極的だった大谷は、仏領インドシナなどの植民地はもちろん、ついには第一次世界大戦後の日本ブームに乗ってパリ本願寺やアムステルダム本願寺を創建するまでになっていた。
そんな、大谷にとってボロブドゥールは新時代の浄土真宗本願寺派の新たなシンボルとするにふさわしい建築物だった。
東南アジア地域の仏教といえばタイやビルマのような上座部仏教が主流だがボロブドゥールは建立が古かったこともあり、浄土真宗本願寺派と同じ大乗仏教の寺院だったこともあり、大谷はボロブドゥール遺跡を新たに本願寺派の寺院ボロブドゥール本願寺とするべく巨額の費用を投じて修復させた。
しかし、東インド総督だったアレクサンダー-ウィレム-アイデンバークは保守的なキリスト教民主主義政党である反革命党出身の総督だったこともあり、必要以上の異教の勢力伸長を恐れて、大谷に対して貴重な文化財保護の名目でボロブドゥールを引き渡すように命じ、逆に大谷は引き渡しの際に修復にかかった多額の費用を即時返還するように、と東インド総督府に対して訴えを起こしていた。
結局、ボロブドゥールは東インド総督府の管理下に置かれることになり、費用に関して長い時間をかけて少しずつ本願寺側に支払われる事になった。
こうして、大谷光瑞の野望は密林の中に消えたのだった。
1916年10月12日 アメリカ合衆国 ニューメキシコ州 サンタフェ
ニューメキシコ州の州都サンタフェのとあるホテルで会合が行われていた。
「…とまあ、このようになっています」
「なるほど、説明をありがとう。さて、ハーストさん、そしてグリフィス監督、先の説明をお聞きになられてもわかる通り我がニューメキシコにはハリウッドにも勝るとも劣らない撮影場所の適地が多数あります。スタジオを作られるおりには是非我がニューメキシコに建設していただきたい」
「フォール上院議員、ニューメキシコはハリウッドよりもはるかに暑い場所も多いし、水の確保も問題だ…例えばこのスリーリバーズとか、近くに牧場はあるらしいが、鉄道の駅が遠い、大規模な撮影機材を運び込むには不便だ」
「…お言葉ですが鉄道をひくだけならばすぐにできますよ」
「それでも暑さは問題だ。俳優の体調管理という観点から考えてもやはりニューメキシコは諦めるしか…」
会合の内容はニューメキシコに新たな映画スタジオの建設予定地に関するものだった。
もともと、國民の創生などの作品で高い名声を獲得していたデヴィッド-グリフィスだったがパラマウントをはじめとする映画会社に支配される映画業界に嫌気がさしたグリフィスは、同じような不満を抱えていたチャールズ-チャップリンやダグラス-フェアバンクスとともに新たな映画会社の設立を考えていた。
そこに接触したのが新聞王ハーストだった。ハーストはグリフィスやチャップリン、フェアバンクスが愛国党の選挙活動に協力する見返りとして新会社に対する資金援助を提案。用地については主に気候の安定している西部を中心に探す事になった。そうして、共和党から愛国党へと鞍替えしたニューメキシコ州選出の上院議員アルバート-フォールの提案を検討するべく集まっていたのだった。
「グリフィス監督、まあそう言わずに」
「ハーストさん…ですが」
「取りあえず、一時的なものでもいいじゃないか、まずは撮影をしてみてから決めたって遅くは無いはずだ」
「まあ、試験的に撮るだけならば…」
ハーストはニューメキシコを諦めようとするグリフィスを宥めようとした。ハーストは次のニューヨーク市長ないし州知事を目指しているため愛国党内である程度立場を固める必要があり、フォールの提案を無下には出来なかったのだった。
グリフィスにとっては、最優先の課題は新会社を立ち上げる事であったために資金提供者であるハーストの言葉に逆らう事は出来なかった。新会社設立という希望が現実化した事を慰めにしながら、グリフィスはハーストの提案を受け入れた。こうして後にユナイテッド-アーティスツという名で知られる新映画会社の設立の準備は整ったのだった。




