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結局、あのあとメルキアさんはすぐに元の適当な感じに戻ってしまって、さっきの不思議な雰囲気に浸っていた私は、まるで狐にバカされたみたいな気分だった。
「じゃあねー、異世界人さん。しっかりやりなよー?」
「あ……はい」
テントを去るときにも、からかうようにニヤニヤと笑顔を作って私たちを見送ってくれる彼女。
「貴女の容姿はニッチでマニアックだけど、私は嫌いじゃないよー。応援してるからねー!」
う……。
相変わらず、嘘がつけないというか気遣いが出来ないというか……。
こんなことを言う彼女に、いまだに少し呆れてしまうところはあるけど……。でも私、実は彼女のそういうところも、もうあんまり気にならなくなっていた。ホンの10分くらい会った程度だけど、彼女のことが、なんとなく分かってきていたから。メルキアさんという人は、本当に自分の心に正直な、自由人だってことが。
「あの、いろいろと、ありがとうございました!」
だから私は、テントの前で手を振っているメルキアさんに向かって、深く頭を下げた。そして、背中を向けて彼女のもとをあとにした。
更に後ろから、彼女の意地悪そうな声が届く。
「ちなみに、今日の貴女のラッキーカラーは白。ラッキーカップ数はFからJ。巨乳の人に会っても卑屈にならない強い心が吉だよー」
ううう……。
や、やっぱりこの人には、もうちょっと他人に対する気遣いが出来るようになって欲しいかも……。
分かったつもりの彼女の自由さに改めて辟易しながらも、私は本当に、その場を後にした。
私たちの乗ってきた馬車は、『風の民』の人が集落の端にある林の中に停めてくれたらしいので、私とピナちゃんは、そこに向かっていた。
無数のテントが乱立している中を歩いていく私たちの視界には、この集落で暮らす、たくさんの『風の民』の人たちの姿が現れる。誰もが一様に肌を日焼けしている。服装は、奇抜なカラーリングだったり、動きやすそうな露出度の高い物だったりして、あまり見たことのないような独特な衣装だ。これまた独特な楽器を持って、さっきメルキアさんのテントの中に聞こえてきた民族音楽を奏でている演奏家のような人たちもいるし、その周囲には、バラバラの振付で好き勝手に踊っている人もいたりする。
私はその中の何人かと、自己紹介を交わしてから軽く話してみた。アカネのお屋敷に住んでいた人たちも、だいぶ個性的で特殊な人ばっかりだと思っていたけれど……それでも、ここと比べればまだまとまりがある方だったと思ってしまうくらい、彼女たちは無秩序で、まさに、『風』を体現するような自由さを感じさせる人たちだった。
そしてその誰もが笑顔で、とても幸せそうに見えるのが、印象的だった。
それからやっと、馬車を停めていた木陰のところまで到着した私たち。すると…………そこには唖然とするような光景が広がっていた。
「こ、これは……」
「ひどい……」
そこにあったのは、跡形もなくなるほどにバラバラにされた、馬車の残骸だった。
丈夫な木製の荷台は、もはやただの木片の山になっている。その荷台をひいてくれていた2頭の馬も、片方はお腹に短刀が突き刺さって、傷口からドクドクと血が溢れだしている状態。もう片方は全身に切り傷をつけられて、綺麗な栗毛が真っ赤に染まっていた。
「こ、こんなの、ひどい……」
それは本当に、語彙を失って「ひどい」としか形容出来なくなってしまうくらいに、ひどく無惨な光景だった。
突然のショックな出来事に、膝をついてその場に座り込んでしまう私。ピナちゃんが、そんな私の肩に手を掛けようとする。
その瞬間。
私たちの視界の遠くの方で、2つの人影が去っていった。
「!? や、ヤバっ! 気付かれちまいましたわ!」
「!? ま、マズっ! なんとか逃げ切るんですわ!」
「……あいつらっ!」
ピナちゃんは素早く駆け出して、その人影を追う。私の方は、全身から力が抜けてしまっていて、その場を動くことが出来なかった。
しばらくすると、ピナちゃんが悔しそうな表情で帰ってきた。
「すいません、逃がしてしまいました。逃げ足の早いやつらです」
まだショックから立ち直っていない私は、うつろな表情で彼女に応える。
「……」
「さっきの2人は、いつもビビと一緒にいた、2人の手下たちでした。私たちの馬車にこんな事をしたのも、彼女たちで間違いないでしょう」
「そう……」
「つけられていたのでしょうか? ……いや、それは違いますね。ここまで来る間、私は尾行者がいないことは確認していたつもりです。きっと、先回りをされていたのでしょう。私たちがここに来ることに決めたのは一昨日ですが、準備などがありましたから、実際に屋敷を出発したのは昨日の朝でした。私たちがメルキアに会いに行くことを知ってから急いで支度をして夜のうちに出発すれば、私たちより早くここに来ることは十分に可能ですしね」
「うん……」
逃げていった2つの人影が、ビビちゃんの「手下」をしていた彼女たちであることは、彼女の話を聞くまでもなく、私も気付いていた。あの特徴的なしゃべり方と、尻尾を巻いて逃げていくときの下っ端感は、そうそう忘れる事が出来なかったし。
「これで、ハッキリしましたね」
ピナちゃんは、厳しい表情で言葉を続ける。
「手下がいるということは、その裏には彼女たちのリーダーが関与していると思って間違いない。
つまりビビ、いえ……あの、ビアンキ・ビアンカ王女の名を語っている野蛮な娘は、私たちの敵だということです」
「そ、そんな……」
「『ミス亜世界コンテスト』というイベントの開催が明日に迫っている今、私たちをこの場に足止めすることの意味は、1つしかありません。邪魔者を排除して、そのすきに、民衆からかき集めた『承認』を使ってアカネ様に危害を加えようとしている。つまり、『管理者』の命を脅かすことで、この『亜世界』そのものの転覆を狙っているのです。やはり、手紙を受け取ったと嘘をついてアカネ様に近づいてきたのも、あの娘だったのでしょう。あの娘は、恐ろしいテロリストだったのです。
ああ、こうしてはいられない。このまま私たちなしでミスコンが始まってしまったら、あの娘の思うツボです! なんとかして、今日中に屋敷まで戻らなければ……」
「ちょ、ちょっと、待ってよ……」
「どうすればいい? どうすれば、あの娘の策略を阻止できる? メルキアから、代わりの馬を借りれないか……? いや、もしもビビがメルキアが繋がっていたとしたら……? だって、この場所にあの手下たちがいるということは……」
「ピナちゃん、ちょっと、待ってってば……」
ぶつぶつと呟いているピナちゃんは、完全に、自分の考えが正しいという前提のようだ。ビビちゃんのことを、私たちが探していた『嘘吐き』と決めつけて、彼女が企んでいるという策略に対抗する方法を必死に考えている。
「ま、まさか!? あの娘は、既に『風の民』全体を傘下に収めているのでは……」
でも、一方の私は……。
「ピナちゃん! ちょっと、待ってってば!」
彼女の言った仮説を、信じることが出来ずにいた。
「七嶋さん、どうしましたか? 今は、議論をしている暇は……」
「ほ、本当に、ビビちゃんがこんな事をしたの? 彼女が私たちを陥れて、アカネと、アカネが作ったこの『亜世界』のルールを破壊しようとしている、テロリストだって思ってるのっ!?」
「むしろ……そうでない理由が、何かありますか?」
「そんな……」
理由と言われても……。
今の私には、ピナちゃんを納得させられるような理由なんてない。彼女が本当に王女様なのか、それともその王女様の名前をかたっている「嘘つき」なのか、それすらも分からない。でも、そのどちらだったとしても、彼女がアカネを傷つけるような娘じゃないって事だけは、確信があった。
だから私はそこで、一昨日ビビちゃんの部屋に言ったときの一部始終をピナちゃんに話した。
「私は一昨日、ビビちゃんの部屋に言って、ちょっと話したんだ。そのときの彼女は、とても、アカネを傷付けるような娘には見えなかった。彼女は……ちょっと勘違いが激しいだけの、可愛い普通の女の子だったよ! 私には、彼女は悪い人には思えないよ!」
彼女が、アカネを守ろうとして私に勝負を仕掛けてきたこと。私がイカサマを使ったことに気付いたのに、素直に負けを認めてくれたこと。それに、アウーシャちゃんと繋がりがあって、彼女から『承認』をもらっていた事や、あの「手下」の2人とは何かイザコザがあって、既に協力関係にはなかったことも。
正直言って、私の言葉じゃあビビちゃんの性格を知ってもらうには全然足りないかもしれないかもしれないけど。それでも、その何%かでもピナちゃんに伝わって欲しいって思いで、私はそれを説明した。
「なるほど……」
私の言葉を聞いたピナちゃんは、しばらくの間無言で何かを考え始めた。それが、彼女がビビちゃんのことを分かってくれているのだと信じて。私はそんな彼女を見つめていた。
でも、彼女は……。
突然何かに気付いて、私の近くに横たわっていた馬の一頭のそばにしゃがみこんだ。それから、自分の服の裾を破って、その体についた血を拭ったり、何かの魔法のようなものをかけはじめた。
すると、ぐったりしていたその馬が、突然息を吹き返したように、激しく呼吸を始めた。
「隣の刺されている方はもうダメですが……こちらの馬は、魔法で麻痺させられていただけで、傷自体は大したことはなさそうです。大量の血がついていたのも、隣のやつの返り血だったのでしょう。良かった……」
どうやら、さっきの魔法は治癒魔法みたいなものだったみたいだ。奪われていた体の自由を取り戻したことで驚いて暴れ回ろうとする馬を、ピナちゃんは慣れた手つきでいさめる。そして、その馬を立たせて周囲を回って少し観察してから、
「もう少し、働いてもらいますよ……」
と言って、それに跨がった。
「七嶋さん」
あまりにも絵になる格好で、ピナちゃんは馬上から私に言う。
「私はこの馬で、今からアカネ様の屋敷に向かいます。七嶋さんは馬術のたしなみがないでしょうし、この馬も、2人を乗せて走れるほど回復はしていません。今は、この方法が1番早く、屋敷に戻る方法のようです」
「ピナちゃん……」
「屋敷に戻ったら……私は、ビビを告発します。あなたには申し訳ありませんが、やはり私には、あの娘が『嘘吐き』である可能性が1番高いと思っています」
ああ……。
やっぱりピナちゃんには、分かってもらえなかったようだ。ビビちゃんがそんなことをする娘じゃないってことを、信じてもらえなったようだ。
「私の願いは、アカネ様を守ること、ただそれだけです。そのために必要なことならば、私は他の誰を傷付けることも迷わない。あのビビを排除することも、仕方がないと思っています」
「で、でも……。でも……」
煮え切らない態度の私に、苛立たしそうなピナちゃんは、しびれを切らして、
「あなたは、一体誰の味方なのですかっ!? アカネ様が大事ではないのですかっ!? 大事な人のために、他の人間を傷つける覚悟がないのならば……あなたには誰も守ることなど出来ないのですよっ!」
と叫んだ。
「う……うん」
私は、何も反論することが出来ない。少し言い過ぎたと思ったのか、ピナちゃんも気まずそうに俯く。
やがて、彼女はそのいたたまれなさに耐えきれなくなったように、馬を動かし始めた。
「……最速でいけば、半日以内には屋敷につけるでしょう。そこから信頼できる者に迎えをよこしますから、七嶋さんはそれまで、このあたりで隠れていてください……」
「……」
「七嶋さん……あなたはもっと、賢くなるべきです。大事なものを守るために、もっと強くなるべきです。……人を守るとは、そういうことなのですから」
そう言い残して、ピナちゃんを乗せた馬は、その場を去っていった。
私は、その影が見えなくなるまで見つめていることしかできなかった。
しばらくして。
何もすることが出来ずにその場に立ち尽くしていた私のそばに、近づいてくる人物がいた。
「やあやあやあ。まだ帰ってなかったんだねー。よかったよかった」
「メルキア……さん」
「君らが去ったあとに、『管理者』さんに渡して欲しい物があったことを思いだしたんだー。だから、もしも君らが都会に帰っちゃったあとだったら、面倒だなーって思ってたのさー」
私の周りで息絶えている馬や、バラバラにされた馬車のことに明らかに気づいているはずなのに、彼女はそんな白々しい事を言いながら、私の前までやってきた。
「渡して欲しい物って、なんですか……?」
あまりにもタイミングが良すぎる登場に、私はどうしても彼女のことを警戒してしまう。でも、メルキアさんの方はそんな私のことをバカにするように、おどけている。
「そーんなに怖がらないでよー。もう、いきなり胸を触ったりしないからさー。……って、異世界人さんに、触れる胸なんてなかったかな?」
「だからっ! アカネに渡す物って、何なんですかっ!?」
「ひゅ~、こわ~い」
そこでやっとメルキアさんは観念したように、短いスカートの腰の部分に挟んでいた紙を取り出して、私に差し出した。
「別に、大したものじゃないよ。ただの事務書類さー。ほら」
その紙には、何かの文字が書かれていた。彼女の言うように、本当にただの書類のようだ。
私はメルキアさんからそれを受け取って、そこに書かれている文字を見る。
「え、事務書類って…………!?」
そして、愕然としてしまった。
メルキアさんは、妖しい微笑みを浮かべながら、その書類の説明を始めた。
「ほら? 私たちって、君らの『管理者』さんが考えた『承認』ネットワーク? ってやつに参加してないでしょ? 今まで君たちが何度も何度も『契約を結んでくれって』お願いしに来てくれたけど、それも全部断ってきたし。だってそれって、私たちのポリシーとか生きる意味とかにも関わってくるから、絶対に曲げるわけにはいかないんだよねー。……で、そしたら今度は君たちときたら、『だったら、契約を結ばない人間の名前をリストにして出してくれ』なんて言ってさ。そうしないと、管理の都合上困るからとか。もー、君たちって、いちいち書類にしないと何も出来ないの? 全く、お役所仕事っていうか、バカ真面目っていうか……。仕方ないからこの前、一旦その書類は出してあげたんだけどさ。最近また仲間が増えたから、前にもらっておいた書類に、その分を書いたんだよー」
メルキアさんの説明は、途中からほとんど私の耳に届いていなかった。
だって私は、彼女から渡されたその書類のことで頭をフル回転させていて、それどころじゃなかったから。
「んん? どうか、したかな? その書類に、何かおかしなところでもあったのかなー……」
まるでそんな私の考えを見透かしているような、メルキアさんの言葉。
その書類に書かれていることを理解した私は、そこでようやく、全てを認めざるを得なくなった。この『亜世界』に潜む悪意。そして、アカネの身に迫っている危機について……。




