04'
エア様の言葉を引き継いで、私は、「1周目」に経験したことをでみ子ちゃんに説明した。
『人間男の亜世界』から転送されてきた私は、エア様や6人の妹ちゃんたちと出会って、アキちゃんの作ってくれた部屋で眠りにつく。そして次の日起きると、エア様が部屋で血を流して死んでいた……。
「…………」
頭のいい彼女は、さっきと同じようにつたない私の説明でも、完全に状況を把握してくれたようだ。顔は相変わらず無表情のままだったけど、手を組んでその上に顔をのせる姿勢を作って、真剣に何かを考えているみたいだった。
そんな感じの彼女にもだんだんなれてきた私は、特に気にすることもなく言葉を続ける。
「私も、まだ完全には信じれてないんだけどさ……とにかくそういう事なんだ。どうして私がタイムリープなんかしちゃったのかとか、これからもまたこういうことが起こるのかとか……気になることはいくらでもあるんだけど。とにかく今は、エア様を守る事が1番大事なことだよね?だって、このままだと明日の朝になったときに『1周目』と同じようにエア様が死んじゃうってことだもんね? だから私、何としてもそれを阻止しなくちゃって思ってて……」
やがて、私の言葉を聞いているうちについに気持ちが抑えきれなくなったらしく、でみ子ちゃんは刺すような真剣な眼差しを私に返す。そして席から立ち上がって力強く私の手を握り、エア様を助けるために私と協力することを約束してくれて……。
「…………」
あ、あれ?
「…………」
立ち上がって私と協力…………してないな。うん、してない。
ってゆうか、そもそも立ち上がってない。
真剣な眼差し? なんか光の加減でそう見えただけで、完全に気のせいだったわ。
「…………」
私の期待を込めた妄想は裏切られ、本当の彼女は、いまだに無表情でうつむいているままだった。
うーん……。
なんか、予想してたリアクションと違うなあ……。
本当ならここは、タイムリープによって知ってしまった悲しい未来を変えるために、妹ちゃんと私が協力体制を築くっていう、熱いシーンだと思ってたんだけどなあ……。でみ子ちゃんも、その辺もう少し空気読んで欲しかったなあ……。
ってゆうかなんか、「昨日」からほとんど無表情だからよく分かんないんだけどさあ。今の彼女って、そもそもあんまり危機感を感じてないような……?
「…………」
おーい? 聞いてるー?
「…………ん? ああ、やっと終わりました?」そこで、やっと顔をあげて私の方を見た彼女。それから、ようやく私の期待に応えてくれると思ったら……「すいません。いえ、貴女の話があんまりにもどうでもよかったので、途中から別の考え事してて聞いてませんでした」なんて言いやがったのだった。
「……は?」
彼女は淡々と言う。
「だって、『姉さまが死ぬ』なんて言うから一体どんな異常事態が起きているのかと不安で頭がいっぱいになっていたのに……なんだ、そんなことですか? 下らなすぎて下らなすぎて、不本意にも私のいつもの就寝時間を待たずに、眠りについてしまうところでしたよ。まったく……妄想を垂れ流すのは結構ですが、時と、場所と、世界を選んで欲しいですね。そんな下らない話によって私と姉様の貴重な時間が不毛に消費されたという事実に、激しく不服を申し立てます。貴女のような暇人には無縁の考え方かもしれませんが、時間というのは不可逆で、とても貴重な物なんですよ? 私たちが被った不利益を、一体どうやって賠償してくれるというのでしょうか? 死にますか? 貴女が今、ここで死んでくれますか?」
「は、はああぁぁぁーっ!?」
それは、あまりにも予想外な彼女のリアクションだった。私は驚き過ぎたあまり、思わず彼女のことを睨み付けてしまった。
「だ、だから研究者っ! 失礼な口をきくのではありませんと……」
エア様もまた声を荒げて、彼女をたしなめようとする。
でも、今回の彼女はそんなことでは止まらなかった。
「貴女が今ここで死んでくれるなら、仕方がありませんから私たちの時間を無駄にした罪は許してあげましょう。貴女の死によって余計な不確定要素がなくなるのであれば、それはこの『亜世界』にとって少なからずプラスになるでしょうからね。ただ、だからといって先程の姉様へのセクハラ行為まで許されるなんて思わないで下さいね? 当たり前ですよね? 私たちの愛する姉様にセクハラをしたのですから、たかだか人間風情の命ごときで償えるはずがない。そんなことをされても姉様が負った心の傷は癒えませんし、私の気持ちも収まりません。貴女が死んだあと、その死体は私がありとあらゆる鈍器によって損壊し尽くしてから、鋭利な刃物によって1ミリ以下になるまで切り刻み、魚の餌として海にばらまきます。そしてその魚たちから排出された糞を『アルケミスト』の職能によって再び貴女の体として再生させ、また鈍器で殴る……。そのような一連の行程を少なくとも1000年以上は不断で続けることになるでしょう。けれども、それでもまだ貴女の罪の償いとしては不相応なんですからね?」
「な、な、な、何言ってんのよ、あんたっ!? 今の状況が、分かってないのっ!?」
「分かってますよ。『貴女が死ぬの待ち』の状況ですよね? さ、どうぞ不遠慮に、今すぐこの場で舌の1つも噛んでくれて構いませんよ?」
かわいらしく首を斜めに傾げる仕草。でも顔は相変わらず無表情で、彼女のその台詞はとても冗談のようには聞こえなかった。
「そ、そうじゃないでしょーがっ!? さっきの私の話聞いて無かったの!? このままじゃあエア様が死んじゃうって言ってんのっ! 私は『1周目』の『明日』、その光景をこの目で見ちゃったんだよっ! だから、何とかしないとって話で……」
「死にませんよ」
でみ子ちゃんは何でもない様子で、さらりと言い切る。
「姉様は死にません。死ぬわけがないでしょう? いつまでも、そのような不条理なことを言わないで下さい」
「はあぁっ!?」
そのとき私は確信した。彼女は本当に、さっきの私の話を全然聞いてくれていなかったんだ。
頭の中がイライラで爆発寸前な状態で、私は彼女の椅子の方へと詰め寄って白衣の肩をつかんだ。
「あー、もおーっ! 何で分かんないのっ!? 私はこの目で見てきたっていってるでしょっ! タイムリープしてくる前の、『明日』の朝にエア様は部屋で血を流して……」
「だから……」でみ子ちゃんは静かに腕を突き出してそんな私を遮ってから、はっきりと断言する。「タイムリープじゃないんですよ」
「え…………?」
「そもそも、タイムリープなんて概念はこの『亜世界』にはないのですが……まあ、貴女が意図している事は今までの文脈からだいたい理解しているつもりです。その上で、私は貴女の考えを否定します。貴女が現在おかれている状況はタイムリープ、すなわち時間跳躍ではありません」
「え? え? えええぇぇーっ!?」
「だいたい、自分の記憶だけを残して時間が巻き戻るなんて、おかしいと思いませんか? 普通に考えて、あり得るわけないと思いませんか? だってもしもそんなことが本当に起こったとしたなら、時間が戻る前と後で貴女の記憶をつかさどるメモリーの状態に不一致が生じているということですよ? 脳が格納している情報量に変化があるわけですから、脳を構成する微細物質の状態にも、不可視なレベルで変化が起こっているということになる。そしてそれがどんなに小さな変化であったとしても、『亜世界』の中の1つの物質に変化があるとするならば、それは隣合う別の物質にも影響を与えてしまうのは不可避です。その影響は更に隣の物質へ、そして更に別の物質へ……。結局、そのたった1か所の微細な物質の状態は貴女の体全体に影響を与えることになるでしょう。だってそうでなければ、貴女の体の微細物質の異なる2個体が同時に同一の場所に存在する、というような不合理な状況が起こり得てしまいますからね? つまり、『貴女の頭の中の記憶』というあるミクロな1状態が『2日目の7時半』の状態である場合、その事象は自動的に貴女という1個人そのものも『2日目の7時半』であることを要求するのです。そしてもちろん同じようなことはよりマクロな視点についてもいえるわけで、貴女の存在が『2日目の7時半』という状態となるならば、その状態はこの『亜世界』全体にも影響を与える、と展開することにも不可思議な点はないかと思います。結果として、貴女の頭の中の記憶が『2日目の7時半』であるという前提は、同時に世界全体も『2日目の7時半』の状態であるという結論に帰結する。つまり、世界中の全ての物質、全ての生物、そしてもちろん『アガスティア』も、『2日目の7時半』の状態でなければいけないのです。だって貴女も世界中の全ての物質も生物も、結局は1つの『亜世界』を構成する連続体なのですから。だから、貴女の記憶だけが過去に跳躍する、あるいは、貴女の記憶以外の世界全てが過去にさかのぼると言ってもいいですが、そういった離散的で過去の文脈を無視するような現象は起き得ないのです。タイムリープなどという現象は、貴女の妄想だということなのです」
つらつらと説明を並べ立てるでみ子ちゃん。彼女の言っていることは完全に意味不明で、ただの高校生の私には難攻不落で、それが本当に正しいかどうかなんて、たとえ不眠不休で勉強したとしても分かりそうもなかった。
う。なんか長々と彼女の言葉を聞いてたせいで、口調がうつっちゃったよ……。
「今の議論が不満足であるならば、もっと単純に考えることもできますよ? それはつまり、タイムリープなどという現象を認めてしまうとリープする前後で貴女の中に存在する心の精霊の総量に変化が生じてしまうことになるので、私が500年以上前に証明した『精霊量不変則』という定理が不成立になってしまうということです。その定理は既に現時点でこの『亜世界』に存在している他の様々な法則の前提となっている基本的なルールですので、それを間違っていると考えるのは現実的ではありません。ですから、そのことが逆にタイムリープという現象の充分な不在証明になるのですが……。まあ、頭が不自由な貴女にはこのような複雑な精霊の話はいささか不適切でしたね? 貴女のことがだんだん不憫に思えてきましたので、気を遣ってこれ以上の議論は自粛させていただきます」
そっか。それはどうもありがとう。でも、そういうことを私本人に言っちゃってる時点で、全然気を遣えてないからね?
ま、まあ、それはいいとして……。
相変わらず、彼女の言うことが正しいのかどうかなんて全く分からなかったけど、私はその話を聞いているうちに反論する気をなくしてしまっていた。
だって、ここは私が知ってるいつもの世界じゃなくって、エルフとか精霊とかがいる、『亜世界』なんだ。その『亜世界』で1番頭がいいって言われているでみ子ちゃんがこう言っているなら、それはきっと真実なんだ。だから、きっと私の今の状況もタイムリープなんかじゃないってことで…………でも。
「だったら、今の状況ってどういうことなの? これがタイムリープじゃないとしたら、私はどうして『今日』を2回も経験しているの? おかしいじゃん! だってこんなの、時間が巻き戻っている以外にはありえなくない!?」
「………」
「そ、そうですよ、研究者? わたくしたちは、貴女にこの現象について聞きに来たのですから……」
「………」
「もう、研究者!」
「はあ……。分かりました。それでは、説明させていただきます」
さっきまではペラペラと話していたくせに、途中で答えるのがめんどくさくなったのか、いきなり私のことを無視しようとしたでみ子ちゃん。エア様に言われて、ようやく観念して説明を続けてくれた。
ほんとに、この娘とか、アキちゃんとか。この『亜世界』のエルフちゃんたちは、いい性格してるよ……。
「まあ、おそらく聡明な姉様にはおおよその検討がついていると思いますが、現在この『エイリアン』に起きている現象を一言で説明するなら、『アガスティアの計算過程を見ている』ということになります」
それからでみ子ちゃんが断言したその言葉は、『2周目』の最初にエア様が言った言葉のままだった。
あ、あれ? そうなの? じゃあ、あのときは私、エア様のこと馬鹿にしちゃったけど……ほんとに、『亜世界樹』が関係してたんだ?
「そのことを説明するにあたって、まずは『アガスティア』に対する理解の統一をとらさせてください。姉様はもちろん大丈夫だと思いますけれども、そこの『エイリアン』の理解には、若干不鮮明な部分がありますからね」
「そ、そうだね……」
「『アガスティア』とは、唯一無二の大樹にして、この『亜世界』全体をシミュレートしている計算機です。その『亜世界全体をシミュレート』という言葉の意味としては、ノートに日記を書いているようなシーンを想像してもらえればいいかと思います」
「の、ノート?」
「はい。ノートというのは筆記用具のことです。『書く方』と『書かれる方』があるとしたら、『書かれる方』のやつです。こういうやつです、こういうやつ」
そう言って、両手を動かして体の前で四角い形を作るでみ子ちゃん。
「いやいやいや、私だってノートくらいは知ってるし……。ただ、この『亜世界』にもノートあるんだ、って思って少し驚いちゃっただけだから……」
ってゆうか、急に説明が単純になりすぎて、ちょっとムカつくんですけど。これ、完全に私のこと馬鹿にしてるよね?
私が青筋を立てているのも気にせず、でみ子ちゃんは無表情で続ける。
「そのノートの1ページに、『明日の分の日記』を書き記しているのが『アガスティア』のシミュレートです。先ほど私が言った『シミュレート結果をある領域に格納している』という言葉の、『ある領域』というのをイメージ化したものがそのノートだと思ってくれればいいです。『明日の分の日記』というのが分かりにくければ、『明日の予定』と置き換えても構いませんが?」
「いや、大丈夫だよ。説明を続けて」
「はい」でみ子ちゃんは小さくうなづく。「それでは、日記という言葉で続けます。その『アガスティア』が書き記している『明日の分の日記』についてですが、その言葉通り『明日のこと』なので、まだ実際に何が起こるかはわかりません。不明です。前日起こったことは不動の事実として変えようがありませんが、明日起こることについては完全に不確定なわけです。だから、前日のページの最後の行から続いている内容であれば、どんなことでも書くことが出来るというわけです」
「あ、その辺の話なら、私も何となくイメージつくよ」
ただ黙っているのもしゃくなので、私も、自分が分かっている内容については口を挟むことにした。だって一応『亜世界樹』の説明については、『昨日』のうちにエア様とか妹ちゃんたちから何度も聞かされていたし、わかっていることまで何度も聞く必要はないと思ったから。
「『亜世界樹』は、今日の朝6時から明日の朝6時までの24時間を使って、『明日の朝6時から明後日の朝6時まで』に起こり得る出来事のすべてのパターンを計算する。そして、その計算結果をそのノートに書いておくんだよね? つまり、たくさんある中から計算して探し当てた最良のパターンの明日を、未来日記としてノートの明日のページに書くわけだ。あとは、明日になったらその日記の通りに行動すれば、『亜世界樹』の計算した通りの最良の1日が送れるって訳なんだけど、それには芸術家のあーみんの職能が必要になってきて……」
「待ってください」
でみ子ちゃんがまた萌え袖をこちらに向けて制止する。
「その部分の貴女の認識は、『アガスティア』の実際の動きと少し不整合しているようです。いいから、不用意な発言は控えて、黙って私の説明を聞いていてください」
あれ……? また、私の知識が間違ってたの……?
「はい……」
「確かに『アガスティア』は、朝6時から次の日の朝6時までの24時間をかけて、『亜世界』が選ぶべき最良のパターンを計算しています。しかし、ノートに書き込みをするのは、最良のパターンが判明したときの1回だけではありません。そうではなく、『アガスティア』は計算をしているその過程においても、何度も何度もノートに書いては消し、書いては消しを繰り返しているのです。その処理手順としては、つまりこういうことです」でみ子ちゃんは左手をノート、右手をペンに見立てて、何かを書くような動作をしながら説明を続ける。「『アガスティア』はまず最初に、『起こり得る明日のパターン』を適当に1つ算出して、それをノートの明日のページに書いておきます。この『1パターン』については、有用性や、最良であるかどうかなどは特に気にしなくてもよいです。どんな内容でも構わないので、ランダムに『1パターン』を抽出するだけです。例えるなら、朝起きてまず最初に思い付いた明日の行動を、『明日の分の日記』としてまるまる1日分書いてしまうようなイメージです。そして、それが終わると今度は別の1パターンを算出して、現在ノートに書いてある『明日の日記』と比較するのです。どちらのパターンが、この『亜世界』にとって良い1日であるか? それが現実になるとしたら、一体どちらのパターンの方がこの『亜世界』をより成長させることが出来るのか? という観点でね。もしも、既にノートに書いてある1日の方が良いと判断されたならば、新しく算出した方のパターンは破棄して、『アガスティア』はそのまま更に別の1パターンの算出に移ります。逆に、もしも新しく算出したパターンの方が良いと判断されれば、『アガスティア』は現在ノートの明日のページに書いてある内容を消去し、その算出した方を新しくノートに書きなおしてから、また別の1パターンの算出に移る……。その様な一連の処理を何度も何度も、繰り返して行うのです」
「な、なるほど……」
「そうやってシミュレートの『計算過程』を何度もノートに書いては消し、書いては消しを繰り返していくうちに、やがて、明日起こり得る全てのパターンについての比較が完了するでしょう。そしてそのとき最終的にノートの明日のページに書いてあるパターンが、最良のパターンになるというわけです。ちなみにその計算結果は、先ほど貴女が言ったように『アーティスト』の職能によって私たちの心に展開されます。それによって私たちは『無意識的に』その日記の通りの行動をとることが出来るようになり、おのずと最良の1日を過ごせるというわけなのですが……そのことについての知識は、今の貴女の状況を説明するのに不要ですので割愛します。ここで私が言いたかったことは、『アガスティア』はその計算過程において、『ある1日をまるまるシミュレートし、その結果を格納している』。そして、『それの計算結果は1日のうちに何度も何度も書き換えられている』ということです。つまり……」
「つまり……」
私はだんだんでみ子ちゃんが言いたいことが分かってきて、ゴクリとツバを飲んだ。気づけば、隣でエア様も真剣な表情ででみ子ちゃんを見つめていた。
彼女は淡々と続ける。
「今の貴女は、その『アガスティア』の『計算過程』である、『起こり得る明日の1パターン』を見ているのです。『1周目』も、今回も、そしてきっとこれからも何度も。貴女は今後も、『さまざまなパターンの明日』を見ることになるでしょう。だって貴女は、『アガスティア』の中にいるのですから」
「そ、それじゃあ……?」
「はい。端的に申し上げます。今の貴女は、実在する1人の人間などではなく、『アガスティア』がシミュレートしている『明日の1パターン』の登場人物なのです。『エイリアン』という属性を持った、『アガスティア』の中の一塊のデータに過ぎないのです」
ああ……やっぱり、ね。
話の途中で、私はなんとなくそのことを想像出来ていた。もしかしたら、そういうことなんじゃないかと思い始めていた。でも、まさかそれが本当だなんて信じることが出来なかった。だって、だって今の私が、ただのデータだなんて……。
「もちろん貴女だけでなく私も、姉様も、その他の物も。現在貴女が見ているこの『亜世界』の全ては、『アガスティア』が計算して作り出しているシミュレート空間内のデータです。仮想現実と言えば、意味が通じますか? きっと実在する本当の『亜世界』の時刻でいうと、実際に貴女が転送されてくるのは明日の6時半なのでしょう。それはつまり、『アガスティア』がシミュレートしている仮想世界である『今ここ』でいうところの、『今日』という意味ですが。そして貴女は、明日やってくる実物の『エイリアン』を模して用意された、実物そっくりのプログラムオブジェクトだというわけです。その『エイリアン』がどのような行動をして、他のエルフたちにどのような影響を与えるのか、ということを正しく計算するために、実物の貴女の情報を、容姿はもちろん、性格や知能等も含めて全てデータ化した結果なのです。そんなことくらいは容易にやってのけるのが、『アガスティア』なのですから」
データ……。プログラム……。
今の私は転べば痛みだって感じるし、辛いとか楽しいとかの感情だってある。この『亜世界』に来てからはもちろん、ここの前の『モンスター女の亜世界』のことだって、もっと前の記憶だって持っている。
でも、それが全部データ……?
超高性能なスーパーコンピューターの『亜世界樹』が、私の痛みも感情も記憶も全部データ化して、そのデータを使ってシミュレートしている計算過程に過ぎないっていうの……?
は、はは……。はははは……
もう本当に、笑うしかないよ、こんなの……。
「本来ならば、『1パターン』の計算が終わった時点で全てのデータはクリアされ、全ての状態と全てのオブジェクトは昨日の最後の時点にまで戻るはずなのですが……。どうやら『エイリアン』として別の世界からやってきたイレギュラーな貴女に対しては、初期化の処理が抜けていたようです。だから、『1つのパターン』の計算が終わって次の計算が始まっているというのに、貴女だけは前のパターンの記憶が残っているのです。これは、『アガスティア』というシステムのバグです」
悲しむべきような気もするんだけど、でも、何を悲しめばいいのかよくわからない。
とりあえずショックはショックなんだけど、ここんところずっと自分の常識を覆すような出来事ばっかりが起きて、驚きっぱなしだったもんで。私は今の自分がとるべき正解のリアクションがいまいちよくわからずにいた。
ちらりとエア様を見ると、彼女は困ったような、心配するような顔つきでそんな私のことを見ていた。はは……やっぱり、エア様は優しいなあ……。
「データである貴女が目にする物語。すなわち、『アガスティア』が計算する無数のパターンの中には、もしかしたらとんでもないパターンも紛れているかもしれません。だって高性能な計算機である『アガスティア』は、本当に、起こり得る全てのパターンをくまなくシミュレートしているのですからね? でも、どれだけ不適切なパターンが計算されたとしても、最後には必ず最良のパターンが選ばれるということだけは確実に決定している。それは不動です。だから、仮に貴女が姉様が死ぬところを目にしたのだとしても、それはあくまでも『アガスティア』が計算の過程で一時的にノートに書いたというだけ。特に深い意味があるわけではないのです。そんなものはただのバッドエンドで、すぐに消去されて別のパターンに上書きされてしまう捨てパターンにすぎません。今まで常に最良のパターンを選び続けてきた『アガスティア』が、今更そんな『間違ったパターン』を選ぶはずがない。どう転んでも、そんな馬鹿な明日がやってくるはずはないのですよ」
これまでと同じような無表情の中にどこか強い確信めいたものを込めて、でみ子ちゃんはその説明をそう締めくくった。




