03
「待って…」
私がティオと合流して、さあ気を取り直して先に進もうか、ってところで。
突然、後ろの方から聞き覚えのない声が聞こえてきた。
「え?」「んにゃ?」
振り向く私たち。
そこには、1人の不思議な雰囲気の女の子が立っていた。
体は、地面までつくほどの大きな黒いローブですっかり覆い隠されている。両手と、かぶったフードからのぞく可愛らしい顔の肌の色も、同じように真っ黒で、まるで誰かの作る影が実体化して、独り歩きしているみたいな錯覚になる。そんな風に全体的に色味がなくって主張の少ない風貌の中では、羊みたいに渦を巻いた2本の黄色い角と、鮮やかな赤い瞳がとても印象的だった。
「…で、この先の道にゃんだけどー」
「え?ちょ、ちょっと」
チラリと見ただけですぐに興味をなくしてしまったティオ。彼女の存在を無視して、マイペースに私に話しかけようとする。
でも彼女の方もそんなの気にせずに、感情が死んでしまったかのような無表情でもう1度同じ言葉を繰り返した。
「待って……と言ってるの」
「ああん?」
結局、聞き流すことは出来なかったらしい。ティオは苛立たしそうに顔に青筋が浮かべて、彼女に近づいていく。
「お前、何言ってんだにゃあ?ザコのくせに、ティオたちにめんどくさく絡んでくるんじゃねーにゃ。レベルのルールも知らないのかにゃあ?」
ただでさえ猫背の背中を更に丸めて、黒づくめの彼女を睨み付けるティオ。その仕草はまるで、メンチをきってるチンピラみたいだ。さっきのゴブリンちゃんのときとは違って、ティオは目の前の彼女のことを完全にナメきってる感じだった。
「痛い目見ないうちに、さっさとどっかに消えるにゃ!…それとも、ティオたちの今晩の食料になってくれるのかにゃあ?」
「ちょ、ちょっとティオ!いきなりそんな変なこと言わないで、少しはこの子の話を…」
「ふん」
ティオは、つまらなそうに鼻を鳴らす。
「ティオは、こいつの『レベルのエネルギー』を全然感じないんだにゃ。ってことはこいつはティオよりもレベルが低い、倒してもレベルが上がらないただのザコってことなんだにゃ。そんなザコに、いちいち構ってる暇なんかないんだにゃ。話も聞く必要ないにゃ」
「そ、そうなの?あれ?でも私には、何となく感じる気がするんだけどなあ…。まだあんまり『レベルのエネルギー』を感じるのに慣れてないから、自信はないんだけど…」
「ふーん。それじゃあこいつは、一応アリサよりはレベルが高いってことなんだにゃ」
「え……?あ、そっか」
私はそのときのティオの考察に、なるほどと思って感心した。
この『亜世界』では、「自分よりもレベルが高いモンスター」に対して、そのエネルギーみたいなものを感じることが出来る。そのモンスターのレベルの大きさと、エネルギーごとの個性みたいなものが、何となく分かったりする。だからティオは、妹のサラニアちゃんを追いかけることが出来ていたわけだし。
でもそれは、あくまでも相手のレベルが自分よりも高かったときの話。相手のレベルが自分よりも低かった場合、その低さの程度にもよるけど、ほとんどの場合はその相手のエネルギーを感じとることは出来ない。つまり、強いモンスターは自分よりも弱いモンスターの存在を感じないけど、反対に弱いモンスターは、自分よりも強いモンスターの存在を常に感じているってことなんだ。
この『亜世界』にこんなルールがある理由は、「レベルが低いモンスターが自分よりもレベルの高いモンスターに遭遇したら、逃げることも出来ずに一方的に倒されちゃうしかなくってかわいそうだから」じゃないかって話だけど、ティオも詳しいことは知らないみたいだった。
それはまあ、ともかくとして。
私たちに話しかけてきた彼女の場合で言えば、ティオはさっき、レベルエネルギーを感じないって言った。でも、私は多分それを感じている。
その事実をこの『亜世界』のルールに照らし合わせると、目の前の彼女のレベルが「私以上ティオ未満」であることが推測出来るってことなんだ。
「ま、どっちにしろただのザコだにゃ。しかもそんなザコのくせに、自分よりもレベルの高いティオに絡んでくるにゃんて、命知らずの大バカヤローだにゃ。こんにゃヤツ、さっきのゴブリンみたいに一瞬で仕留めてやるにゃ!」
物騒なことを言うティオ。私は慌てて、ティオとその黒い子の間に割って入る。
「だ、だからティオ、ちょっと待ってってば!そのレベルの話が本当なら、なおのこと、この子がティオの前に現れたのには何か理由があるんじゃないの!?」
「理由ぅ…?」
眉をひそめて、ちょっと考える振りをするティオ。でも、多分それは本当にただの「振り」だったんだろう。彼女はすぐに首を振って、考えるのを諦めてしまった。
「そんにゃの、ティオが知ったこっちゃないにゃ」
「と、とりあえず、話だけでも聞いてみようよ!この子はまだ、私たちの敵だって決まった訳じゃないでしょっ?話を聞くくらい、そんなに時間かからないって思うしさ!このままだとなんか気になるじゃん!?」
「んんー、んにゃうぅ…」
「そんなの全然興味ない」とでも言いたそうな顔だったけど、私の顔をたててくれたのか、ティオは渋々ながらも私の提案を了解して彼女への戦闘体勢を解いてくれた。ふう。
ティオったら、とにかく出会うモンスターを片っ端から皆殺しにしないと、気がすまないんだから…。戦わなくてすむならなるべく誰とも戦わずに行きたい私としては、ティオの血の気の多さにはいつもヒヤヒヤだよ。
でも、これからはなるべく、ティオに戦わせないように働きかけていこうと思ってるんだ、私。ティオにあんまり危険なことはして欲しくないし、さっきのゴブリンちゃんみたいになっちゃう人も、出来るだけ少ない方がいいもん…。
そして私は、その黒いローブの彼女に話しかけた。
「えっとぉ……ど、どうしたのぉ、君ぃ?私たちに、何か用かなぁ?」
「……」
フードの奥には、相変わらずの完全な無表情。
「あ、あれ?」
私の胸くらいまでしかない身長と、小学生みたいな幼い顔つきのせいで、私は無意識に、子供に話しかけるような口調で彼女に話しかけていた。
でも、よく考えたらモンスターの年齢って人間の私にはよくわかんないし、もしかしてこの子って、見た目よりもずっと大人なのかもしれない。だとすると、今の私の口調って結構失礼だった?彼女の気にさわってしまったのかと思って、私はもう1度、今度はちゃんとした言葉で話しかけた。
「な、何か…私たちにご用でしょうか…?」
「…………」
「う…」
やっぱり彼女は何も話してくれない。ただただ、曇りのないきれいな赤い瞳を向けて、私をじぃーっと見つめているだけだ。
「あ、あのぉー……?」
「にゃんだこいつ?ティオたちのこと、バカにしてるのかにゃ?」
「う、うーん……。やっぱり、用なんてないのかな?だったら私たち先を急ぐから、この辺で……」
ぐい…。
いつのまにか私のそばにやって来ていた彼女が、私が着ていたジャージの袖を掴む。
「用は……ある」
「え?それって、一体…」
「…………」
そんでまた黙っちゃうし…。
極端に言葉数が少ない彼女との会話は、一向に先に進まない。このままだと、彼女の真意を聞き出す頃には日がくれてしまいそうだ。
「あー!いらいらするにゃーっ!アリサ、やっぱりそんなやつ放っておいて、さっさと先に行こうにゃ!」
「で、でもさ…もうちょっとだけ、待ってみようよ」
それでも、実はそんな彼女のことがだんだん気になり始めていた私は、辛抱強く彼女の言葉を待つことにした。
「この子、やっぱり私たちに何か用があるみたいだよ?それを聞かないで先に進んだら、後で気になって気持ち悪なっちゃいそうだしさ…」
「むー」
明らかに不平そうに、ティオは頬を膨らませる。
「ね、お願い?あと5分…いや、3分だけ。ね?」
「……ふにゃーあ」腕を組んで私に背中を向ける。「まあ…アリサがそこまで言うにゃら、別にいいけどにゃ。その代わり、こいつが少しでもアリサに変なことしたら、すぐにぶっ殺すからにゃ!」
そしてティオは、乱暴に地面に座り込んでしまった。
気分はよくなさそうだけど、なんとか一応、ティオは私の意見を尊重してくれたみたいだ。よかった。
「ティオありがとねっ。………ん?」
「……」黒づくめの彼女がまた、私のジャージを引っ張る。「変な、服…」
何だろと思って私が彼女に向き直ると、彼女のその小さくて黒い肌の手が、私の着ていたジャージのファスナーをつまんで、ゆっくりとそれを下ろしていって…………って!?
「え?え?えっ!?」
か、彼女、私のジャージを脱がそうとしてるのっ!?な、何で!?意味わかんないんですけどっ!?
「こうやると…脱げるのか…」
いやいやいやいやっ!脱がしちゃダメだしっ!困るしっ!
…い、一応その下に下着はつけてるよ?つけてるけどさ。
逆に言うと、暑すぎてTシャツは着てなかったわけで、コレ脱いだらその先にはすぐにピンクのブラが出てきちゃうわけで…。
「ちょっ、ちょっとっ!?あ、あ、あなたっ、いきなり何やってんのっ!?」
焦りまくりながら、私は両手で彼女の腕をつかんでファスナーを下ろすのを止めようとする。けど、その力は信じられないくらいに強力で、私なんかじゃ全然びくともしない。それはまるで、赤ちゃんと大人が力比べしているようなもので……って。
そういや、レベルはこの子の方が上なんだっけ……。
「な、何するにゃ、こいつ!その手を離せにゃ!アリサを脱がしていいのは、ティオだけだって決まってるんだにゃ!」
そんでどさくさに紛れて、ティオも変なこと言うなだしっ!それも違うからっ!
「よぉーし、もうこいつぶっ殺すことに決めたにゃ!アリサ、ちょっと離れてろにゃ!」
ティオはお尻を付きだしてしっぽをピンとたてて、「ふぎゃー!」と威嚇するような声を出す。今にも目の前の黒ローブの彼女に飛びかかる直前。
「だ、だからティオ、ちょっと待ってってば!」
目の前で痴女めいたことを仕掛けてくる黒い女の子と、その子に飛びかかろうしているティオ。どっちもなかなかの緊急事態だけど、よりヤバそうなのは後者だろう。なんせ、放っておいたら女の子はティオに殺されちゃうかもしれないんだから。私は目一杯焦りながらも、ティオを制止した。
「わ、私は、大丈夫だから!きっと、彼女のこれにも、何か理由があるんだよっ!だから……」
「アリサは良くても、ティオは、アリサが他人に脱がされるとこなんて見たくないにゃ!だから、こいつのことはぶっ殺すにゃ!」
うわぁーん!突然の百合発言!
気持ちは嬉しいけど、私にはその気は無いって言ってんじゃん!って、てか、今はそんなことはどうでもいいから、私の言うことを聞いてくれよーっ!
「さあ、早くそいつから離れるにゃ!そしたらティオが、そんなやつ瞬殺して……」
「だ、だからっ!殺すのをちょっと待ってってばっ!私は本当に大丈夫だから、今は、この子の話をちゃんと聞いてあげたいから!……だ、だいたい離れろって言われても、レベルは彼女の方が高いんだから、私が簡単に逃げられるわけなくって…………ん?」
そこで、私は気付いた。
黒づくめの彼女のファスナーを下ろす手は、既に止まっていたこと。そして、それをやめさせようとしていた私の手に触りながら、彼女がじーっと私の顔を見つめていたってことを。
「あ、あれ…?」
「私はさっき…見た。お前たちが、ゴブリンを倒していたところを……」
「え?え?さ、さっきのゴブリンちゃんのとき?な、何のこと?」
変に興奮した気持ちはすぐに落ち着いてきて、状況が把握出来るようになってくる。
あ……。今の彼女の感じ、見覚えあるぞ…。
他人の素肌に触れながら、その相手の顔を見つめるっていうやつ……。っていうか私だってついさっき、ゴブリンちゃんに対してやってたし……。
「見ていて…とても不思議に思った……。どうして急に、あの猫が強くなったのか……。お前が、何かの魔法をかけた途端に…」
「そ、それで…私の体を……」
つまりさっきの彼女の行動は、私を脱がすのが目的じゃなくて、ジャージを脱がしてその中の私の素肌に触れて、ステータスを見たかっただけだったんだ……なぁんだ……。
心の底から安心したような、でも、どこかで少しさみしいような気持ちを感じながら…………って、そんなわけあるかいっ!乱暴に頭を振って気の迷いをかき消して、私は彼女の次の言葉を待った。
「なるほど…この魔法で、レベルを上げたのか…。だから、レベルが同じはずのゴブリンを、あんなに一方的に……」
疑問が溶けて満足したように、彼女は小さく頷く。そしてそれから、「今度はお前の番だ」とでも言うみたいに、自分の顔を私の方に近づけてきた。
「え、えっとぉ……」
一瞬さっきの気持ちがぶり返しそうになって躊躇したけど、結局、私は促されるままに彼女の顔に手を当てて、彼女のステータスを見てみた。
タルト
種族 :サテュロス亜種
年齢 :10才
レベル : 18
攻撃力 : 8
守備力 : 10
精神力 : 42
素早さ : 10
運の良さ: 20
スキル :体当たり、土属性魔法▽、風属性魔法▽
「私は……タルト……」
「タルト…ちゃん?」
彼女が年下だと知って、改めて言葉遣いを直す。
「よ、よろしくね?私の名前は…」
「ナナシマアリサ……」
既に私のステータスを見ていたタルトちゃんは、自己紹介する前から当然私の名前をもう知っていた。若干、発音のアクセントはおかしいけど…。
それから彼女は私の手をしっかり掴んで、深刻な表情で言った。
「私を、助けてほしい…」
「え?」
「私の仲間を、助けてほしい……。ナナシマアリサの、その、魔法で……」
突然のことで、私はすごくビックリした。
「た、助けるって……わ、私が?え?な、何のこと?って言うか、そんなのいきなり言われても…よく、分からなくて……」
「ナナシマアリサなら、それが出来る……。ナナシマアリサにしか、私たちを助けることは出来ない……」
「う……」
じぃっと私の目を見ているタルトちゃんの2つの赤い瞳。その瞳に奥の輝きには、真剣に私に救いを求めている切実な思いがこもっているみたいだった。
正直、タルトちゃんが言ってることは私には全然理解出来なかった。それに彼女がどんな人なのかも、私にはまださっぱり分からない。でも……。
ほとんど何も分かってないような状況だったけど…。何が正しいのかなんて、分かるわけなかったんだけど…。
私は、彼女のお願いを聞いてあげたいと思った。
私に救いを求める目の前の女の子を、悲しませたくないと思った。
「どうか……私たちを、助けてほしい……」
「……うん」
だから私は、深く考えることもなく、彼女の言葉に頷いていた。
後ろから、「はあー?アリサお前、にゃに言ってるんだにゃ!?」なんて、ティオが呆れている声が聞こえる。私だって、こんな意味わかんないことする自分のこと、結構自分で呆れてる。
でも私は、タルトちゃんのことを見捨てることなんて、出来なかったんだ。
だって。
だって彼女、何となく似てたんだもん。
この『亜世界』に来る前に私が振った「あの子」に、雰囲気が、少しだけ似てたんだもん……。
それからタルトちゃんは、私たちに詳しい話をし始めた。




