04
「あー、疲れたぁー!」
静かな夜の暗闇の中に、毎度お決まりの私の声が拡がっていく。
両腕を伸ばして背伸びをしながら見上げると、ちょうど私たちがいる頭上にだけ木の枝がぽっかりとなくなって、満天の星空が見渡せるようになっていた。もしも、眠っている間に雨でも降って来たら大変なことになりそうだな、なんて思ってたけど、この調子なら多分その心配は無さそうだ。空には少しの雲もかかって無いし、昨日も一昨日も、私がこの『亜世界』に来てからこれまでずっと、雨なんか降ったことなんてなかったしね。
「ティオー、今日の晩御飯って何ー?もういい加減、ドラゴンステーキとか飽きちゃったんだけどー?」
ティオが私に妹のサラニアちゃんの話をしてくれた日から、既に数日が経過していた。
あの話を聞いた日から、ティオと私の旅は本格的に開始された。日が昇ってから沈むまで、熱帯雨林の道なき道を「目的」に向かって歩き続ける日々。先頭を歩くティオが、生い茂る草木をなぎ倒してくれるとはいえ、ジャングルの中の大自然を行く道のりは、ちょっと前まで普通のJKだった私にはなかなかの重労働だった。
でも数日間が経って、そんな生活にもだんだん慣れてきたような…いや、やっぱり疲労がたまりすぎてギブアップ寸前?そんなどっち付かずの気持ちをいったり来たりしながら、毎日をなんとか過ごしていた私。
今日も朝からずうぅぅっと歩きっぱなしで、ようやく日が傾きかけるような時間を迎えて。「今日の移動はここまで」ってことになった私たちは、今は、たき火を囲んで1日の体の疲れを休めているところだった。
倒れた丸太にぐったりと寄り掛かっていた私に、ティオは植物を編んで作った荷物袋から今晩の食料を取り出しながら、呆れた調子で言う。
「そんにゃこと言っても、アリサはまだレベル8しかないんだにゃ?あのドラゴンの肉はレベル9だから、食べればまだまだレベルアップ出来るんだにゃ?勿体ないにゃ!」
「だって、だってさあ…さすがに毎食毎食ステーキっていうの、いい年の女子としてはちょっと抵抗あるよぉう!『目的地』目指して、毎日毎日歩きっぱなしだから、なんとか脂肪は燃焼出来てるかもだけどぉ…。たまには野菜とかも食べないと健康的にもよろしくないっていうかぁー…あ、そういえばティオが今日倒したモンスターの中に、お化けキノコみたいなヤツっていなかった?アイツって食べられないの?キノコならドラゴンよりかはカロリー少なそうだし、焼いたりスープに入れたりとか、いろんな料理が出来そうなんだけど!」
私の提案に、ティオは首を傾げる。
「ん?あのキノコは、レベル20程度のただのザコだったにゃ?アリサに襲い掛かってきたから一応倒したけど、いつもだったらティオはあんな奴、相手になんかしなかったにゃ。死体もレベル4にしかならにゃいし、使いもんにならにゃいから、速攻で捨てたにゃー」
「むうー…」ぷくうっと頬を膨らませる私。「全くぅ…この『亜世界』と来たら、本当に何でもかんでもレベル、レベル、レベル…。食べ物の選ぶ基準も、レベルなんてさ……。食材のレベルを気にして、食べたい物も食べられないなんて、私の元いた世界じゃあ考えられないよっ!変なのっ!」
「んにゃあ?」当然、ティオはそんな私の不服なんて意に介さない。「だってそんなの、アリサがザコ過ぎるんにゃから、しょうがにゃいにゃー。レベルが低いうちは、とにかくレベルの高いモンスターの死体を食べるのが鉄則。だから好き嫌いしないでレベルの高い肉を食べにゃいと、アリサはおっきくなれないにゃ!」
「いや、そんな『ピーマン食べられない子』みたいな感じで説教されても……」
「それに、あんまりレベル低いままなのはダメだにゃ!」私の顔を覗き込むティオ。いつの間にか、ちょっとだけ顔が真剣だ。「レベルが低いってことは、それだけ他のモンスターにやられちゃいやすいってことだにゃっ!アリサが他のモンスターにやられちゃったら、ティオ悲しいにゃ!」
「え、そ、そう?」
「そうだにゃ!ティオはアリサとずっとずっと一緒にいたいんだにゃ!だから、アリサには強くなって欲しいんだにゃ!」
ま、またこの娘は、そういうこと言ってぇ……。
まあ、私としてもそこまで言われちゃったら、断るに断れないんだけどさぁ…。
「も、もぉ……わ、わかったよおー。食べればいいんでしょー?食べればー…」
そんで結局、私はティオの言うことを聞いてあげることにした。泣き落としってわけじゃないけど、せっかく友達が私のこと心配してくれるのに、無下にするのもかわいそうだしね。
それにこれがこの『亜世界』の常識だっていうなら、それに従うのが普通だもん。郷にいればなんとやら、ってやつ。
「…ま、レベルは上げとくに越したことはないしね」
「わかってくれれば、いいんだにゃ!ティオは、アリサのためならいくらでも協力するにゃ!だからこれからもティオとアリサは、ずっとずっと一緒だにゃっ!」
「はい、はい…」
ヤル気なく返事を返す私。それに満足してくれたみたいで、ティオはドラゴンのお肉に視線を戻した。
それにしても。
いつの間にか私、この『亜世界』に結構慣れてきちゃってるなあって思う。
レベルが全てを支配して、レベルが高い相手には絶対に勝てない…とか。そういうこの『亜世界』特有のルールたちにも、最初のころよりかはだいぶ違和感なくなってきたし。
それに……。
七嶋アリサ
種族 :百合
年齢 :16才
レベル : 8
攻撃力 : 15
守備力 : 13
精神力 : 1
素早さ : 3
運の良さ: 8
スキル :百合魔法▽
こんな感じで、結構レベルも上がってきたんだ、私。
初日に倒したレベル45のドラゴン。あいつのお肉(つまり死体)を食べると、レベル9のモンスターを倒したのと同じ経験値が得られる。だから、この『亜世界』に来たときはレベル1しかなかった私も、ドラゴンステーキを食べてただけで結構レベルアップしていたんだ。
あとレベルアップの話だと、私だけじゃなくティオもそう。元はレベル32だったティオは、あのとき私の魔法でパワーアップして、レベル45のドラゴンを倒した。私の魔法の効果はいつの間にか切れてしまっていたんだけど、あのときの1回の戦闘で結構たくさん経験値をもらえたみたいで、今の彼女のレベルは魔法の効果なしでも42になっていた。つまり、32から42だから、あのドラゴンを倒しただけでレベルが10個も上がったってこと。ティオの話だと、一度にレベルが10個も上がることなんて普通ならほとんどあり得なくって、実はこれって、奇跡って言ってもいいくらいにすごいことらしい。
そういう意味で、あのときティオに使った魔法って、ダサい名前さえ目をつむれば、かなり強力なものだったんだってことを私は知った。
そして。
その流れで考えると、「あの日」の出来事がどれだけ異常だったかってことも、嫌でも分かってくる。だってレベルが10個上がるのが奇跡だとしたなら、あのときのサラニアちゃんには、奇跡以上のことが起きたってことになるんだから……。
「…」
「んにゃ?アリサ、どうしたにゃ?」
「え?あ、う、ううん!な、何でもっ、何でもないよっ!?」
あのときの話のことを色々と考えていたら、私は無意識にティオの顔を凝視してしまっていたらしい。彼女と目があって、急いで顔を反らす。
あの日、ティオの妹のサラニアちゃんは、自分とティオのお母さんを殺した。それ自体、とても残酷で悲しいことで、そのときのティオのショックはかなりのものだっただろう。でも、問題はそれだけじゃないんだ。
ティオの話を信じるなら、あの当時のサラニアちゃんはティオと同じレベル15だったハズ。なのに、あの日の朝ティオが見つけたサラニアちゃんは、レベル60もあったはずのお母さんたちを殺していた…。どうやって?そんなこと、普通に考えたら出来るハズがないのに…。
何らかの方法で、サラニアちゃんは一晩でレベルを15から61まで上げたってこと?
それとも、この『亜世界』のルールをどうにかしてかいくぐって、レベル15のままレベル60のお母さんたちを倒せちゃったの?
どちらにしても、「あの日」のサラニアちゃんの行為は、この『亜世界』の常識を明らかに逸脱している。何らかのズルが行われていたことは、間違いない。
それはつまり、サラニアちゃんは私たちよりもこの『亜世界』の「仕組み」をよく知っているっていうことを意味しているんだ。レベルを60まで上げられるのなら、きっと同じ方法で100にすることだって出来る。この『亜世界』の『管理者』…神にだってなれるってことだ。ティオが言ったように、彼女はきっと、「現時点でこの『亜世界』の『管理者』にすごく近い存在」なんだ。
だから私は、私がしなくちゃいけない「仕事」のために、どうしてもサラニアちゃんに会わなくちゃいけなかった。
ティオも「あの日」から今まで、サラニアちゃんを追いかけてずっと1人で旅をしていたらしい。彼女が発する、「レベルのエネルギー」を追いかけて。
そして私たちの目的は、「サラニアちゃん」っていう同じ1人のモンスターで繋がったんだ……。
「……ティオ、あ、あのさ…」
「んにゃ?」
たき火の向こう側で、生肉が食べられない私のためにティオがドラゴンの肉をあぶってくれている。私はずっと頭の中に浮かんでいる言葉を、声に出そうとする。
「…え、えと…」
でもその言葉は、喉の奥から出てくる直前のところで、雪が溶けるみたいに消えてしまう。
「にゃんだにゃ?アリサ?」
「……あの…ええっと…」
それを言ってしまってはいけないんじゃないか?
言葉に出したら、何かが壊れてしまうんじゃないか?
そんなことを考えてしまって、私は言葉を継ぐことが出来なかった。
「アリサ?にゃんにゃんだにゃ?言いたいことがあるにゃら、もったいぶらずにさっさと言うにゃ?」
「え……えっと…」そして今日も私は、勝手に自分で自分を納得させる。「う、ううん…何でもない…」
「にゃふふー!相変わらず、変なアリサだにゃ!……あ、もしかして」
「え?」
「アリサったら、またしてもティオに変なことをしようとしてたんじゃあ…」
「ち、違うからっ!っていうか、『またしても』とか言うなー!」
「アリサには、結構な前科があるからにゃー」
「も、もおう!そんなの……」
いつも通りの、やり取り。
いつも通りの、私たち。
でも、「あの日」のことを考えてしまうと、私の気持ちは今まで通りではいられなくなる。
頭に浮かんだこの言葉を聞いたら、ティオは一体なんて答えるんだろう…。私はティオに、何て答えて欲しいんだろう…。
答えの出ない考えは私の頭の中をグルグルと回り続ける。私は「あの日」のことを聞いたときから、突然ティオのことが分からなくなってしまったような気分だった。
いや、きっと本当はそれも違うんだろう。
私は最初っからティオのことを何も知らなくって、ただ、知ったようなふりをしているだけだったんだ。
もしもこのとき、その質問をティオに言うことが出来ていたら、私たちの未来は何か変わったのだろうか?
それは、分からない。
でも少なくとも私は、彼女の気持ちをもっとよく考えるべきだった。ちゃんとティオのことを、知ろうとするべきだったんだと思う。
ティオは、サラニアちゃんに会って、どうするつもりなの?
結局今日も、私がその質問を声に出すことはなかった。
真っ暗な夜の熱帯雨林に、パチパチという、たき火の燃える音だけが静かに響いていた。




