八十九話 仮初の終幕と
駆ける。
幾つもの大魔法で抉られた大地を踏み越え、横倒しの大木を一足飛びに越える。
着地した先にて、二人は死闘を踊っていた。
クロードはその片手に握る直剣を自在に操り、ノアの振るう拳に合わせて防御を繰り返している。動きを見切り、行動の先の先を読んで回避し続けているのだ。彼が持つ紙一重の技術、魔術によって成される先読み――それが、クロードを常に優位へと立たせている。
だがノアの動きは衰えることがない。暴風のように纏わせた魔力に更なる圧力を込め、真正面から何の捻りも加えない拳の連打だ。体術とは言えない力技の暴力だが、技量に頼らないその乱暴さこそがクロードにそれ以上の先を読ませずにいた。
ノアがその圧倒的な魔力を暴発させ続けることで、結果的にクロードに防御以外の選択肢を削ぐ形となっている。
「――だらぁ!」
何度目かの応酬を終えた次の交差にて、爆ぜる魔力の爆風がクロードを中心に背後の空間を巻き込んだ。魔力を暴発させることで全方位へ波動を飛ばしたのだ。
クロードは剣身を盾に肉体への負荷を殺ぎ、同時に空中へ逃げることで波動の威力を受け流す。
だん、とノアが右足で地面を蹴った。赤き魔力の残滓が歪な線を描いて余韻を残しつつ、彼女は空中で逃げ場のないクロードへ詰めを仕掛ける。
飛び掛かる際に身を捻り、瞬時に左の後ろ回し蹴り。
空を切ってクロードの左脇腹へ食い込む――寸前、予備動作無く発動した魔法によってクロードが退避する。空間転移――それによる瞬間移動だ、狭間を移動して真下の地面へ転移する。
その最中にも地面に何らかの魔法陣を描きつつ、クロードは半ばから折れた直剣を空間へ突き刺すように消した。
次いで、何もない空間へ一本の線が現れる。
そこに右手を押しこみ、一振りの直剣を右手で引き抜く。
――光に反射する両刃の銀色に、俺が映った。
「俺と闘りたかったんだろう。ならば、相手をしよう」
その正面を位置取った俺が、虹色の剣を右片手に中段の位置で構えていた。
質量のない剣。間合いは一間と少し程度。約二メートルの刀身を――言葉を合図に一歩だけ間合いを詰めるよう足を運び、横薙ぎへ一閃。
ぎぃん、刀身を盾にクロードが新たな直剣で防いできた。
虹の刃との接触面のみに展開される魔力障壁を見、俺は手首を返して刃を撥ね付けた。
そのまま身体ごと回転させ、クロードが防いだ逆側から踊るように斬り付ける。
大剣の様に長く巨大な剣から繰り出される神速の一撃。それがクロードの右肩へぞぶりと食い込んだところで――地面の魔法陣が輝いた。
「その剣は洒落にはならないのでね」
再び、彼の姿が消失する。
「――君がそのつもりならば、こちらも時間切れまで粘らせて貰う」
俺は舌打ち一つ、右方の空間へ転移したクロードへ半身で構え直す。
先程足元に描いていた術式、か。
「言っておくが、俺はこの世界ではないモノは使わん」
「分かっているよ。何故ならば、僕はその結果を既に視終えている――でもね」
飛び込んで来たノアの攻撃を片手で裁きながら、彼は俺を睨み付ける。
「言ったろう。諦めはしないと」
今度は彼の全身が僅かに輝き――再び消失する。
またか、と俺は再び意識を集中させた。
「消えては隠れての繰り返しの不意打ちか。魔法と言うより、曲芸だな」
だが同じではない。
恐らく、彼は転移先を予測されることを嫌って毎回別の術式を用いて魔法を扱っているのだ。
魔法陣か、詠唱か、魔力の発露か、何らかの仕草を術式としているか――俺には分からない。
しかしどこからどのような攻撃を仕掛けてくるのかを思考するのに、魔法であるか否かは関係がない。
僅かに発生した殺気を辿って俺は剣を振る。狙いは正面、俺の首を斬り飛ばそうと現れた刃を、勇者の剣が断ち切った。
宙を回り、倒れる樹木へ剣先が突き刺さる。
「まだ、諦めるには早い――」
「いや。終わりだ」
剣を振り切り、その剣さえ半ば以上を失ったクロードへ俺は容赦なく剣を突き刺した。ふ、と消失するクロードの肉体――そうして逃げることは読んでいる。
俺でなくとも、それは同じだ。
「ノア」
「あぁ、逃がすかっての!」
俺の呼びかけと同時、ノアが再び全方位へ魔力の波動を放つ。
クロードがどこへ転移するかなど、もうどうでもいいのだ。
彼とて魔力に底はある。
先の戦いを鑑みれば、最早殆ど気力だけで戦っていることは容易に窺える。
圧倒的な魔法技術で防げばいいものを、剣に僅かに纏わせた魔力と剣術による受け流しで防いでいたのがその証左。
短距離の転移を連発しているのは、遠くまで逃げ延びるほどの魔力はないからだ。
「――――カ――――ハ――――――」
樹木へと突き刺さった剣先の横。
そこにクロードの姿が浮かび上がった。折れた剣に僅かな障壁が張られていたが、波動を受け流すことは叶わず背を樹木へ叩き付けられた。
その場へ崩れ落ちた彼が折れた剣を右手から取り落とす。からんと地面とぶつかった剣から魔力が術式を描き出し――血反吐を吐いた瞬間、術式が霧散した。
「……なんだ。呆気ないものだ……ね」
脱力したクロードは、血泡と共に言葉を紡いだ。
何度も地面を引っ掻くようにしている指先からは何らかの魔力が漏れ出しているが、上手く術式を描けずに消えていく。その足は再び立ち上がろうと必死に動いているが、痙攣するばかりで機能していない。
俺は彼の前までゆっくりと歩いていく。
ざり、ざり、大地を踏み締めるその足音につられ、彼は生気の無い瞳で俺を見上げた。
虹色が、黒い瞳に照り返す。
「――神を、超える。ああ……もう少し、だったのだけれど。惜しかった、かな」
「超えたところで意味はない。お前の壮大で矮小な願いは、ここで終点だ」
「……その、ようだ。僕の望みは、叶えられないな」
ごぷり。再びの吐血が、彼の衣服を血で濡らす。
「神――そう、神よ。何故僕が……こんなことをしたか、分かるかい」
「知ったことか。俺はお前が考える神、などという夢想ではない」
「知りたかったんだ……僕は。本当にそんなものが存在するというのなら、この目で拝みたかったんだ……多分、始まりはそれなんだと、思う」
「そうか」
「だって――世界はこんなにも、残酷だ。一つくらい、僕が視えない物があってもいいじゃない、か」
「それが神だったのか?」
「それが神だったハズだ。でも視えてしまった。君達が、何であるのかも分かってしまった――何をしていたのかも、知ってしまった。なら、引き摺り下ろすしか、ないじゃないか」
「さっぱり意味が分からんな」
半ば独白を垂れ流す彼の目線は俺に向けられているが、その眼は既に俺を見てはいない。
ふと手元へ視線をやる。虹色の剣も、形が保てなくなってきていた。
「俺にはお前の心中など知ったことではないが、敢えて一つだけ返事を寄こしてやろう。お前は視え過ぎたんだよ。それだけだ」
クロード・サンギデリラは先を知り過ぎたのだ。
この世界の住人でありながら、この物語の登場人物でありながら、その最後を知ってしまった。仕組みも結末も読み終えてしまったのだ。
「残念だが、神はお前のことなど認識してすらいない。都合の良いように書き換えるわけでもなければ、支配しているわけでもない。ただ遠くから世界を見てきただけだ。確かに最初に世界を創造したのは神かもしれないがな。その後は、神ではなくお前達がこの世界を創造している」
「……見て、来た――だけ。か」
「お前が視えなかったのはお前だろう。それを神という夢想の存在になすりつけ、責任を押し付けてきただけだ。この先がどうなるかなんてお前以外には誰も認識出来ん。例え神でもな」
断層の魔法使い。ついには最後まで不明が多かった魔法と能力だが、解明してやる時間はなさそうだ。放置しておけばこいつは独力で神へと成り得たのかもしれない、きっとその類の奇蹟であったのだろうが。
けれどそうはならなかった。
世界を自ら乱すような者に神は務まらない。
俺やイデアが阻止しなければ、きっとどこか遠い他の神が阻止していた。
俺は剣を彼の首元へ当てる。
「何か他に言い残すことでもあるか」
「……そう、だね」
力なく笑った彼は、自らその首を剣に押し当てた。
血しぶきを上げながら、彼は死んだ瞳で――俺を見据えて、こう言い残した。
「確かに第一段階は終わったんだ。僕が視られないことだけが、残念で、ならない」
――でもね。
魔法使いの首が落ちる。血で汚れた地面に衝突し、水音が跳ねる。
首から上だけの姿で、男は不敵に笑った。
「僕がここで死ぬということは、計画が順調に進んでいるということ、なんだ」
そして男は動かなくなった。首から下が力を失って前のめりに倒れ、俺の足元で静止する。
どくどくと流れ出る血液が、暫くして止まる。
死んだ。
あれほどに手強く、魔法使い全員を相手にも戦い抜いていた事件の首謀者が――こんなにも、あっさりと。
「この期に及んで、意味のない台詞があるとは思えんが――」
男はこうして死んでいる。完膚なきまでに死んだ。
魔法の反応がどこかに発生したわけでもなく、起死回生の一手が死体となったクロード・サンギデリラに現れるわけでもなく。
虹色の剣がその形を保てなくなり、ふっと空間に掻き消えて消滅する。手元からその温かみが失われたことを感じた俺は、握っていた右手の力を解いた。
その場にしゃがみ、まず先に男の死体を確認する。
瞳孔は開き切っており、魔力が流れている様子はない。心臓も動いてはいない。
身体に何らかの細工をしている様子は見受けられず、少なくともこの男が再び生き返る――そんな魔術はないだろう。
と、背後にノアが降り立つ。
「……終わった、のか?」
「妙な台詞を吐いてはいたが、この男は死んでいるな」
「そうだけど――」
「ああ、こいつは魔術使だ。念のため死体は持ち帰って検分した方がよかろう。俺には分からない何かがあるやもしれん、そこはアリュミエールに任せるとするが」
最後まで妙な奴だった。
どこまで窮地に落とされてもただの一度も我を失うことはなく、怒り狂うこともなく、まるで目的を遂行するための機械のように薄気味悪い奴であった。
そんな男が、死に際にあのような台詞を残して自ら死を選んだのだ。
俺が殺そうが自殺によって息の根が止まろうが、結果に違いはないだろう。
ないのは間違いないが……。
「俺は周囲を探し、クロードが遺した術式がないか調べることにする。煮え切らないとは思うが、これで戦争は終わった――お前も限界はとうに迎えているはずだろう、今は休め」
「……ん、分かった……あぁ、レーデ。この状態を解除したらうちは間違いなくぶっ倒れる、ちゃんと支えろよ」
「ああ」
返事をするや否や、ノアは解放し続けていた魔力を己の胸部の結晶へと収めた。
彼女と同化していた結晶に赤い魔力が吸収されていくと、言通りに意識を失って俺へと寄りかかってくる。右手でその身体を支えると、赤色に変異していた彼女の髪の色が毛先から徐々に白へと戻っていく様子が窺えた。
その状態は非常に安定しており、魔晶が暴走する様子は見られない。すぅすぅと繰り返される小さな息遣いだけが、静かに俺の身体へと伝わっていた。
「おい、レーデよ」
戦いを見届けていたガデリアが苦虫を噛み潰したような顔をしてやってきた。
ガデリアは死体を睨みつけながら俺の傍で止まり、ふんと鼻を鳴らす。
「妾の機能に変化がない。此奴を殺してなお妾が通常通りこの世に留まっていられるならば――あの魔法使いは、消滅しておらんということになる」
「魔神……いや、原初の魔法使いは消したんじゃないのか」
「消したよ勿論な、この手で消滅させた手応えはあった。確実に消し去った、この世のどこにも反応はない。じゃから、可能性として考えられるのは……」
「〝断層〟か?」
「さあな。まあお前の言う通り終わりだ、この状況から事態を丸々ひっくり返されはせんだろうが。隅に留めて置け」
言って、ガデリアも同様にクロードの死体へ触れる。
そしてその渋面を更に深くしながら、諦めたように立ち上がった。
「――さて、あるかもわからん術式を探すんじゃろ。動けるのは妾とお前とアリュミエールのみじゃからな、僅かな可能性が遺されているのならば摘み取らねばならぬ」
「あぁ。そうだな」
周囲を見やり、俺は一つ頷いてからノアを倒れ伏すソーマの横へと寝かせる。それから「早くしろ」と言うガデリアの後ろへ続き、上空で待機しているアリュミエールへ合図を送った。
◇
――かくして戦争は終わりを迎える。
最後こそ呆気ない幕の閉じ方ではあったが、魔法都市は甚大な被害を被った。
魔法使いの大半は死に、再起不能の負傷を負い、大混乱により住民は散り散りに避難してしまったのだ。
元の都市としての再興は限りなく不可能に近く、よって学院長アリュミエールは魔法都市からの撤退を決定した。望むと望まざるに関わらずに共闘を行った魔法使いの面々もそれぞれ別れることとなり、まずギリアム・クロムウェルが去り、それを追いかけるようにラッテ・グレインが魔法都市跡から立ち去った。
何故かディッドグリース・エストは俺達に着いてくるようだったが――。
結局のところ、樹海には何の仕掛けも残されてはいなかった。
術式の一つも刻まれてはおらず、不穏な魔力の反応さえも発見はされてはいない。〝断層〟とやらの未知なる場所に隠されていたとしても魔力の歪な反応自体は存在するため、念入りに虱潰しに捜索を続けていた俺とガデリア、アリュミエールの三人は――遂にはその全てを捜し終え、断念するに至った。
クロード・サンギデリラは死に、世界を滅ぼす計画は見事阻止された。
しかしこのまま世界が安定してはくれないことを、俺は知っている。
此処で終わるようなら既に俺は此処にはいない。
そうではない以上、この世界はまだ危機を脱していないのだと――。
次、今章エピローグです。




