八十八話 勇者
遅れましたが、明けましておめでとうございます。
今年も仕事の合間に書いていきます故、よろしくお願い致します。今年中に完結させるつもり、ではありますので…はい!
結界の中で、魔神が虹色の剣に串刺しになっている。
巨大な体躯に勝るとも劣らない剣が頭部を、心臓を、両肩を、腹部を、両足を貫通する。滅多刺しにされた魔神が膝を折る中、ガデリアは魔神の眼前へ文字通りに接近した。
「なんだ。意識など残っておらんただの残滓じゃないか。じゃあ、まあ聞こえてはおらんとは思うが――元気そうで何よりじゃの」
自身よりも数倍は巨大な眼球に向かって皮肉を投げた。
幾年もの時を重ねた宿敵が目の前にいる――勇者は嗤って、右手を大きく横へ伸ばす。
その手に、天をも貫きかねない虹色の柱が顕現した。
ガデリアはそれをぐるりと回して天を裂き、空いた片方の手で手刀を作る。細い首筋に三度当てるように魔神の行く末を示した。
「では死ね」
――巨大な虹色の剣が、魔神の首を豪快に斬り落とした。
一振りで肉と骨とが切り裂かれる。大量の魔素で構成された肉体から溢れんばかりの魔力光が放たれる。
だが、魔神の肉体は首一つ失った所で潰える存在ではない。
勇者リーゼがいくら傷付けようとも完璧に肉体を再生し、再構築してきたように、切断面同士からうねる魔力が互いを繋ごうとして――。
更に一閃、魔神の首を繋ごうとした魔力が切断された。
ガデリアという勇者は魔神に再生の隙など与えない。超速再生を上回る速度で無数の剣を顕現させて操作し、細切れに魔神を分断していく。繋ぐ魔力も丁寧に絶ち切り、強固に練り上げられた魔力の肉体を容易く破壊する。
「そう悠長にはやれんぞ。いけるか?」
継続的な火力を叩き込み続けるガデリアへ俺は言った。
強力無比な連撃の数々も、魔神へ与える決定打とはなっていない。攻勢に転じることの出来ない魔神など空中で蠢く肉塊と何ら変わりはないが、魔神の再生速度に変化がないのは見れば分かることだった。
魔神は弱っているわけではない。
ガデリアの振るう剣は、いずれも切断し直接触れた部分の魔素しか削れていない――故に、お前に倒せるのかと。
「誰に問うておる、妾が何の考えもなしにめった斬りにしてるとでも思ったのか?」
「では、そうではないと言うわけか」
馬鹿め、とガデリアは魔神を斜めに両断して。
「根幹を切り離す。接合されている魂と魔神の肉体を剥離させるんだよこれから。その節穴の眼球にしっかり刻み込むんじゃな!」
そう吠え、ガデリアは全身へ強烈な虹色を纏う。
身体能力を飛躍的に上昇させる勇者の能力。肉体強化の遙か高次元に至る魔法――天聖虹陣。
空中に散乱し修復活動を行うとする肉塊の中央部へ飛び込んで、ガデリアは通常サイズまで縮めた纏虹神剣を振り払う。
――キィン。
一瞬。耳鳴りのような、金属が弾けるような、そんな甲高い音が周囲へ響いた。
魔神が叫んだ。これまでの咆哮とも叫びとも違う、苦しみに喘ぐ声が世界へ届いて。
「が、グギ、ア、アァアオォ――オォ――!」
無数に入る肉体の切断面から魔力が迸る。それは今までの量とは比べ物にならない魔力光で。
魔神の肉体が再生されない。
「……まさ、か――ここまでやっても、か」
地上のどこかで悲痛な青年の言葉が俺の耳に届いた。
それを鼻で嗤って、俺は魔神の最期へ意識を戻す。
「お前が想定する神は此処には来ない。救世主は――魔神の魂を媒介にしたお前が呼んだようなものだ」
ガデリア・ソード・ソラウディアは勇者だ。
勇者とは言ってもラーグレス・リーゼとは全く別の存在、魔神を殺す勇者。それはこの場に於いて最高の対抗策である。
現世に存在しない世界から引っ張ってきたこの世の成れの果て。幾数世代を遡った原初の勇者にして、この世界の最高戦力。クロードが魔神の核に原初の魔法使いを選んだ以上、ガデリアは原理上顕れることが可能となっていた。
クロードとしても原初の勇者という存在は当然知っていたはずだ。
それが今の勇者とは異なる存在であることも、だからこそこの世には出ては来られないという事実まで含めて――彼はその上で魔神を起動している。
あらゆる妨害を想定し尽くし、必ず神を引き摺り降ろせる状況を作り出し、世界を滅ぼさんとした。神にその状況を覆させるために。
――しかし、しかしだ。
その想定していた神は、俺ではない。
今はイデアと名乗るその神を想定して、計画を練っていたのであろう。
クロードは俺という存在を認知していない。いや、認知はしていても眼中に入れられなかった、というべきか。
あくまでも人として降り立ち振舞っていた俺にイデアのような力はない。
神の性質を持たぬ人としての俺に、そこらの人間以下の価値は下せても以上の価値は見出せやしなかったのだろう。
俺がこれまでで〝権能〟を打ち出したタイミングは、本当に限られた場面のみ。
クロードとて人間の枠組みに嵌まっている以上、全てを見通す能力でも端から端までの意識していない部分を〝視る〟ことなど出来ない。
己の意志で視ようとしなければ視えない、という欠点。
そこを、狙わせて貰った。
隙とも言えぬ程度の小さな穴でしかなかったが、幸いにして思考に費やすだけの時間は無限にあったのだ。
茶でも飲みながら、ゆっくりと策は練らせて貰ったよ。
崩壊する魔神が放つ高濃度な魔力の元、ガデリアが虹剣を再び巨大な得物へと変化させる。天まで貫かん虹色の柱――それは魔神の垂れ流す魔力を消失させながら、暗闇を七色の光子で塗り替えていく。
「……とはいえ、確かにお前が奴の意識を此処へ向けさせたのだ。イデアがやって来られたという時点で、お前はそこまでの災厄である」
世界を滅ぼし得る危険な存在として。
俺がここへと逃亡して来なければ、イデアはクロード・サンギデリラの思惑通りに現れ、世界を救っていたことだろう。その際に何が起きていたのかは俺も分からない。
――しかし、通らなかった未来の話は、ここまでだ。
「やれ」
「五月蠅いぞ。誰に言われんでも、妾はこの時をずっと待っておった」
剣閃が天地を走る。
虹の剣が世界を縦に裂き――。
魔神の肉体が一閃、綺麗に両断された。
悲鳴は、もうなかった。
その肉体は再構成されることはない。
真っ二つに別れた魔神の身体が、切り離された魔神の肉体部分が魔素の粒子となって空間に溶け出してゆく。
莫大な魔力は魔神の制御化を離れ、無色な魔素へと形を変えて世界へ還元されていくのが俺にも見えた。
白く白く世界を染め上げるそれは、まるで大地へ降り注ぐ雪のように幻想的であり。
これまで世界を地獄のような赤へと染め上げた魔神の最期にしては、余りにも呆気ない結末だ。
「そこか」
――解き放たれる強烈な魔力光の中心に、俺は魔神の手の内からリーゼが零れ落ちるのを確認する。それとは別に魔神の核となっていた小さな塊が二つ、肉体から別離して地上へ落下していくのも。
その片方が二本角の魔物であることを確認し、俺は舌打ちをした。
そうか。魔神の媒介にこいつを使っていたのか……。
「レーデよ。貴様は勇者を拾え、妾は〝アレ〟を始末する」
ガデリアは視線を向けることなく、言うだけ言ってから切り離した魔神の核へ追撃を開始する。
「了解した」
そうは返すが、俺は自力では浮遊することも空を飛翔する魔法なども使えない神様だ。
肉体を再構成する際に魔素への適応は済ませたが――魔法を扱えるほど、俺は一流ではない。
よって、リーゼを拾う手段は背後の人物へと頼むことになる。彼は故あってその場から動かせないが、サポート程度を頼むのには問題なかろう。
「アリュミエール。悪いが、俺を彼女の元まで運んでくれ」
「容易い御用じゃが、少しばかり負荷が掛かる故、気を付けなされよ」
「肉体の負担は気にするな。間に合わん方がよほど致命傷なのでな」
「承った――儂はあちらとのゲート繋げておらねばならない故動けぬ。頼むぞ」
彼が両手を差し出した先から濃密な魔力が俺へと流れ込む。
流石は魔法学校の長とも言うべきか、実に丁寧かつ繊細な魔力である――この肉体はしっかりと機能してくれているらしい。
体表を覆うように纏わせた魔力が波を打ち、彼の魔力が魔法へと転化する。
「《アクティベート》。全機能展開――翔べ」
その魔法が、俺を一直線に射出した。
飛翔というよりかは魔弾を打ち飛ばすような速度で突っ込んだ俺は、落下し続けるリーゼの下方へ潜り、その上体を伸ばした右腕で巻き込む。
「――っと」
そのまま、地面へ足裏を擦り付けて強引に着地した。
接触の衝撃で破砕した地面がひび割れ砂埃が舞う。
だが、これだけの速度で着地しても肉体の方に異常は発生しなかった。痛み一つも――その程度の感覚はあったが。まあ、どうやらこちらの適応も済んだようだ。
一新した肉体はこの世界に合わせて再構築したものだ。
魔素中毒は勿論、肉体自体をこの世界準拠に造ってある。汎用していたモノとは違って大気中の魔力が見えるのは中々に新鮮ではあろうが。
「――んん……」
俺の腕の中で、リーゼが声を発した。
か細い声で呻いた彼女が、その双眸をゆっくりと開く。
「あ、れ」
「……全く。お前は無理を通し過ぎだ、自分の身体がどうなっているかなど、お前は十分に分かっていただろうに」
「は……え……?」
「だが、良くやった。今は休んでおけ」
背に担いだ細い身体は、異様に軽い。
これまでの度重なる無理を気力だけで乗り越えて来たのだろう、これまでは勇者という機構が彼女を維持していたが、今はそうではなく。
――その代償は酷く、それほどまでに、勇者の力を宿さぬ彼女の身体は弱っていた。
意識を取り戻したのも束の間、リーゼは再び眠りへ落ちていく。
何かを言い返そうとしていたが、それだけの元気も残っていないようだ。
「お前も他と違わぬことを……俺は今まで失念していたらしい」
分かっていたつもりであったが、根本的な部分で俺は違えていたのだろう。
最初の出会いからずっとお前は勇者だった。
そうでないお前など――俺は、知らなかったのだ。
「この場へ至るまでの道程はガデリアを通して把握している。よくぞ、あんなものを護り抜いてくれた」
俺の荷物などを、そこまで大事そうに運んでくれるとは――。
言って、俺は顔を見上げる。
灰色の空は青く晴れ上がり、中空へ溶け出した魔力が様々な色へ輝いている。
その奥で、ガデリアが纏虹神剣を魔神の核へと突き刺す姿が飛び込んできた。
淡く光るその魂――即ちもう一つの核。
魔神の肉体を成すのがアウラベッドだとすれば、魂を成す原初の魔法使い。
それが虹色に貫かれ、四方へ弾けて霧散してゆく。
今度こそ、戦はお終いだ。
要である魔法都市をこうまで壊された損失は少なくはないが、これで魔神は起動しない。
ただし、魔神を倒して全てが終わるわけではないと、俺は知っている。
「――まだ、終わってはいない――」
膨大な呪詛の念。肌をぴりぴりと突き刺すような魔力が後方から発された。
元を辿ればそこに、立っているのはたった独りの青年。
腹に大穴を開け、魔法使いに囲まれ、それでも口端をにやりと曲げる男が、その瞳に炎を宿して俺を視線で射抜いている。
「まさか神を隠蔽するとは思いもよらない手段だった。まさか自ら人の身に落ちることで僕の目を最初から欺いていたとは、やはり届くには足りないんだね」
「クロード・サンギデリラと言ったな。悪いことは言わん、今のうちに諦めておけ」
存在を知覚しただけではなく、その存在へ自ら近付くなど無意味が過ぎる。
確かに、今までに前例はあったが。クロードのようにある程度の境地に達した者が、俺やイデアという天上の存在を知覚してしまう事もゼロではない。
だが、その誰もが神へ至ることなく自滅していった者たちばかり。
そもそも、神は人間から寄り添える存在などではないのだ。
常に傍らで見守りこそすれ、互いに干渉が効く相手でもない。事が終われば俺もイデアも、同じようにこちらの世界にはいられなくなる。
神は誰の味方でもなく、敵でもなく、ましてや破壊者であるはずもなく。
世界を監視し、存続する未来を永劫作り続けるだけの――そういう者達なだけなのだ。
お前が認識しているような都合の良い神ではないのだから――。
俺はクロードの方へ振り向き、様々な魔法で拘束されるクロードの姿を見やる。両サイドに立っているのが呪縛のディッドグリース・エスト、そして魔毒のラッテ・グレインだ。
恐らくは呪縛による行動阻害を肉体へ刻まれ、魔毒で体力を奪われているのだろう。
そのような状況へと置かれながら、しかしクロード・サンギデリラは流暢に言葉を紡ぐ。
「いいや僕は諦めない。既に第一段階は終了した、そこまでは辿り着いたのだ。この計画が途中で阻止される可能性など端から想定に組み込んでいたさ――失敗は腸が潰れるほど痛いけれど、でも、失敗したのならば仕方ない。一歩進めただけで僥倖だ。何度でも、何度だろうと、ありとあらゆる手を尽くして僕は神を超える。こんな所で止まりはしない」
「超えた先、お前はどうする? 神へと成り代わり、その先でお前は何を望むつもりだ」
「っは――ははは、ソイツは君だからこそ吐ける台詞なのだろうさ。まずは君たちを超えてからでなければそんな考えには至らないだろう、自明の理だ」
言い切った瞬間、彼はその特別製の魔術を起動した。
両手足を拘束された瀕死の状態で尚、彼は拘束を振りほどいて漂う魔力で術式の形を練り上げ――――――虹色の刃が、その喉元から突き出す。
「ご、ぽ――」
現れたのは小さな勇者の影。
彼女は金色の髪を揺らし、全身を血で染め上げながらクロードの詠唱を中断させると、
「妙ちきりんな魔法を使う貴様に、みすみす使わせると思うたか?」
虹の刃で喉元を抉り抜き、細腕で頭蓋を鷲掴みにする。
「いい、や――使わせ、て、貰うよ――勇者――」
ごぼりと血を吐き出したクロードの姿が掻き消える。瞬間、そいつは俺の間隣へ転移してきた。
体液も魔力も垂れ流しに、ソイツは潰された喉で言葉にならない雄叫びを上げた。詠唱による魔法ではない――?
身体の動きに合わせるように、歪から現れ彼の右手に握られた直剣が俺の頭部を狙う。
「アアァアア!」
「何――」
咄嗟に懐へ手を伸ばすが、赤い剣はそこに収まっていない。俺は舌打ちして無手のまま対峙すると、右腕を突き出して犠牲にすることで一閃の直撃を回避した。
ざくん、肉が斬り飛ばされる嫌な感覚だ。
腕を失ったことはこれまで何度もあるが、だからといって慣れるものではない。
すぐさま態勢を整え、左手のみでリーゼを支え直した。クロードは半ば幽鬼の如き害意を湛え、返す刃で俺の首を狙ってくる。
「――ぐっ!」
上体を仰け反らせて刃の軌道から逃れ、ステップを踏んで後方へ身体をずらす。
だがリーゼを抱えたままで捌けるほどクロードの猛攻は生易しくはなかった。
だから。
右脇を締めて出血を抑えつつ、俺は背後からやってくる彼女に合わせて立ち位置を切り替える。
「レーデ、下がれ!」
「すまない――任せたぞ、ノア」
ノアが後方から加勢にやってくることを感知していた俺は、クロードの動きに合わせて彼女と交代する。
「って――いうか、説明して貰うからな! この野郎本当に何の話もなくいきなりいなくなりやがって!」
ノアは擦れ違い様にそんな言葉を吐き、赤色の魔力を纏わせた両手で剣の腹を殴り付けた。
そういえば何も言わずに別れたのだったか……。正直、あの時の俺は自分でも正常な意識を保っていなかったようにも思えるが、まあ、そうだな。
後で謝るとしよう。
しかし現界してさっそく大怪我とはな。
俺は視界の奥で転がっている自分の腕をぼんやりと眺め、二の腕から先のない断面へ視線を落とす。今更腕の一つでどうこうなるわけでもないが、自力で治癒するのは止めた方が良かろう。
クロードが近い距離でもない俺を最優先で狙ってきたのは、十中八九この力を使わせるのが狙いだ。
「――やぁやぁ、なんか雰囲気が違うけど、身体でも取っ替えたのかな?」
「どちらにも介入するつもりはなかったのではないのか」
声を掛けられた方向へ首を向け俺は答える。
黄白の外衣をはためかせながら、こちらへ近づくラッテがこう返す。
「気分が変わっただけ。それに手伝ったつもりもないよ。流石にこんな状況になったら話も別ってだけ」
「まぁ、それもそうか」
周囲の地形は丸ごと変化してしまうほどに変貌してしまっている。
魔神が暴れ、暴走した魔力がこの樹海の大半を削り取ったのだ。その戦場に選ばれた魔法学校が無事であるはずもなく、逃げるか戦うかを選ばされるのなら戦う方を選んだ――というだけの話だろう。
「でも、もう終わりかな。あのでかい魔神とかいうのは、いなくなったんでしょ?」
「ああ。そうだ、ガデリアは――」
「ここじゃ、万事終了したぞ」
倒れる木々の上から、小さな体躯が顔を出した。その背に何やら黒い物体を抱えて飛び降り、ガデリアはきらきらと輝く虹色の光子を撒きながら俺の眼前に着地した。
そこで彼女が抱えていた物を俺は睨んだ。
「アウラベッド――」
全身血塗れの姿で判別に難はあったが、それは確かに俺が樹海で下した魔物だ。こちらは始末したわけではなく、回収したのか。
ガデリアは片眉を吊り上げ、
「ああん? お前知っておるのか」
「お前も勇者の旅路を眺めていたのなら目撃しているはずだろう」
「見た出来事を一つ一つ全て覚えているほど頭は逝っておらん、お前だってそうじゃろうが。知ってるなら勿体ぶるな」
吐き捨てるなり、担いでいたそれを放り投げた。
どさりと地面に転がる黒角の魔物――アウラベッドが小さく呻く。
「こいつが俺とリーゼを狙っていた魔物であり、お前の目を封じた方の神の手先でもあるが……どうやら、こいつが魔神の肉体を担っていたようだな」
瀕死になっていたところを利用されたか、最初から手を組んでいたのか……。
両方という線も濃厚だが、果たしてどの辺りまで噛んでいたのかは不明である。
「ふむ、道理であのサイズで耐えるはずじゃな。規格が人間ならとうに破裂していたと思ってはおったが成程、納得ではある」
ガデリアは神妙な面持ちでアウラベッドを眺めた後、少ししてから小さく呟いた。
「――複雑じゃの」
元来魔物とは人間だったモノが変化した成れの果て。それが魔法使いの手で魔の神なる破壊の化身へと使われ、正に世界を破壊しようとしていたのだ。かつて原初の魔法使いと戦っていたガデリアからすれば、とても気分のいいものではなかろうな。
俺はアウラベッドに意識が残っていないことを確認して一先ず安堵し、クロードとノアの戦いへ視線をやる。
「もうあんな所まで距離を離してくれたか――」
ノアにはクロードへの対処を咄嗟に頼む形となってしまったが、その役割は十分過ぎるほどに果たされていた。
ノアが繰り出す拳の威力と速度は、特殊強化結晶との同化により得た魔力によって凶悪な力を誇っている。それらは戦闘が続くほどに激しさを増し、必然的にクロードが一方的に守りを取らされる形となっていた。
クロードとギリアムの合作により生まれし完成系。発する魔力だけで、厳然たる差を誰もが理解する。
ノアは見事、胸部の結晶の力を使いこなしていた。
彼女が一撃拳を振るう度、全力を尽くして防ぐクロードから魔力を削ってゆく姿が見られる。
「さて」
呼気を整え、俺は言う。
「終わらせようか」
「――は、いきなり出てきて何言ってんのよ」
俺の台詞を遮って、赤い外衣が視界へ割り込んだ。
かつての勇者の一行――サーリャが、眉をひそめて立っていた。
「アンタのこと、リーゼは死ぬ思いで捜してたわよ」
「そのようだな」
「それだけ?」
「正直、感謝はしている」
「ふぅん……」
結局は彼女がここまで状況を保たせたのだ。
彼女が居たからこそ、彼の目論む状況に狂いが生じたと言えよう。
彼女が俺を追い求めてくれなければ世界はとうに終わっていた。そうなった場合俺はこの状況に居合わせることすら叶わず、取り返しが着かないところまで崩壊してしまった可能性が高い。
「そら、腕を出しなさい」
「治療を頼めるなら頼みたいが……魔力が枯渇しているんじゃないのか?」
「うるさいわね。いつから魔力が見えるようになったのか知らないけど、舐めないで。私は魔法使いよ」
半ば強引に俺の右腕を掴んで引っ張り、サーリャは俺の腕が落ちている場所へと手を差し伸べた。ふわり、彼女の指先から線を描いて流れる魔力が細やかな陣を描き、炎の形を成す。
カーテンのような衣の炎が扇に広がって切り落とされた右腕を柔らかに包めば、舞い上がって俺の手元まで飛んでくる。すると、舞う魔力が炎色から元の魔力へと変換――今度は針と糸で刺繍でもするかのように、俺の切断面を丁寧に繋ぎ合わせていく。
「何じろじろ見てるのか知らないけど」
「お前、随分と繊細な魔法が使えたんだな」
「馬鹿にしてんのかしら?」
す、と。腕の先に通る感覚が一つ。ぼんやりと生じたそれが徐々に確かな感覚へと変わり、俺は指先をほんの少し動してみる。動く。それも違和感などまるでなく――斬り飛ばされたのが嘘のように、右腕が綺麗に接着されていた。
「いや……魔力という概念を初めて目視で認識したもんでな」
魔力それまでは事象へと変換されない限りは目に映らなかったものだ。膨大な魔力が形を成して溢れれば見えるが、基本的に魔力が魔法へと変わる過程を俺が見ることはなかった。
溢れ出る魔力へ視線をやりつつ、俺は呟く。
「すまん。助かる」
「不思議ね。アンタからお礼を言われると何故か肌が痒くなるわ、特に背中とか」
「不潔なんだろう、さっさと風呂に入れ」
「素直にお礼言われるのがなんだか変な気分って言ってんのよ!」
「俺はそこまで捻くれてないだろうが――まあいい、何か使えそうな武器は持っていないか?」
俺は無手であることを示して、左手に抱えていたリーゼをサーリャへ渡す。
本来であればこちらへ来る際に何か持ってくるべきだったのだが、残念なことにそのような時間は欠片もなかったのだ。せめて剣があればどうにかなりそうだったが……。
「何、戦うつもり?」
サーリャは両手でリーゼを抱き抱えてからクロードとノアの激突を見やると、そう言った。
「それ以外に何がある。お前達は先の魔神戦で力を使い果たしただろう。ならば俺が行くべきだ」
「へえ、そこまで見えるんだ」
――と、そこでラッテが寄ってくる。
「冗談抜きに凄いね、私の知ってるお兄さんって魔力中毒で死に掛けてた気がするんだけどなぁ」
「色々とあってな」
「色々、ねぇ?」
魔力の流れが見える今だからこそ、魔法使いの状態も見た目以上に分かるようになっている。
こんな軽口を叩いているラッテにもほとんど魔力が残っておらず、微かな残留魔力だけが周囲へ渦巻いていることも――分かっていた。
そりゃそうだろう。クロードとの戦闘と魔神の無差別攻撃に対する防御も並行していた上に、それ以前に連戦しているのだから。体内で隠していれば話も別だが、そんな意味も余裕も残されていないはず。
他の連中も大体同じだ。
肉体を何度も入れ替えることで戦い続けるギリアムも魔力は枯渇寸前、ディッドグリースに関しては激しい魔力の損耗で肉体の呪縛が均衡を崩し、その対処に全力を費す羽目になっている。
元々無謀な相手に無理な戦いを繰り広げていたソーマは肉体の限界を超え倒れてしまっている。
だからといって、狭間と此方とを繋ぎ続けているアリュミエールを今空から動かすわけにはいかない。彼が繋いでいるゲートを閉じてしまえば、勇者の力を繋げる俺とガデリアの維持に支障を来すことになるからだ。
――そして、ガデリアは。
「妾も時間切れか。見て分かる通りアレは相当な無茶を重ねた結果じゃからの、むしろお前単体を媒介にしてあそこまでの出力を出せたんだから良くやった方だと言える」
「いや、お前の役目は魔神までだったからな。元よりその後の戦力としては数えていない」
「そうかそりゃ良かった。で、戦うのはいいがお前戦えるのか?」
「人並みに技術は揃えてある。だが魔法は使えんな」
「それじゃ勝てん。持っていけ」
彼女は右手に纏虹神剣を顕現すると乱雑な扱いで俺へ投げ渡してきた。
弧を描いて俺の手元へ収まると、虹の刃が強く光り輝く。
質量は感じられず、持つ手がほんの少し温かさを覚えるだけの――光に手を当てているような、不可思議な感覚が手にあった。
一度左右へ切り払い、間合いと取り回しを確認してから俺は言う。
「……これは、他人が使えるのか?」
「使えんよ普通なら。じゃが力の大元はお前から抽出したものだ、妾からお前に託したこの状況なら多少は持つだろ」
「どの程度だ」
聞くと、ガデリアは伸ばした人差し指と中指の二本を口元に当てた。
「この程度じゃな」
「――そうか」
聞くなり俺は纏虹神剣を構え、ガデリアの横を抜ける。
「二本目はないぞ」
背後からのそんな台詞。
分かっているとだけ返事を残して、俺は駆けた。
……全く、随分とぎりぎりの戦いが続いたものだ。
一度たりとも俺一人で潜り抜けて来られた戦場などありはしない。
ヲレスの一件からずっと、俺は命を切り捨て削ぎ落とすことでどうにか先へと歩んでいた。
これでも神の端くれなのだ。もっとスマートに出来ないのかとは自分で思うものだが――広い世の中そう上手くはいかないものである。
何故ならば俺は英雄ではなく、主人公でもなく、世界を救う勇者でもないのだから。格好良く危機を乗り越えるだなんて真似ができようはずもない。
いつまでも人の技術にしがみつき、人の枠から抜け出せなかったから――俺はこの場所に立っている。
しかし、そんな落ちぶれた神様でも。
ここまでのお膳立てがあって負けるわけにはいかないだろう。
まぁ、なんだ。
使い慣れた得物はなく、神の力も行使できないが――勇者の剣が代わりにある。
それならば。
奇跡は到底起こせないが、泥臭い勝利くらいは手にしてみせよう。




