八十七話 滅びゆく傍らの出来事
――少し前に遡る。
レーデ達が空間を割って出てくる前の話。レーデが女神から叩き出されて、この世界へ再び舞い戻ってきた時のことだ。
――見覚えのある空間だ。
俺は自らの両手の感覚を確かめ、そして次に両足の感覚を確かめ、肉体があることを改めて確認する。二度同じ動作を繰り返すと、視線を外へと向けた。
樹海の更に奥深くまで来たような、薄暗い景色。
どこまでも続くかのように見えて、実は視界の届く範囲程度までしか物質の存在しない隔離世界。
初代勇者、ガデリア・ソード・ソラウディアが封じられているこの場所へと――俺はやってきていた。
「フン、また来たか……しかも今度は自分の意思で来やがったなお前?」
ぽつん、と佇んでいるしょぼくれた小屋から一人の少女が顔を出し、歩いてくる姿が目に映る。
相変わらずの小さな体躯で、合わないサイズのワンピースが地面にずるずる引きずられている。少しばかり上機嫌に見える彼女へ、俺は軽く右手を上げた。
「異邦の来訪者はまずここに来るらしいからな。その情報を頼りに、目的地を手繰り寄せた」
「ほう? 流石は半人半神よな、実に荒唐無稽じゃないか」
「――今は、違うがな」
苦笑した俺を見つめて、ガデリアは翡翠の目を細めた。
今と昔との違いは大差ないが、観察すりゃ分かるだろう。
「しかしご丁寧に出迎えてくれるとは」
さて以前の来訪はいつ頃だったろう。
ここは時間の概念が消失している世界だ。俺という存在が彼女の前から離れた時点で、どの時間軸とも繋がっているガデリアとの接続が切れているからな。
時間の停滞した世界でこう言うのもなんだが、体感はどの程度なのであろうか。数年ほどか――逆にほとんど一瞬で戻ってきたという可能性もありそうだが。
「そら来訪者だからな。見に来ないわけにもいかんじゃろ普通に。――で? 何をしにきた」
金髪がぴょこりと揺れる。
ガデリアは首を傾げ、片眉を吊り上げた。
「ある程度は観察してたんだろ?」
――言った瞬間、細腕から拳が繰り出された。俺が咄嗟に避けると流れるように回し蹴りが右側から飛んできて、あえなく俺の脇腹に直撃する。ある程度は手加減されているらしく俺が遥か彼方へ吹っ飛ばされるだなんて事態にはならなかったが、それでも痛いものは痛い。
ガデリアは脚を下ろすと、低く呻いた俺へ極めて不機嫌そうに叫んだ。
「あのなぁお前忘れたか!? 妾は今何にも見れない状況で大層暇しとんじゃ、誰かさんのせいで」
「ああ、そういえばそうだったな」
どうやら一度目の来訪から結構な時間が経過しているようだ。
「分かったらほれ、なんかあるじゃろ嗜好品とかよこせ。煙草はもうない、全部余すところなく吸い切った」
「悪いが俺は手ぶらだ」
「おいおい気が利かない奴めが! 神なんじゃからなんかそういうのあるじゃろうと思ったが、手土産くらい期待した妾の気持ちを返せ」
悪かったな、あるのならばくれてやったが生憎とそんな余裕はない。
そんな俺にガデリアは深い溜息を一つ吐いてから、「まぁ」と言葉を続ける。
「とはいえ大方の事情は〝聞いとる〟んでな。お前がここにやってきたのも、魔法使いについての話なんじゃろ?」
「そこまで分かっていれば話は早いな――〝聞いた〟?」
「あぁ、ついさっきな」
ガデリアはやれやれと首を振って、
「お前が来る少し前にも来訪者が来たわ。何やら狭間に迷い込んだ魂があったから引っ張り込もうとしてみれば、何もせずとも自分から入ってきよった奴が一人な」
こっちにいるぞ、と親指で雑に小屋の中を示してくる。
「――ここに、か。さては中であのクソ不味い茶でも飲ませているのではなかろうな」
「いきなり失礼だなぶっ飛ばされたいのかテメこの野郎」
「茶葉を冷水で浸しただけの汁を俺に寄越した嫌がらせは忘れていないぞ」
「そんなこともあったか? いや覚えとらんな全くこれっぽっちも」
「んで、そいつは誰なんだ?」
ガデリアは先ほど、自分からと言っていた。自力でこの場所まで来られるような奴が普通の人間でないことくらいは分かるが、果たしてどのような人物なのだろう、と。
異世界――ここと繋がっている場所からの来訪者? いいや、恐らくは違うな。
ならば……。
「お前の知人でないことは本人に尋ねたから明白じゃが、まあよいか――そいつはアリュミエール魔法学校の創設者にして学院長、来やがったのはクソジジイだよ」
今、なんて言った?
「ガデリア。今もそいつは――此処にいるのか」
「ん? ああいるいる。つうか死んだ結果剥離した魂がここに来とんのじゃから、頑張っても帰れんわな」
死んで魂が此処に……なるほど。
「――理解した。本来ならお前に用があって来たんだが、折角そこに居るのならばその学院長とやらにも協力して貰うとしよう」
「はぁ? 何を言うとるんだお前は」
「それを話すには少しばかり時間を貰うが――ああ、そういえばそうだな」
今の自らの状態を思い出し、俺は一人ふむと頷いた。
一度俺も死んでからこの世界へ受肉を果たしているのだ。何千年も前から使い潰していた身体ではなく、新たに造られた肉体である。
あくまでも人としての受肉体だが――この程度なら、造作もないだろう。
あまりに人間としての活動期間が長かったお陰で、すっかりと忘れてしまっていたよ。
「頭を出せ」
「あぁ? 何を――」
言うが早いか、伸ばした右手の人差し指がガデリアの額へ触れる。
「なっ……なに? おお、おおお! 見えるぞ外の世界が!」
やはりか。
今なら、奴の妨害も突破させることは容易らしい。
力が復活するなり人間世界へと意識を張り巡らせるガデリアを見て、俺は腕を下げる。
それにしても、生傷一つない身体はいつぶりであろうか。
新しく身体を造り替えるまでは同じ肉体を使い回すしかなかった――五体満足の健康体というのも、久しく感じる。
「これで説明も省けるな。何が起きていて、俺達が何をしていて、これから何をさせたいのか、自分の目で飽きるまで調べ尽くすといい」
ここにいる限りに於いて、時間とは無限に等しいだけ存在するのだ。
時間の流れが違うというよりはそもそも流れていない。停滞か或いは凍結か、その中で動くことが出来るというのであれば活用しない手はない。
俺とガデリアが話をしていると、小屋の内部から床を叩く足音が響いて重たげに扉が開かれる。
「誰か来客でもあったのかね」
扉から顔を出したのはしわがれた老人。
彼は顎に蓄えた白髭を右手で撫ぜ、俺の顔をまじまじと見つめて――言う。
「――主よ、人ではないのだな」
「ああ、そうなるが。聞いていたのか?」
「そこな彼女から話だけはの。では、主が過去に一度、此処を訪れた神というわけじゃな? 成程、妙な気迫を拵えておる。はて、訪れたのは偶然でないとお見受けするが……」
のそのそと扉から出、老人は俺へ深々とお辞儀をする。
「まずは挨拶をば。儂は魔法学校の長をやらせて貰っているアンヴァルト・ウィザ・アリュミエール。一応は〝万能〟と呼ばれる魔法使いであるが――本物の神を前にしては、こりゃ恥ずかしい限りじゃのう」
「……謙遜か、神を過大評価しているかはさておき、その異名は恥じるものではない。俺は確かに神という部類に入るが、実の所はそう大層なものではないからな。これまでも何度も魔法使いに倒される程度で――いや、まあ、そうだな」
一度言葉を切って、俺も挨拶を返す。
「俺は〝レーデ〟という者だ。今は人間体に身を窶しているため、ほぼ人間でしかない。そう畏まらんでいいから、レーデとそのまま呼んでくれ」
本来は対等にすらなれないのだがな。
この世界の一部として落ちる段階で、世界の一員としての俺はこの老人よりも遥かに下だ。ただ、今更このような事を口にしたところで皮肉以外の何物でもない。
対等の関係を築くことが可能ならば、それに越したこともないのだろう。
俺は一拍置いて、改めて彼へ訊く。
「――で、貴方の言う通り俺は偶然ここに来たわけではない。何か、心当たりでも?」
「ないわけもあるまいて。神よ、主は魔法学校で行われている戦に介入するつもりでいるんじゃな?」
彼は髭を揉む手を止め、そう言った。
成程。その台詞が聞ければ、十分といったところか。
「そうだ。どこまで知っている? 俺は、貴方は戦争が始まるよりもずっと前に殺されていると、そう聞いていたんだが」
「うむ。どうやら儂はクロードに殺されたようでな……主はその人物は知っているかの?」
「クロードに限らず魔法使いのことは調べているからな、捕捉は必要ない。それ以降の事情は知っているか?」
殺され、剥離した魂がここへ訪れたということは、真相はどうあれ現在の事情がどうなっているかまで正確に把握していないはずだ。
俺はこの場所へ訪れる寸前、状況だけ確認しているのだが――アレは少し想定を上回る事態であった。
ならば、それはこの場で共有しておかねばならないものだ。
「主こそ、儂を過大評価しておられるよ。魂だけでどうにかこうにか辿り着いた身であるからして、死んだ後のことは殆ど知らぬ。死肉はあちらで保護してある故、全く察知出来ぬわけでもないが……」
彼は難しそうな顔をして指を組んでいるが、その当たり前のような反応に、俺は思わず半笑いを浮かべた。
こちらから聞いた身で言うのもなんだが、死んだ時点で普通の人間は終わりだ。死後に魂魄だけで意識を保って動いたり、別離した肉体を使って現世の状況を確かめるなど、そんなものを頼りにするなど有り得ない。
俺もこちらの世界の常識、というより魔法使いの異常さに毒されてきた、というわけか……。
「もしや、こちらにまで届いてくる歪な魔力は……」
「そこまで分かっているなら良い、詳細はこちらで話そうか」
俺は彼の言葉を途中で中断させ、隣で集中しているガデリアを呼んだ。
それまであちらの世界をずっと覗き込んでいた彼女だったが、呼び付けること三回目でようやくこちらに気付き、嫌そうな表情でこちらの世界へと意識を戻してくる。
「……なんじゃ? 下らぬ要件だったら叩き殺すぞ、妾は今すごく楽しいんじゃ」
「お前に用件があると言ったな? その用を今より果たす、アリュミエール学長共々話がしたい。それにはお前の世界を視る力が必須だ」
「はぁ。それって魔神とか呼ばれとるアレのことじゃろ? 分かった分かった、んじゃとりあえず小屋入れ」
――既にそこまで見終えたようで。
ガデリアはちょいちょいと手招きをしつつ、ずかずかとした足取りで小屋の中へ入っていく。
俺がアリュミエールへ目配せをすると、彼は神妙に頷いた。
「魔神――のう」
何か引っ掛かりがあったのだろう。
小さく反芻するその姿を横切り、俺は此処に訪れる前、一時的に世界を経由し、確かに視たその光景を思い起こしていた。
「まさかリーゼが敗北するとはな……ヲレスの件があった以上、いつも通りに終わるとは思えなかったが。さて、どう対処するかな」
◇
世界を護る。
人を護る。
どちらも一見すると同じことのように見えてしまうが、そこには明確に違う点が存在する。
どちらも守護するという点に於いては同じであるが――護るラインが、異なるのだ。
俺は人の世を救うと決めている。
世界を護るのは大前提にありながら、その上で、人という種を守護することに重きを向けていた。何でも護るつもりはないが、種そのものが滅びてしまう事態が起きれば俺は必ず駆け付ける。
その世界だけではどうにもならない事態になった場合のみ、俺達神は現れるのだから。
世界が滅びようとするならば人に手を貸し、それを防ぐのが俺の役割だ。
だが女神はそうではない。
最終的に世界を救うという一点だけは俺と変わることはないが、その仮定に於いて人間を救うといった方向性は持ち合わせておらず、だから彼女は時に人を救わない。
そして世界を救う過程は全て、彼女の気まぐれにて行われる。
ただ助けたかったからという理由で助ける。
ただ気に入ったからという理由で助ける。
ただ可哀想だからという理由で助ける。
俺という人間を神へ昇華させたのも、アウラベッド達魔物に肩入れをしているのも――同じ気まぐれ。そうなった場合に他の種の存続など勘定に入れずに世界を護ってしまうのが、彼女だった。
それが本来の神というものなのだろう。寿命もなければ死ぬこともない、元来生物ではない神にとって、生物なんてのは生きようが死のうがどうでもいいのだ。決して興味がないわけでも逆に悪感情があるわけでもないが――彼女という神にとっては、生物は生物でしかなかった。
そこに生きているだけでは差異はない。肩入れする場合は俺のように――別の要因に惹かれて初めて他の生物との差異が生まれる。
そこが、元来人であった俺と、神であった奴との違い。
奴は俺の感情を知ったところで、変わらず己の裁量で滅びる世界を救い続ける。彼女にとっては俺以外の人間などどうでもよかったから。
そうやって、覚えていられないほどに、記憶していられないほどに、幾つも世界は救われた。
ただの人間であった俺がそれに耐えられるはずもなく――そうして、俺と奴は対立したのだ。
だからなのだろうか。
俺が、今でも意固地に人間という種を救い続けているのは――。
――けれど。
俺が人を救うのが何故なのか、救っている張本人の俺が分からなかった。
きっと、最初は俺自身に固い意思があったのだろう。
人間だった頃の俺が家族を護ろうとしていたように。
人間という種に、何か特別な感情を見出していたのかもしれない。
だがもう思い出せない。
俺は人を救うために人を救っている。
彼女も、最初はそうだったのだろうか。
永い時を過ごして記憶が擦り切れてしまった俺と同じように。
と。そのようなことを考えると、胸の内が痛んだ気がした。
ぽっかりと空いた心の空白。空虚な寂しさが、どこか俺の中を流れている。
◇
「――つまり。このまま放置すると世界そのものが滅びる、ということじゃな」
ガデリアはお茶をずずずと啜った。
静かな空間の中、ことん、と木製カップがテーブルに置かれる。
「あの魔神は万全な勇者でないと倒すことが出来ない程に強大な相手じゃ。現勇者ラーグレス・リーゼが敗北を喫した今、他に魔神と戦える役者は……」
「味方側にいる魔法使いが束になったところで歯が立たんだろうな。首謀者であるクロード・サンギデリラが余力を残す以上、魔神へ辿り着けるかどうかも怪しい」
俺は言う。
最強の魔法使い集団をして、魔神とはやり合えないと。
さて状況の方を纏めると、現段階の時点で魔法都市と神聖教国の戦争は終わりを告げていた。
――数多の魔法使いの屍が築かれ、神聖教国全軍が魔神へと取り込まれるという最悪な状況で。
残った戦力は中央大陸からやってきたサーリャとリーゼの二人によって纏まり上手いことクロードの真相に辿り着いたようだが、既に遅い。
「しかし、目的が〝神を呼ぶ〟とは……十中八九、主のことじゃろうが。彼奴めはそんなことをしてどうすると言う?」
「知らん。だが独力で俺達に辿り着いたということは――中々に埒外な魔法ではあるようだ。今までクロードとやらが何を視ていたのか、ともかく俺が直接始末を付けるのだけは不味いだろう」
俺の力を与えて拡張したガデリアの力により、過去と現在までの状況を全て見終え、クロードの目的は判明している。
となると、俺が出て行って力を行使するとクロードの思う壺だ。元より俺本人が魔神を片付けることなどしないしできないが――例えばリーゼに仕掛けられている細工を取り除いて魔神を討伐させる程度は可能である。
しかし、それはクロードの予測の範疇であるはずだ。
正直に言ってしまえば俺の行動をクロード如きが阻害出来るとは全く思わないのだが、相手の札が分からない内にこちらの札を開示はしない方がいい。次元を渡り、神という存在を感知している存在だ、一切の慢心も油断も排除した上で事に当たる必要がある。
その為、俺は彼の予測から外れる一つの打開策を思いついた。俺が持つ手札を開示しないまま、クロードにとって最悪の結果を齎す策。
「――そこでガデリアだ。お前に、魔神を討伐して貰いたい」
「……ふん。まぁ、そうじゃの、そう来ると思っとった。じゃが妾は外には出られぬぞ? 前にも言ったがな」
彼女は忌々しげに吐き捨てた。
「あの魔神の素材に使われているのは〝原初の魔法使い〟。妾をこのような存在へ変えた者本人だということは判明している。アレが世界に存在する以上、妾が出られる条件は一つクリアしているが――残念なことに、勇者は世界に一人しか存在できん」
「そうなのか? これでも百年生きているものだが、勇者について知ることは少ないからのう……」
「ははは妾はその数十倍は生きておるからな、とはいえ妾はぴっちぴちの美少女だけど! なぁレーデよ?」
俺はガデリアの台詞を無視した。
「勇者が何故あそこまで突出しているのかは、蓋を開けりゃ単純明快だ。――アレは、この世の全生物から力を少しずつ受け取ることで得ている。そうだな?」
思えばリーゼの強さは最初から異常だった。
戦えば誰が相手でも無双するだけの強さを誇り、絶対に負けることがない。
女神の加護を授かる魔物が相手でさえリーゼには及ばないのなら、勇者という力の根源に見当は付くというもの。
ほとんど世界そのものを相手に、たかだが人間一人が敵うわけもない。
一人しか同時に存在できないのは、そうでなければ力の維持が出来ないからだ。
仮に同時に二人が勇者になった場合――世界から得られる力の供給量が不足し、世界を守護するに足る力が得られなくなるということ。
だから二人同時に勇者は現れない。
「このヤロ……まあいいさ、そうだそれで合ってる。じゃから妾はあちらへは出られん。出られたとしても、此処とは違って世界へ降り立てばその機構に異常が発生するんだよ。今は別の世界という体で干渉を免れているが、向こうへ行けばどう足掻いても回避は出来んのじゃ。この問題をどうクリアする?」
「では、そこは俺がどうにかするとしよう」
元よりそうするつもりで此処へ来た。
俺が持っている権限は女神と全く同じ物。制限はあれど劣化はなく、持たされている力は紛れもなく神のそれ――即ち、力を下賜する神の権能だ。
元々、俺達は自らの手で生命に終止符を打つことは出来ないようになっている。それを俺は自らを人間と定義し世界に紐付けることで可能にはしていたが――どのみち、権能は同格以下の存在に対しては直接的な攻撃手段を取れない。
女神が世界を救う際、自らの手でそうしないのは、できないからだ。その為、女神はその世界の何者かを駒として動かすことで世界を救う。
「この小さな世界に縛られているのは代償だと言うが、お前のその力は他の勇者とは違う。お前だけは世界を護る装置ではなく――あの原初の魔法使いを殺す為の装置だ。その後に代々続いている勇者はお前という装置を元にし、護る範囲を広げて運用されているだけだろ」
「いやそこに何の違いがある? 同じ原理で動いてる以上は定められた役割は関係しないじゃろ? 前提として力が足りないんじゃどうもならんわボケ」
「同じ役割ではないなら同じ機構を利用する必要はないわけだ。お前とそれ以外は、そもそも別の勇者なんだからな」
思えば違いは最初からあった。
ガデリア以外の勇者が死後このような空間に幽閉されていないのは、役割を終えて死ぬことが許されたため。つまり、ガデリアが生きているということは――彼女の役割は、本当の意味で終わっていなかったことになる。
原初の魔法使いが魔神として動いている以上、あの時ガデリアは目的を達成し切れていなかったのだ。
殺したつもりが殺せていなかった。原初の魔法使いが魂だけでも世界を漂流することが出来たのならば、死んだのではなく封印されていただけであるのならば、ただ力を使えないだけでどこかへ眠っていただけなら、ガデリアにはまだ役目が残されている。
これまでガデリア・ソード・ソラウディアという勇者が中途半端に現世へ留まっていたのは、原初の魔法使いがまだ何処かへ遺っていたからであろう。
生きている以上は、ガデリアは世界へ戻ることも出来るはずなのだ。
それが行えないのは、ガデリアに宿るべき勇者という能力がそちらへ強制的に委譲されているから。後続の勇者の役割が変わっていることを考えれば、二代目以降はガデリアを基盤とした別の魔法による結果だと考えるのが自然だ。
まぁ、実際にはそうでなくともいいが。
要はガデリアが他とは異なる機構で動いていることだけが確かであればいい。
「――つまり、だ。お前の能力の供給源は俺がなってやろうと言っている。此処でどのような準備を行おうが、こちらの世界で済ませてきた物にクロードは関与できん」
「いやいやいや馬鹿を言え。目を欺くことはできようが、世界の全てをお前一人で賄うとか何考えとるんじゃボケカスめ。いくら神だなんだとは言ってもっつうかそもそも! ありゃ一人の人間のみを対象として機能しているわけじゃないんじゃぞ!」
「俺に魔法のことを聞かれてもな。結果は分かるが、魔法の原理など正しく理解してるわけなかろう」
「じゃあなんでその話をしたんだぶん殴るぞお前マジでこの野郎!」
ガデリアは叫ぶが、俺はそう問題視はしていなかった。
何せ――この時は永久に流れるゼロの狭間だ。
いくら時間を使おうとも、世界に時は刻まれない。
まぁ、今更ではあるが、時が進むといった表現も人が共有している概念でしかないのだが。この言葉は、世界が変化していくことの説明をするため、歴史を歩む知性体が時間と表現しただけに過ぎない。
この小さな世界は過去から現在に至るまでの全ての時間と接続されているが、厳密に言えばそれは時間ではない。現実には現在という時間だけが実在している――過去があると錯覚してしまうのは、ガデリアが持つ能力故であろう。
ともあれ、だ。
動かない時間というものが折角此処にあるのだ、何度も言わせて貰うが活用しない手はない。
「そこに〝万能〟の魔法使いがいるじゃないか。そして時間は無限にある。ならば勇者という仕組みを今から解明し、機構を書き換えるくらい――可能だろう?」




