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トラベラーズ・レコード  作者: くるい
至るべき世界
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八十四話 魔神

 乱戦も乱戦、防衛戦は混迷を極めていた。


 敵味方関係無く放たれた攻撃を躱し、時には防ぎ、跳ね返して反撃を加えつつ――ギリアムは槍の如く敵軍勢の奥へと突き進む。戦闘の合間に練成した刃が暴風のように周囲を切り刻んでいた。

 ディッドグリースは何度も致命傷を受けながら呪縛を発動させ、失った部位を次々に敵から補充している。終わりの見えない攻防――しかし敵は、臆することなく、怯むことさえなくディッドグリースへ襲い掛かっている。感情という感情が見られない、そんな動きだ。ディッドグリースはそれがどうしたと言わんばかりに戦い続けているが。


 そして、虹色の魔力を纏うリーぜが豪快かつ繊細な剣捌きで敵の魔晶を砕いていた。四方八方を取り囲まれても剣の薙ぎ払いで道を作り、目にも留まらぬ速度で切り伏せていく。

 ――その全てが相手を殺さない形で。だから彼女の周りだけは、死体が一つも存在していなかった。

 いっそ異常とも取れる光景だが、それが勇者のやっていることならば――納得の一言であろう。


 それらの戦況を俯瞰しながら、後方の空中に浮かぶサーリャはひたすら魔法陣を展開し続けていた。魔力を次々に練り上げる肯定を順調に済ませつつ、思考の海に意識を浸す。


「しかし、分からないわね」


 それは当然、魔物側として活動をしているクロード・サンギデリラのことである。

 操られている。零したのはサーリャだが、そこには不可解な点があるからだ。


 厳密に言えば、魔物は人を操っているわけではない。人を利用して結果的に――そういう動きを確かに見せてはいるが、人を洗脳して自らの手駒としている様子は今まで一度たりとも確認はしていなかった。

 あの奴隷商にしたって、アレは自らの意思で魔物の力を取り込んでいたに過ぎない。


 そしてクロードが操られているというのなら、もっと直接的かつ効率的な方法で人間を殺しにきているはずなのだ。あの化物の召喚や魔晶の暴走体はご立派なものだが、人の滅びを最優先した設計ではない。

 そもそも魔物側には自身の手で人を殺めるつもりが全くないのだ。少なくともギルディアはそうだった。彼が人を殺そうとして活動をしていたならば中央大陸は更地になっているし、サーリャもあの場所で戦っていたのならばこの世にはいない。

 そして、手段に相違のあるアウラベッドですら積極的に人を殺そうとはしていないのだ。


 そんな魔物が――このような手で、殺戮の計画を企てるだろうか。絶対にないなどとは言い切れないが、そこが引っかかる部分ではあった。

 魔物はこの世界から自分たちを解放されることを望んでいるのであって、それは決して人類の絶滅などではなかったはずだ。

 何かがおかしい。今一歩辿り付けない、もやもやとした感覚。


 ――けれど。時間は答えをくれるまで悠長に待ってはくれない。

 三人を狙っていた内の幾つかが空中のサーリャへと狙いを定め、膝を折り曲げて跳躍の準備を行っているのが見えた。たかが跳躍にとんでもない魔力を内包しているのを感じ取り、サーリャは顔を強張らせる。


「これ以上は溜めても制御が不安定になるわね――放つわよ、各自回避なさい! 《イグナイト・ロア》!」


 サーリャを除いた全員が前衛職のため、必然的にサーリャは後衛を担当するのがベストである。


 ギリアムは準前衛、但し錬金術自体が戦闘に秀でているわけでもなく、大規模な魔法を扱う側には回れない。

 そしてディッドグリースの戦法にはご覧の通りに仲間を考慮した戦い方はしていないし、これまで全てを一人で斬り伏せてきたリーぜに至っては、連携を取らせるよりも自由に暴れさせた方が力を発揮するからだ。


 とまあ。色々言ったもの、他の三人には戦略という戦略がないので自分がやるしかないわけであって。


 サーリャはそれまで魔力を流し込んでいた術式を、全て起動した。足元と宙まで描かれた魔力の線が色濃く光り――己の頭上に炎の球体を浮かびあがる。

 そしてサーリャの周囲を守護するように、数千度を超える火槍が青白い魔法陣から生み出された。


 数にして五十。

 本来詠唱魔法では一本の火槍を打ち出す為に出力するものを、魔法陣で重ね掛けを行うことで無理矢理増幅させたのだ。


 だが、流石にこの数はやり過ぎたかもしれない。魔力がごっそり持っていかれている。

 肉体の虚脱感が酷い。脳の大半を魔法制御に費やされ、魔力を直接手繰って押え付けている四肢にも震えが走るのを感じていた。


 未だかつてやったこともない魔法である。それはそうだ、魔法陣を敷いた魔法の大体は初見でやるしかない――練習する機会などあったものではないからだ。だが、それでも成功させるのが最上位の火の使い手としての矜持である。


 それはファイアを魔法陣に組み込んだ時とは比べ物にならない高威力で、結果として魔晶に阻まれた敵をいとも簡単に焼き滅き尽くした。

 サーリャに飛び掛ってこようとしていた敵は先端に掠っただけで半身を黒焦げに焼き尽くされ、残る全ての火槍を浴びた敵軍は大地ごと抉って爆散する。


 もうもうと燃え盛る煙の遥か上で、サーリャは荒い息を吐きながら額の汗を拭う。


「私はリーゼみたいに丁寧に気絶させることなんかできないけど――っは。手加減とか、流石にできないわよ」


 ぐじゅり。

 黒焦げにしたはずの組織が蠢き、肉体が再構築されていく――おぞましい姿。

 その一部始終を見て、流石のサーリャも苦笑した。


 人間どころか普通の魔物が受けてさえ即死する威力だったが、よもや炭化した肉体から再び這い上がろうとするとは。

 核となる魔晶ですら溶かしたはずなのに。


 こうなると一体どうやってリーぜが剣技だけで気絶させているのか不明であるが、それは今更考えても仕方ない。


 サーリャは息を整え、次の魔法陣を展開する。

 込める魔法は《ファイアーバード》。

 命令された行動通りに動作する半自立式擬似魔法生命体。炎の魔力で構成され、その身が燃え尽きるまで敵を攻撃し続ける極めて強力な魔法――その重ね掛けだ。

 単発攻撃魔法が通用しにくいことは今の《イグナイト・ロア》で証明された。ならば必要とされるのは継続的な火力。

 再生するならばその上から焼き尽くせばいいだけのこと。


「《ファイアーバード》!」


 制御に喰う魔力の関係で数こそ火槍よりも劣っているが――それでも十匹。

 太陽の輝きを放つ炎の鳥が天高く吠えるると、広げられた両翼から熱線を放射して、其々がサーリャの周囲へ展開した。

 それらは中空を自在に飛翔して敵軍を片端から喰い千切り、焼き払い、炭と化した肉体ごとばらばらに粉砕していく。


 ――流石にそこまでやれば、回復はしないようだ。

 朽ちていく姿を目に焼き付け、サーリャはぎりぎりと歯を噛み締める。しかし、容赦なく焼いていく。

 殺していく。それしか手段がないから。


「胸糞悪いわ、ええ、ええ、人を殺す……そりゃあ、はじめてじゃないけれど」


 自らの意志すら失い、戦闘の人形にされた敵。

 倒しても魔物が如く再生するというのなら、殺すことでしか止められない。


 魔晶のみを完璧に打ち砕くなど勇者以外に出来る芸当ではないのだから――焼く。燃やす。溶かす。灰にする。

 全部、全部、魔力の続く限りに無慈悲な殺戮を繰り返す。


 ギリアムもディッドグリースもリーゼも、勿論サーリャも。相手が何であろうともその動きに一切の淀みはなく、衰えはない。

 ――当然敵は、それでも逃げない。命令通りに動く炎の鳥と同じだ、死ぬまで無感情に四人へ挑み続けてくる。

 数の差は数百倍以上。けれど最高峰の魔法使い三人と勇者を相手にするには、それでも数と質が圧倒的に不足している。再生力こそ化物染みてはいても、彼らは次第に押されていった。

 そしてトドメとばかりにリーゼが魔晶を破壊していき、着実に敵の兵力は消費されていく。


「まぁ、問題はこっちじゃないんでしょうけど」


 戦いにかまけて疎かにしてはいけない。

 これはあくまでも前座であるということだ。これはこちらの陣営に準備をさせないための消耗戦であって、本命は別にあるのだということを。


 化物は、すぐそこまで近付いていた。

 とはいえ姿が大きすぎるため、距離感はあまり掴めないけれど。最後の一体が潰えた傍からファイアーバードを補充しつつ、サーリャはその姿を見上げる。

 ――それは既に、都市の入口まで侵入していた。赤黒い肉体が家屋を木っ端微塵に粉砕し、最初の一歩目を踏み出す。

 まるで死のカウントダウンだ、と地響きを肌で感じながらサーリャは一人ごちる。


 皆、戦っている。あの化物に準備を割く余裕がない。

 それだけ、この魔晶化の軍隊がこちら側に効いているということだ。


「……ま、これも私だけよね」


 魔法の維持をしつつ、サーリャはこれまで頭上で肥大(・・)させ続けていた炎塊を一瞥する。

 大きく膨れ上がったそれは、今やサーリャの全身を呑み込んで余りあるサイズまで凝縮されていた。

 それだけの魔力を継続させるために使用している魔法陣は四枚。四方向から挟み込む形で炎塊を取り囲み、絶えず魔力を供給していた。


 ――ファイアーバードと同系統の、遥か上位に位置する最上級火魔法の即席アレンジ。地形一体を焦土へ変えてしまう殲滅級魔法。


 だがこんなことをしたのは当然、初めてだ。

 魔法陣を使う使わない以前に、普通でもこんな魔法は起動しない。対人でも対魔でも、ここまで悠長に詠唱させ続けてくれる相手などどこにもいないのだから。


 そして、これは殲滅級魔法とも言えなかった。

 元々が戦略級だったものをサーリャが書き換えて無理矢理改造したのだ。用途は、強力な個体へ対する大魔法。それを、魔法陣で増幅し――ぶつけるのだ。


 前衛の三人にはできなくても、固定砲台として後衛にいるサーリャだから行える。そして絶大な魔力を持ったサーリャにしかできない。


 これが、サーリャの出来る最大限の準備と勝算だった。

 正直に言って成功するかは不安だ。イグナイト・ロアやファイアーバードとは比べるべくもない最大難易度――けど、少しでも成功率を上げる為に、段階を踏んで幾つかの魔法を放ってきた。

 数々の戦いで魔法陣を身体に慣らしてきた。これ以上は望めない。

 今更ここで、失敗などあり得ない。


 迫る敵軍を追い払い続けながら、ついに完成した()()に術式を送り込んだ。


「――燃やせ」

 加えて詠唱を追加する。

「生きとし生けるものへ、遍く火を授けし神よ」

 炎塊が発光し、魔力のエネルギーが一箇所に集約する。

「――燃やせ」

 それは己の全ての魔力と引き換えに。

「神仇なす者へ救済を、神火の奇蹟を今ここに」

 組み上げられた火の魔力の束が、魔法陣の中へと吸い込まれる。

「――燃やせ!」


 頭上の炎が――巨人の姿を象って。

 さあ、最後の一節を。




「させるわけもないだろう」




 ――それは漆黒の一閃に防がれた。

 空を裂いて亀裂を生んだそれが、詠唱に全集中力を費やしていたサーリャの背を穿つ。

「……っが!?」

 息を止められたサーリャが、最後の一節を紡ぐことはなく。


 制御下から外れた魔力が暴発して、辺り一帯を焼き尽くした。





 ◇





 大地が焼け焦げている。死体が散らばっている。

 ぐじゅりと肉片の蠢く死地に、黒装束が一人。

 黒に塗られた短い刃物を逆手に、倒れ付す赤いローブを見下して言い放つ。


「警戒を解くなと言われていたが――正にその通りだ」

「あん、た――あの、時、の」


 ぼろぼろのローブを羽織い直し、サーリャは爆風に傷を重ねた身体で立ち上がる。

 睨み付ける先は――先の樹海で命を狙ってきた、一人の女。魔力のない、気味の悪い()()()


「魔法陣、なんて恐ろしい力だ。独力で()()へ至ろうとするなど、やはり化物の所業。この化物が、今度こそ始末してくれる」

「――《ファイア》!」


 右手の平から放った火球はいとも簡単に回避される。

 サーリャは不味いと歯噛みした。


 詠唱に失敗して魔力を殆ど失い、残ったのは出力しなかった残りかすだけ。魔力もない魔法使いに価値などなく、戦える道理もない。

 ――こんな時に、現れるだなんて。


 全く予想していなかったわけではなかった。何故ならあの時アレは襲ってきたのだから。

 だが、あの魔法を受けて無事に生きていられたとは……それは、違う。

 アレで死んでいないことなど分かっていた。けれどこの魔力濃度の中、化物と魔晶の軍勢に加えて黒装束にまで回せる余力などなかったのだ。


 気付けもしない攻撃に出来る対処などなかった。

 最低限の防御魔法だけ張り続けて挑むしかなく、だから来ないことを祈っていた。それしかなかったから。

 ――現れないはずがない。


「サーリャ!」


 身を翻したリーゼが黒装束へ斬り掛かる。横薙ぎに振りぬかれた神速の一刀――黒装束は空中へ飛んでこれも難なく躱し、後方へ回転して着地する。

()()――これも警戒しろと言われていた。この、化物共めが」

「あなたは、誰なんですか!」

 仮面を失った女の顔は見えている。彼女はにたりと唇を歪めて、殺意をこちらへ向けて。

()と聞かれても知らない、私に持ち合わせる答えはない。お前もお前も私は知らないし、それはお前達も同じことだ!」


 黒装束の姿が掻き消える。

 一度動きを見ていたサーリャだけがその危険性を一早く察知し、叫ぶ。

「後ろよ!」

 リーゼの背後、漆黒の剣閃が踊った。

「な……っ」


 ――しかし驚いたのは、黒装束の方。

 背中から心臓を一突きする一撃が、後手に回された剣の軌道に弾かれたからだ。

 くるくると回った漆黒の刃が地面へ突き刺さる。

「……今の、は」

 背後へ反転したリーゼは()()()()()()()()()()()驚嘆しながらも、崩れた体勢を一瞬にして立て直す。


「今のを避ける? 冗談じゃないね」


 再び掻き消え、今度は右方から投擲された刃をリーぜは斬り払う。

 直後に黒装束がリーゼの死角から現れ、首筋へ延髄蹴りを落とす。

 普通ならこれで終わりだ。片方を避ければ片方に隙が出来る。

 だが、勇者は例外だった。


「二度目は……通じない!」

 有り得ない挙動身体機能で肉体を駆動させ、リーゼは背後から来た筈の蹴りを()()から受け、左拳の突き上げで脚の軌道をずらした。黒装束は跳ね上げられた勢いで宙返りし、逆脚を頭部へ差し向ける。


「《ファイア》!」


 その胴体へ火球を直撃させて黒装束をリーゼから引き剥がした。合わせてリーゼが一歩踏み出し、右の拳でストレートを胸部に打ち込む。

 虹の魔力で強化された拳が、ぺきぺきと肋骨を砕いて地面へ叩き落とした。


「がはっ――」


 引き摺るように地面と接触して転がり、黒装束が動かなくなる。


 ――だが。

 びくん、痙攣した肉体から()()()()が噴出して、瞬きするような時間で外傷を縫合してしまった。ゆらりと再び立ち上がった黒装束が、にたり、笑う。


「やっぱり、そうなのね……ってことは、こいつも」


 今ならはっきりとその魔力が見える。

 黒装束から立ち昇る赤い魔力は、それらは他のよりも密度が高く、強固な気配を纏っていた。

 暴走体ではないのだろう。あの時戦ったノアという少女と同じ――胸の魔晶が、肉体と完全に同化している。


「……フン。目的は達した」

「アンタ……何したいわけ? アンタの背後にいるのは()()()()なんでしょ」

「フフフ――アハハハ、クロード、そう、私はクロードの配下だね。それがどうした? ここで死ぬ奴らがそれを知って!」

「アンタが小国の人間であることは分かったわよ――お仲間が死んでるけど、その辺どうなの?」

「仲間……仲間? いいや、こんなものは()()()()()()()()()()()()()()()奴らに何を感じ入ることがあるものか」


 散らばるゴミを見るように散乱する肉片へ視線をやり、足元の死体を踏み潰した。

 黒装束のその態度を見て――サーリャは憤慨する。


 まあ、いい。最初から神聖教国側に内通者がいたことも確認が取れた。この黒装束一体ではないだろう、だから戦争は発生したのだ。どちらの指揮系統も握られていたのならば、どのみち回避することもできなかった。

 サーリャがいくらどれだけ頑張って止めに来たとしても、結局似たような事態は引き起こされていたのかもしれない。


「あなたは逃がさないから」


 けたけた笑う黒装束へリーゼが飛び込む――が、今度こそ黒装束は撤退する。

 退避した位置は空中。

 嫌でも二人が視線を合わせた先、そこにあるのは――。


 化物が。

 黒装束が()()と呼んだその巨大な魔物が、前方の視界を全て埋め尽くしていた。


「役目は果たした。化物とこれ以上じゃれ合う趣味も無い、死んで()()()()()()

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