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トラベラーズ・レコード  作者: くるい
至るべき世界
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七十九話 そして戦は終わりを迎え



「――そう。じゃあバロックはこの付近で魔物またはそれに準ずる者は見ていないのね」


 サーリャはそう言って、明後日の方角を睨み付けた。


 この戦争は本来行われる通常の争いとは決定的に違うものだ。戦争とは必ず利益があるもの、勝てば明確な利益が発生するから行うものだ。土地を奪うでもいい、脅威を退けるでもいい、食糧を奪うでもいい、自由が確保されるでもいい、何かの利が生まれて初めて戦争というものは成立する。


 けれどこれは、小国が勝利したところで何の益も生まれない戦争だった。宗教絡みの確執や溝も相当に深かったのは認めるが、それでも今になって攻め込む選択が、通常考えられるものであるとは到底思えない。


 勝とうが負けようが死者が重なるだけだ。無意味な死体が量産され、人類が衰退するだけの選択だ。

 魔法都市が滅べば殲滅していた魔物がより世界へ蔓延り、同時に小国が自らの戦力で守っていた土地の守りも手薄になるだけである。


 人間同士で争う余裕など今の世界にはない、そんなことは誰しも理解しているはずだ。習うまでもなく身に沁みているはずだ。

 宗教感の違いから、目立って敵対もしていない遠方の『魔法都市』を墜とす為だけに、戦争を起こす理由など欠片もありはしない。思想の対立以前の問題に、今や人と人とは協力せねば生きてはいけない時代になっている。


 だから――不自然な戦争の裏では魔物の手引きがある、そのはずなのだが。

 気配がないとすれば、意図的に姿を隠して見つからないようにしているのだろうか。


 誰に? 決まっている、姿を隠すほどの相手は魔法使いしかあるまい。不自然な事情を洗われて尻尾を掴まれれば、計画が崩れてしまう恐れがあるからだ。

 サーリャは奥歯を噛み締める。


 鼻が利くバロックで見つからないなら、相当慎重に事を進めているのだろう。

 ボロが見えなければ切る札も生まれない。


 リーゼを抱く腕に力が入る。ぎゅっと強く彼女を抱き締めるようにして、サーリャは緩やかに視線をバロックへと戻した。

 やはり自らの探知にも何かが引っ掛かる気配はない……当たり前だが。


「なんで魔物なんだ? 魔物除けの障壁も張ってるんだから気にする必要ないだろ――あ、でもそうでもないな」

「うん? 何か気になることでもあるわけ?」

「アリュミエール学院長が殺されたんだったな。魔物に」

「……え?」


 バロックがさらっと言ってのけたその言葉に、サーリャが硬直するのは至極当然のことだった。


 魔法学校の創設者で老齢の豪傑。体系として確立される魔法の全てを網羅し習熟した稀代の天才にして《万能》の魔法使い――それが、死んだ? そんなに呆気なく?

 動揺を隠せない。サーリャは目を見開いて問い詰める。


「う、嘘でしょ? あのジジイが死ぬだなんて」

「俺は嘘吐かないぞ。学長は戦争が始まる前に学長室で死んでたって。クロードが解析したみたいだけど、魔物の痕跡があったって言ってたな」

「――なんでそれを最初に言わないの!? でも、魔物――可能性としてはなくはない……うん、もう大丈夫。ちょっと待って、整理する」


 魔法都市周辺は魔物からしてみれば強固な要塞にも等しい。近付くだけで消滅するだけの防御術式が常時展開される都市に魔物が立ち入ることなど出来るはずはなかった。

 普通の魔物(・・)ならば。


 万全のリーゼに喰らい付くだけの魔物なら――ギルディアのような神が造りし魔物が相手なら、防御術式も障壁も全て紙屑と一緒でしかないと理解が出来る。魔法使いだって、一人ではあの魔物達には勝てない。

 しかし、それでも信じられない。サーリャは眉をひそめる。


 学長は表にこそ出ないだけで、《万能》と呼ばれるに値するだけの魔法使いだ。

 時空を割ったり時間を飛び越えたりこそできないものの、少なくとも魔法書に記載されている魔法に関しては全て完全に自らの物とした本物の天才。魔力量も戦闘技能も経験も桁違い――そのどこまでも正道を征くその戦い方、奇など衒わないその戦い振りは、他の魔法使いが誰も到達し得ない高みへと在ったのだ。

 そんな魔法使いの彼が、そう簡単に殺される?


「……ジジイは、戦って死んだの?」

「分らない。でも死体はあったと言ってたな……暗殺か? 俺も死んだとは思えないな、老いぼれの癖に強いし」

「死体? 有り得ない――」


 ――とは、言い切れないけど。

 学長が存命していたら確かに邪魔にはなるはずだが、殺すとなれば相応の被害が魔物側にだって出るはずだ。

 何より例の魔物の一匹であるギルディア(・・・・・)は、サーリャを殺さなかった。


 なのに学長はその手で殺した? 何故? 理屈が合わない。人同士で殺し合いをさせるなら、そこに彼らが直接加わる道理はないはずだ。

 学長が居ると戦争が成り立たないから殺した? 確かに学長ならば一人で封殺してしまえそうだが、いや……一番の狙いは――火種、か。


「――なら、私達の逃げ場を失くしたのね。ジジイを殺した直後に戦争を起こすことで、魔法使い側の選択肢を狭めた。知性を持った魔物(・・)という概念がない以上、小国の仕業だと結ぶしかないから、私達は何の迷いもなく交戦を選択するのだろう――へぇ、最初から詰んでたってわけね」

「なんだよ? 急に独り言なんかして」

「なんでもないわ、アンタに言ったってどうせ分からないでしょ」

「馬鹿にしてるのか? まあ、小難しいの苦手なのは認めるけど」


 しゅん、とバロックは口をすぼめた。

 野性の獣然としたこの男がやると妙に不気味だが……。


 ともかくも、色々な情報を彼から引き出せたのは収穫であった。彼がいなければ何も分からないまま先へ進むしかなかったのだろう。その際の自分がどうなっていたかはあまり考えたくもない。

 無意味な虐殺は御免だ。


 とはいえ状況が好転したわけでもないけれど、やるべき方向は見えてきた。

 サーリャは礼の意味を込め、改めてバロックへ頭を下げる。


「お、おい。何も謝るほどのことでもないだろ」

「違うわよお礼よお礼! 教えてくれてありがとうってこと! 来たばっかりだから全然分かんなかったのよ私は」

「なんだそんなことか……お礼は手合わせで頼むよ」

「嫌、アンタとは絶対やりたくない」


 きっぱりと拒絶し睨むと、バロックは渋々といった様子で引き下がってくれた。それにはサーリャも安堵して、今後の方針を練り直すべく頭を回転させる。


 ――果たしてどうやって学長を討ったのかは不明である。けれどあの魔物であれば殺害は可能な事であり、ならば死んだ前提で話を進めよう。

 つまりは、常識人かつ魔法都市の実質的な王としての役割を果たしていた学長が死んだ以上、停戦協定など夢幻だ。


 加えて、既に残党とはいえ敵の全滅による終結も望ましくはなかった。

 それでは魔物の思う壺で、けれど戦争は避けられない。ならば今取る選択肢は……一つしかないようだ。


「――ねぇ、頼みがあるんだけど」

「俺からの頼みは聞かないのにか? 都合のいい奴なのか俺は」


 そこまでして戦いたいのか、と苦笑を浮かべる。

 するとバロックは真顔でこう言い出した。


「だってお前、強くなってるだろ。()りたいに決まってる」


 それはどういう意味(・・・・・・)で言っているのか。確信的な台詞ではないのだろうが、野性の勘は流石に鋭いらしい。

 ここは一つ自分が折れるとして。


「ああもう、分かった……分かったわ。でも今は急を要するの、今度考えてあげるから」

「本当か? 嘘だったらまた奇襲するぞ?」


 ――ぞっとしない。それだけはやめてと釘を刺して、サーリャはバロックへその頼み事を告げた。

 本当にここにいるのが彼で良かったとさえ思う――この作戦に限って言えば、バロック・ゲージという男は適任だ。役割としても、彼が純粋な戦闘狂であることも加味して。


「アンタには敵兵を無力化(・・・)して欲しいのよ。生かさず殺さず、命だけは奪わずに潰してきて。別に手足くらいは千切っても構わないわ」

「なんでそんなことするんだ? 殺せばいいだろ、戦っててつまらないのに手加減までしろってあんまりだ」

「ダメ、つまらないなら尚更殺さない(・・・・)べきだわ。殺しちゃうと相手は引くに引けなくなるもの」

「……そうなのか?」


 バロックは首を傾げた。絶対にそうなることが分かっていたので疑問を挟まないで欲しかったのだが――サーリャは苦い顔で言った。


「例えば、私が戦っていたらの話。味方が殺されたのなら迷うことなく敵を殺しにいくけど、味方が瀕死なら、私は助ける方を優先する」

「また敵が増えるだけだろ、それ」

「魔法使い基準ならそうね。でも私は回復魔法を使えるけど、相手側は魔法を使えない――使わない。つまりは原始的な治療しかできないの」


 包帯巻いたり傷薬を塗ったり、患部を縛って止血したり等、そこに兵力が割かれればそれだけ時間を要するわけだ。


 もしも彼らが負傷兵を無視して突っ込んでくるなら話は別だが、それでも意味はある。彼らの宗教があまりに刷り込みが激しければ、死ぬことすら美学であると考えていてもおかしくはないが――けれど、それでもいい。

 殺してしまわなければ、どんな形であれ生きてさえいれば、まだどうにかなる目はあるはずだ。その後の事はその後考える、今は今の事だけを。

 少しの停滞でも構わない。


 定石なんてのは言い訳でいいのだ、それで殺させないで済むのなら。

 ――敵は、人間じゃない。


「それに身近に迫った死や悲鳴ってのは、兵士を萎縮させるのにも有効よ。つまらない相手なら、適当に片っ端から殴り飛ばしてそいつらに恐怖でも与えてやりなさい、戦う意志を刈り取るのよ」

「はぁ。なるほど分からない。本当に有効なのか?」

「さあね。ただ殺すよりは意味あるっていうか……あぁもう! いいわ、言う通りにしてくれたら後でいくらでも私がアンタと遊んであげる! これでやる気は出るかしら」

「――分かった。言う通りにすればいいんだな?」


 ああ、サーリャは思わず額を押さえたくなった。

 リーゼを抱えているからそんなことはできないけど。


 バロックという男に論理的思考など求めてはいけない――何故なら彼は欲望に忠実だから。それを嫌というほど噛み締めつつ、結局自分が全折れしたことに深い溜め息と諦めの声を交えて、サーリャは脱力する。


「ええ、もう、好きにしなさい。ほら行った行った」


 手を払うまでもなく、バロックは肉体強化を全開にしてその場から離脱していく。言質さえ取れれば後はどうでもいいらしい。

 これで次会う時は戦闘を吹っ掛けられるところからスタートするのだろうが、とりあえず戦力だけは確保した。


 見えない位置から災害級の大規模魔法で皆殺しにされるのも大概戦意は削がれるはずだが、目の前でバロックに嬲り殺される――もとい瀕死に追い込まれるのは、別ベクトルで強烈な畏怖を与えることだろう。

 ああこいつらにはどう足掻いたって立ち向かえないのだと、そう認識してくれればいい。


 そして願わくは戦意喪失して逃げ帰ってくれることだが――叶わずとも、バロックに意識が向くだけで十分である。

 奥へ攻め込んで他の魔法使いに会えば、躊躇なく皆殺しにされてしまうから。最悪それだけは避けないと。


「ん、んう……っ」


 耳元でリーゼの呻きが聞こえる。辛そうに荒い息を吐く彼女の顔は蒼白で、体調がずっと不安定であった。既に幾つかの回復や解毒の魔法は試しているが、それも効果は見られなかった。

 きっと、彼女を蝕んでいるのは勇者の呪いなのだろう――力が扱えなくなってから、徐々に彼女の様子は可笑しくなっていったのだから。ならば治療出来る可能性があるのは、どこかに存在する教会の面々と――魔法使いに一人だけ、心当たりはある。


「大丈夫。私がいるからね……リーゼ。ゆっくり休んで」


 片手を空けて頭を優しく撫でている内、苦しそうな寝息も段々と落ち着きを見せる。彼女から漏れ出す灰色の魔力が無くなれば、寝息も通常時の状態に戻っていった。

 これらの症状は一定周期で悪化し、また一定周期で収まるため、しばらくは落ち着いた状態が続くはずだ。


「まずはリーゼが先よね。彼女(・・)に聞くのは心苦しいけど……やっぱり、頼むしかないのよね。呪縛の専門家――あの子、この都市にいればいいけれど」


 呪縛魔法、そんな魔法を専門にした魔法使いが十二人の一人に存在している。名はディッドグリース・エスト――専門というか、彼女自身が様々な呪いを受けている特殊な魔法使いだ。自身に刻まれた呪縛の解呪のため研究する彼女に、あろうことか別の人の呪いをどうにかできないかと相談するなど気は進まない。

 けれど、そんな悠長なことを言っている場合ではないのだ。


 利用するようで悪いが、彼女なら聞いてくれるだろう。

 癖は強いが、根は優しい子のはずだから。


 サーリャは絶え間なく(・・・・・)周囲を警戒しながら移動を再開する。目指すは当然、魔法都市だ。

 相も変わらずぐちゃまぜの魔力反応で状況が分からないが、近くへ行けば何かしらは索敵に引っ掛かる。

 サーリャは疲労した足に鞭を打って、樹海を突き進む。

 どこまでも足場の悪い天然要塞、本当ならば正規のルート以外を通れば抜け出せない迷宮の入口だ。魔力の探査なくして都市に辿り着けようはずもない、そんな世界をひた走る。


「ああ、もう。これじゃまるで絵本の中の冒険者ね……こんなご時世に山越えや樹海越えだなんて、我ながらよくやるわよ」


 ――それも余計な荷物まで抱えて。一応捕捉しておくと邪魔な荷物は決してリーゼのことではなく、レーデの遺した大荷物。捨ててしまわないだけ有難く思えと心の中で愚痴を垂れ流しにして、己の索敵を頼りに進む方向を決定する。

 だからだったのだろうか。ほとんどの知覚を魔法の制御に任せ、五感を疎かに――五感から得られる情報を下位に置いてしまっていたからか。


 首筋に這い寄る殺気(・・)へ気付けたのは、僅かに冷えた違和感のような感覚が発生した時だった。


「……っ?」


 咄嗟に身体を捻る。

 ぱっくりと斬り裂かれた右側の首筋(・・)から、大量の血潮が噴出していた。「――な」走っていた身体が止まる。そして即座に回復魔法を行使する。

 ――頸動脈が突然裂けた(・・・)のだ。

 前触れもない、何者かの気配もない。即座に回復魔法を使わねば、或いは咄嗟に躱す動作をしていなければ、今頃生首が地面へ転がっていた。


「確実に斬り落とした手応え――でも、外した。化物が」


 次いで発されたのは、怜悧に透き通る平坦な声。弓矢の様に真っ直ぐで無感情で淡々とした殺意がまず引っ掛かって、最後にその姿が視界へ登場する。


「――……化物はアンタでしょ。で、何者?」


 動揺を悟られぬように強気に出つつ、その様相を脳へ取り込む。


 見たことのない異装、黒装束。

 顔の下半分を仮面で覆い、漆黒の髪と瞳を持った先鋭な女だ。中指に引っ掛けるような形で構える暗器は持ち手も刃も何もかもが漆黒に塗られた得物で、切っ先からは血の雫が滴り落ちる。

 アレ(・・)で首を落とそうとしたのか。


 とにかく、不味い。

 つう、と背中に嫌な汗が流れるのを感じる。

 傷を癒したはずの首筋が、ずきりと疼痛を発した。


 この女、気配の一切が隠蔽されている。

 そこにあるはずの殺気が唐突に膨れ上がったり、完全に消滅したり、明滅する魔力灯のような不安定さで存在そのものが揺れている。

 まず真っ当な人間のそれではない。何より魔力(・・)で感知出来ない。魔物、それとも何かが違う。ならば一体、この女は。

 神聖教国の兵士側――にしても、余りに異質が過ぎる。


「死んで貰う」


 女はこちらの質問に答えることはなく、腕を振り上げて暗器を投擲(・・)してきた。

「――舐めんじゃないわよ」

 氷を盾に暗器を弾く。

 だが今の一瞬で女の姿を見失った。


 消えたのだ。確かにそこに捉えていた気配が消失している――どこへ隠れた?


 サーリャは瞬時に魔法での索敵を中断、五感での索敵へと切り替える。索敵の魔法が裏目に出ると考えての判断であり、その選択は正鵠を射ていた。

「そこ!」

 懐から抜いた杖に即席で強化を付与し、心臓を狙った黒刃と二度打ち合う。攻め切れずに女が後方へ飛び退いた隙を逃さず、足場ごと(・・・・)火魔法で焼き払う。


「《イグナイト・ロア》」


 高出力の火槍が大地を爆砕した。爆縮が周囲へ及び、巻き上がった土煙が天高く昇る。

 サーリャはリーゼを抱え直し、大きく跳躍する。出来る限り遠くへ、いくらなんでも片手が塞がったこの状態で、大荷物を背負ってリーゼを庇いながらあんなもの(・・・・・)と殺し合うのはナシだ。

 長期での近接戦闘は望ましくない、一撃離脱を。


「ああ、そこで逃走を選ぶ。殺されると考えたわけだ、つまり殺せる。逃がさないよ――魔法使い」

「でしょうね、追ってくるでしょうよ――《ファイア》!」


 今度は空中戦。火弾の雨を連射しながら逃げるサーリャを、木々を飛び越えて追い掛ける黒装束の女。

 その動きにはまだ余裕が見られる。

 魔法による攻撃に苦を感じている様子もなく、危なげなく迫ってきていた。距離は殆ど離れちゃいない。このまま逃走していても直に追い付かれる。


 サーリャは背後の樹木へ足を付けて逃走経路を変更した。斜め下へ飛び込んで再び地面へ着地し、下半身に肉体強化を加えて木々の間を縫うように駆け抜ける。

 背後にはすぐそこまで黒装束の姿が映っていた。変則的に逃げようが障害物を利用して逃げようが、女の方が有利というわけだ。

 更に言えばサーリャはこのような手合いを最も苦手としている。刺客(アサシン)に付け狙われる想定で魔法使いなどやっていないし、魔法のタイプもまた不向きであった。

 狙われたのがバロックであれば――いいや。彼が居なくなってから現れたということは、つまり狙っていた(・・・・・)のだ。


「《フレイムピラー》!」


 自分の周囲に円を描いた火柱を打ち上げる。

 大地も木々も焼き尽くしながら全てを燃焼させる炎の壁、これで敵は直接侵入することはできない。


 但し足は止まることになる。一歩も動けない以上は袋の鼠と変わらないわけで、炎の壁が収まった瞬間が分水嶺だ。

 敵は確実に首を落としに仕掛けてくる。

 しかしそれはこちらも同じ。


 右手に魔力を集中させる。青白い魔力が指先から流れると、それは地面に伸びて図と文字から構成された紋様を描く。

 魔法陣を魔力で描き組み上げた術式魔法。

 それらは地面だけではなく、複雑な紋様を中空に伸ばす。


 刻まれた魔法は火魔法上級難度のエクスプロージョン、氷魔法中級難度のフロストピラー、地魔法中級難度のグラビティ。言ってしまえば氷柱と熱を一つに纏め、圧を加えることで発生させる超規模の水蒸気爆発である――それを魔法陣で行使した時、果たしてどれだけ威力が増幅するかはサーリャにも分からない。

 何せ使ったことなどないのだから。だが、相手を撒く(・・)だけなら今はこれが最適解だ。


「リーゼ、ちょっとだけ我慢して……《プロテクト》」


 防御魔法を自身とリーゼに付与し、術式に全力の魔力を流し込む。

 そろそろ火柱が収束する頃合いだ。魔法による火は概念的には同じモノではあるが根本的な意味では〝火〟と同一ではない。火が木々に燃え移れば延焼は拡大するが、魔力の供給を断った際には通常の火よりも消えやすく脆い性質を持っている。

 それは火種がサーリャの(・・・・・)魔力に起因するからであり、木々や空気は火の魔力そのものを引き延ばすエネルギーとはならないからだ。


 よって魔力供給を断たれた火柱は徐々に勢いを弱めていく。火柱が形を喪失させ、炎熱は魔素を全て失い消失する。

 ――綻びとして穴の空いた炎の隙間を、漆黒の暗器が貫いた。

 サーリャが身構えたその背後に、黒装束の女が現れて。

 そこまで予測をした上で、魔法を展開する。


「これが私の魔法(・・)よ。喰らいなさい!」


 漆黒が喉元を食い破る寸前、青白い紋様が強烈に輝いた。


「――な」


 肌をも凍らせる冷気と、骨まで焼き尽くす炎熱が同時に起動する。それらは重力という殻に閉じ込められて反応を起こし――。

 刹那、互いの視界が光で埋め尽くされた。


 それは防御魔法の上から潰されんばかりの強烈な轟音と破壊の嵐を以て、サーリャごと周囲の何もかもをも吹き飛ばす。

 全身を壁に打ち付けたような痛烈な痛みを受けて、上下左右の感覚異常で吐き気を催して、どこか異空間にでも投げ出されたような浮遊感を抱いて――。


 ――少しの後。閉じていた瞼を少しだけ開けば。

 視界の遥か奥で、白いキノコ雲が天を昇っていた。


 つまり、爆発に打ち上げられて――今は空を、飛んでいる――状況は掴んだ。

 大規模殲滅魔法が如く地形を蹂躙する様を遠方から眺めて、行使した当の本人は苦笑を零す。


 従来の方法で三つの魔法を合わせてもああはならなかったであろう、アレはそういう威力がもたらした結果だ。

 あそこまでの威力を生み出すつもりなら、通常は殲滅級魔法という枠組みの魔法詠唱を唱える必要がある。

 魔法陣での魔法行使がそれほどまでに規格外だということだ。


 その代わり、対価となるだけの魔力をごっそり持ってかれたが……まだ余力は残してある。魔力量には自信がある方なのだ。


「はは、こりゃ、酷いわね」


 月並みな感想を残して、腕の中のリーゼが意識を失ったままであることを確認する。外傷はない。自分よりも何重にも重ね掛けした防護が幸いしたか――意識がないのも良かったと言えよう。


 さて。魔法の目的は相手を滅ぼすことではなく、爆風による一撃離脱と水蒸気の煙幕による目くらましである。

 それは見事成功したようで、空を飛翔する二人を追う影はどこにもなかった。仮にこの速度に付いてこられるようならそれこそたまったものではなかったが。


「まさか、今ので死んだ……とは考えられないけれど」


 逃げ切る目的は完遂した。少なくとも、相手がこちらを追うことは叶わないだろう。


 爆風による推進力を魔法で継続させつつ、サーリャは何とか樹海から離脱した。

 リーゼの安全と呪縛の解呪を目指し、そのまま都市へと突き進む――。






 ◇






「……逃げられた。まあ、いいか――供物(・・)にしたかったけど、これ以上(・・・・)の邪魔はされなくて済む。最低限はクリアしたね」


 凄惨に刻まれたクレーターの横。

 未だ爆風の余韻が残る熱の中、白煙が掻き分けられ、全身を血糊で汚した黒装束が姿を現した。足は引き摺り右腕は派手に折れ、露出した肌は火傷を負っている。顔の半分もケロイド状に溶け出しており、見るも無残な姿を晒していた――だが、死んではいない。

 ばきり、真っ二つに割れた漆黒のマスクが地面に落ちる。


 火炎の魔法使いへ逃げられた上、手酷い重傷を負わされたというのに。

 マスクの剥がれ落ちたその口元は、不気味にも笑っていた。


魔神(・・)の顕現によって、戦争は終わる。今更どこへ逃げたって逃げ切ることなんてできない――精々絶望するんだね」


 足を引き摺りながら。

 黒装束の女は都市の方角に首だけを向けて、目を細める。


覚醒者(・・・)は二人、か……その内一人は強制的な覚醒の結果。もう一人(・・)二人(・・)は芽が出るハズだったけど」


 ああ、もう時間切れだ。

 そう遺して、女の姿は煙の中に消えていく。


 ――その直後。

 地上が大規模な地鳴りに襲われて。

 天をも震わせる咆哮が、樹海に轟いた。

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