七十五話 “魔法”
「――なぁ――起きろよ――――――頼む」
何かの声が聞こえている。
身体は深い海に沈んでいるような、どこまで深淵に落ちていくような感覚で。上から耳へと入り込むその声は、やけにぼやけて聞こえている。
「――何とかなって――――治ってんだ――――だから――目を、覚ましやがれ――――」
だが、知っている。
俺はこの声を知っている。
そして俺がどのようなことになっているのか――それを脳が認識したと同時、その声ははっきりと耳に届いていることを確認した。
ゆっくりと、重い目蓋を開く。
そこに映るは瓦礫の山と、陽の光。
そして、一人の少女が俺を覗き込んでいた。
「……」
「――レーデ、目を――」
背中にある柔らかい感触。そして俺が仰向けになって倒れていたことから、俺は俺の身に降り掛かった現象の整理を開始する。
――そうか。
「お前が、俺を助けたのか」
上体を起こすと、目眩が走った。
だがそれは一時的なものであり、しばらく目を閉じていれば症状は和らいでくる。身体の調子は酷く重いが、今はそれを問題にするべきではない。
本来俺がここまで早く目覚める予定はなかったのだ。或いは最悪の場合、この俺が目覚めることがなかったかもしれない。
しかし――こうまで早期の覚醒に至った要因は、肉体の修復による外部要因か。俺は左腕に目をやり、そこにあるべき肘から先のパーツが消失していることに、ある種の納得を覚える。
切り落とされた俺の腕は元に戻らなかったのだろう。しかし、その他の傷は概ね癒えているようだ。傷の痛みがないわけではないが、切断レベルでなければ治癒ができたということらしい。
「ノア。意識を取り戻したのか」
「うん……ごめん。ありがと――レーデが声掛けてくれなかったら、多分操られっぱなしだった」
「敵はどうなった?」
「……倒してね―。でも、撃退はしたよ」
あの魔法使いを撃退した――か。にわかには信じがたいが、現状を見るに疑う余地はない。
ノアは正座をしたまま、自身の胸に手を当てる。
「こいつは、そのまんまだ」
「あの力か」
「……うん。今はまだ平気だけど、いつ暴走してもおかしくはねー」
「暴走に関して言えば、恐らく大丈夫だ。俺の傷は、お前の魔力でどうにかしたんだろう?」
「あ、ああ……一応、な。ダメ元だったけど」
説明を受ける必要もない。何故ならそれ以外に方法がないからだ。そしてノアがそれだけ高度な魔力制御を行えるのであれば、余程のことがない限りは安定していると判断していいだろう。
……俺が起きるまで、膝に乗せていてくれたようだしな。
――しかし参った。身体が妙に重いのは、俺が魔法による治療を受けたかららしい。自然に生きて魔法に触れるだけでも俺の身体は魔素を蓄積し続けていくが、俺の身体に直接魔力で治療を行ったとなれば話は別だ。恐らく、かなりの量の魔素が加速度的に溜まっているのだろう……意識が落ちるのは、時間の問題か。
まぁ、どうせ治療されなければ起きることさえ出来なかったかもしれないからな。今動けることに素直に感謝しよう。対処方法が現時点でない以上、その問題は後回しにするしかあるまい。
「俺が倒れてからどれだけ時間が経過した?」
「朝になっちまってる。どれくらい経ったかって言ったらわかんねーけどさ」
「一日以上は経過してないわけだな。そいつは安心した」
「へ? あー……そういう確認取りたかったのな」
神聖教国が大規模な戦闘を始めたのは深夜だ。するとあれから第二陣、第三陣ほどは到着していても不思議ではないか……。
「助かる――わざわざ遠くまで連れ出してくれたのか」
「礼を言われることはしてねーよ? むしろうちがレーデに助けられてんだ」
周囲を見やると、既に学校の区域からは抜け出していることが分かった。
そもそも室内で、ガラス窓から差し込む日差しが部屋を照らすような――まぁ、避難した後の家屋に隠れているのだろう。少々荒れてはいるが、人の暮らす生活空間が目の前に広がっている。
家主が戻ってくる心配は必要ないだろうな。
「いいや。お前はお前の意思で自分を取り戻しただけだ。俺はお前を行動不能にして連れ帰ろうとしただけで、お前が今のお前でいられるのは、お前の意思以外の何物でもない」
「あー、もう素直じゃねーなぁー……まあいいよ、感謝してるってことだけ覚えとけ」
ならばその礼は受け取ることにしよう。
しかし彼女――ノア本人が意思を保っている状態が、いつまでもリスク無しで続くとは思えない。今は安定しているとはいえ、危険な橋を渡り続けていることに変わりはないのだから。
この先彼女の精神が極端に消耗したり、意識を失ったりなどの精神的異常を切っ掛けとして魔晶が暴走を起こす可能性は大いにある。
「ノア、お前の魔晶については既に対策を考えている……が、その前に」
ノアとの会話中に、大分頭の中身も整理が終了した。
まず目下最優先はノアと魔晶を引き剥がすこと――しかし現状はヲレスの診療所へは向かう事はできないな。
恐らく俺の体力が持たない。回復魔法で意識を取り戻したとはいえ、体力が戻ったわけではないからだ。あんな距離を歩く余裕が既にない。万が一の武器も、全て失った。
いや、レッドシックルの剣は……無事にあるみたいだが、刃こぼれしていて満足な武器とはならない上に、そもそも片腕を失っていてはな。代わりに右腕が動くようにはなったものの、こんな状態で視界良好の朝日の下歩けるものか。
そして、もう一つは――。
「ソーマは、どうした?」
「ああいや……死んではいねーけど」
「それは分かっている。だがここにはいないようだが、どこへ行った?」
現状、ソーマを主体とせねば立ち行かないことだらけだ。神聖教国の陣営に口出しが可能なのがソーマということもあるが、単純な戦力面でも彼に頼るしかない。
魔法使いを撃退した――先ほどそうノアは言ったが、彼女に戦力を期待しない方がいい。今現在無事に生存していることだけでも、殆ど奇跡なのだ。
「仲間の反応見っけたんだ。レギンだよ、ソーマはそっちに向かってる」
「レギン? ああ……俺を試そうとした奴だったか」
「かなりの重傷みたいでさ、身体のあちこちが腐敗しちまってるらしいんだ」
身体が腐敗している、だと?
俺は頭の中に整理されている魔法使いのリストを引っ張り出し、そこから目標を絞り出す。
安直に考えれば、魔毒の魔法使いの仕業とするのが妥当だが……。
「……そうか、情報を持ち帰り生還しただけでも収穫は十分と見るべきだろう。しかしそれでお前は、今のお前は向こうと合流ができないわけだな」
「ああ。うちはもう、皆からしたら裏切り者みてーなもんだからさ。ははは、笑えねーけど仕方ないんだ。ソーマ一人に頼むしかなかった」
――裏切り者、ねぇ。こいつら神聖教国の考えにソーマとノアの共通認識から、魔法という存在そのものが悪だと断定されているのは容易に分かる。そして、それに犯されたノアが既に神聖教国全体にとっては裁くべき対象となってしまったことも。
ソーマは黙認することを選んだが、それを他のメンバーまでが許容するとは限らないし――いや、許容できないことが分かっているからノアがここに残る決断をしているのだ。
だが。
「こんな状況になってまでその矜持は貫き通されるんだな。仮にもお前は仲間で、戦力の上昇という面では限りなく連中の利点にはなっていると思うが」
「必要だとか利点とかじゃねーんだって。最初に言ったろ、お前があの剣を持っていたからうちが殺そうとしたように、ただそれを持っているだけで駄目なんだ。理由があるからで許されるほどに緩い国だったら、最初から攻め込んだりしてねーしな」
答えを聞くまでもない問答だ。
まぁ、そうだろうな。
「お前達は最適解を選ばない。徹底的に魔法を拒絶しているお前らはそれを使うことが許されない。それをすれば立派な反逆者の一人になる――か」
「そうだよ、分かってんじゃねーか。だからうちは――」
「一つ、俺はお前に話しておかねばならないことがあるな」
神聖教国の面々による戦争、魔法都市を戦場にした総力戦。これらは魔物の差し金によって生まれ、魔法使いの計画の一部に嵌め込まれていた――予測の範疇ではあるものの、おおよそ正しい解答だと思われる。
何故なら道中の魔物が仕込みを行ったと自白したも同然であり、ジョッキー・フリート情報下の魔法使いは明らかに不自然な態度を取っていた。
深い事情を知り得ぬ魔法使いも存在するだろう。
同時に、神聖教国の――少なくとも俺が出会った面々は、ほとんど何も知らされていなかった。その辺りの秘密を隠している素振りはなく、後続にも根本的な違いはないであろう。
ならば彼らは何のために動かされたのか。果たして魔法ではないとされる異常な力は、一体何なのか――魔晶とは、何の為に調整されていたのか。
それは全て実験体になったノアが証明している。
端から、戦争などどうでもよかったというわけだ
魔法を滅することが目的だったのではなく、戦争という名目で行われた大規模実験。
端から確定していた実験を実行に移しただけで、俺がいようがいまいが、魔法使いの目論見は存在していたのだろう。そこに最初から魔物が噛んでいたのか、俺がこの世界に関与した弊害だったかは別にして。
「な、なんだよ急に」
「強さの基準というものが存在する。此処では明確に――それは魔法の有無だ。確かに剣技もあろう、武術もあろう、しかしそれは実力を決定する要素の一つでしかない」
「……えっと? どいういうことだよ、話が見えねーんだけど」
「確実に、明確に、強さは魔法に依存するということだ。様々な奴を見てきたが、魔法という力に本質的に頼らなかった連中は――ただの一人も、存在していない」
ぴくり、とノアの耳が動いた。
俺の言いたいことをようやく理解したのだろう。彼女は目を見開き、俺を睨みつける。
「お前やソーマが身に付けているあの技能――本当に、己の力が全てか?」
「……なんだよ。うちらの力が魔法だって、言いてーのか」
「直接的に“魔法”であるか どうかは知らないが、俺にはそれがただの身体能力だとは考えられんな」
魔法使いにも引けを取らない身体能力は、明らかに人外の位置にある力だ。それこそ肉体強化の魔法を全身に巡らせなければ、通常その域には達さない。
こいつらは地力で俺の遥か上を行く。それは本来、魔法という技術を備えていなければ到達し得ない位置にあるはずだ。
魔法という文化が世界の基盤にある以上、それ以外をベースに育つことは限りなく不可能に近い。何故なら、成長過程で使われる技能が魔法だからだ。その方が都合がよく、まただからこそ魔法が根付いたわけで。
僅かな例外を挙げるにしても――それは俺達のような例外が絡んだ種のみだ。それでも魔法を絡ませた上での突然変異種でしかない。
そして外部要因無しに、その突然変異起こらない。
「だったらレーデ、お前はどうなんだよ」
「一度交えたのなら分かるはずだ。俺は身体能力で勝ってるわけではなく、ただお前らの暴力を受け流しただけ。その出力は俺には出せん」
「でもこれは魔法じゃねえ。うちらが死ぬ気で身に付けた、うちらだけの力なんだ。一緒にされてたまるか」
言い切るノアの声調に覇気は感じられなかった。自分の心臓部に右手をやって、半信半疑で俺を見やっている。
次の俺の台詞を待つつもりか、彼女はそうして俺から目を離そうとはしなかった。
――どうやら心当たりは、あるらしいな。
「最初はただの疑念だったよ。お前らと相対した時、篝火を囲んで話した時に感じたものだ」
当初はまだ納得もしていたが、それでもおかしいとは思っていたのだ。魔法使いとやりあえる――そんな幻想は有り得ない。俺が俺自身の力ではヲレスには勝てないように、俺と同じ条件ならばこいつらが何人集まろうと最上位の魔法使いとやり合える要素はないはずなのだ。
戦えるならば、勝てるならば、それはもう同じ条件ではない。
例えば俺では魔法は使えない。魔力も可視化できるほどに濃密な魔素や変質した魔力でなければ、見えもしない。
だがこいつらは、違うだろう。
「お前らも魔素は体内に巡っている、そう言ったな?」
「そりゃあ、要らなくたってあるんだから……」
「俺が根本から魔法とはかけ離れた存在であることも見抜いたな」
俺が最初から公言した場合を除いて、それに気付けた奴はリーゼ、サーリャ、ヲレス、魔物連中など、いずれも魔法を専門にした奴らばかり。
それは俺に魔力がないことは分かっても、本当の意味で“ない”ことや概念そのものが存在しないという結論に到れるほど精密な解析を行える人物が居なかったというのが理由の一つではあろう。
俺自身、魔力による毒に気が付くのには大分時間を要した。
それをすぐに見抜いているこいつらが魔力に疎いというのもおかしな話である。
ノアに自覚があるかは関係がなく、一体どのように力を得たのかが問題だと言えよう。その辺は司令塔のソーマが力の根幹とやらを理解していそうだが……。
「どうして見抜けた? 魔力を感知出来た? 魔素の流れが見えた? ある程度魔法に精通していなければ――それは、分からないはずだが」
「んなこと言われたって……最初から見えるものじゃないのかよ?」
「だったらお前はこの世界の大多数より魔法について詳しい部類に入る。お前が魔法を知らないが故に一般の常識を理解していないだけで、その能力だけに関して言えば上位に食い込む力だ」
それはノアだけではない。
これからやってくる連中は全員ノアと同じだけの性能を持っていることは確かで、あの奇妙な連携や不思議な勘も、その辺りから来ているものだと思われる。
だからと言って、やってすぐに魔法を極められるというわけでもないのだろうが――それでもソーマは言ったのだ。“使えたとしても使わない”と。
「もう一度言うが、この世界の根幹は魔法で出来ている。強さの基準も魔法に依存するもので、他の要素は所詮付属物と言っても過言ではない。その中、お前達は魔法使いに対抗する圧倒的な力を保有することに成功した。その力は、一切魔法に依存していないと断言できるか?」
「……だったら、ていうか何を言いてーんだ、回りくどいんだよレーデは」
「お前の肉体と同化する魔晶と、例えばソーマがその肉体に宿している雷の根本――アレの基盤には、同じ魔素が関わっているぞ」
俺は基本的に魔力を認識することはできない。その俺が認識可能な段階に入るのは、誰の目にも見える性質に変化した後だ。魔素が魔力に変換され、それが魔法となって形を伴った段階――そうでなければ、俺に判断は付かない。そしてソーマのアレは、俺が見える段階で魔法とは別種の域に成長したものだった。
しかし元は魔素というこの世の元素を使った能力。それが何故俺に分かったかは、俺の人ではない神の成分が齎す結果だとしか言えないが。
その辺りの情報開示は今更必要ではないし、ノアに説明してやる意味もない。
――話を戻そう。あの時疑問に感じた能力は、彼らの発言と実際の力とで不明な点があったからだ。
書物等による知識の補佐がないため、俺の解析だけでは完璧ではないにしろ――ノアの状態を見る限り、この独自進化を遂げたノアのような力が実験体には求められていたのではないだろうか。
今彼女の胸部へ埋まっている魔晶は、彼女自身の肉体と反応して見事に一体化している。
普通であれば魔晶の過負荷に肉体が耐えきれず、体内の魔素同士が対消滅を起こしても不自然ではないのだ。それを反発させることなく取り込んで魔力にしているのは、凡そ奇跡に近い所業である。
彼女一代で遺伝子を進化させる程度と言えば、その難易度は伝わるだろうか。
俺から見ても、彼女がとんでもない奇跡をその身に体現し続けているのが分かってしまうほどに、異常だったのだ。元となる肉体がその魔素による強化を受けていなければ、今頃他の実験体と同じ末路を迎えていただろうに。
「それ、本気で言ってんのか?」
「そうだ。お前もソーマも他の連中も、魔素を使った魔法に近い技術で戦っている。ならば今更魔法も何もあるまい?」
俺は残された右腕を動かし、彼女の魔晶を指差した。鈍く輝きを放つそれは内部で魔力を吐き続け、彼女に力を与え続けている。
これは彼女が“魔法を知らないまま”に“魔素を扱い”、そうした力を身に付けたからこそ成功した結果なのだろう。普通の魔法使いじゃ魔力保有量という器が圧倒的に足りない上、魔法使いであるが故に既存の概念と魔晶とが反発して拒絶反応を起こしてしまう。
弱者を強化する術としては機能を果たさないその実験だが――既に、その実験は目的から離れているのだろう。
目的と手段の逆転、実験を成功させるために実験体を選ぶほどには狂っている。それ自体はよくあることだがな。
「なんでそこまで分かんだよ――うちらの何にも知らねぇくせに」
ノアは弱々しげに否定する。
しかしその決まりの悪い返事は、彼女自身に力の説明が出来ないからなのだろう。これまでの説明についても感覚的な物が多かったのは、そのためか。
「あれだけやり合えば分かる。俺は幾度となく魔法使いと戦い、魔物と戦ってきた。お前らも例外ではない――ただ魔力を形へと成す過程が違うだけだ」
「――それ、は」
恐らく彼女自身が、誰よりそれを理解していた。
なまじ魔晶と肉体を共にして魔法を扱い出した彼女だからこそ、元々の力の出処が何であったのかもとうに少しずつ気が付いてしまっているはずだ。
「こんなところで拒絶し合うよりも、早くこの情報をあいつらと共有した方がいい。でなけりゃお前以外も実験体にされる可能性が高いぞ――その時お前のように成功する保証は、どこにもない。ソーマにも何も話しちゃいないんだろ?」
「……でも。多分うちの話は、聞いてくれねーぞ。ソーマはたまたまパートナーで一緒に過ごした時間が長くて、あの性格だからってだけで。他の奴らは正直そんなには知らねぇんだ」
「ほう? お前の部隊は個人の感情で物事を決定するような連中だったか?」
「――逆だよ。ソーマがどっちかつったら感情優先なんだ。魔法は使った時点で敵と見做される。実際今のうちがいつ敵に操れられるかも分からねーし……今は敢えて泳がせているだけかもしれねー」
「存在そのものを排除する。ねぇ。まぁお前の言うことにも一理はある」
――俺は、何かを救う者ではない。
俺は常に遠くから眺めるだけの外野であり、直接変化を齎す存在ではない。精々動くにしても、均衡を、バランスを取るためだけにある。
それは本来の役割としての働きだ。
俺は、そうではないのだから。俺は人として、俺自身で動かねばならない。自ら率先して未来を変えねばならない。
――ならば、これはそのための一歩である。
「その一理はあるとしても、それが伝えない理由になるのか? 放置すればあいつらは無警戒で突っ込み魔晶の実験体にされるだろう。それを止められるのはお前しかいない」
今までであれば「そうか」と頷いているだけであろう言葉を捻じ曲げ、俺は言う。
「それにどの道お前が奴らの傀儡にされていたんなら手遅れだ。誰も助からんし、ならば状況の先延ばしは意味がない。動かないで死ぬより動いて死んだ方がよくないか? 不安ならば俺が少しばかりの手助けをしてやる」
「――なんで、そこまでしてくれんだよ。嬉しいけど、でもレーデには関係ねーんだ。レーデにとってはほっとくべき案件だろ……ありがとう、でも、あんまりうちらの懐に突っ込んでくるな」
今まではな。
けれどそれじゃ立ち行かないだろう。とうに俺が単体で動いて修正可能な範囲ではないのだ。誰かも巻き込む必要がある。
それに選んだのは――ノア、お前だ。
「こいつは俺のためにやっていることだ。お前達に協力してやらせたいことがあり、魔晶の実験体にされても困るから手伝うだけだ。勘違いをするな」
「……おまえ」
それが原因で戦争まで発展した国だ、話を通す以前の深い溝が存在することは百も承知の上。
でなければソーマが一人で合流するはずがない。話し合いが通じないからそうなっているのだから、曲がりなりにも魔法を常に身に纏うノアは殲滅対象になっていることは前提だ。
その上で問い掛けている。
「死ぬつもりはないんだろ? 仲間でもない俺に死ぬなと言ったお前が、仲間の死は見て見ぬ振りをするつもりか」
「うるせー、知った口聞くなよ……わかった、やる、そんなこと言われたらやるしかねーだろ――だけど、一つ聞かせて欲しい」
どこか観念した様子で、ノアは両手を力なくだらりと上げて手を振った。感情を表にしない表情の中、魔力によって変色した赤瞳が僅かな疑念と不安を抱いてこちらを覗いている。
「おまえがすっげー色々隠し事しながら喋ってんのはうちでも分かるぞ。だって隠してることは言わねー癖に、隠してることはまるで隠さねーしなおまえ」
「……それで?」
「いいん、だよな。色んなもん踏まえてその上で呑み込んで、うちはそれでも――おまえを信じてもいいのか」
さあな。
それはお前が決めることだろう。
と、言っていたのだろう。いつもの俺ならば。
別に何が正解と言いたいわけでもなければ、逆に間違いを問いたいわけでもない。それはただの返事であり、今回俺は――そう答えることにしただけだ。
「ああ、信じろ」
何の根拠もないけれど、その言葉は、人の言葉であろう。
いつも分不相応に語って見せて、根拠のない妄言を口走って、意味のない感情を添えて、時には利害を度外視して、すぐに矛盾する――それは人間でなければ起こり得ないことだ。
そんな簡単なことを忘れてしまう。俺には何も残っていないから、こうやって意識しなければ、そんなことも言葉に起こすことができない。
「――わぁった、信じるよ。どうせ尽き果てた命だ、おまえにうちの全てを賭けてやる」
だから、そんな不確かな言葉に付いてくる気になったノアを見下ろして俺は軽く笑った。
「それを出会って数日の奴に言っているってことだけは覚えておけよ」
「……あれだけ言ってそれかよ! もっと格好よく締めるとかあるだろうるせーよ」
「時間が惜しい、案内しろ。頭の固い分からず屋を説得する策は歩きながら考える」
「げぇ、何も考えてないで言ってやがったな、知ってたけど……不安になってきた。せめて言葉交わせるようにはしねーとな……」
さて、まず合流するための準備をしなければな。
とはいえ大したこともできないが、俺は現在の状態と荷物の確認を行いつつ支度を済ませる。
血塗れの服は致し方無し。そして当然ながら部屋に使えそうな武器はない。
レッドシックルの剣を腰に差し、ベルトを調整する。床に放置された俺の左腕はとりあえず部屋にあった布に包み、紐に括って背に回した。ノアの魔力で防腐加工のようなものを施されているらしく、ある程度は腕の形を維持していられるそうだ。
まあどこで捨ててもいいようにはしていくさ。これからの人間体での活動は片腕になってしまうことも考慮して、片腕での戦い方も考えなければな――。
「――うんうんいい感じに話も纏まったね! じゃあそろそろ私話に混ざっていい? オッケイ?」
――その声は、唐突に部屋へと響き渡った。
俺とノアは即座に背中合わせに構え、声の主へと意識を飛ばす。
「あー、ちょ、反応はっやいなぁ。これでも結構隠密してたんだけど。ああうんちなみに話聞いてたからね? 君が呑気に起床したあたりからね? だから警戒しないで? ――私が本気出してたら、もう君達仲良くあの世に飛んでたから、さ」
ソレは、まるで友人の家へ気軽に遊びに来るような感覚で姿を現した。真正面から堂々と、隠密などする様子さえなく、玄関先を乗り越えて歩んでくる。
黄白色の外套に、絹のように滑らかな淡緑髪。
「――そんなまじまじ見られると照れちゃうんだけど? ねぇ、そろそろ返事が欲しいな」
軽薄な口調とは裏腹に感じる、絶対的な威圧。
切れ長の目は大きく見開かれ、混じりけのないエメラルドの瞳がこちらを見据える。ソレは片眉をつり上げて――道化師染みた笑みを浮かべていた。
「くそっ!」
反射的にノアが魔力を展開した。
最小限かつ濃密に練り上げられた魔力が弾け、弾丸の如く地を跳ねた拳が相手を迎え撃つ。
「っと、いきなり乱暴じゃない? こっちから攻撃してないじゃん? 何のために話し掛けたと思ってんのさ、いきなりは酷いでしょうが」
「どいつもこいつもお喋り大好きなんかよ、魔法使いってのは!」
「……ま、いっか。血気盛んなのは嬉しいよお姉さん」
少なくとも、俺の目には魔法使いの動きが全く視えなかった。
「――な、あ?」
直撃すれば壁だろうが金属だろうが粉々に吹き飛ばす威力を込めた拳。されどそれは届くことはなく、次に見えたノアは魔法使いの足元で仰向けに転がっている姿だった。
両手をバネにしノアは再度飛び蹴りによる反撃を行うが、苦し紛れの一撃は魔法使いの右手に難なく掴まれる。
ぐち、べき、みしり。
「ほー、結構凄いんだね。でも予想よりは下か」
「がああぁあっっ!」
掴まれた足が握り潰された。
肉片と血液とが辺りへ飛散する。
――びゅん、と。
風切り音と共に、ノアは俺の横を通過していった。掴まれた足を振り回され、投げ捨てられたのだ。
びし、と俺の頬に温かい液体が付着する。
「あ、取れちゃった」
背後でべちゃり、と物が激突した。
骨が砕け散る音が耳を通じて、やっと脳に危険信号が伝達される。
また新手の魔法使い。
それもこいつ、俺達を探してやってきたようだが……。
「いい再生能力だねー。欠損レベルの負傷でも、私が欠伸をする時間があれば解決できちゃうみたい」
「レーデ……――下がれ! うちが相手、する」
棒立ちで動けないでいた俺の横、血塗れのノアが元通りになった足で床を踏みつけた。俺をかばうように前に立ち塞がり、ノアの魔力が高まってゆく。
「――待て、ノア」
今にも再び突っ込んでしまいかねない小さな身体。
俺はその肩を、後ろから掴んで引き止める。
「あの魔法使いに戦う気はない」
「……お。あれ、お兄さんもしかして話が分かる人? そうそう、折角君達が準備出来るまで待っててあげたんだから、それくらい殊勝な態度でいてくれないとね」
ソイツはノアの右脚だったものを後ろに投げ捨て、腕を組んでうんうんと頷いている。
魔法使いなんて皆そんなものなのだろうが――何を考えているか分からない瞳で首を傾げた。返り血を浴びた淡緑の毛髪が、その動作で不気味に下へ垂れる。
「あぁ、まー別に話をしに来たわけではないんだけど」
「――俺達を殺すつもりでないのならば、何の用だ?」
「何の用だってとこまでは行かないんじゃない? 君達、魔法使い殺してるんだからさ」
「生捕りが目的か?」
「あはは、そんな趣味悪いことしないよ。別にいいよ、好きなだけ殺せばいいじゃない。私個人は興味ないし」
ぎり、とノアが奥歯を噛み締める。俺が強く肩を掴んでいなければ、今すぐにでも襲い掛かってしまいそうなほどに。
「ねぇ、その子の名前は“ノア”って言うんだ」
「……」
「ギリアムを二回も殺したのって、君で合ってるよね?」
「――――――だったら、どうすんだよ」
ノアが苦々しげに、口を開く。
すると彼女は満面の笑みを作った。
嬉しそうに両手を合わせて、その魔法使いはくすりと満足げに声を洩らすと。
「へぇ、やっぱり! 弱り過ぎてたからさ、若干間違ってたかなぁって思ったんだけど合ってたんだね! いやぁ凄いなぁ、さっきギリアムの死体見て驚いてたんだよ、『こんな毒使って殺しやってたんだ』――私みたいなの実用化しようとする人いるんだ、って! ねぇねぇ、ちょっと私にも同じことやってくれない? お願い!」
――無邪気に、唐突に意味不明な懇願をしてきたのだった。
俺はあまりの素っ頓狂な言葉に一瞬思考停止する。それはノアも全く同じだったようで、放心したように身体を硬直させていた。
「……なんだこいつ」
憮然としたノアの言葉は、たった今俺が口に出そうとしたものと全く同じであった。
とりあえず、今の会話で分かったのは。
こいつは魔法使い十二人の内の一人――。
――魔毒のラッテ・グレイン、ということだ。




