七十二話 VSギリアム・クロムウェル
「――これで、動けないとは思う」
大槌を右肩に担いだソーマはノアを吹き飛ばした方向を見据え、一息吐くように呟いた。俺は彼の大槌から右腕半ばにまでかけて――ばり、と微かに電流が流れ出るのを視認する。
「雷? 魔法、ではないな」
「……雷だと分かったのか」
ノアが吹き飛ばされた先が倒壊寸前の建物だったため、建物は支柱に激突し破壊した彼女ごと巻き込んで崩れ落ちていく。瓦礫と土煙が巻き起こるが、そこからノアが動き出す姿は見られない。
ここまでやって抵抗されても困るんだが、無事に戦闘不能までは持ち込めたというわけだ。
「ノアを殴った時の一瞬、お前放電していただろう」
「いいや、そうではなく。一度の目視でこれの性質を見抜かれてしまうとは思わなかった」
「それはそうと、お前そのハンマーみたいなのはなんだ?」
俺は彼の持つ大槌に目線を移す。よく見てみれば妙な形である。機械仕掛け……大斧を変形させたのか? だがこの時代に機械などとは到底――魔法がなければ道具が発達するのは、確かに道理ではあるのだが。
「君の考えている通りで元は大斧だ、今は大槌になっている」
「ほう。そんな隠し種があれば、もう少し丁寧に対処できたかもな」
「必要以上に手の内は晒さない。ノアはどこか勘違いしているようだが、君とはまだ協力関係なのであって仲間ではない。現に君もどうやって彼女を止めるかまでは教えてくれなかった、そうだろう」
「お互い様、か。まあいい」
しかし今ので相当な怪我を負ってしまった。
左腕はノアに暴れられたせいで軽く麻痺した状態が続いているが、そっちはまだいい。問題は腹部の傷が再び開いてしまったことだ。
包帯をきつく巻いているお陰で過度な失血は防いでいるが、これ以上の戦闘行動は無理だろう。
おまけに俺の隠し種もまた一つ失ってしまった。
ナイフ本体はあるが、ただの武器だけとして使用する理由が俺にはない。替えの糸など見繕えるはずもなく、暗器としての機能は既に果たせないだろうな。
「……俺はそろそろ限界に近い。少しだけ休ませてくれ」
俺は痛みで脂汗の滲む額を拭った。
途切れそうになる意識は、唇を噛んだ痛みで無理矢理に押さえ付ける。
「大丈夫か、と聞くのも野暮だろう。直ちに適切な処置が必要だ」
「安心しろ、少し休めばなんとなかる……ソーマ、その間にノアを瓦礫の山から引きずり出しておけ」
休憩を挟んだところでどうなるわけでもないが、少しはマシになるはずだ。こんな所で立ち止まるわけにはいかないからな――この身体にはまだ頑張って貰わねばならない。
肉体が完全に死んでしまえば全ては水の泡。そうなれば俺は、もう二度とこの世界に戻ってくることは出来ない。
それどころか――いや。後ろ向きな考えは止そう。
俺はまだ死なん。そういう風に造ってある。
止まるつもりも、諦めるつもりも毛頭ない。
「分かった。そうしよう」
ソーマは深く頷き、ノアが埋まっている瓦礫の方へと向かっていく。
それを見届けようとする視界が半ばぼやけていることに舌打ちをし、俺は――口から吐いた血を左手の平で受け止める。
血を流しすぎた。
これまでで史上最低のコンディションだと言えよう。
リーゼの奴が今どこをほっつき歩いているのかは知らないが、例え後でツケが回るのだとしても、彼女の回復魔法は受けておきたかった。リーゼがいるのといないのとでは戦いにおける難度が格段に違うのだ。
俺一人がこの世界で渡り合うには決定的に魔法という要素が欠けていて、分が悪いことは幾度の戦いで痛感している。
だから、せめて少しでも休息が欲しかったんだが――。
「これでも出来は良い方だと思ったんだがなぁ。試作とはいえ、ぼろ雑巾みてぇな奴に打ち負かされるような失敗作を作ったってのか俺は」
「……ずっと見ていたとは趣味がいいとは言えんな。お前は――どの魔法使いだ?」
若草色のローブを羽織ったその男。
ぼさぼさとした茶髪。中肉中背の体型に不健康そうな肌と、およそ戦闘者には見えない外見ではあるが、その獰猛な目つきと自信過剰な口調からして、彼が例の魔法使いであることは想像に難くはない。
こいつがクロード・サンギデリラか? 全く、最悪なタイミングで現れてくれるものだ。
どうする。
剣を握るも、この状態でそれが通用するかどうか。
「死に掛けの分際でなんて口の聞き方しやがる。だがお前に名乗る名はねぇよ、戦ってやる価値もないゴミだ。既に半死体じゃ実験にもなりゃしないし、せいぜい苦しんで死ねるように少しずつ切り刻んでやるよ」
「――レーデ! 逃げろ!」
「おっともう来やがったか。急がなくても順番に始末してやるさ、お前も実験には使えそうにねぇからよ」
気付いたソーマが瓦礫の山から飛び出し、大槌を構えて突っ込んで来る。
魔法使いは棒立ちのままソーマを見据え「へぇ」と笑った。
「その秘策。今までとっておいたことを後悔しろ」
電撃を纏った大槌が、魔法使いへと直撃し――否。
魔法使いの眼前に隔てられた黒い障壁に阻まれ、大槌の威力が完全に消されていた。強烈な電光が障壁を削らんと迸り、力が弱まって遂には雷そのものが消失してしまう。
「馬鹿の一つ覚えみてぇに何度も突っ込んできやがってまぁ……少しはあの女みたいに楽しませてくれよ? 俺のことも他の奴のことも調査してんだろ?」
威力を殺されて宙で止まったソーマの腹部に、地面から生えた漆黒の杭が突き刺さる。
「ぐぁっ……!」
「仲間ぶち殺すのに秘策披露しちまって、俺が対策しないわけねぇだろ。当然杭から俺にまで電気は通らねぇし、抵抗するだけ全くの無駄だ」
空間が歪み、物質が組み上がる硬質な音色を立てて漆黒の刃が中空へと出現する。停滞する刃はソーマへと狙いを定めると、
「――順番替えだ。丁度魂ってのに興味が湧いていてな、まずはお前をあの世へ送り届けてやるよ。他者の概念に干渉できりゃ上々、上手く捕獲できりゃ大切に扱ってやる。廃棄物の再利用ってやつだ」
「……待、て」
「全くせっかちな黒ずくめだな。死にたがりが二人いたってこの場に処刑人は俺しかいないんだ、そう焦るなよ」
無理矢理立ち上がった俺にその刃を向け、魔法使いは吐き捨てた。
俺に視線が向いた隙を見計らってソーマは杭を引き抜こうとしているが――あの深さでは、すぐには無理だろう。
「クロード・サンギデリラ、率直に問う。魔物とはどこで関係を持った」
「…………あぁ?」
クロードという単語に眉をひそめ、魔法使いは怪訝な眼差しを俺に向けてくる。まるで俺が何を言っているのか心底分からないと言いたげな表情であり――いや、待て。
ジョッキー・フリートが奴はここに居ないと言っていたはずだ。だからこその別行動で、だとするとこいつは。
「へぇお前、何か知ってんな? だが俺はクロードじゃねぇよ。あのいけ好かない野郎と一緒にするな」
「お前は、誰だ」
「おいおい脳味噌付いてるか? お前に名乗るモンなんてねぇ――つってんだよ」
つまらなそうに吐き捨て、魔法使いは広げた右手を俺へと突き出した。視認できるほどの濃い魔力がその手の上に集まり――地面から吸い出した何かを取り込むと、先の刃に纏わり付いて禍々しい長剣を構成する。
ジョッキーフリートが使っていた魔法と同じく、俺では彼の魔法に対する理解は為し得ない、しかし想定することくらいならば可能だった。
「そうか、お前は断層の名を関するには少しばかり分かり易過ぎる――物質の精製――練金の、魔法使い」
「で?」
「ソイツは鉄、か」
「ご名答」
その刃は残像を残して真横へと振り抜かれた。ざくりと、大きな肉の塊が地面に落ちる。
「――ぐ」
落ちたのは、俺の左腕だ。
肘の先から真横に切断された腕は赤い剣を握りしめたまま俺の肉体を離れ、地面を転がる。
吹き出す鮮血を止める方法などなく、意識が急速に不明瞭にブレていく。
「知ったところでどうする? 対処ができないんじゃ俺の正体を知ることには何の意味もねぇ」
「――お前は、クロードと。いや、お前も魔物と繋がっている、か」
俺は落ちた腕から目を離し、対面する魔法使いへ意識を切り替える。実質的に両腕を失ったのは中々に最悪な状況であるが、今それを気にするだけの余裕はどこにもなかった。
脇を締めることで左腕に流れる血液を少しでも抑え、俺は魔法使いへ間合いを詰める。その差は半歩ほど――俺の行動に何を思ったか、魔法使いはただ鼻で笑っているが。
余裕の現れ、そりゃそうだろう。両腕を失って腹部を抉られている俺など、死んでいるのと何ら変わりもないのだから。
「お前がクロードと同じ側に立っているというのならば、俺のやることに、かわ、り……――」
反撃を――。
その意に反して俺の視界はぼやけ、目の前に立っている魔法使いの顔さえも識別が付かなくなってゆく。
そこまでの重傷だった。本来安静にすべき肉体を駆使して戦い続け――ここで、とうとう己の肉体は動くことさえも拒絶していた。
地面へぶっ倒れた俺を見下ろし、魔法使いは鼻白んだ。
「は……――こ、こまで、か」
「そうだぜここまでだ。お前らの侵攻は実のところ何の意味も持っちゃいない。だからどうせだ、死んじまう前に聞かせろよ――俺が魔物と繋がってるとはどういう意味だ? クロードの何を知っていやがる、てめぇは」
薄れゆく意識の中、折れた右腕を腹の下に入れ指先に懐の銃を引っ掛ける。しかしそれ以上身体は動かず、この銃口を練金の魔法使いへと向けるだけの自由は手に入れられなかった。
血溜まりに沈みながら、俺はただ、魔法使いの言葉を耳に入れるしかない。
「っけ、もう喋ることもできねぇのかよ、使えねぇ。まあいいさ……――あ?」
そんな、目の先一つも捉えられない視線の先。
赤色の何かがそれら全てを覆ったことを確認し――俺は、静かに目を閉じ、意識を暗闇に投げる。
暗い、暗い、死の底へ。
これで本当の死を迎えられるのであれば、どれだけ心地が良かったのだろう――。
「……あぁ」
音もなく、色もなく、黒に包まれた心地の良い世界。差し出した両手は、先から生暖かい暗闇に溶けて造形を失っていく。
俺は、意識を保つことを中断した。
◇
瓦礫から飛び出す影があった。
血塗れの肉の塊だがまだ息はあって、胸部中心の魔力炉から捻り出された凶悪な魔力が世界を吹き荒れる。
充満する異質な力、肉の塊は人の形を造っていく。ぐちゃぐちゃに潰れた全身が急速に治癒を始め、その塊がこちらへと近づいて来る度に人を象っていく。
まるで時間でも巻き戻ったかのように。
人としての形を正しく再構成したそれは、燃え上がる赤瞳を瞬かせて前方を見据えていた。
「――うちは、生きてんぞ。こら。くそったれの魔法なんて代物で、うちはこんな化物にまで身を落として。でも生きてんだ。こんなに嬉しくて悲しいことが、あるかよ」
魔力によって変質した瞳に映るのは、一人の魔法使いだ。
「お、おお、おおお……あの状態から復活した? 再起不能の肉体を魔力で自動修復させたのか――プログラムは作っていない、すると根幹は魔晶……そりゃまた凄い。しかも自我を取り戻すとは。衝撃が意識と肉体を直結させたのか? それともようやく魔晶に精神が定着し順応したか……はははは、いずれにしてもとんでもねぇ」
独白を続ける魔法使いから視線を外さず、それは自分の両手足を眺め、右手で頬を一度撫で、腹を撫で、もう片方の腕を撫で、ふうと深く息を吐く。
「おい。うちは覚えてんぞ。自分が何やってたのか、何をしちまってたのか。忘れるはずもねーし、忘れられるはずもねー。レーデ……おまえの、声、ずっと聞こえてた。何でうちを助けたんだよ、んなことしなけりゃ――今、おまえは倒れてねーはずなのに」
中途半端な位置に転がっている腕の先。
そこに血塗れで倒れているのは、紛れもない一人の男だった。
魔法を使わず、己と同じ技術を重ねて戦う男――レーデ。
「……あんがと。後は、うちに任せろよ。ソーマも、もう戦わなくていい。こんな奴はさっさと片付けてやっからさ」
今のノアであればこそ分かることがあった。
彼は、魔法を使わないのではなく――使えなかったのだ。魔力適正なんてものではなく、魔力そのものも、魔力を扱うはずの臓器器官でさえもがそもそも存在しないのだから。
ノアにさえ、それは確かに身体の中にあるというのに。
「こんな奴呼ばわりとは悲しいな? そんだけ頑丈に改造してやったのが誰だか覚えてねぇのか」
「覚えてっから言ってんだよ――このクソ引きこもりの研究者が。そいつも人造じゃねーか、本体で来やがれってんだ臆病者」
「おっと……やっぱ分かっちまう? スペアは一つじゃねぇってのが」
「魔力なんざなくても一度見せられたら嫌でも理解すんだろアホ。おめーはそういうせこい奴だ。人形遊びしかできねーなら、影でおしっこちびりながら指くわえて眺めてるだけにしてろっての」
ノアは全身に濃密な魔力を纏う。使い慣れていないのが一目で分かるほど魔力は荒ぶり赤い激流が雪崩となって周囲を襲うが、それは力の強大さ故に却ってノア自身が完全武装の要塞と化していた。
魔法使いはノアが矢継ぎ早に放つ暴言に眉根を寄せる。
その瞳には既に、ソーマもレーデも映ってはいない。
「口の聞き方もほどほどにしろ。俺を怒らせて得することは一つもない……ただこれで俺の実験が成功したってことは分かった。だったら試作品一号機はもう要らねぇよな、お前の魂は解体してすり潰してエネルギーに変換しておしまいだ」
「やれるもんならやってみやがれ!」
魔法使い――ギリアム・クロムウェルと赤い魔力を纏うノアが激突する。
それまでほぼ一方的に遊ばれていたノアはそこにはない。
化け物となったその身体は魔法使いと対等、それ以上に渡り合い――次第にノアが押し始めていた。
細い両腕から繰り出された一撃は魔法使いの障壁など軽々と打ち破り、漂う赤い魔力は自由自在に空間をうねって全方位より魔法使いを刺し貫かんと暴れ狂う。
「っはははこいつが魔晶の本当の能力か、冗談じゃねーぜはははははは! 面白ぇなオイ!」
「ごちゃごちゃとうるせーってんだよ! さっさとくたばりやがれ!」
退いては飛んでの高速戦闘。
ノアが障壁ごと魔法使いを吹き飛ばす度に戦場は切り替わり、また魔法使いも応戦し錬金術を行使する。
大量の鉄杭が大地と宙を駆け巡り、それは赤い魔力と相殺し合う。その中心部で殴り合い蹴り合い刺し合い叩き合い――凄惨な殺し合いを演じる両名、先に魔法使いが一手を仕掛けた。
「食らえ、破砕晶!」
魔法使いが赤色の結晶を両手に構えてノアへ射出する。
最初は二つだった結晶――それが飛び出す瞬時に倍に増え、ノアへと接近する数瞬には更に倍へと増殖する。その数八つ、ノアが目を見開いたその刹那――十六まで分裂した全ての結晶が輝き出す。
避ける手段はない。
「――っ!」
これまでの規模よりも数段巨大な爆発がノアを中心に巻き上がった。大地を半円状に抉り抜いてなお広がる爆炎は、暴発する赤い魔力共々木
っ端微塵に散らして消し飛ばす。
だが、間近で爆発を受ける魔法使いもただでは済まない。全面に張った二重の障壁は威力を防ぎ切れずに砕け、爆風に魔法使いは遙か後方へと転がっていく。丸めたゴミ屑のように地面へ何度も衝突し空中へ舞い上がりながら――魔法使いは、それでも笑っていた。
一体魔法使いが何に笑っているのかと言えば。
己の研究対象が、予想を上回ってなおも右肩上がりに上昇し続けているから――であろう。
「おいおいおいおい今のでも死なねぇのか! 全くよぉ俺はとんでもない化け物を生んじまったみたいだなぁ! ははははははは!」
クレーターの真上。爆炎による煙の中から、無傷の少女が宙へ浮かんでいた。
彼女は障壁に似た赤色の膜を纏って、それは自分でも何が起こっているのか半分理解していないような困り顔を浮かべて。
「……できるたぁ思わなかったけど。案外できるじゃねーか」
半透明の膜はノアの全身を守る役目を終え、空気中に分散して無くなる。ノアはそれが己でやったことにも関わらず、自分がやったのだという実感ができていなかった。そこまでの力をこうも簡単に魔晶が生み出していることに――怖気すら覚える。
「どうせまた逃げるんだろうが……って。もう、いねーのかよ」
ノアは右手に魔力を篭めるが、しかし意気消沈して魔力を収める。己の内に巡る赤い魔力の胎動を感じながら、緩やかに大地へ降り立った。
その視線に映る人形には最早魂は入っていない。崩れた肉塊は死体とも言えない骸へと。近寄って蹴り飛ばせば、それはばらけて元の素材へ散ってゆくだけだ。
「――クソッ!」
これでは意味がない。きっとあの魔法使いは新しい入れ物に魂を入れて、性懲りもなく襲ってくるだろう。それに迎撃しているだけでは一生勝ちは来ないし、次に現れる時は――この赤い魔力にも対抗策を打ってくるはずだ。
それでも時間は作れた。ノアは人形を完膚無きまでに打ち砕いた後、その視線をぐるりと一点へ集中させて。
「ソーマ! レーデ!」
自分を、死ぬ思いで助けてくれた二人の名を呼んだ。
――ソーマは意識を失ったレーデを抱えていて、その瞳はノアへと向けられる。冷徹な、差し貫くようなその眼差しがノアを見据える。びくりと身体を震わせて固まったノアに、しかしソーマは平淡に言った。
「……ノア。レーデを頼む。俺では彼を抱えられない」
「あ、ああ、うん」
彼のその目が、融解されたように和らげなものへと変わったことに安堵する。今のノアが――しっかりとノアであることを理解してくれたのだ。
駆け寄るノアは、だらりと力を失ったレーデを小さな身体に背負う。それはなんと軽い身体か。左手を失い、大量の血を失い――この不健康で大きな身体は、まるで紙のような質量しか感じないほどに軽かった。
「ノア。身体の状態は?」
「……いや、うちにも分かんねーけど、多分大丈夫だ。でも」
ノアはその先を言わなかった。魔力に侵された自分の身体は、既に取り返しの付かないことになっていて――口に出して自分に言い聞かせてしまったら、正真正銘の化け物にまで落ちてしまう気がして。
「――彼はノアを助けると言っていた。どうにも手段があるらしいけど、でも彼がこの状態ではそれも厳しい」
唇を噛み締めたノアの様子を、ソーマは意にも返さなかった。
「――な、そんなことを、レーデが……?」
「そうでなければ俺はノアを助けられなかったし、助けなかった」
「……それは。言われなくたって分かってる。うちがしくじったんだ」
彼自身は何でも使うし、例え魔法であろうとも使えるのなら躊躇なく利用する人間だ。そうして己が場を支配する――それが買われて隊のリーダーをやっている、そんな男だ。
だから彼だけは他のメンバーと違って、ノアの異常を気にはしないだろう。ノア自身自分が何故生存しているのか分からないでいるが、胸の中央を抉るように嵌められている忌々しいコレが、命を繋いでいることだけは判然とした事実。
しかしいつ動作を停止するか不明で危うげな、最早命があると言っていいのかすらも微妙な――残り時間。
「……なぁ、ソーマ。うち、は」
「ノア、君は生きていると俺は思う。それに珍しく君が心を許した彼が君を助けると言ったんだ、心配などしていない。その前に彼を助けなければならないが……ノア、駄目元で聞いてはみよう。どうにかできそうか?」
ソーマは提案する。ノアが赤い魔力と共に身に付けたこの再生能力、加えて行使可能になった様々な魔法。身体に馴染まないまでも、彼女は様々な特殊能力とも呼ぶべき異能を発現させていた。
先ほどの魔法使いとの戦いで、ソーマも勘づいたのだろう。
「――やってみる。当たり前だけどやったことねーよ。けど、やらなきゃレーデが死んじまう……ならやるしかねーよな」
「分かった。ひとまず隠れられる場所へ移動しよう」
ソーマは血溜まりに落ちるレーデの左腕を拾い上げると、今は大槌へと変形しているその武器を片手で握って肩に担いだ。
我を失ってノアが暴れて、ソーマとレーデがノアを止めてくれた戦いで、極め付けには魔法使いと盛大に争った校内は完全に廃墟と化している。
どれだけ暴れればこうなるのだろう。大地に巨大な穴が幾つも空き、完全に倒壊してしまった建物は数知れず。
これをほとんど自らの内に入り込んだ赤い力がやったのか――ノアは背筋に走る怖気を感じつつ、今はと余計な感情を振り払う。
これだけ荒れていれば身を隠せる場所など探すまでもない。
二人は示し合わせることもなく、一番近くの瓦礫の山へと目的地を決める。
ノアが走り出す寸前、
「ノア、ありがとう。君がいなければ、俺達二人は此処にはいなかった」
突然の不意打ちを受け、ノアは狼狽えた。
まさかあのソーマからそんなことを言われるだなんて。
「……っ、うっせ」
全く予想外から飛んできたその台詞に、ノアは照れ隠しの一言だけを返す。
――本当は礼を言いたいのは自分の方だったのだ。だって、彼らがノアの前に立ち塞がってくれなければこうして意識を取り戻すこともなかっただろうから。
任務で失敗して敵の傀儡へと落ちた愚者など――助ける価値も、意味もないはずで。それでも助けようと全力を注いでくれた二人に、感謝と心痛で胸が一杯だった。
けれど。それを言い出してしまえばキリがなくなりそうなので、ノアはそれ以上を告げない。
ただ。
「……あんがと」
誰にも聞こえないようなか細い声で、彼女はぼそりと呟いた。




