六十九話 分断
――魔法使いの起こした爆発の直後。
ソーマは己の得物である大斧を両手に構え、斜めに構えていた。ノアが隔離されている瓦礫の壁を背に一人の男と相対していた。
金色の毛髪。白金の外衣を羽織っているのが特徴的だが、魔法使いには珍しく物々しい直剣を腰に差している。ベルトで固定されたそれは使い込まれたのが一目で分かる代物であり、とてもではないが素人が武器を持っている風には見えない。
恐らくはこの男も十二人の魔法使いの一人であろう。
むしろこれだけの混乱の中、平然と敵の前に姿を見せられるような存在がただの魔法使いであるはずもなく。
「乗り遅れている、というわけでもなかったみたいだね。よかったよかった、骨折り損のくたびれ儲けじゃ僕が動いた分の見返りが割に合わないからね」
「――消えて貰う」
隔離されたノアをどうにかして救出するつもりが、新手の出現によってそんな余裕はなくなってしまった。
ソーマは背後で単身戦っているであろうノアの心配を頭の片隅に残しつつ、相対する魔法使いの懐へと躊躇なく潜り込む。
「っと。いきなりなんて酷いじゃないか、まだ僕は何もしていないよ」
右から真横に振り抜かれた一閃。
重さと速さを加えた大斧の一撃――刹那の内に放たれた斬撃はしかし、彼の胴体を真っ二つにすることはなかった。
彼はソーマが動いた瞬間、流れるような手付きで直剣を腰から引き抜いたのだ。その直剣は大斧の刃を打ち上げるように触れ、手首を返すことで見事に力の方向を曲げられる。
「なに――」
それは魔法使いというよりかは剣士の動き。刃渡り一メート少しの直剣で大斧の一撃を受け流すなど、生半可な人間が行える所業ではない。
ソーマは振り抜いた大斧を力任せに構え直して隙を最小限に留めると、半歩下がって男との間に距離を作った。
大斧は届くが、直剣の刀身ではぎりぎり届かない位置取りだ。
ソーマも動かず、相手も動かない。
そんな膠着状態が数十秒ほど続いてから突如、魔法使いが直剣の切っ先を地面へと向けた。
――無防備にも降ろしたのだ。目の前で相対している相対している敵が得物を構えて相手の隙を窺っているのにも関わらず。しかしそれを好機と見てソーマが攻撃を加えることはなかった。
魔法使いが剣を握っていたとしても、あれは決して剣士などではないのだから。あくまでも魔法使いである以上その本質は魔法にあるはず。
ならば右手に握られている直剣は魔法使いにとって、戦いの一手段でしかないのだから。
ソーマが動かずにいると、魔法使いはその剣を静かに腰へと差し直す。その間も互いに動きを見せることはなく、ふいに魔法使いは口を開いた。
「随分と面食らった顔をしているね。魔法使いがこうして剣を扱っているのが心底不思議だって表情だ」
「……魔法を、使わないのか?」
「うん? それがどういった意図の質問なのか分からないけど、じゃあこう答えるよ。別に使えないわけじゃないけど使わない理由はちゃんとある。それは、僕が君と戦おうという意思を持っていないからさ」
戦う意思がない――しかし敵対しないという意味でもないと。そう締め括り、魔法使いは己の心臓のある位置を人差し指でとんと叩いた。
何をしているのか、魔法を放つ予備動作なのか、何を示唆しているのか、ソーマにそれを判別する術はない。
「後ろを見てみなよ。きっと、すぐに面白い物が見られると思うんだけどね」
「――っ」
後ろ、それは壁ではない。
――ノアの戦いのことを言っているのだ。
ソーマは得物を両手に握り、己が敵を倒さんと臨戦状態へ入る。
「おや、戦うのかい。でももう話は終わり? 僕は君と戦うつもりは本当にないんだよ」
「そちらにはなくても、こちらにはある」
「そう? 僕はただ、親切心で忠告しにきただけだったのに――」
背後から轟音が響き渡る。
爆散するそれと共に膨大な熱量がソーマの背中を吹き抜け、次に細かい破片がソーマや魔法使いに降り注いだ。
隔離していたはずの壁が破砕する――その異常事態に脳が理解を示した時には、目の前の魔法使いはその場から消え去っていた。
「――でも、もう遅いね」
そんな魔法使いの台詞だけが、どこからともなく聞こえてきて。
化け物のような殺気を放った何かが、背後からこちらへ飛び掛かってくる。ただならぬ危機感をその身に覚えたソーマは身を反転させ、咄嗟に大斧を盾代わりに構え――。
そこに見えたのは。
そこに現れたのは。
「……っ、何故」
全身から紅蓮の如き赤い魔力を迸らせて、ソーマの大斧に喰らいつくその化け物は。
その瞳を血の如き赤色へと変色させ、唸り声を上げてソーマの喉元へ噛み付かんとしているそれは。
「――ノア!」
先程まで己の隣を走っていたパートナー、その変わり果てた姿だった。
◇
「こんなものか」
診療所の地下。
現在、ジョッキー・フリートはここより一つ階下の部屋で、例の培養液に浸かったまま深い眠りに就いている。あの後いくらかの話を通している間に突然呻き出し、そのまま脱力して意識を失ってしまったのだ。
あれだけの怪我だ、逆に今まで意識を保っていた方がおかしいと言えばおかしいのだが、とにかく次の目覚めまで待つ必要があるだろう。あの培養液に入ってから著しい回復の作用が見られたため、まさか死ぬことはあるまい。
その間、俺は診療所内部を漁って治療に使えそうな道具類を探していた。
幸い、使えそうな物は一通り発見することが出来た。いくら魔法で治すにしても消毒液や包帯などの医療道具くらいならばあるだろうと見越していたのだが。
お陰で今まで受けた傷の治療は行えた。
裂けていた腹部は傷口を針と糸で縫合し直し、変な方向へと曲がってしまって骨まで折っている右腕は元の位置へと戻して固定。その他幾つか見られる傷も適宜処置し、消毒も済ませた。傷口から変な病気に感染しても困るからな。
大人しくしていれば全治一ヶ月と言ったところだろう。まぁ、そんな悠長な時間はどこにもありはしないのだが……。
さて。
俺は白テーブルの上に並べた武器の残量を改めて確認しつつ、溜め息を吐く。
銃が一丁。ナイフが二本。剣が一本。この世界に来た当初の大荷物とは一転し、あまりにも頼りにならない武装だ。
この世界に来てから有用そうな武器になり得たのは、海賊から貰ったこの剣だけ。前の世界では道具が発達していた為に様々な物を持ち込む気にはなったのだが、こちらでは魔法が主流であったがために俺が使える物はほとんど無い。
この剣でさえ本来ならば魔法を通して強化するための武器だ。そのまま扱うのが本来の使い方ではない。
こんなことならもう少し前の世界で準備を整えてから来ればとも思うのだが、それは後の祭りだ。世界の移動はそう簡単に行えないし、好きな世界へ自由に移動できるような力は生憎と持ち合わせてはいない。
それに俺が単体でしか移動できない以上、手荷物までしか持ち込めないといった問題も元々あったのだ。
実際は俺もこんな面倒な場所に飛ばされるとは考えていなかったのだし、どこか舐めていた部分は大いにあった。結局は今の俺だからこそ吐ける台詞であろう。
そんなことを考えつつも、俺はその場にある物で今使える整備を行う。
まずは銃の整備だ。一番劣化が酷く、早めにやらねばと思っていたものだ。しかし錆付きなどが酷い。一度本体を全解体し、点検する。細い棒に布を巻き付けてシリンダーや銃身の火薬の残りや埃、錆を拭う。
古い銃だ。少し手入れを怠ればすぐ劣化してしまうというのに、結構放置していたからな。まだ撃てなくはない気はするが、可能ならパーツごと新調したい部分もあるくらいだ。
変えのパーツなど当然無いため同じ型を複製するしかないが――残念ながらそいつは無理だ。機材もなければ時間もない。
それに暴発されても困るからな、銃の使用は極力控えよう。どうせ後三発しか撃てやしない。
次にナイフ、柄の部分に極細の糸を仕込んである物だ。こちらも一度使用してしまったがその後碌な手入れをしていないので、合成繊維の劣化が見られる。不意打ちの一手には重宝するが、脆いのが難点だ。
一度糸を引き伸ばしてこびり付いた血を徹底的に洗い、切断に使用する部分を研磨する。しかしこれも次に使用するかは分からない。ヲレスに通用したのは不意の一度目で、且つ視界が悪く入り組んだ樹海の地形があったからこそ。
今回は完全に相手の得意とする都市での戦闘だ。敵が魔法使いになるにせよ、その他であるにせよ、タイミングは考えねばならない。
「さて、コイツは……流石はこの世界で造られた武器だな。あれだけ酷使しておいて傷一つで済むか」
数多の血で汚れてもまだ切れ味の落ちない剣は術式起動用なれど、間違いなく今の俺の最大戦力。ただ、こいつは本当にただの剣だ。小細工の一つもない戦う為の剣。
結局は俺自身の腕のみに頼らざるを得ないとは思わなかったが――それはまあ、いい。リーゼがいないしな。
血で汚れた刀身を拭い、腰へと戻した。
階下に戻れば、彼は目を覚ましていた。培養液に浸かったままで傷が塞がる様子は未だ見当たらないが、俺が室内へ戻ってきたのを確認するや否やテレパスを繋ぎ言葉を投げ掛けてくる。
(何処へ行っていた?)
「色々と漁らせて貰っていた。傷の手当てもしなけりゃならんしな」
本当に傷の手当てしか出来なかったが。
吸魔石が手に入ればよかったのだが、流石に置いていないらしい。
(すまない、占領してしまって)
「俺は元々そんな液体に浸かるつもりはない。それで――どこまで聞いていた?」
(……この戦が魔物によって仕組まれている、というとこまでは)
――仕組まれている。
そう、この戦は最初から裏で仕組まれている戦だ。
魔法使い側にどれだけの被害が及んだのかは知らないが、学長なる人物が死んだ。それに合わせて、以前から確執深い国からの宣戦布告。いや、唐突な奇襲か。
確かに魔法使いの間では張り詰めたような空気があったに違いない。しかし戦争状態であったのなら、俺が以前に訪れた時点であんな賑わいを見せてはいなかっただろう。
これにはおかしな点が幾つもある。それは主に魔法都市と神聖教国の関係にあるが――根本的な問題として、何故魔法使いの国を滅ぼす必要があるのか、だ。
ノアはこの都市が神聖教国の邪魔をしていると言った。貿易を潰し、島に隔離していると。しかしそれをする利点は魔法使い側に一切ない。
魔法を使う者と使わない者からの糾弾。過去に間違いなくその類の問題は発生しただろう。だがそれは文化の違いであり、個々人を除けば魔法都市が総力を上げて神聖教国を潰して回っているとは思わない。
というより、魔物が介入していた時点でその線は消滅した。
なにより、地図に神聖教国――西大陸そのものが存在していないことが引っ掛かったのだ。
これは単に俺の予想だが、恐らく遥か昔にこの神聖教国は滅びていたのではないか。ただ生き残っている者達が神聖教国を名乗っているだけで、地図上から既にこの土地は消滅していたのではないか。
昔起こったとされる魔法使いの戦争、その人間世界の被害は相当なものだった。今こうして生き残っている魔法都市も人口は精々数千人。海賊の統治する港町はそれ以下か、他は大きくても千人にも届いていないかもしれない。
世界中に蔓延る魔物の存在が人類の繁栄を脅かし続け、人の世界はそんな局面まで追い詰められている。例外を除けば、対抗手段は数少ない魔法使いだけだ。
その状態で他の人間勢力に気を配る理由があるだろうか。
いや、小競り合いが起きているのは知っている。ノアが何度も戦いが発生している旨は話していた。しかし今、危険なのは人間よりも魔物のはずだ。
たかだか数千人規模の魔法都市、それも彼らは積極的に魔物と戦っている都市だ。一国家の全戦力を賭してまでそんな場所に戦争を仕掛ける理由――あるだろうか。
そもそも余裕などないはずだ。国の周りの魔物を一掃するだけでも戦力は足りないはずなのに。
しかも結果は見えている。魔法を使わない連中は結局、サーリャのような強大な個には勝てない。炎で焼き払われておしまいだ。
しかし今回のような作戦で連続的な奇襲を行えば、魔法使い達も疲弊するだろう。ほとんど俺のせいだが、ジョッキー・フリートは最初の奇襲で確かに死に掛けている。
後ソーマのような部隊がどれほど来るのかは知らんが、彼らも敗北するつもりで来てはいまい。
そうなればお互いの戦力は間違いなく半分以下にまで落ちる。
それによって利益を得るのは、魔物だけだった。人類の滅亡を画策する高度な知性体。元が人間という種の変異体なら尚更で、何らかの方法で人間社会に溶け込むことは容易なはずだ。
戦争を起こしたのはノアやソーマの部隊の上層部、らしい。その全容は聞き及んでいないが。
もし、その戦争を指揮する上層部に魔物が紛れ込んでいたとすれば――その可能性も大いにある。あくまでも可能性に過ぎないが。
ともかく、俺が提案したのは双方に戦争の停戦を促すことだった。神聖教国側の特攻兵に関しては……どう止めるかの目処は立っていないが。
どちらにせよ、今人間同士で争うのは不味いのだから。
「んで、お前はどう思っている?」
彼はわずかに眉をひそめる。しばらく返事はなく、ごぼりと培養液から小さな気泡が浮かぶ中――ようやく、テレパスによる答えが返ってきた。
(……奴らが攻め込んできたことに違いはなく、俺達の都市は戦火に放り込まれた。俺は奴らを知らない――強いて知っているとすれば、お前が言うように仲が悪い程度のことで、それも国家単位だ。事実の大半は分からず、何故この場面に魔物が介入するのかも説明が付いていない。はっきり言ってしまうと、物語や空想劇としては立派だが――信じるに値しなかった)
「まぁ、だろうな」
(何より、お前の存在が分からない。話を全て信じたとして、そもそもお前は魔法使いどころか向こうにも肩入れしていないように見える。俺らでさえ直接に知り得ない魔物の情報をどうしてお前が持っていて、奴らの企みを知っている? ……そういうことだ)
「――なるほど」
俺は顎に手を当てる。
思い浮かべるのは青髪の少女――魔法使いの一人、勇者の仲間、サーリャだった。
「おい。お前はサーリャとは面識あるか? 火炎の魔法使いのことだが」
(……何故今それを?)
怪訝そうに言ってくる彼に、俺はこう返す。
「彼女は今この都市に滞在していないな。実は、旅の途中で知り合ってな。中央大陸だ、そこで奴は魔物についての調査を行っていた。俺がこの都市を知ったのも、彼女からだ」
(――アイツが、そう言っていたのか?)
「いいや、戦争に関しては全く知らんだろう。彼女とは中央大陸の時点で別れている。何かまだ用があるとは言っていたが、そいつは俺も知らない。ただ俺が言いたいのは――魔物は、」
一瞬、言葉を切る。
――ここでガデリアから聞いた話を伝えたところで荒唐無稽に過ぎる。今そんなことを伝える意味もない。
「魔物は高度な知性を持っている。全てではないが、少なくとも人間と同等の知能はあるだろうな。姿形が人間のそれとは逸脱しているだけで人間とほとんど変わりはない。そんな奴らの目的は、この世界を魔物の手に陥とすことだった」
この世界と同じ位相に存在する異世界――恐らくは魔法を持ち込んだ元の世界のことについても言及していたことを思い出す。何らかの目的さえ達成すれば、アウラベッドはその世界へ渡ると。
だが、それはここではあまり意味のない話になりそうだな。
「俺はそれを、リオン村でサーリャと共闘を行った際に知った。まぁ何の証拠も無いわけだが……そうだな、強いて言えば彼女から受け取った魔法学校の推薦状が彼女との関わりの証拠にはなるだろう」
俺は懐から書類を取り出し、ジョッキー・フリートの前で広げる。くしゃりと広げられたその紙面。彼はそれを細目で確認すると、再び目蓋を閉じる。
(……聞かせてくれ。お前が言う魔物は俺の理解と噛み合ってない。魔物っていうのは人間を殺す化物――そういう認識じゃないのか?)
「世間一般でいう魔物も存在するが故に、こいつは例外だろう。俺が直接会話を行ったのはアウラベッドと言う名の個体と中央大陸から北大陸へと渡る海域で交戦したもう一体だけだ。その一体は仕留め、海賊率いる町のどこかに研究対象として死体が保管されている。魔物の確認がしたけりゃ現地へ行って聞くといい」
培養液の中、俺の答えを聞いたジョッキー・フリートは静かに目を開いた。液体から僅かに顔を出し、彼はその抉れた首元へ右手の平を当てる。ぼう、と輝く淡い土色の光。
手を離した時、その首元の傷を覆っていたのは岩石のような肌だった。
(――先ほどお前、これは仕組まれた戦争と言ったな。そんなら俺は大分前から……そういった気味の悪いものは感じていたぞ)
ジョッキー・フリートはまだ身体をふらつかせながらも、その身を培養液から引き上げた。首の傷口と同様に、彼を死に至らしめていた傷口が岩石で覆われていく。
依然として受けた傷は刻まれてはいるものの、胸が動いていることから正常な呼吸は行われているらしいが。
ぎこちなく、彼はその口から言葉を発した。
「一人だけ心当たりがある。クロード・サンギデリラ――俺やサーリャと同じ位の魔法使いで、魔物の研究を続けていた男だ。先ほどのお前の話を信じるわけではない。けれど、確かめる必要はあるだろう。大地の魔法使いにしてこの都市を守護している俺が――放置しておくわけにもいかんってことかね」
新しい名の魔法使い。
それは俺が調べた中に記述のあった名前。確か断層を冠する魔法使いだったはずだ。
「そうか。では答えは?」
「一時的に、お前に手を貸そう。その時、改めてクロードの真意を聞き出す。だがもしもお前の言うような事態が本当だった場合、クロードは必ず動き出すはずだ。俺は、最悪を事前に止めるため動くに過ぎない……それは、覚えておいてくれ」
彼はあくまでも自分の疑問を晴らすために動くのだと念を押し、完全に一人で立ち上がった。自らの言っていた復活時間よりも余程に早い時間。
魔法で自らの肉体を補強しているのだろう――動きに若干の無理は見えるが、動けることを示した以上、俺が口出しすることはない。
しかし……そうか。俺の立場に、目的か。
元より、この場所は通過点でしかない。そこに目的など端からない、俺にとっては何の感慨もない、寄り道のような地点。
だけれども。
人に触れることで、俺は思い出す。
俺がかつて何であったのかを。
膨大な時間を、何に費やしていたのかを。
「……俺は少し、思い出したようだ。かつて俺が何を拠り所にしていたのか、何の為にこうしているのか。薄れてしまっていた記憶。俺に光があった頃の静かな覚悟か。すっかり抜け落ちていたな」
「……なんの話をしている?」
俺は答える。
今までの俺であれば返すことすらしなかったはずの答えを。
「俺の立ち位置の話だよ。俺は昔からずっと、ただ人の世を守ろうとしていたな――そんなことを、今更になって思い出しただけだ」
いつからか薄れ、砕け、穢れ、剥がれ落ち、泡沫のように消えた俺の記録。
この先一生取り戻すことはないのだろうが、その在り方だけは変わらない。俺が俺でいようとする限り、俺はきっと人間という種の味方であり続ける。
ただ、決して人の為などではなかったが――それは人の世を救い、人でなくなった俺が最後に見つけた、俺が人であろうとするための最後の足掻きのようなもの――だった。
ならば今の俺は。何を以て、人間を守ろうとするのだろうか。機構の残滓か、それとも。
「……は?」
「さて無駄話は終わりだ。回復したんだろう? 時間はあまり残されてはいない。魔法学校へ急ぐぞ、そこが主戦場だ」




