六十三話 前を向いて
「なぁ、一個訊きてぇことがあんだけど」
道中、ノアはわざわざ足を止めてまでして間を置くと、俺の顔を見上げてそんな言葉を放った。ざんばらな白髪が木々の間を駆ける風によって更に荒れ、それを鬱陶しそうに直してから改めて俺の目を覗いてくる。
細められた深緋の瞳には、力強さが籠もっていた。
「何のためにうちらに協力すんだ」
「ん? 先程も言ったがヲレスを始末するのが俺の目的だからな。心配するな、一方的に協力するわけじゃないさ」
そのために協力関係を結んだのだから。
アレは一筋縄でどうにかなる相手ではないが、この集団なら可能性はある。
だが、ノアが訊きたいのはそういったことではなかったらしく。
「ちげーんだよ。なんか、それが建前にしか見えなくてさ」
邪推って意味じゃねぇよとその後ろに続け、ノアは後ろ髪を片手で掻く。
「ええっとな……歯切れ悪いな、なんて言ったらいいかわかんね。けど、そうだな。おまえはさ、何のために魔法使いと戦うんだ?」
「何のために、か」
なるほど。
考えたこともなかったな。
俺にとって奴は邪魔な存在であり、それ以上でも以下でもない。目的を遂行する上での弊害は早い内に叩き潰しておくのは俺の中では当然の思考として纏められていて、従って何のためにと言われると――最初に帰結するだけだ。
けれどもノアが言いたいのがそういうことでないのは、俺にもよく分かる。そう答えるのは不適格であろう。
しかし俺は他に答えも持ち合わせておらず、そう返答することしかできない。
「俺の場合の敵は魔法使いではなく、ヲレス個人だけだがな。奴は俺の目的にとって邪魔だから始末する……これでは理由としては足らないか?」
「理由じゃねぇんだって。あんな、うちが聞きてぇのはさ、志? っつうか、求めるものっつうか。そんなんだよ……分かり難かったらわりぃけど」
ノアは困った風に苦笑し、視線を俺から前方へと逃がした。
口にしたいが思うように言葉にならないらしい。このまま立ち止まっていても時間が過ぎるだけなので、俺は特に何を告げるでもなく歩みを再開する。
その上で、ならばと問い返した。
「お前は何を望み、魔法使いと戦う?」
「ん、うちか。別に大したことじゃねぇけど知りたいなら教えてやる。聞くか?」
黙って首肯する。
都市に付くまでの間、彼女はそんな言葉を切り口に話を始めた。
「――うちはアレだ。まぁよくある話っちゃあ話だよ。魔法使い共を全部ぶっ殺してよ、自分達の平和が欲しいだけなんだ」
神聖教国は周りを海に囲まれた小さな大陸であったが、その分水の豊かな国であった。温暖で気候も過ごし易く、栄養豊かな土地は作物も芳醇で人が過ごすには十分過ぎる土地。
――ノアが生まれた時代の遙か昔の話ではあったが。
その昔、世界を崩壊させかねない規模の戦争が各地で発生していた。
魔法使いが暴れ、国々が魔法を巡って争った凄惨な世界大戦。その戦には神聖教国も例外なく巻き込まれ、その結果人が住める土地はその頃の半分以下にまで減ってしまった。
魔物が蔓延る大地が半分、神聖教国が所有する人の国が半分。不幸中の幸いと言えたのは、崖や山に囲まれ自然の防壁に守られし当時の首都がその後も魔物からの防壁として機能し続けたことだった。
戦争終結後、神聖教国にはとある宗教が生まれ、それが現在にも根付いている。魔法排斥を唱えた司教祖とその宗教だ。
それの根底にあるのが魔法の排斥と豊かな国の再興であり、神聖教国人が武器を取り魔法を使わない理由にある。
名を国から取って神聖教と呼称したそれは今も深く西大陸に根付き、国という概念や境界すら曖昧になりつつある神聖教国では未だ誰もが魔法を使わない。
使えば異端者として処刑されるから、誰も使わないといった背景はあるが。
その中でノアは生まれ育ってきた。
大自然の壁の中で生を育み、当然魔法そのものは悪しき存在としてその心に根付いている。
壁の外の世界に存在する魔物。人間を襲う魔物。
それらは全て魔法のせいだと教えられてきたノアが幼き頃、彼女は両親を魔物の被害で無くし――その時初めて神聖教国が抱える戦力というものを知った。
それがソーマ達が所属する部隊、魔物や魔法使いに対抗する戦力として独自に訓練された兵士達であり、身寄りが無くなったノアを引き取ったのがソーマであった。
「うちはソーマに頼み込んで訓練を重ねて部隊に入った口だよ。そんで色々、事情を知ったっつうか」
「魔法使いとは戦ったことがあるのか?」
「何度もあるよ。あんまり表立ってねぇけどさ、小競り合いってぇのはずっと続いてたんだ。向こうはこっちのことを排除しようとしてるし、こっちも同じだ。うちはもう知らねぇ範疇だけどよ、神聖教国の人も結構拉致されたり、人体実験されたり奴隷にされたりしてたんだってよ。そんなの許すわけねぇ」
人体実験と聞いて真っ先に俺の頭に浮かんだのはヲレスの顔だ。俺が治療を受けたあの施設からして、奴は噛んでいそうだな。俺のような奴であれば喜んで人体実験もするだろう。
「魔物だって被害は尋常じゃねーんだ。今回は魔法都市を落として、二度とうちらに楯突けなくしてやる。でも復讐じゃねぇ。この狂った世の中変えるんなら魔法はなくさなきゃならねーし、そのためにゃ魔法使いも倒さなきゃならねー」
「そうか。そいつは立派な考えだ。俺には奴を殺すことにそんな大層なものを抱えてもなければ、お前の理想に口出しすることもないからな」
俺がこの世界に留まるのは、ただ一つ。
「……なぁ。ならおまえは何を望んで戦うんだ? 全くないわけじゃないんだろ。うちは言ったぞ、今度はそっちが教えてくれよな」
「あるにはあるが……どうしてそんなことを聞く? 俺の目的が何であれ、魔法使いが敵である内はお互いの利害は一致しているはずだ。俺はお前達を裏切るつもりはない」
「あー、そういうんじゃないんだってよ! レーデ、おまえにゃ意志とか感情とか、そういうのがこれっぽっちも見えねーんだ。うちらが奇襲した時だって何も見えなかったし、実際何とも思ってねーような対処してきやがったし、ソーマと話してる時もうちと話してる時も何一つ見えなかった! だから、せめて聞きたかったんだよ、おまえが何やろうとしているのかを」
俺に感情が見えない、ね。
「俺だって苛立つこともあるさ。傷を負えば怒りは芽生えるし、旨い物を食えば旨いと言う。人を人形みたいに言うな」
「……じゃあおまえ、今生きてるか? 生きようとしてんのか? 少なくとも、うちには今――おまえは死にたがっているように見えるんだ」
――ああ。
ノア、か。こいつはどうやら、俺のことを意外と見抜いているらしい。俺のどの行動や言動からそう察したのかは知らないが。
確かに俺は、生きちゃいない。
生きようともしていない。
知られたからといって、何だという話でしかないのだが。
「どうしてそう思った?」
「だっておまえ、痛いって言わねーんだもん。死んだら死んだでそれでいいとしか考えてねーようなことしてっしよ、それに旨いもん食ったら旨いって言ってたけど、お前が自分で食ってんのはクソ不味いもんじゃねーか」
「死に掛けで飯もなけりゃ、何だって食うだろう」
「……じゃあその残ってんのを捨てろよ、栄養が足りてねぇならまた飯食わせてやる」
「分からないな。俺にそこまでする理由はなんだ」
「――ばっか」
ノアはそう吐き捨てて、俺を睨み付ける。
「心配に決まってっからだろうが! おまえは自分じゃ分からねーだろうけどよ、見てて痛々しいんだよ。死にたがってる奴を見てっと心配になんのは当たり前だろ? おまえが強いのはすげぇ分かるけどさ、だからって自分を蔑ろしていいわけねーんだ。その傷で普通に動けるわきゃねーんだ、あんなもん無表情で食える方がおかしいんだ、いつ殺すかも知れねーうちらに平気で協力関係申し込むなんてあり得ないんだ。おまえ生きたいとか全然思ってねーよ。だって」
ノアは一度言葉を切って、大きく息を吸い込んで。
「おまえずっと――目が死んでんだよ! うちは生きようとしねー奴は嫌いだ!」
俺の胸倉を掴んだ彼女は。
大声で、そう叫んだ。
「そいつは、悪いことをした。お前にはずっと、俺がそう見えていたか」
「……否定しねーのかよ」
「ああ、しない。お前の言ってることが全てとは言わんが、大体合っている」
「じゃあおまえ、本当に死ぬ気なのかよ。ずっと死に場所求めてこんなことやってんのか?」
「そうだな。否定はしない」
掴まれた胸倉が更に締めつけられた。
ぎりぎりとコートが軋む音を上げ、ノアの瞳に怒りが宿る。
「じゃあ今ここで、うちがおまえを殺してやる。死にてーとかほざくような軟弱者の協力なんざいらねー。だっておまえ死にたいんだろ? そんな奴に背中預けられるかってんだ。ここで死ね、それで本望だろ」
俺の首筋に、ノアの構えた針があてがわれた。
刺そうというのか? 俺を。
「……死ぬ場所は俺が選ぶ。だがここで死にたくはないな」
「うるせぇ――死ぬだなんて口にすんな、死ぬか生きるかはっきりしろよ」
「お前には俺は殺せないさ。その手を離してくれ」
「うるせぇ! 何でおまえにそんなことが分かるんだよ!」
「そのくらいは分かる」
何故ならノア――お前は優しい奴だからだ。
そんな奴が俺を殺せるわけがないだろう。
そして、そういう奴から皆死んでいくのだ。
どんな心持ちを得ていようとも関係ない。この世を生き抜くのはいつも狡猾な奴で、犠牲になるのは生き難い性格をしている奴だ。
お前のような。
そして今はいない、リーゼのような。
「その針に毒は塗られていない」
「でも刺しゃ死ぬ!」
「その位置からじゃどう刺しても急所には届かん」
「――ああ! そういう澄ました態度が……クソがぁ!」
ずぶり、と首筋にノアの針が突き刺さる。
どくどくと流れ出る血が服を汚し、血臭を辺りに漂わせる。
けれど死なない。なるほど針の扱いには長けているようで、刺されて大事に至る部分は全て避けて刺さっているらしいな。
感情任せになりもしない……優しい奴だよ、お前は。
「何で、何も、反応しねぇんだよ」
「そんな脅しで心が揺らぐのは、死にたいと抜かして誰かに助けを求めているような奴だけだよ。俺は、そうじゃない」
「……そう、かよ」
針が抜かれる。
胸倉から手を離したノアはそっぽを向き、諦めたような呆れたような盛大な溜め息を吐いた。
首筋に手を当てた俺は傷が深くないことを改めて確認し、刺し傷の血を一撫でするだけして放置する。そう時の経たない内に傷も塞がるだろう。いい腕だ。
「先を進もう。あまりもたもたしていると情報収集が遅れるぞ」
「指図すんな、分かってら……つまらねぇことして悪いな、もう何も言わねぇよ」
そうしてとぼとぼと歩みを再開したノアに続き、俺も後をついていく。
随分と嫌われてしまったものだ。
そして、いつぶりだろうな――生きろ、と激励されたのは。言外に死ぬなと叱咤されたのは。
さて、どうしたものか。
「ノア」
「……あんだよ」
「俺はな、自分の人生にけじめを付けるためにこうしている」
「……あぁ?」
まるで意味が分からないといった風に首を傾げた彼女に、俺は苦笑する。
そりゃそうだ。今の俺の言葉を聞き、自棄になっていると考えない奴はいない。
だが、言おう。
――俺も随分、ヤキが回ってきたようだ。
「それが死ぬってことかよ」
「いいや。少し意味の分からないことを言うかもしれんが……聞いてくれるか?」
「……じゃあ言えよ」
何から話そうか、と思い悩んでから。
俺は、長くは語らないことにした。
つまらない話をそう聞かせることでもないからな。
「俺は一度死んでいるんだよ。どこか遠い世界で一度死に、俺はこうして生きている。だが俺は今の俺を生きているとは思っちゃいない」
「……意味わかんねぇよ」
「本当の俺は、遠い世界で死んでいる。順風満帆とは言えなかったかもしれないが、それなりな苦労とそれなりな幸せを味わって――死ぬ、はずだった」
けれど、こうして生きている。
幾度の世を渡り、生きることも死ぬこともなくだらだらと旅を続けている。
俺は死なない。奴に追い掛け回されている内は、死ぬことがない。奴が俺を見放さない限りは俺が死ぬことはない。奴が俺を手放さなければ、俺は死なない。
――だから、初めて俺はけじめを付けようとおもう。
奴から。
あの女神から逃げ続けるのではなく。
例えそれが無意味で、俺が今までやってきた行いを全て無駄だったと認めることだとしても。
「何が言いたいんだ?」
「俺は本来、もう生きていないってことだ」
「でも生きてんじゃねぇか、馬鹿」
「……そうだな。まぁ、聞け」
こんな話をしたのも、最後はいつだったか。
誰かに自らの中身を話すというのはそれだけで心が洗われるものだ。どこまでも廃れてしまった俺だとしても、やはり変わらないらしい。
そういう人の部分は、人でなくなった今も同じか。
笑えもしない。
「俺は俺の人生を正しく終わらせるために、動いている。ちょっと近くて遠い場所に目的の人物が居てな、そいつとけじめを付けて、俺は自分の人生に終止符を打とうと思っている」
「そんで?」
「……いいや、それで終わりだよ。要領を得ない話で悪いな」
「ああ、ほんとにな。うちにはぜんっぜん分かんねぇな。多分おまえと同じ歳になっても同じじゃねぇか」
そいつはどうだか知らないが。
「まぁ、そうだな。俺はこれから、人生の後始末をしようとしているんだろう」
「……人生の、後始末……ねぇ……」
そのためには当然、奴と対面する必要がある。
だが――今更話し合いなんてものを設ける気はない。
なるべくの準備は整えなければな。
ノアが小さな声で反芻した以降、しばらく互いに会話はなくなった。
俺もノアも無言で歩き、土や草を踏み締める足音だけが鳴る。
いつ頃だろうか。
ノアが「レーデ」と呼んだのは。
「色々あったんだな、ってのは分かる。うちみてぇなガキに口出しされたくねーのも分かる。でも言うぞ。あんま難しく考えちゃいけねーぜ。うちだって一度は路頭に迷って死ぬところだったんだ。でもソーマに助けられて、うちは死ななかった。だからこうして生きてる。うちは本当は死んでたはずだったのに、どんな形であれ今こうやって地に足付けて立ってんだ」
本質的に彼女の言っていることと、俺の言っていることは違う。
しかし。
彼女は笑顔を作って、こう繋げる。
「だからさ、もっと前向けよ。もっと楽しいこと考えろよ。せっかく生きてんだ――そんな悲しい顔して辛いことばっか言ってねぇでよ。もっと自分が楽しいと思えることを、もっと自分が面白いと思えることをしろよって、うちは思った!」
身を反転、ノアが軽く放った拳が俺の横っ腹に直撃する。
「――っ」
「お、痛いか?」
「……当たり前だ」
「なら、やっぱ生きてんだよ。死んでたら痛いなんてねぇって。だって痛みを感じるのは、生きてる証拠だ。人は死ぬから痛いんだ」
そんなノアを見て、俺は特に言い返すような愚は犯さない。
――それでいい。俺の頭が少し堅物なだけで、本来ノアの言っていることが全てだった。
今を必死に生きるのが人間で、それが出来る人間は素晴らしい。
俺がそれをしないのは――骨を埋めると決めた世界があるからで。
けれど、これは誰に言うでもない。
俺がそう決めて俺がこれで一番納得し満足すると誓ったからこそ、この道を征くのだ。
「全く……ああ、そいつはいいな」
「だろ? うちはおまえに死んで欲しいとは思わねぇ。ソーマが言ってたじゃねーか。なぁレーデ、全部終わったら死ぬなんて言わねぇでさ、うちらんとこ来いよ。歓迎するぜ」
「そうだったな。前向きに考えておくさ」
きっとその道はないのだろうけど。
俺は自然と笑って、ノアの頭部へ拳骨を落とすのだった。
「――ってぇな! こら!」
「腹の傷を殴ってきたお返しだ。そろそろ着くぞ」




