六十一話 協力関係
ばちり、ばちりと燃ゆる篝火を前に、三人の男女が胡座を掻いて座っている。
一人は大斧を構えた無骨なイメージを持つ青年だ。彼は古傷の見え隠れする全身を覆い隠すよう外套を羽織り、揺れる灯火の天辺を眺めている。煤の降り掛かったとでも表すべき緑髪が火に照らされて輝き、尖った目つきは獣の如き鋭さを持っている。
「ソーマ、おまえいい加減気ぃ抜いたらどう? こいつは別に大丈夫だって、うちらと同じ臭いすんよ」
その青年はソーマ、と呼ばれて視線を傾けた。
「今それを吟味しているんだ、ノア」
「吟味っておまえ、変わらねぇな……」
対する軽口を伴う片方の人物はそう言って、ソーマの隣に屈んだ。
口調の荒々しさとは裏腹に柔く高い声で、動きやすさを重視した紺色の着衣から見え隠れする女性的な起伏から、誰が彼女を見ても男と見間違えることはないだろう。
ノアは湿気で癖の付いた頭髪が気になるらしく、透き通る白髪を手櫛で何度も梳いているが、差ほどの効果は得られていないようだ。
「大体よ、海賊の剣なんて持ってっからいけねぇんだよな。そんな誤解させるような物持ち歩かれちゃ、思わず殺しちゃうじゃねーの」
いい加減跳ねた毛が戻らないことに諦めを付けたのか、ノアは頭髪を整えることを止める。代わり、どこからともなくその指先に納められていたのは――三本の針だ。
禍々しい色と返しの付いた針が指の間に挟められ、切っ先が篝火の向こうで座る人物に突き付けられていた。
「それはおまえのせいだってこと、分かってる? ちゃんと理解してんならいいんだけど」
「お前らの事情など知らん、勝手に俺のせいにするんじゃない」
「あん? 喧嘩売ってる? もしかして売ってる?」
総勢三名、決して仲の良いとは言えない面子の集まりだ。
場所は深まった樹海の中、夜を越すために燃やされる薪がぱちぱちと弾ける様が、まるで両者の散らす火花のようで。
「……ったく、いきなり襲ってきたのはお前だろうが。俺が怪我をしていなければ、誤って殺していた」
疲労で窶れた顔に、ここでは珍しく目立たぬ漆黒の髪を持った男。
そこに、レーデは居た。
何故こんなことになったのだろう、と。
最早思考するのも面倒になるほど疲れ切っていた俺は、眼前の二人と揺らめく火を挟み、遠い目をしていた。
いや、まさか樹海でそう何度も襲われるとは流石の俺でも思うまい。
一度目に原住民の蛮族共に襲われてからすぐにヲレスに奇襲を掛けられ、こうして一人さまよっている内、とうとう三度目に遭遇した。
二度あることは三度あるというが、俺には運とやらが著しく欠如しているらしい。
ほとんど動かない右腕の先、僅かに指先だけを動かしつつ俺は左手でレッドシックルの剣の鞘に手を当てる。
事の顛末はこうだ。
俺がガデリアの元から離れて樹海に戻った後、そこには何もなかった。
置いていた荷物は丸ごとリーゼが持っていってしまい、勿論本人もいない。ヲレスに襲われたあの日からの時間経過を把握することも出来ないでいた俺は、仕方なく樹海を歩いてどこかへ出られないかと思考錯誤をしていた。
しかし。地理の把握能力自体には長けていたつもりであったが、流石に樹海から抜け出すのは容易ではなく、俺はそこから更にしばらく歩き回って周囲を探索する羽目に陥った。
何日が経過したか、何度日が落ちたかは分からない。
空腹も相当に限界に達していたが、精々食えるものはそこらに生っている木の実や果実程度の物だ。毒かそうでないかは口に入れた瞬間に判別が付くため毒に当たることはなかったが、それで満足に体力を回復できるはずもない。
特にヲレスにやられた傷がかなり痛かった。右腕は動かず、腹部には酷い裂傷と全身打撲。幸い、腹部の刺し傷に関しては内臓系のダメージは避けられたため無茶をしなければそのうち塞がってくれるだろう。
だが、やはり右腕そのものが機能不全なのは困る。全く動かないということでもないのだが、神経を断ち切られた経験は俺だってない。
お陰で行動力も半減し、相変わらず樹海をさまよっていた時だ。
強烈な殺気と共に、俺は襲われた。
真正面から大斧を振り翳して突っ込んでくる者が一人、背後から忍び寄ってくる者が一人。
俺は即座に思考を戦闘へと切り替え、レッドシックルの剣を引き抜く。
がちり、と斧を剣の刃でいなし――背後には回し蹴りで対応。開いた傷口からどくどくと血が流れるが、そんなものに構っている暇はなく。
「おまえ海賊だな、何でこんなところに……とか知らねぇけど、とりあえずぶっ殺してやんよ」
俺の蹴りをその全身で受け止めた――少女、と呼ぶにはもう少し成熟した、そんな女が殺意の籠もった声でそう宣言した。
そう。
この樹海、ほとんど奇跡とも言えるような確率で人間と遭遇し、その上海賊に敵意を持っていた二人に俺は敵性と判断され、一切の躊躇すらなく襲い掛かってきた――ということであった。
「はん、うちが殺さないように手加減してやってただけだってのに、随分いい気になるじゃねぇかよ」
「ぶっ殺すって単語が聞こえたのは気のせいだったのか?」
「ああ気のせいだよ気のせい、おまえの耳に幻聴でも届いたんだろ、死が近いんじゃねーのか?」
俺は深い溜め息を一つ。
「誰のお陰で傷口が開いたと思ってる」
「うちのお陰だな」
「お前のせいだな。いいや、今更とやかく言うつもりはないが」
「言ってるじゃねぇかよ」
んで、今俺とこの二人――ソーマとノアの二人と和解(?)しこうして暖を取っているのは、一重に俺が海賊でないことが分かったからである。
そもそも俺の姿で海賊と重なるのは剣のみだ。格好も風体も海賊と掛け離れているし、何より俺に一切の魔力はない。そんな奴は海賊にはいないし――そもそも一人でこんな場所に居るわけがない。
それは最初にノアの方が口にまでした些細な疑問が正しかったし、誤解を解くのはそう難しくはなかった。
余計な労力と傷は負ったが。
そんなわけで、俺はレッドシックルの剣をここでは拾った物だとして扱うことにしている。理由は知らないが明確な敵意を海賊に向けている以上、俺が奴らと――ギレントルやガイラーと懇意なのを知られて得になることは一つもないからな。
わざわざ解けた疑いを再燃させる意味もないし、言い訳を重ねるつもりはない。
「……んで、俺は単なる遭難者だが、お前らも同じか?」
今はそういうことにしておうのがいいだろう。
「はぁ? うちらが遭難してるように見えるかコレが」
「違うならこんな場所で何をしている」
「おまえの知ったこっちゃあないね、教える義理も道理もないだろ」
「そりゃ違いないがな」
持っている得物からして、ただの旅人でもあるまい。護身用にしては使い慣れ過ぎている。
まあ間違いなく、何らかの任や目的を負っているのは確かだ。
そして特徴的なのは、こいつらが二名とも魔法を使わない点にある。使えるのか使わないのかは定かでないにせよ、俺との戦闘時に肉体強化すらしなかったことを鑑みれば使えないと考えてもいいか。
俺の誤解が解けたのが割合早かったのも、俺が一切の魔法を使用しない戦い方をするからであるのだろう。
さて海賊と何があったのか……あまり深入りはできないな、俺から聞くことじゃない。
「んじゃ逆に聞くけどよ。おまえは何で遭難してんだ? その怪我、普通じゃないのは見て分かる。戦って遭難したろ」
「ああ、原住民にやられてな」
「……あー、あの話の分からねぇ連中のことか、そりゃお気の毒にな」
どこかで自分達も襲われたのだろうか、ノアは苦笑した。
「――けど不思議だな。あんなのにやられるような奴には見えないんだけど」
「相手は百を越える軍勢だぞ?」
「いやおまえうちらの奇襲をその怪我で返してきやがったじゃねーか、あんな素人連中に遅れを取るかって話。本当は何やってたんだ?」
さらっと話題を引き戻し、ノアは空色の瞳で俺を覗いてくる。
端から俺が観光や酔狂で訪れている人間でないことは見抜いているらしい。
そりゃあそうか。
多少の戦闘技能がなければ危険過ぎて外を出歩けないことは前提としても、俺は多少の域を越えているからな。護身で武器を持っているわけじゃないのは、同じく物騒な得物を身に付けている連中には分かるみたいだ。
「……さてな。同じ事を言わせて貰えば、俺がそれを話す義理はない。だが、そう大した目的じゃないがな」
「なんだよ教えろよ」
「自分だけは隠しておいて俺には洗いざらい話せとでも言うのか」
「――じゃねぇと、ソーマが気を抜かねぇ。あんま必要ない殺しはしたくねぇんだ、分かるな?」
遠回しな脅しか。
俺はちら、と青年の方へ目を向ける。
大斧に手を掛けたまま、ソーマは身動き一つ取らないまま俺に目を向けている。鋭く尖った深緑の眼は――しかし、警戒はしていても睨んでいるというほどではない。
先ほど吟味していると言った通り、俺を何らかの形で見定めているのだろう。
「……分かった。話そう」
ここで幸いなのは俺が余計な荷物を所持していないことだった。
そんなものを持ち歩いていたら逆に不審が高まるだろうし、中身など見せるわけにはいかないしな。
とはいえ勿論全部は話さない。海賊関連は全て伏せるにしたって、俺がリーゼやヲレスの事まで話す理由はないからな。
こいつらがどの組織に所属する何者かが分からない内は。
「俺は見ての通り旅人でな。各所を旅しているんだよ」
「こんな物騒な世の中をか?」
「退ける腕はあるだろう」
「だからって好き好んで旅に出るかよ……んで?」
俺はこの先何を伝えるかを頭の中で整理し、順に口にしていく。
「俺には連れがいるんだが、そうだな。歳はお前より少し下の少女だ」
「げ、そういう趣味なのか?」
「違う」
これまでも何度か言われたりもしていたが、俺はそんな奴に見えるのか?
訂正するのも面倒臭い。
「見ての通りはぐれた。そいつも腕は立つんで生きているとは思うが、どこにいるかは分からん。だから俺はひとまず樹海を抜け、魔法都市アリュミエールに戻――」
「おい、今なんつったんだ?」
ノアは俺の首元に針をあてがい、眉間に皺の寄った顔が僅かな殺意をちらつかせる。遠巻きにそれを見ているソーマも、緊張の高まった様子で大斧の柄を握っていた。
……なるほど。
魔法を使わないのはそういった理由からか。
「魔法都市に向かおうとしていると言ったんだが、何だ。何かあるのか?」
「――いや、何でもねぇ。続けてくれ」
「そうか」
――海賊、ひいては魔法関連が禁句なのは理解した。こうなると俺が魔法を使えないのも幸いしたな。
ならば魔石についても、なるべく所持していることは伏せておかねばな。
「もしかしたら、そっちの方へ連れが戻っているかもしれなくてな。出来れば戻って合流したい」
「ほお。んで?」
「……その口調からして、お前らは魔法都市に用があるみたいだ――」
「余計なことは喋らんでいい、おまえの事を話せよ」
ふむ。
「ったく、分かったよ。別に俺は連れと合流できればそれでいいんだ。いなければいないでよし、合流してもしなくても魔法都市から離れる。お前らの目的とやらが何かは分からんが、邪魔をするつもりはない。これでいいか?」
「あい分かった。別に嘘は言ってねぇみたいだからうちは信じっけど、そんところどうだソーマは」
「よく分からない」
ソーマがそう言うと、ノアは一つ頷いてから俺へ視線を戻した。
「んじゃ大丈夫だってよ」
「……今ので何が大丈夫だったんだ?」
「ソーマは優柔不断なんだ、だから分からないってことは大丈夫なんだろ」
「……そうか。なら別にいいんだが」
ノアとソーマの殺気が消え、俺は深く息を吐いて地面に腰を落ち着ける。とりあえず、この状態から戦闘に入るのは避けられたようだな。
「俺の警戒が解けたなら結構――さて、それじゃあお前らの目的を聞いてもいいか?」
「は? 何でだよ。別に慣れ合うつもりはねーし、警戒してねぇからって仲間だとか思っちゃいないからな」
「いいや、お前らの目的次第じゃ良い協力関係になれるかもと思ってな」
これだけ魔法に対して露骨な敵意を向けている二人だ。
向こうが黙秘をしたところで、これから何をしようとしているのかは大体分かる。
まさかそれを利用しない手はないだろう。
「協力? お前とか? いきなり意味わかんねー奴だな、おい」
「二人はこれから魔法都市へ向かうんだろう? 丁度いい」
「――は、ちょ、なんでそれを知ってんだよおまえ!」
ノアは妙に狼狽え出すが、すると俺と彼女の間にソーマが割り込んできた。
「そこまで露骨に反応をしていたら誰でも察しは付くだろう、ノア。俺でも分かる」
「うっそだーソーマじゃ『いや、もしかするとこうかもしれない』『いや、これでもない』とか言って結局わかんねぇだろ」
「馬鹿にするな。俺は優柔不断ではあるがノアと違って馬鹿ではない」
「おい今馬鹿にしたのか? 馬鹿にしたんだよな?」
喚き散らすノアの顔面を片手で制し、ソーマは首だけをこちらに向けた。
ノアの振り回す腕がぽかぽかと頭部に直撃しているが、意にも返さない無表情の口が、俺に向かって開かれる。
「――協力関係。して、君は遭難中だったか。何かと引き換えに魔法都市までの同行を所望、ということか?」
「そうじゃない。いやまあ、それも含めてではあるが」
「うん? よく分からないが……つまり?」
咳払いを一つ、俺は空気を切り替える。
なるほどソーマという青年の方は無駄口が少なく話しやすいな。
さて。
「いや、な。俺は一つお前らに話していなかったことがあるんだが――実は俺が遭難した直接の原因は原住民のせいじゃない、そこの後ろで暴れてる奴の言葉通りだ」
「おい! なんかそれ馬鹿にしてねぇか!?」
「うむ。全く話が見えてこなくて俺は困惑し――」
ソーマが顔をしかめ、丁度その眉間にノアの裏拳が激突。
とうとう業を煮やしたのか、ソーマは無表情のまま立ち上がりノアの腕を絡め取ると、背負い投げの要領で彼女を奥の草むらに投げ飛ばした。
叫びながらフェードアウトしていくノアを完全に無かったものとして扱い、ソーマは再びその場に座り直し。
「ええと。困惑だ。つまり?」
仲がよろしいようで結構。
「確かに原住民にも襲われたが、実のところそいつらは撃退した。俺が連れと別れた原因は――その後、とある魔法使いに襲われたからだ」
「――な。何故それを言わなかった」
今の言動にはソーマも驚いたようで、そう聞き返してきた。
「お前らが魔法使いの仲間だった場合を考えたまでだ」
「なるほど。今更話す気になったのは、俺やノアの反応で疑いが解けたからこそというわけだな」
「ああ」
がさがさと草を掻き分ける音と共に「なんだってー! なんでそれを早く言わねぇんだこの馬鹿!」とはノアの声。
まぁ、向こうには返事は必要ないな。
「俺は、その魔法使いを始末しようと考えている――お前はソーマと言ったな。これは予測に過ぎんが……その武装、これから魔法都市を何らかの形で襲うつもりなんだろう?」
個人か、魔法都市全体か。こいつらの標的が何であるかは分からないが、魔法使いであることは確か。
――ならば乗るだろう。
案の定、ソーマは深く頷いた。
そして、こう言った。
「その魔法使いの名は?」
「魔法学校十二人の首席の一人。《傲然搾取の狂人医術師》、ヲレス・クレイバーだ」
ソーマはくく、と笑った。
「ああ、そいつか。して君の名は?」
「レーデだ」
「うむ。既に知っているのは承知だが、改めて自己紹介をしよう。俺はソーマ。そして向こうで地面と戯れているのがノアだ。これからよろしく頼むよ、レーデ」
「おい誰が地面に投げたと思ってんだこら――え、優柔不断のソーマが物事を決断した!? う、嘘……そんな!」
そんなわけで、俺は騒がしい二人組と共に行動することになる。
……さてヲレス。お前にはさっさと消えて貰わなくてはな。




