五十九話 真実
アリュミエール魔法学校首席、十二人の魔法使い。
その内の一人であるサーリャは、中央大陸の地下に隠れ家を造っていた。
奴隷商の人間を一通り撒いて逃げてきたランドルは未だ意識不明のリーゼを背負いながら地下通路を歩いている。
サーリャが火の玉を松明代わりに浮かべて先導を行っているのだ。
即席で造られている通路はサーリャが土魔法で掘ったもので、そこを火魔法で焼き固めて出来ている。入り口はガレアから距離を置いた森の大木の幹からだ。どうしてそこまでしてこんな場所に住処を作ったのかは、サーリャ本人が自ら道中に説明していた。
「私も奴隷商に追われてんのよ。だから結果的にアンタやリーゼを見つけたってことなんだけどね。まぁそれだけじゃないけど、それ以上は部屋に到着してからにするわ。こっちよ」
複雑に入り組んだ地下通路。何本もある道からサーリャの隠れ家に辿り着く道はたったの一本しかなく、後は凶悪な罠が待ち構えている。
それは人間が間違った道に入れば確実に即死してしまう類の強力な罠で、自分以外には絶対に到達できないようにと時間を掛けて造ったのだ。
ランドルがサーリャの後ろにくっつきながら歩いていると、その内広い空間に出た。石扉をサーリャが開けば、真四角に切り出された空間が広がっている。木製机や魔力灯など、最低限の設備が整えられた部屋だ。
ここがサーリャが隠れ家にしている場所なのだろう。
「……しょ、っと。リーゼはまだ寝てるわね。悪いけど座るとこなんてないからそこの毛皮の上に寝かせてあげて、毛布は……」
サーリャは端に畳んで置いてあった毛布を取り出し、毛皮の絨毯の上へと寝かせたリーゼに掛ける。
怪我のある程度はサーリャが回復魔法で治しているため、その内に起きるであろう。すやすやと眠るように意識を失っているリーゼの肩まで毛布を掛け、サーリャは真紅のローブを脱ぎ捨てた。薄手の生地が折り重なった乳白色の衣類が見え、健康的な白い肌が露出する。
ランドルはそんな彼女の動作に少々戸惑ってしまったが、既にリーゼという一例で経験しているため、指摘することすら諦めることにした。
男として見られていないというのは悲しくもあるが、これまでずっと船長を眺めていたランドルからすれば慣れている。
いつものことだと割り切って、机の上に体重を預けた。
「既に魔物とは会ったかしら」
「……ああ、まあ。会ったよ、あれを魔物と呼んでいいのかは定かじゃないけど」
「その様子なら何の説明も要らないわね」
対面するようにサーリャも机に手を置き、ランドルと視線を交わす。第一声が“そんな内容”であることから、彼女はもっと魔物について詳しい調査を行っているのだろう。
「そ。私がこんなとこにこんな隠れ家造ってるのは、私が魔物にも狙われているからよ」
「――な」
「最初奴らは私に対して見向きもしなかった。魔物の癖に人間を殺しに来ないし、なんか人間臭いし、だから私は一人残って魔物という存在を探っていたの。リーゼと離れて行動していたのはそのため、んで色々と分かったことがあるんだけど」
サーリャが取り出したのは、一枚の地図だ。それ自体は市販されている地図でしかなかったが、彼女が書き足したマーカーが多くの場所に付けられている。
「これが魔物が出現した場所。人里を襲ったのがこの色のマークで、そして」
サーリャは数ヶ所のマーカーを順番に指差していった。
「これが、魔物が奴隷商の人間と対話をしていた場所」
「……は?」
これにはランドルも聞き返すことしかできなかった。
魔物が人間と話しているなど――そんなことは普通有り得ない。リーゼでさえ臨戦態勢で対峙していた魔物だ。ランドルに至っては魔物がただ目の前に存在しているだけで、威圧と恐怖でほとんど動けないような相手だ。リーゼがいなければ会話を行うことすらままならなかったし、いくら気性の荒い奴隷商の人間とて、条件は同じなはず。
「奴隷商の奴らが使ってた、赤い力。分かるでしょ?」
「分かるも何も、あれは」
「そうよ。あれは魔物が持つ……いいえ、魔物が扱う魔法よりも一つ上の概念とでも言えばいいのかしらね、まあそういう類のぶっ壊れた力なわけよ。アンタは海賊だから、知ってるんでしょうけど……奴隷商の奴らは、魔物からあの力を貰ってたってわけ」
「――ちょ、ちょっと待ってくれ。貰ったってそれは」
海賊レッドシックルはその昔、何らかの方法で魔物から力を奪い取った。それがあの赤い色の異質な魔力であることは周知の事実である。
しかし――貰った?
「……そんな誰にでも使える力ってわけじゃないだろ? 第一魔物がそんな力を人間に与えてどうするってんだ」
「私も分からなかったわ。だから調べたのよ。それで秘密を知ったから――私は、命を狙われているんでしょうね」
サーリャは憎々しげに笑う。
命を狙われていると言った割には怯える様子さえなく、獰猛な三白眼が細められてより鋭さを帯びる。いつでも戦う準備は出来ているかのように。
「あの魔物たちはつい最近、本当に最近現れた存在よ。詳細までは知らないけど、まだ一年だって経っていないのは確か。魔物ではあるけれど、従来の魔物の定義からは大きく離れていると認識すべきね」
「……それなら俺も知ってる。多分、ていうかリーゼさんから聞いたから本当だと思う。その魔物も神って奴から力を貰ってああなっているんだ」
イデアが関わったことで、魔物は知能を得た。知能を得る前の魔物は呪われた人間で、その前は自分達と変わらない人間だったという話を。
ランドルが知っている限りのことをここで整理してサーリャに伝えると、彼女は目に見えて表情を険しくする。「なるほど」と呟いた口からは戸惑いの色も含まれていたが、そのどこかに納得した様子も見受けられた。
恐らくは、足りなかったピースが上手く嵌まったのだろう。
――魔物は人間であった。その疑問は直接的でないにせよ、どこかでサーリャも考えていたに違いない。
「はっ、神ね。そうね――あれを神と呼んでいいんだったら、そうなるんでしょうね」
「見たことあるのか?」
「見たことあるわ。調べもしたわ。意味が分からなかったわよ。あんな概念が存在すること自体私は知りたくなかったわ」
魔物が使う魔法も、海賊や奴隷商が使う赤い魔力も、そこにリーゼの勇者を加えてもいい。それらは全て同一の概念の延長線で片付けられるものであって、異質の領域にまで達してはいなかった。
――しかし、神の持つ何かは何も理解することができなかったのだ。彼女しか持っていない固有の能力でもあるのだと無理矢理納得しなければならないほど、異質だった。
「……多分、あれが知ってんでしょうね」
「え?」
「なんでもないわ。今のは独り言よ」
サーリャは話題を切り捨てる。
その頭に浮かんだ人物は、今ここに居るべきはずで、居ない人物に向けられていた。
「怪しすぎて、考えない方が可笑しいくらいよ」
レーデと呼ばれるあの男がリーゼと一緒に旅をしていた時期は、神と呼ばれる者が魔物を操って動き始めた頃とほとんど重なっている。誤差は、魔物の動きが少し早かった程度。
サーリャは彼と短い間を共にしていただけであったが、その辺りの胡散臭さは感じていた。リーゼが信頼を寄せていたので悪人ではないことだけ確かだったが。
「勿体ぶっても仕方ないわね。それじゃ、奴らの目的を教えるわ」
本当はリーゼが起きてからにしたいけど、と一言置いて。
「魔物は、人間同士が争って破滅することを企んでいるのよ」
そう言った。
◇
トンネルが破壊されたのは、サーリャが村でリーゼとレーデの二人から別れてすぐのことだ。
そのトンネルを通って魔物の調査に出ようとした時だった。
酷い地鳴りが起きて、立ってすらいられないほどの地震と共に目の前のトンネルが崩れ――サーリャは、そこに魔物の姿を確認する。
ギルディア。竜の魔物が、遠くからサーリャを見下ろしていた。
本能的な危機を察知して逃げ出そうとするが、遅く。
逃げ場を塞ぐように、背を向けたサーリャの眼前に着地する。
ずしりと地に付いたその鱗の足。広げられた白翼が威圧を成し、その魔物は腕を組んで黙していて。しかし不思議と襲ってくることはなかった。何を目的とするかも分からない琥珀の瞳は瞬き一つせず、こちらへ向けられている。
魔物が動いたのは、サーリャが逃走を諦めて魔法の詠唱を始めた最中だった。「向こうへ渡りたいのか?」と、その口は確かにそんなような言葉を放った。
自分で破壊しておいて何をとも思ったサーリャだが、サーリャ自身同じ言語で意志疎通を図ることのできる魔物の存在には、もう一度接触しようとしていたのだ。
だからなのか。
全身に魔力を纏わせつつも詠唱を中断し、サーリャは魔物に向かって口を開く。
「私を殺そうとしないのね。どうして? 魔物ってのは人間を殺すものでしょ」
それに対して魔物は鼻で笑う。サーリャの言葉を嘲るように。
「答えは簡単だよ。私は人間を殺そうとはしていないから、殺していないのだ」
魔物の足下に巨大な魔法陣が現れる。それはサーリャをも飲み込むほどの魔力光で、反撃の魔法など間に合わず。
「何よ、そんなの――」
――見たことない。
精々発することのできた言葉も、光と共に呑み込まれ――。
次にサーリャが見た景色は、トンネルの前ではなかった。
どこまでも続く、緑の大地。所々に花畑が窺えるような、平和な景色だった。
「転移魔法……? 嘘でしょ」
竜の魔物が行使した魔法は、魔法使いであるサーリャが理解不能な仕組みで構成されていた。そのため攻撃の類だと予測し、魔力を防御に回してその攻撃に備えてはいたのだ。
自らの周囲に張っていた魔力の壁が、発動時間を過ぎて音を立てながら崩れる。
攻撃ではなかった。
しかし、先の魔物が使った魔法は全くと言っていいほどに理解が追いつかないもので。あんな形の術式などこれまで魔法を学んできたサーリャが見たことすらなく、魔法陣など机上の理論でしか存在しなかったものだ。誰も現実に成功した者は居ず、だから言語を用いた運用を誰もが突き詰めていた。
魔法学校も同じだ。専門職の頂点にまで上り詰める十二人の魔法使いも、魔法陣を紙面の上でなく現実の空間に記し、行使まで辿り着けた者は存在しない。或いはあったのかもしれないが、実用段階に達しなかったのだろう。
少なくともサーリャの知る限りはなかった。
それも中身が転移魔法ともくれば、サーリャがある種の戦慄を覚えるのも当然だった。
「ここは……私が向かおうとしていたトンネルの向こう側ね。あの魔物はいない」
ゴルダン渓谷らしき巨大な山脈が遙か遠くの視界に映っていることから、相当離れた距離に飛ばされたのだろうけど。
ほんの微かに残る魔力の残滓を感じ取って、その歪さと精巧さに舌打ち一つ。
「……魔法陣、ああやって使うのね、紐解いてみれば簡単なことだったわ。どうして今まで気付かなかったのかしら」
口から飛び出したのは魔物のことではなく、魔法であった。
魔法は体内に蓄積された魔力を別の概念に変えることで成立する。
ほとんどの魔法を修得する中でサーリャが最も得意とするのが、火を生み出し操る魔法だ。火という形態であればどのような形に変えることすら容易く、疑似的な生物に変化させて単純な命令を与えることさえも可能なほどには、火に関しての造詣は深いつもりだ。一番とまで言い張るつもりはなくとも、現段階の火魔法の使い手に於いて上位であることは確かである。他の魔法も定型なら扱えるように努力してきて、だからこそ十二人の一人にまで昇り詰めたのだと自負していた。
それが。
目の前に現れた魔物が、いきなり自らの知らない技術を用いた魔法を放ったというのだから、ショックは大きい。
魔法使いとして磨いてきた技術とは全く別の技術を見せつけられて、相手が人間だとか魔物であるとかを抜きに――ただ、悔しかった。
それも転移の魔法だ。
魔力という万能因子ならば何でも起こせるとは言われていたが、それでも人間が行使できる範疇は限られている。
一体どのような思考回路をしていれば、転移などという魔法を編み出すことが叶うのか――。
魔法陣にしたってそうだ。簡単とは言ったが、それは言うだけの話だ。実際に行う上では全く簡単な所行ではない。
まさか魔力そのもので術式を描き、魔法陣そのものに転移魔法の意味を持たせるなど――常人では不可能だ。前提として魔力量も必要で、且つ膨大な精神力と術式理解を深めていなければ、魔法陣を描く段階で破綻するだろう。
しかしそれらの問題を突破してしまえば、言葉を介する魔法よりもより強力で精密な魔法を行使することが可能になる。
人一人を瞬時に、こんな場所に飛ばしてしまえるほどの強力な魔法――それを魔物が使ってみせた。
怖気が走る。
同時に、疑念も。
あれだけの魔法を楽々行使できるというのなら、魔物が人間を滅ぼすなど造作もないはずなのに。町一つ滅ぼすのに自ら乗り込む必要すらない。遠方から強大な魔法を展開し、町に落とせばそれだけで終わりなのだ。
今までの魔物なら人間を殺すためにやってきただろう。しかし竜の魔物は人間を殺すつもりがないと言った。かといって友好的なわけでもなく、人間に危害すら与えてくる。村も襲うし、実際にトンネルを破壊して通行を困難にもしてきている。
「妙な知性を持ってからの奴らの行動原理は分からないけど……危険なことに変わりはないわ」
ずっと気になっていたことだ。
魔物の動きがおかしくなったのは、サーリャの村に伝染病が撒かれた時期とも重なっている。それは、魔物がやったかもしれないのだ。
「私も切羽詰まってて、全部リーゼに投げちゃったけど――今度こそ、私一人で何とかしなくちゃね」
あの時は伝染病を治すために奔走していて、魔物の動向を調べることを疎かにしていたのだ。伝染病の治療を頼める人物とコンタクトを取って、次はその治療代の工面で全神経をすり減らしていた。
お陰でリーゼには相当な負担を与えたし、その間の魔物の出現については空白と言ってもいいほどの空きが生じている。
その穴を埋めるのはサーリャの仕事だ。そうするためにリーゼと別れた。だって彼女と一緒に居ると、サーリャは何もできないから。
「私は、もう守られるだけの人間じゃない――」
昔。
旅の途中でサーリャは一度死に掛け、そこをリーゼに助けられている。以来サーリャが戦ったことは一度たりともなかった。どんな戦いでもリーゼが前に出て全てを倒し、サーリャが戦おうとしても止められた。だから裏方に徹した。磨いてきた魔法も使われることがなくなり、いつの間にか魔物の動きを調査しリーゼの身の回りの世話をするだけの付き人に成り下がっていた。
何のために魔法使いになったのか。それは、魔物を駆逐するためではなかったのか。覚えてきた魔法は、生きていくための力では決してなかったはずだ。
その魔法は、殺すために覚えてきた。家族を守るために、大切な人を守るために、村を守るために、サーリャは魔法の研鑽を積んできた。
「――今は一人だから、誰も私を守っちゃくれない。だから震えてる暇なんてないの。私は、私ができることをするだけよ」
進化し人間の言葉を解するようになった魔物が何を企んでいるのか。それを暴き、その上で、滅ぼす――それがサーリャのやるべきことだ。
リーゼは新たな仲間と共に、魔物と戦っている。
なれば己も頑張るしかないだろう。
そして、いつしかリーゼと背中を預け合い、共に隣で戦える仲間となるのだ。
そして、サーリャは独自に魔物を追い、その目的を突き止めた。
魔物が人間達同士で争い、破滅させるように仕向けていることに。
トンネルの破壊など序の口に過ぎなかったのだ。
魔物はこれまでも何度も人間に扮し、細かな工作を起こして人間同士の亀裂を深くしている。
時には堂々と村を襲い、魔物としての役割を全うしつつ――人間に力を与え、人間として恨みを与え、人間同士に戦う意味を持たせた――。
奴隷商に魔物の持つ力を渡していたのは、彼らが人間を害する存在だと知っていたからだ。トンネルを破壊して通行不能にしたのは、人間が北の大陸に渡れなくするためだ。勿論他の大陸に渡るルートも潰され、今中央大陸に住む人間はどこにも逃げられなくなっている。力を持った人間達は増長し、好機と見て暴れ出すだろう。
だが魔物はたったそれだけのために中央大陸を閉鎖したわけではなかった。
魔物の本命はそこにはない。中央大陸が閉鎖するということは、他の大陸も移動面が不便になるのだ。開拓の進んでいない旧大陸は関係ないとしても、南大陸と北大陸は中央大陸を経由して進まなければならず、その中央大陸が閉鎖している現状、北から南に渡るためにはまだ大陸指定のされていない小島を経由して渡ることになる。
その経由する小島に、北大陸を制する魔法都市アリュミエールと相当に仲の悪い武力国家が存在していた。
即ち、魔物が中央大陸を閉鎖する上での本命の狙いは――。
北大陸と小国の、全面戦争である。




