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トラベラーズ・レコード  作者: くるい
呪縛の在処
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五十八話 紅蓮に染まる夜襲にて

 話し合い以降、リーゼもランドルもお互いに言葉を掛けることはなかった。


 目立った喧嘩などがあったわけではない。

 ただリーゼが話すべき事柄を話さないでいたために、どうにも関係がぎくしゃくしてしまったのである。しかし、ただでさえ鞄の中身も見せようとしなかったリーゼがイデア(丶丶丶)についてまで秘匿したがったのだから、疑いの念が生まれても仕方のないことだった。


 ――話せる時がくれば話す、じゃあその時ってのはいつなんだ?

 それ以上を話そうとしなかったリーゼに、ランドルは疑問を持つ。

 リーゼが悪い奴だとは思わないけれど、どうして隠さなければならないのかが分からない。

 その理由すらも教えてくれないというのでは――全面的に信頼など、出来るはずがなかった。


 そんな中でも、今後の予定は二人の内で決めてある。

 魔物の正体がおおよそ判明した今、ランドルがすべきことは他の町の調査だ。

 ガレアに魔物が現れていなかったからと言って、他の町でも同じとは限らない。そのため、この後一番巨大な王都へ渡って聞き込みを続ける。それと同時進行で、魔法使いサーリャとお尋ね者である奴隷商の幹部アベリンヌ・ローリアの行方を調べる。

 これが最優先事項だ。


 次に優先すべきはトンネル修理のための人員を集めること。魔物の仕業と分かった以上、壊れたまま放置しておくのは危険だ。

 そもそも空を飛ぶなどの例外を除き、あのトンネルからしか山越えは不可能に近い。

 早い内に護衛と修理の人員を相当数集めておいて、取り掛かる際はリーゼが護衛、ランドルが修理の補佐役として加わる予定である。

 ランドルは既にガレアで建築家の魔法使いを一人確保しているが、少なくとも後十人は欲しいところだ。護衛はもっと欲しい。

 ――と、予定だけはご立派に組み立ててあるのだが。


「……はぁ」


 ランドルはリーゼが眠るベッドに背を向けたまま、溜め息を吐く。すうすうと背後からリーゼの寝息が聞こえてくる。

 彼女は一体、何を隠しているのか。まるきり悪意が伝わらない分、とてもではないがやり難い。


 連絡用の魔石が入った箱を懐から掴み取り、目の前に翳すようにして眺め、気持ちをリセットするようにして軽く深呼吸をする。視線はすぐに窓から見える夜空へと切り替わり、ランドルは吸い込まれそうな黒と点との散りばめられた世界をぼんやり眺めていた。


「……リーゼさんの連れは、行方不明なんだもんな」


 船長達に任せているレーデの捜索は順調に行っているのだろうか。見つかれば魔石は砕けて連絡が送られるのだから、未だ行方不明であることは確かなのだが。


「……寝るか。寝ちまおう」


 考えは纏まらない。

 考えるべきことも問題点も多過ぎて、ランドルには手に負えるものじゃない。今は信じて行動を共にするしかないのだ。

 船長が信頼した人だ。純粋無垢で、天然で、しかし心に深い何かを背負う少女。


 ランドルはもう少しだけ彼女のことを信じることに決めて、瞼を閉じる。

 意識は、あっと言う間に現実から遠ざかっていった。










 ランドルが異変に気付いたのは、空が少しずつ白み始めた頃のことだった。

 起き上がり、隣でリーゼが寝ているはずのベッドを見ると――誰もいなかった。眠りが浅く、まだ寝惚けていたランドルも数秒後にその事実を認識して飛び起きる。


「……鞄、はあるな」


 けれど本人はどこにもいない。乱雑に剥がされていた毛布に手をやれば、誰かが寝ていた暖かみは全くない。

 結構前にベッドから出ているのだろう。

 では何処に?


 不安が募った。ただでさえ昨夜のやり取りで疑念を抱いているといういのに、その矢先にこれか。

 脳裏に嫌な予感が走った。もしもランドルは最初から騙されていて、イデアとリーゼが密会でもしていたら――いいや、それでは一緒に旅をする意味がどこにもないのは分かってはいるけれど。

 でも、不安が支配する。不安が頭を駆け巡る。

 自分が気を失わされていた間の会話をランドルは全く聞いていない。後にリーゼから聞かされただけ。

 どうして今、リーゼはこの場にいない? それも長い間――鞄を残して――鞄?


 そうだ、鞄だ。

 見て欲しくないと言って見せてくれなかったその鞄。確か本来の持ち主はレーデであったか? 彼が背負っていたのは何度かこの目で見ている。

 やけに大きい荷物だったためずっと気懸かりではあったのだ。


 もしも“イデア”に関する手掛かりがそこに記されていて、それをリーゼが隠しているのだとすれば。

 頑なに見せようとしなかった理由がこの中に隠されているのだとすれば。

 ――今、リーゼはこの場にいない。

 見るなら今だ。今しかない。


 ランドルは毛布を剥ぎ、ベッドから降りて端に置かれる鞄へと向かう。


「……なんだこれ、どうやって外すんだ」


 鞄を漁る。

 半ば無理矢理に、鞄の留め具を引き抜いて中身を晒け出した。


「……マジでなんだ、これ」


 出てきた様々な中身の半分以上に、ランドルは眉をしかめる。携帯食料がごろごろと転がっていてるのはいい、衣類や本はまだ分かる。

 しかしこれらは――。


「煙草……だよな?」


 豪勢な箱型の入れ物。透明な包装に包まれた紙類に書かれる文字や絵柄は到底理解し得ないもので、銀色の破れた包装からはそれらしき白い何かが一本飛び出している。鼻を近づけてみれば臭いで煙草だと判断はできるが……。


「他はちっとも――さっぱりだ。武器っぽいのもあるけど……俺が見たことのないもんがどうしてこれだけ……そういやあの人は変な戦い方をするって、船長も副船長も口を揃えて言ってたけど。それと関係あるのか?」


 考えてみると、レーデの服装からして見たことがないものだった。どこの誰が作ったのか、情報屋でないにせよ各地をその足で回ったランドルが全く見たことがないなど。

 ふと、見やる。革張りの分厚い本を手に取って表紙を見る。著者名無し。タイトル無し。

 考えるまでもなく、本の装丁は見たことがない。表紙をめくり、一ページ目には直筆と思われる文字が書き連ねてあった。

 ――読めない。


 更に言えばどこの言語なのかも判断が付かなかった。未開の地にここまでの文字の文化があるとは思えないし、中央や北でも存在しないだろう。

 文字などそこまで詳しくはないが、とりあえず。

 こんなものはただの一度も見たことがないというのがランドルの感想だった。しかも本によってまるきり言語が違う。それなのに、書かれた文字は全て手書きで、恐らく同一人物が記したと見ていいだろう。

 どれも読み取ることすら不可能で。


 そんなものが大半だ。鞄だってどこで制作されたのかも分からない代物。

 見れば見るほど不思議になってくるが……誰がここまで鮮やかで繊細で頑丈な鞄を造ると? それも鞄などに。

 リーゼが中身を見せたくなかったのは――これらを見せたくなかったから?

  どちらにせよランドルに理解できるものなどほとんどないし、精々文句を言わせて貰えば、ランドルが持ってきた資金が子供のお小遣いに見えてしまうほど大量の金が、小分けで鞄内の袋に納められていたことだけだった。

 まさか大金の所持を隠すための拒絶では――なかったろう。


「なんだ、なんなんだ……俺は、何に巻き込まれてるんだ……?」


 分からない。分からないが故に、何かとてつもない嫌な予感だけが背中を突き刺すように、ランドルは緊張と焦りに襲われて急ぎ気味に鞄を閉じた。そうして留め具のような物を引っ張ってジジジと閉じるそれを見て、また顔を歪める。

 ――しかしランドルが次なる思考をする前に、強烈な爆発音が耳をつんざいた。


「何だってんだよ!」


 外からだ。

 窓を開けて身を乗り出す――そこに見えるのは、武装をした男達だ。全身から赤い魔力(丶丶丶丶)を垂れ流しに、ぞろぞろと足並みを揃えて何かを追い詰めているように先を進んでいた。


「おぃ兄ちゃん……見たなァ?」


 その内の一人が、こちらを振り向いた。猛禽の目つきがランドルを見据える。


「お、お前ら……奴隷商の連中?」

「あぁ? 詳しいじゃねぇか――だったらなんだ? なんにも起きてねぇよ、ただちっと爆破しただけでな……悪いこたぁ言わねぇから大人しく引っ込んでな、優男の兄ちゃんよ」

「んなこと言われたって……」


 薄汚い笑みを浮かべて通り過ぎていく男達。

 ランドルは、彼らに、いや――彼らにではない。

 彼らが使う赤い魔力(丶丶丶丶)に見覚えがあった。


 見覚えがあるどころではない。

 男達の先に、ランドルは目線を移動させ――。


「……なっ」


 もうもうと煙の立ちこめる中。

 風に吹かれて薄れゆく間に、血だらけの誰かが腕を押さえて立っている。

 小柄な少女だ。ショートソードを構える赤桃色の髪。流れる真っ赤な血液で顔を濡らし、傷だらけの身体で男達と相対するその姿は――。


「リーゼ、さん!?」

「あぁ? てめぇ――アイツの」

「やってらんないぞ全くよ! このクソったれ!」


 足に魔力を込める。

 勢いを込めて窓から飛び出し、壁を蹴って男達を越えて先の地面へ着地する。


「おい逃がすな、このクソ野郎をぶっ殺せ!」

「やってみろよ――俺に追いつけんならな! リーゼさん!」


 色々と聞かなきゃならないことがある。

 でも今は、逃げなければ。


「ら、ランドル、さん――?」

「手を伸ばしてくれ、早く!」


 背後から並々ならぬ殺気と共に赤い鬼気が叩き付けられる。その間を掻い潜り、リーゼの手を取って煙塵の奥へ身を放った。

 リーゼを抱えたまま、ランドルは一寸先も見えない煙の中を突き進んでいく。その横を駆け抜ける鋭い音や衝撃は、奴隷商の追っ手が放ってくる何かだ。

 早く撒かなければランドルの命も、ない。


 リーゼの傷は結構な重傷に見える。

 どうして怪我を、それもこんな奴隷商如きに傷付けられるような人ではないはずなのに。


「怪我ぁしてんだろ、何が起きてんだリーゼさん……!」

「すみません……力が、力が入らないんです……」

「な、なんでだ!?」

「分かりませ、げほっ……」

「大丈夫か!? 力抜け、今は力抜いて、俺から離れないようにだけしてくれ!」


 赤き力。

 それを奴隷商が使っているのは何故? あれは、まさか見間違いなどあるわけがない。魔導球から生み出される魔力と、全く同種の力――。

 海賊であるレッドシックルが、船長達だけが持っているはずの力ではないのか――。

 駆ける、走る、逃げる、遠く離れた場所へ。


 か細い腕の感触を確かに受け止めながら、ランドルはリーゼを背負ってとにかく逃げた。後ろから幾つもの叫び声が聞こえてくる。奴らだ。

 殺すまでどこまでも追ってくるだろう――。

 まずリーゼに怪我を負せるような連中に、ランドルが戦って勝てる道理はない。


 とにかく逃げろ、逃げ切れ。

 逃げる為の足だけが――。

「俺の、取り柄だ」

 だから、勇者リーゼのお供に選ばれたのだ。

 情報収集が出来て生き延びることが出来る人物という条件だけなら、ランドルが群を抜いている。


「リーゼさん」


 全速力で逃げながら、ランドルはリーゼに言う。


「鞄の中身を見た」

「……え?」

「イデアって奴のことを知ってるってのも、俺はちゃんと知ってる」

「……っ」

「俺はさ、ちょっと頭が足りないみたいで混乱してっけど、リーゼさんがすげぇ大事なこと隠してるってのは分かる」

「……それは」

「でもそいつは俺を騙したいからじゃないんだろ。顔見れば分かる。俺がリーゼさんを信じるのは、リーゼさんを信じたいと思うからだ――けど」


 ランドルは更に足に魔力を込めつつ、続ける。


「絶対話して貰うよ、こいつらから逃げ切ったらだ。いいね?」

「え、と、でも……」

「絶対だからな? もしも話したことで俺がなんかやべぇことに巻き込まれるとか思ってるんなら、もう遅い。俺だって何度も危ない魔物に襲われてるし、レッドポートだって襲われてる。リーゼさんが話す話さないに関わらず、俺はもう巻き込まれてる。無関係なんかじゃないんだ。いいか! 話して貰えないんならこっちにだって考えがあるぞ」

「――ランドルさん、どうした、んですか?」

「どうしたもこうしたもない! いつまでもそのつもりならレーデさん見つかったって報告来ても教えないからな」

「え、えー……っと」


 ここから投げ落とすぞとまで言わないのはランドルの良心……と言うよりかは、弱っている状態のリーゼを抱える状況でそれはいくらなんでも冗談で済まされないから言わなかっただけである。


 しばらく無言になってしまったリーゼは、やがて弱々しく、ランドルの首に回していた腕をきゅっと抱いた。


「……話せないこと、なんです」

「だからなんでだよ? その訳を教えてくれたら俺だってこんなに追求しないって!」


 ――ばこん、と炸裂音。

 駆け抜けていた横の壁に赤い線が走って、そこが木っ端微塵に弾け飛んだ。

「うわぁっと!」

 四散し降り掛かってくる瓦礫を避け、ちらりと後方へ目を移す。

 そこには、最初の数から倍以上に増えた柄の悪い連中が追い掛けてきていて。奴隷商が引き連れる勢力、その全員が凶悪な赤い力を纏ってる。

「こりゃマズっ……!」

 危険を察知し、ランドルは道の入り組む方へと身を反転させた。

 左の曲がり道に突っ込んだ瞬間、一歩前の地面が赤く染まって円形上に潰れた(丶丶丶)。ぐしゃりというよりは、巨人が大地を足で踏み抜いたかのような酷く重たい地鳴りがして――。

 重なる衝撃が背後からじわりと伝わってくる。本当に後一瞬、判断が遅れれば文字通りに潰されていた(丶丶丶丶丶丶)


「……教えてくれよ。実はあの野郎とグルで、裏で手を組んでいるってことじゃないんだろ」

「ち、違います……!」

「だったら――いや、いい。とにかく言って貰うか、ら!」

 必死で逃げているはずなのに距離を離せている気が全くしない。飛んでくる()を間一髪で避け続け、その度に破壊されてしまっている通路へ少しだけ申し訳なく思いつつ。


「――うっそ、だろ……地理に詳しくなかったのが、敗因だったってか」


 逃げ続ける道の先は、なかった。

 行き止まりだ。壁に手を付いて荒げている息を整え、ならば壁の上から逃げられないかと悪足掻きを考えてみる。


「おいおい兄ちゃん追いついちまったぜ? 完璧にな」


 ――遅かった。

 二度と逃がすまいと、両手に二対の大剣を構えた大男を先頭にぞろぞろと追っ手がやってくる。


「一応聞くけどリーゼさん、空とか……飛べない?」

「すみません……さっきからやってるんですけど、力が、なんでか入らなくて」

「……了解」


 壁を背に、ランドルは追っ手と相対する。

「――クソ」

 どんな理屈で力を生み出せているのかは知らないけれど、今つけ狙って来る連中の全員が赤き力を纏っているのは確かだ。

 魔導球はどこにもない。ならば自力で、己の肉体一つで成立させているのだとしか考えられないが――信じたくなかろうとなんだろうと、つまりは個人の戦闘力だけで船長や副船長に匹敵しているのだと考えた方がいい。

 当然にして、ランドルには単体で赤い魔力を生み出すような芸当は成し得ない。なのに、目の前の全員が例外なく使えているなど――いくらなんでも可笑しかった。


「後ろがなけりゃ逃げられもしねぇよな? さっきまでの威勢はどこに行った? 逃げてみろよぉ正義のヒーローくん」

「く……そいつは俺達海賊の専売特許なはずだけど……その力、お前らどこで手に入れやがったんだ」

「あぁ? やっぱテメェ――上んとこの海賊か。ッハッハッハハハハ! テメェ一人だけか! いいねぇ、前々から気に食わなかったんだ――その女ごと始末してやるよ」


 哄笑が通路を支配する。

 男達が一歩ずつ詰め寄ってくる。

 逃げ場のないランドルを前にして愉しんでいるのだ。


「――畜、生が!」


 ぎらり、とランドルは赤い刀身を右手で引き抜いた。たったそれだけでは心許ない得物だったが、彼らの赤い力に触れれば、その一部を奪い取って己の力に出来るはずだ。海での魔物が海賊に対してやってきたように。

 ランドルはリーゼを抱えたまま、右腕を前に腰を落とす。

 背水の陣。逃げるのが無理ならば、戦うしか道は残されていない。


「一応聞く、リーゼさん。一人で立てるか?」

「……降ろして下さい、なんとかやってみせます」

「――ぁあ、了解」


 血塗れの彼女は自らランドルの背を離れ、その後ろに立つ。構えた剣はランドルと同じく赤い剣。それを両手で構え、ランドルの横へ並び立つ。狭い通路はそれだけで塞がり、男達は面白そうに舌舐めずりをして各々武器を取った。


「まだ殺る気があるとはいいねぇ……二人共仲良く嬲り殺しにしてやるよ!」

「そっちの女もお前も、裸に引ん剥いて晒し首だ」

「売られた喧嘩は百倍にして返すのが筋だよなぁ、優男くんよ?」

 多勢に無勢のこの状況。

 奥歯を食い縛って、ランドルは吐き捨てる。

「うるせぇクソ雑魚共――いいからかかってきやがれってんだ!」

 全身に魔力を通す。

 男達に遠く及ばない質の強化だったが、ランドルの気を引き締めるのには十分だった。


「決めた。テメェは楽には殺さねぇ、末端から丁寧に刻んで達磨にしてから火炙りだ」


 先頭の大男が二対の大剣を左右に広げ、足場を蹴った。

 異常なまでに強化された肉体は一瞬の爆発力を生み出し、両手でやっと構えられるるような分厚い大剣を左右から、挟み込むようにしてランドルを襲う。

 それをリーゼが右の剣に合わせ、ランドルは左の剣に合わせて弾き返そうとするが――。


「――っつあぁ!」

「――あああ!」


 大男の馬鹿力に呑まれ、逆に弾け飛ばされる形になった。鈍い音がしてランドルもリーゼも横の壁に叩き付けられ、力を失って地面に崩れる。


「おいおい、威勢の割には随分とお粗末じゃあねぇの? 力が足りねぇな!」


 満身創痍。ほんの一瞬だけ恩恵を得て赤く輝いた剣も意味を成さず、次なる一撃がランドルへ叩き込まれた。

 ランドルを狙った一撃は、寸でのところでリーゼが受け流した。大剣は軌道を逸らし、すぐ横の地面を抉り取って破砕する。

「な、んで――……」

 だが、リーゼが剣戟の衝撃に耐えられず剣を取り落とした。

 がしゃんと地を跳ねる剣へ視線を落として――リーゼの脇腹に、大男の蹴りが炸裂した。短い悲鳴を上げ、再度強烈に壁へと激突して今度こそリーゼは力を失う。


 いつもなら魔物を一方的に抑え込めるリーゼの実力は、全くと言っていいほどに発揮されていなかった。

 意識を失い伏してゆくリーゼをその目に収めた時、ランドルは己が無意識的に抱いていた淡い期待も外れてしまったことに、絶望を覚える。


「おおっと。骨の二、三本はぶち壊しちまったかもな――次はテメェの骨が悲鳴を上げる番だぜ」


 どうすればこの場を切り抜けられるかだなんて、ランドルに考える時間も余裕もありはしなかった。

 己の顔の側まで向かってくる銀閃を前に、ランドルが取った行動は剣を盾にすること。しかし一度やって駄目だった行動が二度やって成功する道理はなく――同じように弾き飛ばされ、壁に背中から衝突する。

 嫌な音が背中から聞こえた。


「がはぁ……っ」


 血反吐を吐くと、予想以上の大量の赤が口を通して対外へ吐き出される。吐き気がする。目眩がする。脳が痛くて心臓が痛くて全身が痛くて、ランドルも剣を取り落とした。

 そのままずるりと地面へ倒れる。手をついてそれでも視線を上に上げると、汚い口を広げて高らかに笑う大男の姿が一つ。

 その後ろにも大勢の男達があざ笑いながらこちらを見ていて、きっとまぐれや奇跡が起きてこの男を打倒したところで意味はないのだ――と、どうしようもない現状にランドルの視界はぐるぐると揺らいだ。


「さあてと、女はローリアさんに引き渡さなきゃならねぇがよ。テメェの是非は聞いてねぇし、ここらで足の二本は失って貰うぜ? ハハハハハ!」


 ローリア。

 アベリンヌ・ローリア……この奴隷商達は逃走したその人物の手先だったのか、と今更ながらにランドルは気付く。

 最初から恨みがあって、リーゼを追い掛け回していたのだろう。

 気付くのが、遅すぎるけれど。


 大男がこれでもかと大剣を振り上げる。

 きっとあれが落とされた先には自分の足があって、このまま行けば両足とは一生おさらばだ。

 リーゼは完全に気を失って、血塗れの姿でぴくりとも動く気配はない。


「こんなとこで……終わんのかよ」


 血を吐いて、その剣を虚ろげに眺める。薄暗い空に溶ける暗色の大剣は、今か今かと鋭い刃をこちらへ向けている。


 それは、ゆっくりとこちらへ向かってきた。

 世界の全てがスローモーションに見える。

 それと一緒に、今までの人生が泡のように浮かんでくる。


 海賊になる前の頃。

 一人で各地を回っていた頃の記憶。

 今の船長に捕まえられてから、船員としてやってきた日々。


 今まで忘れていた日常が、一斉に頭の中を飛び出して駆け巡る。きっとこれが走馬灯というやつなのか。

 死ぬ間際に見るという、あれだ。


 じゃあ、どうやら本当に死ぬらしい。

 すぐ目の前まで刃が迫った時、ランドルは生きようとする試みを諦めた。刃の間に滑りこませようとしていた左腕とか、力ないままでもどうにかして握り直そうとした剣とか、そういった諸々の動作を全て止めて。

 死を、受け入れ――、


「《イグナイト・ロア》」


 唐突に現れた爆縮が、泡沫の走馬灯ごと大剣を吹き飛ばした。

 真っ赤に染め上がった視界。

 肉の焼け焦げる臭いと熱風が喉奥にまで入り込んで、ランドルは弱々しく咳き込む。

 死を覚悟した瞬間――何が、と。


 徐々に薄らいでいく赤色の奥を覗けば、先ほどまで大剣を振り降ろそうとしていた大男は火達磨と化して、目の前で仰向けに倒れていた。

 噎せ返る熱さと臭いの中、ランドルは目を大きく見開く。


「上がお粗末ね。そんなんで追い詰めちゃったつもりなら甘いとしか言いようがないわ――死んで出直してきなさい」


 ランドルの視線の遙か上。

 建物の屋根に、一人の少女が右手に炎を集めて立っていた。怜悧さを想起する青色の髪とは裏腹に、苛烈な紅蓮のローブで全身を纏い、煌めく炎が彼女の周りを螺旋状に渦巻いている。


「《メテオ》」


 彼女が何かを詠唱した。


 途端。

 空に無数もの炎弾が現れ、雨の如き勢いで奴隷商達へと襲い掛かる。それは火達磨の男ごと全てを焼き払い、爆熱がランドルの視界全てを焼き尽くすまでそう時間は掛からない。

 男達の叫びが重なる断末魔の悲鳴の中、少女は悠々とランドルの前へ降り立った。


「あなたは、もしかして……」

「……なんでレーデの奴は一緒にいないのかしらねぇ――ったく、まぁいいわ」


 阿鼻叫喚の方角を鼻で笑い、三白眼の赤い瞳がランドルを見据える。

 少女は怪訝そうに首を傾げてから、リーゼとランドルを交互に見て。


「魔法使いのサーリャよ。あんた、とりあえずこうなってる事情を詳しく教えなさい」


 そう、名乗ったのだった。

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