五十七話 見えざる亀裂
「んな話、聞いたこともないけど……」
リーゼはイデアから聞かされた内容をランドルに説明していた。
勇者と魔物のこと。これまでの出来事――レーデについては伏せたというか、話題自体避けていたのだが。
「私もありません。でも、魔法の歴史は一代目の勇者と同時期に生まれてますし、何より」
「――それより前の記録がほとんど残ってないってのは俺も知ってるから、一蹴は出来ないし。奴らと交わした言葉だって……今にして思えば合点が行く」
一代目の勇者が生まれ、戦っていた記録ですら今はほとんど残されていない。記録がないのは魔物の勢力が強大過ぎて、人間達が後世に残すほどの余裕がなかったからとは言われてはいるが、イデアの言葉が正しいとなると――最初の勇者が今の魔物と呼ばれる存在を作り出し、隠蔽した事実が過去にあることになる。
つまり。どんな理由があるにせよ、元凶は勇者にあるのだ。
ランドルは膝の上で両手を組み眉間に皺を寄せている。相当に混乱していて、どうにか今の話を整理しようとしているらしい。
だからリーゼも、魔物の正体についてまで話すかどうかは最後まで躊躇っていた。
たとえ数百年以上も昔の物語なのだとしても、かつての魔法使いが魔物になっているなど……真実でも信じたくない内容で。
話だけ聞いたら、勇者という存在は人間を守るのではなく――人間を、魔法使いを破壊する存在でしかなかったから。
そんな話、誰だって勘違いするに決まっていた。軽々と誰かに伝えられるような内容じゃない。
それでも話すことに決めたのは、隠したままでいたくはなかったからだ。
勇者のこと。イデアから聞いた話。
都合のいい部分だけを摘んで説明すればよかったものを、リーゼは全て伝える。
伝えようとして――やはり、レーデに関わるところだけは、話さなかったが。
ランドルは酷く難しい顔付きで俯いていたが、リーゼの話を最後まで聞いていた。
「だけどさ、その魔法使いが言うように魔法そのものが結果的に破壊しか生まないんだとして……皆が当たり前に使ってる魔法ってのは、それだけで凄い危ないんじゃないのかって」
「……そう、ですね」
全てが分からなくなっていく。今まで自分が生きていた常識も、全部分からなくなっていく。
今勇者となっているリーゼは、現代の魔法使いである者達は、魔法使いでなくとも魔法を扱う全ての人間は。
一体、何だというのか。人間ではないのか、皆化け物だとでも言うのか――。
イデアは勇者という存在を“呪い”だと言った。正しくその通りなのだとはリーゼも漠然と納得はしている。
勇者となった瞬間から、見えぬ鎖に縛られているような言い知れぬつかえが胸の中心にあるからだ。それが自分を乗っ取るように蠢いていて、自分を縛っている。
――教会が裏で何をしているのかリーゼは知らないけれど。いつか、自分の手で決着を付けなければならないことだけは確実だ。
「ですけど、今更使わないだなんてことは無理です。私はもう、生きているだけで魔法を使っているようなものですし」
「……そいつは、どういうこと?」
「勇者の加護っていうやつです。私が何をしていても、眠っていたり気を失ったりしていても……それが私に掛かっているんですよ。なので、ずっと肉体強化をしているみたいなものです」
リーゼが勇者として在り続ける限り、その加護は付与され続ける。逆に言えば、リーゼが勇者としての存在を裏切った瞬間――それは、剥奪されてしまうものだ。具体的に何をすると勇者としてやっていけなくなるのかは、勇者を剥奪されていないリーゼには分かりはしないのだが。
「そんなのがあったのか……」
「はい。ですから私に出来ることは、力の限り皆を護ることです。魔物の元はどうあれ、私は戦い続けます。それが間違っているのだとしても」
「リーゼさんは一代目について何も知らないの?」
「……いえ。私も、私より前の勇者については何も知らないんです。一代目どころか、海賊の皆さんと共闘した人についても――何も。すみません」
そもそも、リーゼは自分が何代目にあたるのかも知らないのだ。教会に関わる一部の人間が記録を残しているのだろうけど、それについて教会側から何かを教えられたことは一つもなかった。
「いや、リーゼさんが謝ることはないよ。大昔のことだし、今聞いたのももし知っていたらって程度だったから……話してくれてありがとう、一代目の勇者がどうとかは知らないけど、リーゼさんは何も悪くない。俺は胸を張って、そう言う」
リーゼが一番に気にしていた部分。それをランドルはあっさりと否定した。
難しく歪められた顔はそのままに、真剣な目でリーゼを見つめて――言う。
言ってくれた。
「……ラ、ランドルさん――あ、ありがどごうざいばず……!」
「あ、ああなんで抱き付いて……ちょっ、泣いて、リーゼさん?」
きっと話す相手がレーデであれば何も考えずに話していただろう。
勇者のことだとか、魔物が人間であったとか、一切無関係といった調子で頷くだけだからだ。
ランドルはそうではない。
気兼ねなく話せるわけもなく、下手をすればリーゼはランドルに嫌われる――どころか、敵だと認識されかねない行為だった。
リーゼとて、話して良いことと悪いことが分からないほどの馬鹿ではない。故にレーデではない誰か、特にこの世界の人には話していい類の内容ではなかったし、話す相手を違えれば大混乱を巻き起こしかねないものだった。
それでもランドルに話したのは、リーゼもランドルに信頼を寄せているからだ。
誰だって信頼するわけじゃない。
ギレントルがリーゼに任せた人物で、実際共にして信頼できると感じたからこそ、嘘など吐きたくはなかった。
「と、とにかく一回落ち着いて離れよう――って鼻水! 泣き過ぎじゃないかな」
「……はっ、す、すみませんつい」
「ほらタオル」
がばりと顔を上げたリーゼに、ランドルは隣にあったタオルを渡してやる。
「ええと……とにかく、今度は俺が調べたことを話すよ。町で聞き込みしてきたこととか、今こっちがどうなってるとか大体分かったから」
懐から革張りの手帳を広げ、ランドルは挟まれていた付箋を引き抜いた。頁には調査した際の情報がびっしりと書き込まれている。
渡されたタオルでごしごしと顔を拭い、上から手帳を眺めたリーゼは瞳を輝かせた。
「あ、それレーデさんも同じことしてましたよ!」
「え? まぁ、書き留めておいた方が忘れないからね」
紙は今の時代、普及はしているがそこそこに貴重な代物のため、誰でも必ず行うわけではないが。
箇条書きにされた文字の一番上を指で差してから、ランドルは聞く。
「ちなみに文字は読める?」
「あっ、もしかして今馬鹿にしました? 私だって読めますからね?」
「馬鹿にはしてないよ……読むにはきちんと学ばなきゃいけないし、でもそれなら大丈夫か。メモ書きだから補足の形で説明していくよ」
大陸によって異なりはするものの、全体として識字率はそう高くはない。本が出回っている以上、それなりに程度は町人でも読み書きが可能なのだが、それも自主的に覚えようと思わなくては覚えられないものだし、特にリーゼのような戦闘者に限って言えば、大抵が読み書きなど出来ないものだ。
例えばレッドシックルでは、船長が苦手とする読み書きを副船長が補っている形である。
普段の外見と性格からして女漁りと酒飲みと暴力以外は何もしなさそうなガイラーではあるが、意外と何でもこなせたりする。本当に意外ではあるが、それをランドルが口にすることはない。
死ぬ。
「じゃあ、まず近況から。俺が聞いたのは町長と酒場の連中と露店商からだけど、特に変わったことはないらしい。強いて言えば、牢屋に放り込んでいた奴隷商の一味が逃げ出したことくらいだそうだ」
「……え、それは本当ですか」
「うん、リーゼさん達が捕まえてくれてたみたいだね。俺は直接見てないし面識もありゃしないけど、ソイツらで間違ってないと思うよ」
「名前はアベリンヌ・ローリア、って言ってましたか?」
燕尾服の小綺麗な幹部の一人。彼はリーゼが打ち負かし、レーデによって捕らえられたのだ。町長などと連携を取ってしっかりと捕まえたはずが、逃げられたとなると……。
ランドルは答える。
「確かそんな名前だったかな。正直そっちは関係なさそうだったから書き残してはいなかったけど、そう聞いた。今調査はしているけど、望み薄ってところらしい」
「そうですか……」
「リーゼさんが気になるなら、その人もリストに入れておくよ。んで、俺が気になったのは……」
ランドルは鞄から羽ペンと墨を取り出し、手帳の下部分に“アベリンヌ・ローリア”と書き記した。
「魔物がどこにも現れていない――ってことだ」
――え? と、今度こそリーゼは不可解そうに返す。
魔物はどこにもいない。それはこの町ガレアに限った話ではあるが、それだけでも十分可笑しかったのだ。
町の住人は「魔物なんて出てないよ」と言い、特に変わりない日常を過ごしている。何故。
「確かこっち側は魔物に占拠されてるって話だったよな。でも、魔物の気配が全くなくて、いざ調べてみたら過去に現れた様子もない、と……」
「魔物達はガレアに訪れていない……ってことですか」
「いや、若しくは正体を隠しているか、だ。ここの宿だって元はイデアが借りた場所だし、他の奴だって――完全な人間体になれるのかもしれない」
――過去に魔物が人間だったという話が本当であるのなら。とランドルは付け足す。
そうであるならば、厄介の度を超えていた。
「あり得ないことじゃない。そうなるとどこのどいつが人間に扮しているか分からないし、俺の聞き込みも魔物側に知られている――もっと最悪なことを考えれば、この町は」
「……皆、魔物ってことは流石にないと思いたいですけど」
「そうだね。俺だってぞっとするし……でもまあ、最悪だとしても全員ってことはないよ。リーゼさんの情報と一致する話もあったし、酒場でリーゼさんの話題もちらほら聞いた。そういう人達まで魔物は演技出来ない」
だとしても。
どうして魔物は人間に扮する必要があったのか。リーゼでさえ苦戦する魔物が何体も存在しているのなら、町を襲って壊滅させてしまえばよかったのに。
なのにギルディアはリーゼを待つためだけにゴルダン渓谷で待ち構え、イデアという敵の親玉が話し合いをするためだけにガレアへ呼び寄せた。
それまでも――人間は極力殺さないようにしている、というような旨をギルディアは言っていた。
そこまでする意味はどこにあるのか? 人間を壊滅させるのが目的でなければ、魔物の目的は一体?
「……分からないんだ。考えても、分からない。俺はあいつらと直接会って話もして、だから尚更考えてることが分からない。結局イデアって奴も何だか分からないし――なぁ、リーゼさん」
ランドルは今まで言いあぐねていた言葉を絞り出すようにして、言葉にする。
「イデアについて、何か隠してること――話して、くれないか」
「……」
「じゃないと俺、今はリーゼさんのこと信頼出来ても……またなんかあった時、そうじゃいられなくなる。何か理由があるってのは分かってるけど、だったらせめて話せない理由を教えて欲しい」
真摯な目だった。
元々話し上手ではないから、リーゼが何かを話せないでいることにランドルは気が付いていたのだろうけど。
リーゼは、迷う。なるべく隠さないでいたつもりだ。自分のことも、魔物のことも、包み隠さず話したつもりだった。隠し事なんて、本当はしたくなかった。
――けれど、そんな綺麗事を考えておきながら、結局リーゼはイデアのことを話せなかった。
違う。話さなかったのだ。それはレーデがいなければ、レーデに許可を取らなければ話せないことなのだと自分で決め付けて。
ランドルだって関係があることなのに。あの神様がやった行いは、そういうことだというのに。
話すべきだ。そうすればランドルは全てを理解することができる。多少の混乱はあるかもしれないけど、それで納得してくれるだけの器量を彼は持っている。
リーゼでは思い付かないような解決策も生まれるかもしれない。
リーゼは、口を開く。
「……すみません。いつか、教えます。でも今は……もう少しだけ、待って下さい」
口から飛び出したのは、真実ではなく。
これでは秘密を握っていることを白状したも同然だった。ランドルはリーゼの返答に、少しだけ押し黙り。
「――分かった。もうしばらくだけ、信じていることにする」
半信半疑と言った風に、頷いたのだった。




