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トラベラーズ・レコード  作者: くるい
呪縛の在処
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五十一話 神のお告げ

「まー立ち話もなんだし、おいでよ」


 そんなイデアの台詞によって、二人はガレアへと連れられていた。

 既にギルディアは二人の前から姿を消しており、同行しているのはリーゼとランドルとイデアの三人のみ。


 力の具現だったのだろう、背中の翼を掻き消したイデアの姿は、端から見れば人間と遜色のない姿である。にしては服装がちょっと奇抜というか派手というか、他人から注目の的になるくらいには一線を画したものではあったけれど。


 で、ランドルはひたすらに困惑していた。突如現れたイデアのことなど欠片も知らないのだ。一度はレーデから事情を聞かされているリーゼと比べても、その困惑具合は凄まじい。

 リーゼが最初に呼び掛けた(丶丶丶丶丶丶丶丶)こともあって、いよいよ何が起きているのか頭で整理が出来なくなっていた。それでも逃げ出さずに付いてきているのは、それ以外に道がないからという理由でしかない。


「あ、お金は私が払うから気にしなくていいよー」


 そんなイデアは、二人を先導して宿屋に訪れていた。あまつさえ無警戒にもリーゼに背を向け、受付の男の人とやりとりをしている。

 ――背後から斬り付ければそれだけで死んでしまいそうな、細く弱々しい姿。


 けれど。

 レーデと同じで“魔力が全くない”とそう感じてしまうが、それは大きな間違いだ。

 現れる時に一瞬だけ感じた理解不能なそれ。彼女だけが持っている何かがある。


 それでも無防備過ぎるとは思うのだけれど。


「三人の部屋借りれたよー、こっちこっち」

「分かり、ました」

「……」

「結構綺麗だねぇ、一番高いの借りただけあるよー。ベッドもやわらかーい! リーゼちゃんも飛び込んでみる? 気持ちいいよ?」


 イデア以外はほとんど喋らない。

 独り言かと疑うほどに語りの絶えないイデアの世間話を聞きながらガレアに着き、そうしてここまでやって来た。二人が反応を返すとか返さないとかは全くどうでもいいのか、一人で勝手に楽しんでいるように見える。


 どうしてリーゼの名前を知っているのだとか、この際考慮する必要もないのだろう。知っている人物は知っているのだし、何度も魔物と対決もしているのだからイデアの耳に渡っているのはむしろ必然だと考えるべきだ。


「……いいえ、遠慮しておきます」

「そう? つれないなぁー。まぁ適当に座って座って、君もね」

 ジェスチャーで促されるまま、入り口で立っていた二人は部屋へと入る。

 リーゼはもう一つのベッドへちょこんと座り、ランドルは部屋に一つ置かれる作業机の椅子を引く。

 イデアだけはベッドに身体を埋め一人完璧にリラックス状態である。


「まあ、でもいきなりリラックスなんてできるわけないもんねー」

「なんだよお前は……人間、か?」

「んー。お前って呼ばれるのはちょっと嫌かなー。敬意とかそういうのは表さなくて結構なんだけど、それは嫌だな」


 表情は笑顔のまま、イデアは言う。


「それとも私が魔物と一緒に居るってことが、気に食わない?」

「そうじゃねぇ。お前、お前がやったのか? 今までのことも、全部」

「私がやったわけじゃないけど、手伝っていたことは認めまーす。でもそれが、どうしたの?」

「――ふざけんなよ」


 強く机を叩く音が、静まった部屋に流れた。

 イデアは無関心といった風にランドルを見つめ続け、ベッドに寝転がっている。

 そんな彼女を見てか、ランドルは腰の剣を引き抜いた。


「……ランドルさん!」


 初めてリーゼが止めに入った。

 話す機会がなく、そもそも話していいことかも分からず、誰にも告げなかった彼女イデアのこと。

 知っていても意味が分からないというのに、知らない者の前にこんな奴が現れたら――誰だって、錯乱する。混乱する。


 でもそれは駄目だ。

 リーゼが動かないのだって、色々理由はあるけれど――その一番の理由は、彼女が未知数だったから。

 ずっと昔からレーデを苦しめてきた者など、斬り殺して構わないと思っていても。その剣を抜かないのは、彼女が――神と呼ばれていたから。魔物をここまで強くしたのはその神で、だったらどれだけの力を持っているのか。

 魔力ではなく、異質な力を。

 であればこそ斬らない。せめてレーデが一緒に居る内でなければ、軽率な判断はしてはならない――もう、遅かったのだが。


「お前が魔物を従えてんのだけは……説明されなくても分かるってんだよ」

 振り抜いた剣がイデアに迫る。

「……んー、嫌だなぁ」


 その剣へ視線をやりながらも全くの驚きすら見せず、動こうともしない。赤い刃が頭部に迫る。そのまま接触すれば顔から上半分が無くなる威力の斬撃だ。

 リーゼの制止など遅く、イデアの右頬に刃が当――。


「乱暴なんだから」


 それは唐突だった。ベッドの上からイデアが消え失せ、ランドルの手から放れた剣がシーツの上に落ちている。

 じゃあランドルは――部屋の端まで追いやられ、イデアに羽交い締めにされていた。

 この一瞬で。

 魔力反応など、在ろうはずがない。


「ん……ぐがっ……!」


 イデアの身体に収まるように包まれ、完璧に首を絞められている。何度肘打ちを当てようと堪える素振りどころか反応すらなく、イデアは何事もない顔つきでリーゼへ視線を送る。


「あれ、もしかしてこの人にはなんにも教えてなーい?」

「……はい」

「そっか。それじゃあ仕方ないか」

「離、せ、クソ――がっ」

「じゃあ、後で教えてあげるからね。今はおやすみ」


 イデアはそう残して、ランドルの意識を飛ばし――がくりと落ちた彼を抱えてベッドに寝かせる。


「さぁて、こんなところかなー。大丈夫だよ、数時間もすれば起きると思うし。リーゼちゃんはいきなり襲っては来ないでしょ?」

「……そうですね」

 そんなことをして――意味があるとは思えない。

「そう、よかった。じらしてごめんね、元々リーゼちゃんと話すつもりでいたから、この人は別にどうでもよかったの。ううん、どうでもよくはないんだけどね」

「何の用ですか。イデアさん」


 剣さえ抜かないものの、リーゼは警戒を解かずにイデアを睨んでいる。睨むというよりは、視界から離さないといった方が正しい。

 一瞬でも彼女を見失ってはならないと。

 

「いやぁリーゼちゃんにそこまで言われるなんて、私って結構嫌われ者?」

「……あなたはレーデさんの敵です。あなたが魔物に手を貸さなければ、こんなことにはならなかった」

「ふぅん、結構信頼されてるんだね。どこまで知っているのかは流石に私も分からないけど。ま、いいでしょう」


 イデアは手放された剣を手に取ると、警戒を強めたリーゼを余所にそれを気絶したランドルの鞘へと戻していく。

 軽薄な口調とは裏腹に一つ一つの所作が優雅で美しく、丁寧に造られた彫像が動いているかのような――印象。

 透き通った白く長い睫毛が揺れ、覗かせる瞳は心を見透かすように、こちらを見つめる。


「改めまして自己紹介。私はここではイデアと名乗らせて頂いてます、彼と同じく此処とは別の世界からやってきた神様です。よろしくね。リーゼちゃんのことは知ってるから、しなくていいよ」


 仮にも敵と呼んでいる人間に話し掛けようとする者の言葉ではない。もっと慣れ慣れしく、親しい間柄で交わすような軽薄な口調でイデアは自己紹介を済ませる。


「それでなんだけど、多分リーゼちゃんは勘違いしていると思うんだ。彼と私のこと、私の大切な仲間のこと」

「レーデさん、ですか?」

「そう、彼とはここで言う“レーデ”のことだね。私の大切な仲間っていうのは、さっき話したルディアやアウラ、もう死んじゃってるけど、リルのことだよ」

「……何を勘違いしているっていうんですか? あなたはレーデさんを追い掛け回して、魔物まで使って捕まえようとしているんですよね」

「それ、彼が言ってた?」

「――いえ」


 レーデがリーゼに話した内容など、ほんの触りに過ぎない。

 イデアという女神がいて、それから逃げていること。自分が此処ではない世界の存在であること。本当にその程度。

 後はリーゼが勝手に考えて結論を出した。イデアが魔物を使ってまでレーデを連れてこようとしているなど、魔物側の言動から想像が出来てしまう。


「ふぅん。違うよ、別にそんなつもりで皆と一緒にいるつもりじゃないし。それに、リーゼちゃんはきっと大きい勘違いを一つしている」


 人差し指を一つ立てる。精巧な造り物のような白い指先が、ほの白く光ったような気がした。


「確かに私は彼を追っています。これまでもこれからも、彼が私から逃げ続ける限りは――ずっと」

 どこか寂しそうに、口を開く。

「でも仲間はそのための道具じゃない。リーゼちゃんは勘違いしているみたいだけど、私はあの子達に力を与えたわけじゃないよ。あの子達は元々“そういうものだった”だけで、それはリーゼちゃんと逆側に位置するもの」


 イデアは、立てた指で自分の左胸を叩いた。


「私はあの子達の呪いを解いただけ。助けてくれってあの子達が望んで私がそうしたの――魔物であり続けたあの子達がそう願ったからこそ今のあの子達がいる。今のリーゼちゃんとは、全く逆だね」

「私と、逆?」


 かちりと、嵌まらなかった何かが頭の中で重なる音がした。

 リーゼは一度自分の手を眺めて壊れんばかりに握り締め、ごくりと生唾を呑む。


 実は、心の奥底では気が付いていた。自らに何が縛り付いているのかなんて。

 どんな鎖が心に結びついているのか、など。


 教会が加護(丶丶)と称していたそれは、勇者という存在になるための――呪いの魔法。


 だってただの少女がここまで強くなるなど、一つしか理由はない。

 リーゼがある日を境に勇者となったこと。魔物を倒し始めたこと。こんな性格になったこと。人間を守ること。

 勇者を勇者たらしめる理由。勇者が勇者でなくてはならない理由。そうでなくては勇者じゃない、そうであるからこそ勇者で在ることができる。

 ――勇者とはそういうものだから。


「そ。リーゼちゃんは呪われているんだよ。一目見て(丶丶丶丶)分かった」

「――呪いって、なんですか」

 だから、リーゼは問う。

「リーゼちゃんの持つ力は――」

「違います。さっき魔物の呪いを解いたって、言いましたよね」

 ああ、と。

 イデアは満足げに、一筋の笑みを浮かべた。


「言ったよ。あの子達は元々ああだった――太古の昔、人間があの子達を呪って魔物(丶丶)という存在にしてしまうまでは、ね」

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