五十話 二つの交差
非常に詰まってました。
それと薄々、いや何となく分かると思いますが、今章は今までより長いです。詰まらないように、筆を筆を……。
「さっきのもう一本寄越せ、代わりに茶でも淹れてやろう」
簡素な小屋。
中に案内された俺は、古ぼけた椅子に座る少女へ冷たい視線を送った。
相変わらず俺の持ち物を所持している少女は勝手に箱から煙草を取り出して二本吸いをしつつ、満足げに顔を綻ばせている。
どうやら先程自分で発した言葉すらも忘れているらしいな。
いや理解していてやっているのが分かるので尚更質が悪い。別にいくら吸ってくれても俺は構わないのだが……それこそ今更だ。
「茶はそこの急須に入っとるから勝手に火魔法で沸かしてそこのコップに淹れて飲むがいい」
「お前、言っていることが滅茶苦茶だな」
「勝手にゆっくりしろと言ったろう、追い出されないだけマシと思え」
「……茶も要らなければその煙草ももう要らん、吸いたけりゃ勝手に全部吸え。だが他は返せ」
「おお本当か!? 太っ腹だなお前気に入ったぞ!」
何の説明も受けていない状態ではあったが、俺が現在どのような場所に来ているのかは何となく察しが付いていた。
そう、ヲレスから逃げた時のことだ。
俺は此処に来て初めて“使ってはならないもの”を行使し、自らの存在をこの世から剥離させた。
位相の違う此処と同じ場所を指定し、そこへと逃げ込んだのだ。
だが――そこからの記憶はほとんど覚えておらず、気が付けばこの場所に捕まっていた。
ということはつまり、少なくともこの世界は通常の方法では来られない場所ということになる。
狭間の世と少女が言っていたように、同じ世界であってそうではない場所。たまたま存在が不安定になった俺だからこそ漂流した、世界から忘れられ切り離された世界なのだろう。
少女が何者なのかは俺の知る所ではないが。大方の予想は付けられる。
――俺とはまた違うが、似た者であることに変わりはない、ということだった。
「ほれこいつもこいつも懐に返してやったぞ、煙草は返さんからな? 今更返して欲しいって言っても駄目だからな!」
「気に入ったならやる。大事なものではない」
――そいつは前の世界から頂戴した消耗品の遺産だ。なくなればそれで終わり。鞄の方は樹海に置き去りにしてしまった関係上、その中に入っているもので最後だ。
二本吸いなどせずにゆっくり味わうといい。
それよりも、少女の言通り懐に返されたナイフと銃を上着の上から確認する。
今もってどうやっているのか分からんが、こいつに聞いても無駄だ。
「ああほれ、こいつも忘れていたな」
――ずしり、と右腰が重くなったことを感じた。ふと視線を下にやると、赤い剣が元通り腰に付けられている。この場所に訪れた時には外されていたものだ。
と、俺は最初に会話をした黒肌の男のことを思い出す。
十二畳ほどの四角い空間、どこにも男の姿は見つからない。部屋は一つ、ここだけだ。
「小屋の中に黒い肌をした男が居るだろう。奴は何処に行った?」
「あぁあれは妾だから気にするな、適当に話を振ってみただけだ。気付いていると思ったがどうやらそうでもないらしい――ならば傀儡との会話も成功した、か。良い良い」
「……ああ、なるほど」
なるほどじゃないが――そういうことか。
「お前が海賊かどうか確かめたっただけだ許せ。端から妾が登場していたら絶対に面倒だと思ったのでな、二重構成だよ」
どんな理屈で指一本動かさずに懐から持ち物を奪ったり本物の人間と見紛う精度の偽物を造り出せるのか――まぁ、この空間限定なのだろうな。
「俺が海賊だったらどうしたんだ?」
「別にどうもしないわ確認したいだけだ。お前は海賊であり異界の者であるというだけだろう。知る事に意味がある。しかし不思議なもんじゃな」
二本の煙草をフィルターぎりぎりまで吸い、その場で吸い殻を消し去った少女。新たに煙草を取り出すことはせず、最後の紫煙を吐き切って立ち上がる。
ちなみに俺の分の椅子など用意されていないため、俺はずっと立ったままだ。この小屋には少女に見合わない大きさの長テーブルと椅子、粗末な台所しか用意されてはいない。
「妾が言った不思議ってのはな普通大地へ降り立つよりも最初に妾の所へ通されるはずなんだがってことだよ。しかしお前は長い間向こうにいたじゃろ」
「向こうというのは?」
「一々聞くなもう探っとらんわ、その海賊の剣がある大地のことだよ阿呆。……で、いい加減挨拶しとこうか。お前の名は?」
少女はとてとてと台所まで歩き、急須から茶を注いで俺に渡してくる。
結局淹れるんだな。
「レーデだ」
「ガデリア・ソード・ソラウディアだ。とまあお前にこの名を聞かせてもしょうない話なんだけれど。レーデ、名は覚えたぞ。ああ悪くない名だ、悪くない。道半ばで死にそうな名をしているけどな」
飲んだ茶は冷たく渋いだけだった。
「俺の本名ではないがな」
「知っとる。ラーグレス・レーデ、その名を借りておることはな」
最早驚くことにも飽き飽きしてくる。
俺も何となく、こいつが何なのかは読めている。
こんな荒唐無稽な場所に居られるなど、限られた者だけだ。それが可能な存在は、この世界では一つしか思い当たらない。
「何だ、向こうのことは何でも知っている口か?」
「馬鹿野郎め妾は全知全能じゃない、ただたまたま奴を知っていて、ついでにお前に遺る今代勇者リーゼの臭いを嗅ぎ取っただけ、本人と面識なぞないが――本人がとうの昔に他界していることは、知っているよ」
ガデリア・ソード・ソラウディア。
この世界に来てから読んだどの文献にも誰かの話題にも少女の名は出ていない。物言いを聞くに、名乗る相手が俺でなければ大層な衝撃を与える人物ではあるらしいのが……まぁリーゼのことを知っている時点で。
何者かは限られるだろう。
つまり。
「お前、いつの時代かの勇者か」
「ようやっと気付きおったか。妾は言うなれば初代勇者になった者。今となっては遠い過去、お前と同じように“異界から現れた魔物”と戦った、この世界の生贄だ」
そして、と自嘲するようにこう続きを口にした。
「こんな場所に来てしまっても未だに世界を護ろうとしている、哀れな生贄だよ」
◇
「付いてきたか」
悠々と前方を歩いていたそれ。尻尾を宙で動かし、首をこちらに向け、魔物は予定調和の如き台詞を放った。
ガレアはまだ距離はあり、道半ば。リーゼがランドルの前に立つ形で再び対峙する。
「ではもうしばらく後を付いてきてくれ、直に町へと着く」
「ふざけないでください」
「来ないならば町の住人が死ぬだけだ。私はそれでも構わないが」
「――だったら、ここで私が」
「剣を抜くのはやめた方がいいな。私が手を下すなどとは、一言も言っていない」
言葉通り剣を顕現させようとして、リーゼは固まった。
魔物はその様子を見届けると、背を向けて歩き出してしまう。
「マジで、何がしたいんだ――魔物」
「既に言っていなかったか? 私は案内をすると」
「どこにだよ!」
ランドルが声を張る。
「我が主の元に。一度、話がしたいそうなのでな」
それには興味すらなさそうに返答をされ、魔物はガレアの方へと歩いてしまう。
まるで魔物ではないかのようだ。人間よりも人間らしく――でもその身体は魔物のものだというのに。
今ランドルが見ている魔物は本当に魔物と呼べるのか?
尻尾や鱗の飾りでも付けているのでは――流石にそれはないけど。
一瞬でも考えてしまうほどには、今まで自らに在った魔物の常識は吹き飛んでいた。
無差別に人を襲って殺し尽くすのが魔物で、人類共通の宿敵も魔物だったはずだ。少なくとも勇者が現れたのは魔物と同時期で、教会なんていう宗教が顔を出したのもその時から。
人の住処が極端に追われているのだって、大前提に魔物という存在が世界を跋扈しているからなのだ。ある程度の実力を持つ人間はともかく、大多数の人間は魔物一匹にも勝ちを奪い取れない。
――だから今こうして魔物と会話をするなど、考えられなかった。
「な、なぁ――」
「む?」
だからだったのかもしれない。
「お前、本当に……魔物なのか?」
そんなことを訊いてしまったのは。
「面白い質問だが、先ほど私に言った言葉を忘れているのか? 私は魔物だよ、最初にそう名乗ってもいたはずなのだが」
魔物はぴたりと足を止めた。
琥珀色の瞳がランドルに向けられ、淡々とした言葉だけが返答として返ってくる。分かり切っていたことだった。むしろ返事があったことが奇跡に等しく。
「私が人語を解し、人型を取っていることでそう感じるのであれば……止めた方がいい。それよりも危機感でも覚えるのが先ではないか? 種族としても個体としても人間より強力な私達が、人間と同じ言語を習得していることに。そこの勇者とて、元来“そういうもの”だったわけではないだろう」
「……じゃあなんで、そんな忠告すんだよ」
「忠告ということではなく、ただそこにある事実を突き付けたまでだ。君達はいつまでも成長することはなく、互いを潰し合ってばかりいる。いつの日かそれが決定的な致命傷となる」
――そうだ。
魔物はこんなこと言わなかった。そりゃ喋らないんだから当たり前だけれど。この魔物は、違う。
レイリドルと言った海での魔物は、もっと凶暴だった。同じ言葉を喋ることは出来ても、あれこそが魔物だと言うべき暴虐だった。
魔物と言って差し支えがなく、倒して然るべき相手で――それがこの魔物にはない。
レッドポートを襲ったのは間違いなくこの魔物で、そのはずだけど――。
「もっと理不尽なのが魔物だって、俺はそう思ってた。だってのに、戦う気はないとか意味分かんないだろ……!」
魔物とは人間を殺すものだ。
「意味など分からない方がいい。私は選んで言葉を使っている、君が混乱するのは当然だ」
相対すれば殺し合う。そこに例外はなく、今まで何人の仲間達が殺されてきたことか。何体の魔物を屠ってきたことか。
「――ランドルさん」
「……ごめん、取り乱した。話なんてしてる暇ないししちゃだ駄目だよな、そんな隙」
「いえ、そうじゃなくて。ランドルさんもそう思っていたんだなって」
あっけらかんと、リーゼは言う。魔物――ギルディアに向けて、そんなことを言う。
「……へ?」
「多分それは……色々、絡む事情もあるとは思うんですけど」
レーデから聞かされたことが関係しないなどと、リーゼは思っていない。最初に戦ったアウラベッド、海で襲い掛かってきたレイリドル、そしてついには三人目のギルディア。
どれも己の意志を持ち強い目的意識があり、それぞれ性格も強い個性もあって。
声を掛ければ返事もするし、会話もきちんと成立した。
本能の如く襲ってきた今までの魔物とは違う――だから一緒くたに魔物としては見れないと、リーゼは彼らにはそう感じている。
けれども彼らが敵であることは確かで。人間に手を出し続ける限りは、リーゼは止まらない。
――アウラベッドの言葉が蘇った。
『これまで貴様に殺された同胞の念は、少しばかり重い』
かつて殺された仲間を悼む、その台詞。
『貴様らを襲うのもまた事実。では貴様らも我らを憎むがいい』
――それだけのことよ。
リーゼは魔物が人間を襲うからこそ戦うが、魔物も仲間が倒されるから人間と戦うのか――?
イタチごっこなのではないかと、あれから少ない頭で色々と考えていた。
勇者と魔物の争いは今になって始まったことではない。リーゼが勇者として現れる前よりもずっと昔から起こっていた、長い闘争の歴史があってこその今だ。
だから――イデアによって知能を持った魔物達は、こうやって想いを伝えているんじゃないかと。
「ああ、わざわざ迎えに来てくれるとは。私がそちらに行けば済むだけだったのだが」
「――あっ?」
リーゼは思考から無理矢理現実へと引き戻される。強い気配、魔物とは別種の怖気と威圧を帯びて、しかし全てを抱擁するかのような――そんな気配。
「えーだってルディア遅いんだもんー。こっち来るって連絡飛ばしてから全然動かないし、そろそろ心配になっちゃって」
それは、空から現れた。
白銀の長髪が空に揺れ、身体を纏う羽衣がふわりと宙を踊る。何より驚くべきなのは、神々しいまでの翼が、背中から生えていること。魔物と違う、そもそもあれから魔力は全く感じず、その代わりに別なる力が肌に刺さる。理解の範疇を越えた――そんな。
リーゼはそれが何であるのかを即座に認識し、戦慄を覚えて口を開いたまま固まった。
ランドルはゆっくりと地へ降り立つ彼女へ釘付けになり、同じくその身を硬直させてしまっている。
「心配には及ばない。私は何もされてはいないのだから」
「ん。なら問題なしだねー、よかったよかった。それで、違うようだけど?」
「やはりか。道理で私の聞き及ぶ彼とは様子が違うと思っていた」
「そうだったら今頃ルディア危なかったかもね。命が」
「そのようだ。一筋縄で行くような者ならば、私が出る幕などどこにもありはしないのだろう」
「いやぁ多分そうでもないんだけどね。んー……」
リーゼは固唾を呑んで二人の会話に耳を傾けていると、やがて白銀の彼女はこちらに意識を向けてくる。
雪のような瞳が、覗く。
その瞳は、どうしてか柔らかな印象を持っていた。
「あなたは――イデア、なんですか」
「んん? あはは、やっぱりもう聞いてるんだね。そだよ、私はイデアって言います。折角だからあなたとお話をしに来ました、なんちゃって。ね、勇者――リーゼちゃん? リーゼちゃんって呼ぶのがいいのかな」
因果か偶然か運命か。
その時その場所で、二人は出会う。
望むべくして、望むべくせずして。
共に彼を知る者として。
「え、ええ……えっと……はい?」
これがどのような意味を持つのかなど――リーゼに、分かるはずもなかったのだ。




