四十七話 旅の道連れ
(何がとは言わないけど)もう追いつかれた、だと――。
「それじゃあ、レーデさんをお願いします」
時は変わって。
港の入り口。数時間経った今も瓦礫の撤去作業は続いていて、海賊達は忙しなく働いている。大量の魔物に侵入された傷は大きい。
港町の復興にはまだまだ時間が必要で、住民が受けた被害と傷も軽いものではなかった。
リーゼと別れの挨拶を交わすのは、ギレントルともう二人。リーゼをここまで送り届けてきた纏め役のグレイグと、最初に応対したランドルだ。
ここに居るべきはずの人物であるガイラーはどこにも見えなかったが、彼は独断でフィオーナの宿に向かっているらしい――とはギレントルの苦笑で明らかになった。
後で絞め上げるそうだ。
「任された。そんで一人連絡役が要るんじゃねぇかって思ってな――適任を連れてきた」
「……はへ?」
てっきり一人で奥地へ向かうものだと決めていたリーゼはそんな可愛らしい惚けた言葉を吐き出し、ギレントルに背中を叩かれて前に出てきた人物へと視線を預ける。
それは、どこかばつの悪そうな顔をして立っていたランドルだった。彼は「えっと」と下を向きながら俯いている。
ランドルは一介の船員だ。船長と纏め役の場に出てくる人間でもなければ、船員としては雑用を好んでするような――いわゆる下っ端に位置している。下っ端だからといってレッドシックルがランドルをボロ雑巾の様に扱うわけではなく、立派な船員の一人であるのだが。
ランドルは自分がここに居るという状況に戸惑っていた。そりゃあ、リーゼと最初に北の港で話をしていたのはランドルだ。
けれど逆に言えばそれだけであり、本来この場に存在するような立ち位置に彼はいない。
そんなランドルがどうしてこの場にいるかと言えば――。
「こいつは地理に詳しいんだ。そんでもって飛脚だった男でね、よく連絡役を任せていたんだが――リーゼ、お前一人で旅立ってどうやってアタシらと連絡取る気だったんだい? 誰か経由しないと、レーデが見つかったとしても教えらんないだろ」
そういうことであった。
ランドルは戦闘に関しては一般の域を出ない実力しか持っていない。弱いとも言えないが、逆に強いと言えるかと言う問いにも曖昧な返事しかできないような、そんな強さ。
彼の強みはそこではない。海賊になる前に飛脚を生業としていた彼が培った地理の理解と迅速な情報伝達が一目置かれているのである。
しかしランドル自身をリーゼの元に送るだけでは、情報の伝達など行えない。その対策はギレントルがどこからか引っ張り出してきた魔石を使って対処することになった。
欠けた石が二つ。形を合わせると綺麗な一つの石の形となるのがこの魔石の特徴で、その効果は簡易的な連絡に使われるものだろう。
とはいえテレパスのように意志疎通を可能にする代物ではなく、どちらかと言えば“何かがあったことを知らせるだけ”の合図に使う道具であった。
例えば片方に魔力が込められればもう片方の魔石が音を立てて壊れる仕組みになっており、今回の場合はギレントルが連絡を送るため――レーデを見つけたタイミングでギレントル側から魔力を石に込め、ランドルとリーゼを召集する用途だ。
この魔石の欠点としては、自身で魔力を送らなくても強い魔力に反応して誤反応を起こす可能性がある点だ。
周りにリーゼという存在が居るランドルは常に魔力に気を付けていなければならず、小さな箱に入れランドルの微弱な魔力で覆うことで魔石の発動を防ぐこととなっている。
「――よ、よろしく。リーゼさん」
ランドルは多少固い雰囲気で頭を下げた。
ギレントルから説明を受けた時点でランドルが拒否する点はなく、リーゼの性格や強さも知っていて信頼を預ける相手としては十分。不安がないかと言われれば――海賊組織から離れてしまうのは、恐ろしかったが。
役割も自分が選ばれた意味も理解している。戦闘ではなく、リーゼにはサポートが必要だ。地理を理解して逃げ延びる能力もあり、リーゼの戦いの邪魔になることは恐らくないと思われる。
間違いなく適任だったのだが、ランドルが戸惑うのはもっと別の理由にあった。
「あ、あの……船長?」
「なんだよ、何頬赤らめてんだよさてはリーゼが可愛いか? 可愛いよなぁ、この船にはアタシしか女はいねぇからな」
「いっいやそういうんじゃなくて!」
ほとんど図星であった。
背後から羽交い締めにされたランドルは誤魔化しも兼ねてそんなことを吐くが、ギレントルは何も言わずにランドルを押し出す。
「ま、そういうわけだからウチのランドルをよろしく頼むぜ? リーゼ」
「はい、分かりました」
おいおいなんで普通に頷いている。
ほとんど考えずに言っているんじゃないのか。
というかなんなんだこの軽いノリは。
――と、リーゼの性格を考えればほとんど当たり前だったのだが、ランドルは二人の会話を耳に入れて半ば無言のまま狼狽えるしかなかった。
年齢もさほど開いていないと思われる男女が一緒に旅をするのである、絶対に有り得ないが邪な想像も浮かぶだろう。
そして海賊であるランドルに女っ気など欠片もなかった。ガイラーのような人間は例外に加えたとして、青年であるランドルは基本的に異性と言葉を交わしたことはない。船長は――船長だ。
最初こそ汚れだらけのリーゼを見てそういった感情が出ることはなかったのだが、汚れの全てを落として帰ってきた瞬間からランドルの彼女へ対する印象はかなり変わっていた。見た目で人の価値は分からないのだと知ってはいても、外見からの印象に人は嘘を吐けない。
実際のところ、そんな色恋いとか下心とかに気を散らせている場合でも全くないばかりかランドルもそのような気を起こすつもりすらないのだが、それでも無防備に何の警戒もなく己の濡れ姿を晒している彼女の姿にはひたすら戸惑うしかない。
というか目のやり場に困る。
向こうはそんなランドルの思考を露ほども知らず、唐突にランドルの空いていた左手をその細くしなやかな両手で掴み取ってきた。
「――よろしくお願いしますね!」
「う、うん……まあ、よろしく」
真正面から見つめるつぶらな瞳から若干目を逸らし、ランドルは挨拶を交わす。
そんなこんなで話が纏まってた。ほとんどギレントルの意志だが、ランドルも頷きはすれど反発する理由などないのだし。リーゼも断らないのであれば、それはもう決まったようなものだ。
リーゼの旅に付いていき、異常発生している魔物の原因を調査する。大事な役割だ。自分などに任せていい仕事では――いや、自分だからこそ任せられた仕事なのだろう。
だったらやるしかない。魔物の巣窟であるかもしれない場所へと単身で突っ込んでいける人物はリーゼしか居ず、他の海賊の誰にも出来ないことだ。きっとギレントルにだってそこまでは無理だ。
だったら、今必要とされるのは自分だと。
「今から出発するのか?」
「はい、ご飯も食べましたし私はいつでも大丈夫です」
「了解。俺も準備したいから少し待っていてくれ。大した荷物は持っていかないからそんなに時間は取らせないけど」
その前にリーゼの持っている荷物を確認させてもいいだろう。元々その荷は失踪したレーデが持っていたことから、便利な道具を揃えていても不思議じゃない。
ランドルが持って行くのは幾ばくかの路銀にずだ袋、水瓶に数種類の魔導具くらいなものだが、荷の中身によって考えてもいい。
けれどその提案はリーゼに拒否された。
何でも見せられない物も入っているらしく、何だよそれと思いながらも仕方なくランドルは自分の支度を終えて、再びリーゼと合流した。
既に出発宣言は終えているので船長やグレイグはもういない。
なんだか締まらない感じだが、にへらとこちらに笑みを向けているリーゼの姿を見てしまえば「まあそんなものか」と考えるしかなくなった。
なんだか一緒にいるだけで何でも出来そうになってくる少女である。その割にはこれから死地を旅するというのに、暢気というか気が引き締まらないというか。
「とりあえずこっちとしても渓谷から先に進めないってのは困るからな。ってか主要都市全部向こう側にあるじゃんか……行くしかないんだろうな」
こちらには小さな村などは点々としているが、町と言える場所はレッドポートを除いてない。最北端に位置するこの大陸自体、そう大きくはないのだが。
渓谷の先が魔物に占拠されている――それが本当であるならば、魔物は向こう側から現れたものなのだろう。いやほとんど確定したようなものか――。
「大丈夫ですよランドルさん、私が居ますから」
「……俺より小さい女の子に言われてもなあ」
強いのは分かっているが、面と向かって言われても素直に受け取れないのが心情だった。
「あー小さいからって馬鹿にしないで下さいよ!」
「してないしてない。頼りにはしてるよ」
「本当ですか?」
「まぁ強いのは知ってるし。じゃなかったら、付いていかないよ」
力があって、やろうと思えば他人を支配できる力をこの勇者は持っているというのに。
それをせず、横柄な態度を取ることもせず、こうして海賊の下っ端である自分と対等に話もしてくれる。そんな奴がどれほどこの世界にいるのだろう。話せば話すほどこの少女がどうして勇者などをしているのか、ランドルは分からなくなった。しかしその笑顔を見ると、あまり考える必要もないのかと思う自分がそこにいた。
――勇者であるからこそ彼女は強く、勇者であるからこそ魔物を討伐している――そんなことなどランドルは知らないから。純粋にそう思っていた。
出立の空は星空煌めく夜のことだった。
通常なら朝まで待ちたいところだが、待つ時間すらも惜しい。それに二人だけで動くのなら、夜の方が都合がいい。敵が通常の魔物だけとは限らないのだから。件のヲレスに、理性のある魔物。隠密は夜が一番動きやすいのだ。
リーゼが居る分には、夜に行動したって何の支障もない――と思いきや。
「あうう……あ、ランドルさん、ちょっと待って下さ、い」
「――え?」
前方を歩くリーゼが、唐突に倒れたのだ。慌てて支えるランドルだったが、力を失った彼女は支えられるままになっている。
ランドルに抱き付くその手は弱々しく、何事かと顔色を覗けば。
「あの……その、忘れてました」
「な、何が?」
「急にきちゃって、その」
「……え、ど、どうしたの?」
狼狽えるランドルにやはり「えへへ」と小さく笑い掛け、こんな言葉を吐き出した。
「……寝てませんでした」
「はぁ!?」
「十日間くらい……」
「いやいやいや!」
十日って。そんな時間寝ずに活動してるとか、しかもそれに気付いてないとか普通有り得な――。
「すぅ……すぅ――」
「って寝てるー!」
ランドルの叫びは虚しく夜に溶けていった。リーゼは抱き付いたまま眠りに落ちてしまって、今や彼を助ける者はどこにも居ない。
しかも間の悪いことに、旅に出てからそこそこ歩いてはいたのだ。街道を少し逸れた道無き道を進んでいて、後ろにレッドポートなど見えやしない。
リーゼを抱えていたランドルは戸惑いを通り越して呆れた後、奥にある草原の上まで運んでリーゼを寝かせる。荷物は取り外してやり、その横に置いた。
「これ、大丈夫なのかな……」
旅に出て早々これである。
体調管理というか、その枠を越えて全く管理の出来ていないリーゼだ、活動が限界になるまで疲れを知らずに動くとかアホじゃないのか。
それを悟れなかった自分も自分だが――いや悟らせなかったのかもしれないけど。
とはいえこんな中途半端に移動してしまったんじゃレッドポートに戻るのは得策ではないか。背負って移動する分にはいいのだが、ペースは滅茶苦茶落ちるしそんな中を魔物に襲われでもしたら最悪だ。
と、そう考えてランドルも草原の上にあぐらをかいた。袖無しの外套を毛布代わりにリーゼに掛けてやり、隣で爆睡している中「ううさぶっ」と呟いて一人立ち上がる。
「強さ以外は……本当に、何も知らない女の子――なのかね」
純粋無垢、警戒もなく出会ったばかりの男に無防備な姿を晒しまくる彼女だ。何なら今も寝顔を覗かせているし、ランドルに警戒など欠片もしていないことが分かる。なんかそこまで来ると守ってやりたくなるほどだった。
守られるのはこちらだというのに。
隣の寝息を聞きながらふぅと小さく息を吐く。多分この調子では朝まで起きないだろう。そこまで疲弊した身体に鞭を打たせて起こすなど、ランドルとしてもやりたいとは思わない。
「仕方ない、朝まで待つかな……」
なんともお間抜けな話だ。
それなら町で休んで朝出発すればよかったのに。
でもまあ、過ぎたことをとやかく言っても仕方ない。
今はこの子に好きなだけ休ませてあげよう。
そう思い、ランドルはぐっと伸びをするのだった。
「……おきてくださーい」
と。
優しげで透き通るような声が耳に入ってきたのは、瞼を開けると日差しが目に痛い時間のことであった。
いつから寝ていたのだろうか。彼女が寝ている間の見張りをしていたはずだったのに、何故か仰向けに寝ていた自分に気が付いて焦燥と朦朧とが入り混じった顔で起き上がる。
「あ、起きました。おはようございます、ランドルさん」
「ん……ああ……? ――って」
もう昼であった。
「え、マジで――ごめん、ほんとにごめん」
「ランドルさん?」
「……不覚だった。見張りしてたのに二人して寝てたら意味ねぇって」
失態どころの騒ぎじゃない。確かに自分も今回の騒動で多少なりとも疲れてはいたものの、そこまでじゃなかったろうに。
「それなら大丈夫ですよ、何かあれば私起きますし。安心して下さい!」
びしっと親指を突き立てて言うリーゼを前に、ランドルはまともに目も合わせられずにうつむく。
――本当に申し訳なかった。
「それに、私こそすみません。急に眠くなっちゃって、それで……」
「何日も寝てなかったら当たり前だよ。それで、疲れは取れた?」
「ばっちりです、もう寝ませんよ――お腹は減りましたけど」
リーゼは腹を押さえ出したのを見て、ランドルは自分のずだ袋から中身を取り出す。
「だろうとは思っていくつか持ってきてるけど、食べる?」
「……わ、わぁ、ありがとうございます!」
素でわあと言う人間を初めて見た。
塩漬けにした魚の干物をいくつか渡し、端からかぶりつく様を眺める。
「とりあえず先進もう」
「ふぁい」
リーゼは魚を食べながら暢気な声で返事する。
とにかく時間はロスしているのだ。まずは渓谷まで向かい、トンネルの現状を調べなければ。
両手で目を擦ることで目を覚まさせ、二人は出発する。渓谷までの道のりは非常に簡単で、昔からある街道を通れば一直線で辿り着く。
結構長い時間を歩かされることにはなるが、その間に魔物が出るなどの異常が起きることはなく。
無事に渓谷に到着した――というよりは、渓谷には到着したというのが正しいのだろう。
「げぇ、なんだよこりゃ……」
話を聞いていた時から、何となく光景は予想していたが――。
ランドルが呻くのも無理はない。
ゴルダン渓谷を通る為に必須とも言うべきトンネルは、遠くからでも分かるほど途方もない瓦礫の山に埋もれ、潰れていたのだ。




