四十五話 魔晶生体
「……はい、見たことないです」
残りの魔物は海賊達の手によって始末され、レッドポートは一時の平穏を手に入れていた。
死骸と瓦礫の回収作業が始まっていて、動ける海賊達を筆頭に町の修繕が行われている。
その中、ギレントルとリーゼの二人は先ほど激しい戦闘を繰り広げたレッドポートの入り口手前まで足を運んでいた。
ここだけ損壊状況は酷く、倒壊した建物の瓦礫や破壊された地面の埋め直しに建築魔法を使える海賊達が数名ひっきりなしに動いていた。
しかし二人はその作業を手伝いにきたわけではなかった。
リーゼは建築魔法など使えず、ギレントルに至っては魔法と呼べるものは殆ど修得していない。
ならば何故足を運んだのかといえば――倒した魔物の死骸を確認していたのだ。
リーゼによる一撃で丸焦げとなった鳥の魔物は、身体を真っ二つに斬り裂かれている。体表の羽毛は全て焼失し、生々しい肉が見えている。
爛れた肉の断面に挟まれて、小さな赤い欠片が幾つも落ちていた。それを手に取り、リーゼは難しい顔で欠片――魔晶を睨み据える。
「今まで何度も魔物を倒してはきましたけど、こんなの取り込んでる魔物には会ったことがないです。でもこのサイズの魔晶を取り込んでいたなら、あの強さには納得出来ました」
「そりゃそうだわなぁ、こんなん日常的に出て来られても困るっつうか、確定だな」
「……やったのがヲレス・クレイバーかは分かりませんが、こんなこと出来る人は限られてます。自然発生なんて起きませんし、それに出来てもやろうとするなんて普通は考えないですけど……」
魔物に魔晶を埋め込み肉体と同化させるなど、そんな高等技術を扱えるのは相当に腕の立つ魔法使いか――それこそ、レーデを追い掛けているという女神辺りしか考えられない。
けれどその女神が与えている力は既にレーデが話している通りで、魔物の存在その物の格が上がっている気さえするほどの進化であった。リーゼはあのような魔物と戦ったことは、レーデと会うまでただの一度たりともない。
逆に今回対峙した魔物は力を強制的に増幅させられた怪物であったが、それは言い換えればただ此処に存在していえる法則の上で行われた強化である。
魔晶を用いたことからこの世界の何者かが動いた考えるのが妥当で、故に女神の行いである可能性は低いだろう。
配下として活動する魔物が主導権を握っている場合もあるが――。
次に浮上するのはヲレスだが……リーゼはまだ確信に至るのは早いと首を振った。
怪しいのは何もヲレスだけではない。まるで見知ったような口振りで登場した司教――教会。
彼らもまた、“裏”でリーゼの知らぬ何かを行っている可能性が高い。
この場合、もしもヲレスの行いだと決めつけて行動し彼ではなかった時に身が危なくなるのは自分だ。
だからリーゼは、可能性として挙げた三つの勢力全ての最悪の可能性を考えて行動することにした。
それは即ち――その全てが裏で手を取り合っていること。
やり方として絡み合っていない以上あり得ないことだが、確実に無いとも言えない。そう見せ掛けているだけかもしれない。がむしゃらにレーデを捜すだけ捜して自分が取り囲まれでもしたら、リーゼとて死ぬかもしれないのだ。
そのことは自分が一番分かっていた。
勇者の能力は際限なく溢れ出る絶対者の力ではない。
乱発すれば確実に消耗し、疲労した時に使えば倒れもする。
レーデを助ける以上、自分一人ではないことも正しく理解した上で行動しなければならないだろう。
「またこの類の魔物は現れると思います。そうなった時、私がいない状況でどこまでやれそうですか?」
「はん、もっと直接聞いちまっていいんだぜ? お前のお守りがなくても大丈夫かってな」
ギレントルは犬歯を剥く。
「い、いえ、そんなつもりじゃなくて」
「わぁってるよ。人間ってのはどこまでも限界があるんだ、見ての通りアタシがこの様じゃ――やべぇんだろうな」
海での戦いで巨大な化け物相手に一人で勝ちを拾ってきた船長は、少しだけ弱気にそう吐いた。
「だけど、二度目はそう簡単にゃくたばんねぇよ。要は相手のボスをアタシがぶっ殺すだけじゃ無理ってだけの話だからね」
「……はい、無理だと思います」
「いっそ清々しい否定だなリーゼ? ま、事実だ。人は人らしく――集団で化け物狩りと行こうじゃねぇの。そんで負けんなら仕方ねぇ、覚悟決めるさ」
せっかくの住民には悪ぃけどよ――と漏らしたギレントルに、リーゼはああと小さく息を吐く。
どうしてこの人はこんなに輝いているんだろう。こんな人が世界に溢れれば……いやそうなったら戦は更に派手に発展してしまいそうな予感もするけれど、恐らく世界がここまで腐り果てることはなかった。
考えても詮無いこと。
リーゼは思ったことは告げず、赤い欠片を一握りに潰す。既に中身の失せた結晶は砕け、粉となって空気中に消えてしまった。
「んで、リーゼ。どうすんだ? 宛はあんのかい」
「あはは……あんまり笑えないんですけど……ありません」
この魔物を調べる前にギレントルと共に倉庫へ行き、そこで冷凍保管されているという海の魔物の姿は確認している。
ヲレスはそんなものなど狙っていなかった。
冷静になった頭で考えればそれは当然と言えた。
何らかの要因で失踪したヲレスが、港の船も停止している状態でどう中央大陸へと渡ってくるというのだろうか。
そもそもレーデを前にして魔物の死体などを狙うだろうか。
馬鹿らしい。考え足らずだった。
そしてリーゼは無駄にこの十日以上もの時間をレーデの捜索に費やしてしまっている。だがレーデの行方はおろか、ここまで日を跨いでしまうとヲレスが何処へ消えたのかもまるで見当が付かない。
「だろうねぇ。北から中央へと移動するには、レッドシックルの航路を使うしかない。別ルートで海を使って通ろうもんなら途中で撃破しちまうさ」
――と言いたいけれどと区切って、ギレントルはこう続けた。
「生憎ここ数十日は空白になっちまってる。以前から魔物関連の騒ぎが絶えなくてね、そっちに掛かり切りでその間の海の侵入者まで把握していねぇ。航路も閉ざす羽目になった」
その間にヲレスが中央大陸に来ていたとしても海賊は気付けない、ということだった。
「思うんだけどよ、普通に捜したって両方見つからねぇんじゃないかい」
「ええと、それはどうしてでしょう?」
「いや、どっちも失踪してんだろ? だったら簡単に表に顔出しゃしねぇよ。既にレーデが魔法使いに捕まえられている――ってのは、考えに入れてないんだろ」
「――……はい。そうですね」
「何らかの事情でヲレスは都市に戻れない。レーデの方はどこで何してようが情報なんて流れねぇさ。多少変わった風体の奴なんざ捜せばどこにでもいるし、魔力の流れていないアイツは一見だけじゃその“異質”さに誰も気付けないよ」
「じゃあ……私は、どうすれば」
「本来何しにここに来たんだい? 魔物だろ」
ギレントルが指を差したのは渓谷の聳える方面だった。
魔物が現れると言ったのは教会の司教で、現に魔物は現れている。かつてない凶悪化を果たし、レッドポートを襲ってみせた。
リーゼとレーデはその確認をするため、ヲレスを連れてこちらに戻って来たと言ってもいい。
だが、納得したとはいえそれを提案したのは――ヲレスだった。
直接的にレッドポートを襲った魔物との関連性があるかまでは判断出来ないにせよ、いくらなんでも怪しすぎる。
「ヲレスはどうしてこっちに来たかったんだろうねェ。教会の腹を探りたい? それとも魔物の調査? 学校の長ってのが魔物に殺されたから来たんだろ」
リーゼが話したことをギレントルは頭を捻らせながら整理し、こう締めた。
「可笑しくねぇか? 当事者じゃないから詳しいことは何ともだけどよ、ヲレスは全てが終わってからレーデをひっ捕らえりゃいい。何も旅の途中でおっ始めちまう必要はねぇじゃんか」
「そう、でしたね……何で、あの場面で混乱を起こす必要が――あ」
「今感じた疑問で合ってんじゃねぇの。多分、ヲレスにとって全ての事柄は既知の案件だったんだよ。わざわざ中央大陸まで調べ物する理由はなかった」
「でも司教はあの人に殺されて」
「協力関係じゃなかっただけだろ。実験体が欲しいのは本当だろうし、司教は生かす価値がなかったのさ。だから殺した、だからレーデは」
――狙われた。
「私を狙わなかったのは……返り討ちにされると分かっていたから、ですか」
「そ。これで辻褄合うじゃねぇか」
ヲレスは教会や魔物などと協力関係を敷いているわけではなかったが、その二つのことを“裏”などと説明していることから事情は最初から知っていたと思われる。
司教は単なる実験体――煩わしかったのもあるだろうが。
レーデやリーゼに異様な興味を示し、ヲレスは正当な理由を付けて後を付いてきた。レーデを狙いリーゼを引き剥がしたのは、彼なら何とか出来るがリーゼを相手にすることはできなかったから。
つまり。
「ヲレスが都市にも戻らないのは、何より私に見つからないため」
本格的な研究施設は都市にあるだろう。しかし普通に帰還しては現れたリーゼに殺されるのは目に見えている。
それが雲隠れの理由だとすれば、レーデは間違いなく生きているだろう。研究対象である本人が死んでしまえばその死体は腐る。施設がなければ死体を保存することも出来ないからだ。
――レーデがやられているという最悪の場合でも、生きている。リーゼにとってそれは、嬉しい状況だ。
生きてさえいれば手遅れにはならないから。
「それだけだと理由としては薄いけどねぇ。いくらアタシでももう少し状況整えてから行動する。ただそれ以上は――ヲレス本人ぶん殴って聞き出すでもしねぇと、わかんねぇだろうさ」
けれど、探したところで見つからないというのがギレントルの見解だった。
リーゼは考え込み、ギレントルは鼻を鳴らして腕を組む。
「二人を見つけるのはアタシ達に任せな。リーゼが一人で探すより、こういうのは組織の力借りんのが一番てっとり早いってもんだ。本人の顔も知ってるし、な」
「ありがとうございます……私は戦うのが本分なので、こういったことはあんまり得意じゃなくて」
自分がレーデを探すために駆け回るのは良い策ではない。がむしゃらに駆け回るしかないリーゼと、ギレントル達海賊が捜索網を張り巡らせるのでは効率も危険度も大分違う。
ヲレスを捜すともなれば、リーゼ本人が現れて警戒させるよりも海賊達がそれとなく捜せばヲレスも自らが捜索されていることには気付けない。それも時間の問題ではあるのだろうが、今現在表に出られないヲレスでは情報の収集もままならず、その行動は一歩遅れる。そうなるとリーゼはむしろ捜索に参加しない方がいい。
だったら、リーゼは何をすればいいのか――。
「……それなら私は、このまま渓谷の方へ向かおうと思います」
「へぇ。いいのかい?」
いいも何も。
リーゼがレーデを捜すことは、不可能だったのだから。
リーゼの持つどの能力をフルに使ったところで、強力な魔物は屠れても人捜しは行えない。むしろそれが邪魔になる。
だったら海賊に任せるしかない。任せるに足ると信じたからこそ、レッドシックルに頼むのだ。
そして――中央大陸に“魔物”が現れた以上、問題は始まったばかりだった。それを止められるのはリーゼだけで、他の誰にも適役はいない。元より魔物と戦うのは――勇者の役目だ。
「それに渓谷の先にはサーリャも居ます。サーリャなら、ヲレスについても知っていると思うんです」
「ふぅん。考えてるじゃねぇの。言っちゃなんだけど、もっと前見えてねぇと思ったよ、アタシは」
リーゼはギレントルの目を見つめたまま、あっけらかんとこんな言葉を返した。
「いえ、結構合ってると思います」
――前なんて、もう見えてないですから。
とは言わず。魔物の死骸の上を乗り越えるだけして、リーゼは目を丸くしているギレントルへ首だけ振り返った。
「行きましょう。港の方でリーダーさん達が揃いで待ってるはずですから。私の方に付き合ってくれて、ありがとうございます」
戦いの終わりが全てではない。
リーゼが目を向けていた通り、船着き場で集まっていたそれぞれの纏め役はギレントルが戻るのを待っている。
当然、魔物に関しての話し合いだ。これからの方針を定める為にそれぞれが意見を出し合うため、ギレントルも席を外すわけにはいかない。
レッドシックルで一番の権力を持つのは船長であるギレントルだが、一人で指揮命令を行っているわけではなかった。
レッドシックルは巨大組織だ。それぞれの分野に分けて人員と役割を振ってあり、船長と副船長はその統括。ほとんどガイラーが片付けてしまうためもっぱら戦闘要員のギレントルではあるが、かといって能無しではない。
――しかし。悟らせないように気を配っていたつもりだったのだが。
その小さな身体を見つつ一息吐いて、ギレントルは後頭部を軽くひっ掻いた。
「……ったく」
短く洩らし、魔物の死体へ目を向ける。瓦礫の撤去作業に当たっている船員を呼び止め、ギレントルは死骸を指差した。
「おーい、悪いけどそこの魔物回収しといてくれねぇか。後で使うかもしれねぇから」
「了解っス、船長!」
「気ぃ抜くんじゃないよ、また来ないとも限らないからね」
「勿論です。船長も気を付けて下さい」
「おうともよ」
もう、いつ何時、今回のような――今回以上の化け物が襲い来るか、分からない。
言いつけた魔物の回収に取り掛かる何人かの船員を見送り、リーゼの後に続いた。
リーゼは船室で荷物を纏めていた。
ギレントルとは港で別れている。一人でレッドシックル号に乗船しても何も言われないという絶大な信頼が置かれているのだが、リーゼはその重大さ自体には気付いていない。
いつもの調子で、今は綺麗になったその荷を持ち上げた。ところどころ汚れがこびりついているが、もう取れそうにないのだから仕方がない。
レーデの荷物だ。生活に必要な物から理解不可能な物まで押し込められた鞄。中にはレーデがよく使用している銃弾も入っている。肝心の銃が見当たらないが、あったとしても自分で使おうとは思っていない。
「……」
その中から金貨袋を取り出し、一つを腰に提げておく。他の荷物で自分に必要ないと判断した物(金以外必要なかった)は整理して中に詰め、
「……あっ、と」
手から滑り落ちそうになった一冊の本をもう片方の手で押さえた。勢いよくページが捲られ、背表紙の部分だけを指先で掴まれた本はふらふらと宙に浮く。
――飛び込んできた文字があった。
「血――?」
本で言えば最後の頁。埃で汚れたそこに、血で綴られた文字がある。文章は短く、文字も大きく。しかしそこにははっきりとリーゼにも読める文字が刻まれていた。
『奴の狙いはお前だ』
――だから気を付けろ、と。たったそれだけの文字が。
リーゼはおもむろに別の頁を開いた。そこには数字で日数が書かれ、炭で記された文章が淡々と紙面の端まで綴られている。彼がよく夜に書いていたもので、日記帳――と、いうのだろう。その最後に血文字でこんな警告が書かれていた。
リーゼは樹海でのことを思い出す。鞄は乱雑に投げ出され、物が飛び出していたことを。
――飛び出し過ぎじゃなかっただろうか?
馬車が壊れて鞄が投げ出されるくらいじゃ物はそこまで周囲に散乱していなかったはずだ。
剥き出しになった鞄を後からレーデが漁り、本へメッセージを残した。だとすれば、本が開かれて置かれていたのはリーゼに知らせる為か。
急いで書かれた血文字と鞄の状態から察するに、彼には時間が無かったのだと思われるが――。
「私が、狙い……?」
奴とは恐らくヲレスのことで間違っていないだろう。
しかしヲレスはリーゼに手が出せないから、レーデを狙ったのではないのか。その後に準備を整えてこちらに手出しする可能性は勿論あるが、樹海で一人取り残されてヲレスと交戦したレーデが、わざわざ本の最後にメッセージを残すという方法を使ってまでして知らせたい内容なのか。
レーデはもっと危険な目に遭っているというのに――。
「違う、そうじゃなくて……考えなきゃ」
思考から逃避してはならない。
レーデがこうして文字を遺す以上、何らかの意味が必ずある。リーゼをして“気を付けるべき”何かが、この文章に――今までのやり取りから気付けることが、あるはずだった。
本をきゅうと握り締める。ヲレスがやったこと。失踪、樹海。山賊。霧。全部がヲレスの手により仕組まれていているとすると、御者やルル――。
そこで今更、リーゼは二人のことを思い出す。何度か要点を話した時には特に浮かばなかったが、ふと二人を村に放置してしまった自分に気が付いた。
本当に、何も見えていなかったのだろう。
視野が狭くなっていた。
「……ううん……」
りーぜは今回の事件に二人が関係しているとは思わなかった。巻き込まれてしまった側だろう。ルルに関してはそもそも途中から乗り合わせただけ、関連性など欠片もない。
レーデが危険視するのはどこか。
喉元まで何かが出掛かっている気はした。リーゼ自身、ヲレスは必要以上の警戒をしなければいけないと思っている。
それは何故だったか。ヲレスは魔法使いだが、決して正面からぶつかって“勇者”と戦えるほどの人物じゃない。というかそんな人物が存在するのなら勇者など必要ない。
「――あれ?」
リーゼは首を傾げる。
今、何かおかしなことを考えなかっただろうか。
ヲレスは優秀な魔法使いだ。魔法学校に十二人しかいない、サーリャと同レベルの魔法の使い手。けれどリーゼに敵う相手じゃない。
戦っても勝てない。
――戦いでは。
――騙された? 樹海、戦い、魔法――霧。
リーゼは最後まで、ヲレスがリーゼに仕掛けた“呪縛魔法”に気付くことができなかった――。
それは。何故。
何故、そのことに気付けなかったのか。
「――いや、でも、それだけじゃない。はず」
レーデがそのことに気付いてメッセージを残す可能性は十分あり得る。リーゼは万能じゃない。通常時なら、ヲレスの魔法が効くこともあるだろう。けれど仕掛けられたことすら気付かなかったというのは――それはもう、おかしいとしか言えなかった。
「……分からない」
近い部分に近づきはしたが、正解とは言い難い気がする。
レーデが敢えて言葉を濁して書いたのは何も時間だけの問題でなく、ヲレス本人に見られては不味いものだからだろう。だからこそ言葉を濁した。正確には記さなかった。
それを、リーゼは自分で考える必要があった。
そして、あの場に荷物を置いて行ったのは、リーゼが必ず捜しに来ると分かっていたから。
それだけが理由でないにせよ、ああして荷物ごとメッセージを残した以上、彼は確たる意志を持って失踪している――希望的観測ではなく、確信に至った。
ならば尚更レーデを捜すのではなく、同じく失踪したヲレスの対策を講じるのを優先させるべきだろう。そう思った。
他にもメッセージが残されていないかを見て確認してから、本を鞄に入れ直す。他には何もこれといって言葉は記されていなかった。
読めない文字は、彼がもっと昔に付けていた記録なのだろう。今回の事件に関連はしないと思われる。
「でもきっと、何かあるんだ。私に干渉できる――から」
リーゼはやはり“万能”ではない。
天聖虹陣などを発動させて自らの能力を底上げしなければ、魔法自体は通用する。あの時は纏虹神剣だけを使っていたのが失態だったか、と後悔するのは遅い。
しかしリーゼにとっては、目の前で呪いを仕掛けられ、且つそれに気付くことすら出来ないなど有り得なかったのだ。そう、今までは。
ヲレスによって仕掛けられた呪縛魔法が最初で最後、リーゼが見逃した魔法だった。
恐らく――そこに関係しているのだろう。
「やっぱりサーリャに会わなくちゃ。ヲレスのことを知ってたっておかしくない」
レーデに学校を紹介したのはサーリャだった。その理由は“呪縛魔法”を調べるためで、もしかすると言外に都市へと住むヲレスを頼れと言っていたのかもしれない。
サーリャは火、水、風、地、雷の五大魔法を得意とする魔法使いだった故に他の系統に属する魔法には造詣が浅く、だからこそ同じ主席であったヲレスへ誘導する算段だったのかもしれない。
そもそも、大多数の人間は幾つかの例外を除き系統に分類されるような魔法など扱えないのが当たり前なのだけれど。
サーリャは渓谷を越えた先に居る。
今現在の渓谷がどれだけ危険であっても、リーゼ一人なら山越えも容易い。
――ぎゅる。
「う、ご飯しっかり食べないとだけど」
腰の金貨を袋の上から握り締める。
レーデの金を勝手に使うのは忍びないが、食べなければやっていけないことは誰の目から見ても明白である。
ギレントルから貰った果実一つでは体力が全快するはずもなく、腹の虫が早く食べ物を寄越せと暴れていた。
このまま我慢して山を越えようものなら、下手をすると倒れてしまうだろう。この状況で道草を文字通り食べたり魔物の肉にかぶり付いて体調不良を起こすなどいくらなんでも間抜け過ぎる。
よって、リーゼは少しだけレーデの金を使うことを決断した。苦渋の末の判断だったが、この分は後で必ず働いて補おう。
そう心を決め、鞄を背負って部屋を後にするのだった。




