四十一話 嗤う終焉、霧海にて
霧の中は予想を超える濃さで展開されていた。もう少し先が覗けるものだと思っていたが、これほどまで酷いとは。
視界のほぼ全てが暗い霧で埋め尽くされており、目から得られる情報は何一つないといった状態だ。
「歩けなくはないが……おっと」
飛び出していた根を避け、未だ雨によって軟い大地を進んで行く。相変わらず辺りに何も感じず、少しでも意識を逸らせば元の道を辿って帰ることが困難になってしまいそうだ。
そんな時だ。
一瞬だけ、視界の先が眩い輝きによって鈍く光る。お陰で暗い霧の中でも奥の状況を確認することができた。
「――おや」
重なる爆縮が森を焼き払い、数重なる断末魔の叫びの中に穏やかで均一な声が混じる。
声の主は確かな足取りでこちらへと向かってきた。
「ヲレスか……今のは何だ? 戦っていたのか?」
「そう、山賊の数十人をね。この霧の中で僕に一斉攻撃を仕掛けてきたものだから、僕らしくもなく焦ってしまったよ」
煌めく光はヲレスが放った魔法の炎だったか。ごうごうと立ち込める煙炎がその威力の凄まじさを物語っている。肉の焼ける臭いに、木材や土の焼け焦げる独特の臭いも混じっていた。
「勿論山火事にはならないように注意はしてあるよ。燃え移りはしないから安心してくれたまえ……それで、君は今霧の外側からやってきたようだけれど、戻ってきたのかい?」
「俺は霧が辺りを埋めてしまう前に遠くへ離れていたからな。御者から概ねの話は聞いてある、リーゼやルルはどうした? 姿が見えないが」
「道理でね……うん、御者の人は無事に逃げられたみたいでよかったよ。実は僕も彼女達の姿を見逃してしまってね。如何せん、霧に邪魔されてしまってはどうしようもない」
邪魔、どころの騒ぎではない。これでは一体自分が何をやっているのかも分からないほどだ。
山賊がこの霧の中を集団行動可能だったということは恐らく霧の中で動く訓練を受けているか、目に頼らない空間把握能力を身に付けているかだが、ヲレスが始末してしまった今ではその真相も掴めない。
とはいえまだまだ残りはいるだろう。最後に俺が数えていただけでも、数百人規模の人数は見えていたのだ。よくもまあそこまで巨大な集団になって生活しているものだとは思うが。
気を付けなければな。突然後ろから襲い掛かってこないとも限らない。
俺も常に警戒はしているが、少しの油断が命取りになる。ここは、敵陣だ。
「御者も二人の姿は見失ってしまったと言ったが、そういやこの霧は馬車付近から発生して広がっていったようだな。俺は近くに居なくて詳しく見ていなかったが、どうなっているか解析出来るか?」
「ほとんど見たままの認識でいいのではないかな。僕達の連携を阻害するための霧だよ。視界を奪って拘束し、その間に敵は自由に動くことができる。ああ、魔法を阻害する効果もあるね」
「やはりか。俺のテレパスもリーゼに通じていなくてな、その線は考えていた……お前は魔法を使っていたみたいだが?」
「ああ、僕なら使えるよ。この程度の阻害で魔法が使えなくなってしまっては、魔法学校首席の座が涙を流して崩壊してしまうよ」
炎を生み出し申し訳程度の視界を確保しつつ、ヲレスは何食わぬ顔でそう言った。焦ったと最初に言っていた割には一切の動揺も疲れも見せていない様子は、歴戦の匂いを感じさせる。
荒事に何度も身を投じていなければそう冷静にはなれないが、ヲレスの経歴上これは普通なのだろうな。
冷静過ぎて、逆に気味悪さを感じるほどであるが。性格の問題もありそうだが。
「ヲレス、片眼鏡はどうした?」
「あぁ気付いてしまったか、これはお恥ずかしい。実は戦闘中にどこかに落としてしまってね……しかしこの霧だ、探すに探せず困っているんだよ」
そこで初めてヲレスは困ったように首を傾げて見せた。困る部分が若干外れている気もするが、彼にとって眼鏡がそこまで重要な物であることの証左だ。現にあれは特殊な製作法で作られているらしく、本来の道具からは逸脱した機能を持っているのは馬車で一度聞いた。
なんでも魔力の流れやその質、その他特殊な力を観測することが可能な眼鏡なのだとか。リーゼの能力についても、僅かながらも観測することが可能だったらしい。
彼女に深い興味を持つわけだ。
「ということは、お前がこの場に残っているのは山賊との戦闘ではなく眼鏡が理由なのか」
「正解。彼女達を捜すのもいいが、僕の優先度はこちらが先だ。どちらにせよ、この霧が晴れなければ眼鏡も人を見つけるのも難度はそう変わらない」
「……そうか。馬車はどこにある? この辺りにあるはずだが」
俺の歩いてきた距離で方角、ヲレスが居たことを考えれば馬車も近くにあるだろう。
「僕の後ろにあるよ。と言っても少しだけ歩かなければならないけれど。車輪が大破してしまっているから動かないと思うがね」
「いや、用があるのは置いてきた荷物だ。お前の片眼鏡とほとんど一緒の理由だよ、それにリーゼやルルを捜索するならあれを持っていた方が断然効率がいい」
あれにはリーゼにも見せていない便利道具も色々入っている。爆弾同様に使うタイミングが無かっただけだが、ここらで役に立って貰うとしよう。懐中電灯が入れっぱなしのまま放置してあるのだが、電源は大丈夫だろうか。
一度も使っていないので、即座に使えることを祈る。
「俺は荷物を取り次第、一旦霧の外へと出る。ヲレス、お前はまだ片眼鏡を探すのか? 馬車という目印はあるのだし、大人しく霧が晴れるのを待つのが得策だぞ」
「そうは言ってもね……いや、僕はここに残るよ。霧の外に出たって出なくたって、僕のやることはそう変わりはしない」
「そうか、なら俺は先に行っているぞ」
ヲレスの横を通り、まだ見えない馬車のある位置を探そうと目を凝らす。この付近には大量の石矢も刺さっている関係上、もう少しばかり気を付けなければならない。
俺は一息吐いて――。
血を、吐いた。
「……っ、お前――」
「言ったろう。僕のやることはそう変わりはしない、と」
狂人はどこまでも冷静に、笑う。
くつくつと、まるで全てが予定調和だと言わんばかりの歪な表情で、歯を剥き出しにして嗤った。
「そう。これは決定事項なんだよ。僕は最初から今こうなることまで、決めていたのだからね――」
リーゼはルルと手を繋ぎながら、霧の中を歩いていた。暗中模索を直接表したように宛もなくあちこちを歩き回りながら、別段発見もないので途中途中で雑談を挟みつつ先の見えぬ霧の中を進んでいた。
未だ霧から出られる様子も、誰かが現れる兆候もない。どこまでも寂しげで不穏で冷たい、そんな湿った空気が辺りを漂っている。
「こうして話しているのは少し緊張感がないですけれど、その……リーゼさんは変わった方ですね」
「あはは……でも、こうしていないと不安じゃないですか。私も、ルルさんも緊張感がないくらいが丁度いいです」
リーゼは話しながらもしっかりと警戒は怠っていない。もしも自分やルルに殺気が向けられようものなら即座に対応する準備は出来ており、それに片手には纏虹神剣による超高密度の得物をしかと握り締めて構えながら歩いているのだ。
何がどう現れたとしても完璧に対処をする術は出来ている。この剣で誰かを傷付けないようにするのは、少々厳しいが――誰かを護る為に振るうのであれば、リーゼは振るう。
「リーゼさんは、お優しいのですね」
「ええと、難しいことなのかもしれないですけど……私は優しいのとは、ちょっと違うんだと思います」
「いえ、上手な気遣いが出来る心優しい子だと私は思いますよ。リーゼさんは確かこの終着点の港まで行くんでしたよね、そこから中央大陸へと渡るのでしょうか?」
「はい、そのつもりです。もしかしてルルさんもですか?」
リーゼはルルと共に乗船出来ることを喜び、すぐに「あ、でも」と顔を苦くする。
「船酔い、しなきゃいいなぁ……なんて」
「馬車は平気そうでしたのに、船には弱いんですね。ふふ、でも私は船には乗らないんですよ」
「あ、そうなんですか」
港に来るのだから自然と船には乗るものだと思い込んでいたリーゼは、少しばかり落ち込んだ。ルルはそんなリーゼに薄く笑みを引き、その手を強く握り返す。
「私は、会いに行くだけですから」
「……えっと、港に誰か、いるんですか?」
「そうですね。港に行けば会えると、私は思っていました」
ルルは含みのある言葉で説明し、当然リーゼは言っている意味が分からず頭にはてなを浮かばせる。しかし大切な誰かに会いにいこうとしていたのだけは分かったので、それ以上聞くことはしなかった。
「すみません、私の言い方の方がよっぽど変で難しいですね。その人は……そうですねぇ……片想いなんです、私。だから会えるか分からない、みたいな」
「あ、あああそういうことですか! いや、難しいことじゃないです。とっても分かりやすかったです」
「ふふふ……そうでもないんです。だって私はあの人に嫌われていますから、多分とかじゃなくて……ほぼ、確実に」
「え?」
リーゼはルルの顔を覗く。彼女は特に変化のない顔でリーゼを見返してきたが、この深い霧とも相まってそれが余計に俯いて見えてしまう。
嫌われている、とは。
「リーゼさんは、好きな人とかはいるんですか?」
「あっ、わ、私ですか? いますよ」
「もしかしなくても一緒に居るレーデさんという人ですか」
「――どっ、どうして分かるんですか!? まだ何も言ってないですよ?」
「うーんと、ただの予想ですよ。でもリーゼさんの好きは、どういう好きなのでしょう。少なくとも、愛ではなさそうな感じです」
「愛、ですか……えと、そのあたりはなんと言えばいいですかよく分からないですけど、レーデさんは好きです。一緒に居ると、胸が暖かくなります」
リーゼは言葉に詰まってしまったが、ルルには自分の思っていることをそのまま伝えた。上手く言葉になっていないのかもしれなかったが、リーゼは本当にそう感じているのだ。
時折雑な扱いをされるけれど、彼は自分と一緒にいても自分と同じ感情を抱くことはないのだろうけど。
暖かい。この手に伝わる、温もりのような暖かさだ。
サーリャと一緒に居ても暖かかったけれど。
少し、違う感じ。
うまく言葉にすることが出来ないでると、ルルはふとこんなことを言った。
「そういうのは、言ってあげられる内に本人に言ってあげるといいですよ」
「いっつも言ってる気がします」
「ふふっ……多分それとは違います。でも、そうですね。それが分かってからでも良いですけれど。いつまでも一緒に居られるとは限りませんから、想いを告げられる距離に、傍にいる内に伝えてあげないと……そうなってから、きっと後悔しちゃうんですよ」
告げられる――距離?
リーゼは、自分の胸にちくりと細い針のようなものが突き刺さるのを感じてきゅうと喉の奥が詰まった。何にも束縛されていないのに、胸がきつく締め上げられるこの感触は……なんなのだろうか、と。
「ルルさんは……」
「私は駄目でした。そして今も、後悔し続けています。恐らくその時に言葉にすることができていたら、この後悔はなかったでしょう……霧に当てられて、少し重たい話をしてしまいましたね。この話は止めましょうか」
行く先の見えないほどに濃い霧に包まれて、リーゼとルルは語らう。とりとめのない話、そこに内包される意味はどこかに吹き飛んで。
二人はそれから、下らないことを互いに喋り続けていた。リーゼの甘い物好きな話や、ルルのよく小物を集めてしまう収集癖の話など。
そうやって話をしていると、目の前に人影が見えた。
すぐさま纏虹神剣で眼前の霧を払ったリーゼは、目の前の人物がヲレスだとわかると胸を撫で下ろすようにして息を吐いた。
「ヲレスさん……無事だったんですね!」
「ああ、君か……おやおや、二人は一緒に行動していたのか。それは良かった、実は僕達も二人のことを捜していたんだ」
僕達、の言葉に続いて霧の中からレーデの顔がうっすらと映った。いつもと変わらない様子で、彼の目と目が合う。
「リーゼ、無事か」
「はい! レーデさんも無事だったんですね! 良かったですよ……テレパス、やっぱり繋がりませんでしたか?」
「ああ」
「山賊は僕と彼で粗方倒しておいたし、多分こちらに危害を加えてくることはないと思うよ。この霧の中を利用して逃走を謀ったのだろうね。いい判断だ」
ヲレスは右手でこめかみの辺りに手を当て「おっと……忘れていた」と呟いてその仕草を中止する。それを見て、リーゼはある部分に気付いた。
「あれ、ヲレスさん……眼鏡、どうしたんですか?」
「ん? ああ気にすることはない。ただこの霧の中で激しい戦闘をしていたから、落としてしまってね。僕は彼と一緒に片眼鏡を探していたんだ」
手をひらひらと振って残念そうに言い、ヲレスは続けてこう告げる。
「この辺りに落ちているはずなのだけどね……僕と彼はもう少し片眼鏡を探すつもりだから、二人は先に霧の外へと出て置いて欲しい」
「リーゼ、まだ山賊が全員撤退したとは限らない。霧の外では御者が待っている、先に次の村まで進んでおけ。ここからはそう遠くないはずだ」
レーデもそう言って「まだこちらは探していないな」と残して霧の中に消えてしまう。その姿に、リーゼはどこか嫌な予感を感じて、
「そうだね。僕達はここで霧が晴れるまでいるよ。けれども一体いつになるのか判断が出来ないからね。君は御者の方と女性を連れ、安全圏である村の方まで避難させておくのが良い判断だ。馬車は僕が直せば、永続的とは言わないまでも使い物になる程度には戻ると言っておこう。ついでに山賊の索敵も続け、殲滅もしておこうかな」
ヲレスの次なる言葉に遮られた。さあと言う声と共に、出口である方向へと促される。
その言葉におかしなところは別段なかったはずなのに、リーゼは何故か行ってはいけないような気がして立ち止まった。
先ほどしていたルルとの会話が、尾を引いてリーゼにしこりを残しているのか――。
御者が外で待っていて、二人はここで山賊を倒しながら片眼鏡を探していて、ならばリーゼはルルを連れて安全なところに連れて行くのが正しい判断だ。
それは一番強いリーゼが二人の護衛に付いて、次なる村まで向かって安全を確保しておくということで、間違ってはいない選択肢のはずなのに――。
「そういえば、先ほどの剣は一体? 腰には二つとも剣を差しているみたいだけれど」
「あっ……これは私が張っていた結界と同じで、勇者の力なんです」
思考が鈍ってしまい、唐突にされたヲレスの質問に言葉を返すのが遅れてしまう。今は剣も持っていないのに、先程までそれを掴んでいた手を強く握りしめていたことにリーゼは思わず苦笑する。
自分は何を焦っているのだろう、とリーゼは気持ちを落ち着かせた。
「なるほど、そうだったんだね」
「普段はあまり出さないですから」
「ふむ、絶大な力の集約を感じたよ。いつもは実体のある剣を使っているのはそれがあまりにも莫大で強大過ぎるからなのだね。なるほど興味深い、是非ともじっくりと見せて欲しいところだけど……今はそのような場合ではないね。では、お行き」
「は、はい。じゃあルルさん、先に行ってましょう」
「よろしいのですか?」
「はい、ルルさん達の安全が優先です」
リーゼはルルの手を軽く引っ張り、ヲレスに首を向けた。
「こっちで合ってますか?」
「うむ、合っているよ。では僕も探さねば……ああ参った、あれがなくなると困るんだ、とっても、とってもね」
ヲレスは丁寧に返事をしてから、片眼鏡を探すために霧に紛れて消えてしまう。
リーゼは霧から出られるという方へ身体を向け、ルルを連れてこの霧の外へと歩き出した。
「――クク、ククク、ククク……ははははは……はは、あはは……」
狂人の嗤い声が霧を抜けて、森を反響して、何度か返ってくる。
耳障りな音だ、とレーデは吐き捨てた。
その腹部からは、見るに耐えない傷口が露わになっている。それは氷で形作られた剣によって貫通した、刺し傷。その剣はとうに抜かれ、どこかへ投げ捨てられている。
血はどくどくと流れ続けていた。内蔵がはみ出そうとしているが、それはレーデの両手で押さえることで何とか押し留めていた。
「そうだ、全ては決定事項だった。君は油断していたんだよ――最初から、最後までね」
ヲレスが淡々と呟く言葉、正にその通りであった。レーデは確かに、気が緩んでいた。
そして、この世界のことを見間違っていたのだ。とっくの昔に自分が無法と評していたはずのこの世界のことを。
本来誰も彼もを疑って掛かるのは――至極当然で、当たり前で、必須の技能であったはずなのだ。
それが、薄れていた。
リーゼと出会い、
サーリャと出会い、
ガイラーと出会い、
ギレントルと出会い、
そして、サーリャの知人であるというヲレスに、最初から最後まで完膚なきまでに騙されていた。
彼は狂人の皮を被って真を隠し、司教を目の前で殺害しリーゼの信頼を得ることで、同時にレーデの警戒を薄れさせていた――そこまで狙ってやっていたかどうかは別にしても。
「今更だが、一体誰が学長を殺害したのだろう。誰が学長を殺した黙秘事項を、洩らしたのだろう。僕しかいない、当たり前だ、僕がやったのだから」
「……っは……そうだな。俺は、油断していた」
ごぷりと口から血液が零れ、レーデはそれ以上喋ることが困難になる。しかし歯を食い縛り、口を開く。唾液と混ざってにちゃりと音を立てる血液が、惨たらしい。
「君も、あの勇者もとても興味深い存在だ。僕が研究する価値が大いにあり、何より研究しなければならない素体だ――さて、君は魔物が喋ると言っていたね。魔物が喋るのは、ごく普通の当たり前のことだろう?」
「……そう、か――お前は」
レーデは自嘲気味に、口を横にひしゃげさせる。そこには苦痛と湛えた怒りと、凶器の如く尖った獰猛な眼。射殺し突き刺すその視線を浴び、ヲレスは心の底から愉しそうに嗤った。
「うん? 勘違いはしてはいけないよ、僕は人間だ。立派なね。サーリャとも一緒に隣を生きたこともある純粋な人間だよ。ああ、彼女とは知人ではあっても、友人でも親友でもましてや恋人同士でもないけれど、ね」
「この霧、やはり――お前か。先ほどリーゼに見せた俺の姿は、幻影……やってくれたな」
今更、と言った様子でヲレスは首を傾げた。その白々しい態度にレーデは舌打ちをする。
あの場でリーゼが天聖虹陣を使っていれば、レーデという幻影を見破ることは造作もなかったのだろうが――。
ヲレスの右目に、無くしたはずの片眼鏡がふっと現れる。それをくい、と上げて、ヲレスはにやにやとこちらを見下げてくる。
誰を軽蔑するでもなく、常にそうした佇まいで。
「そろそろ時間切れ、勿論君の命の灯火の話だ、あまりだらだらしていてもいけないからね。長々と僕との終宴に付き合ってくれてありがとう――それでは、この出会いに至上の感謝を」
レーデはヲレスを、その両の眼で捉える。
「ああ、ぺらぺらと話をしてくれて助かった。お前の好きなようにはさせねぇよ――ヲレス」
レーデは口から血を、ヲレスの顔面に向かって吐き出す。ヲレスの片手がレーデを捉えるとほぼ同時、レーデの右手に黒い塊が握られていた。
それは――銃。
ヲレスの知らない、レーデの得物。
深く、深く、どこまでも続く霧の中。
乾いた銃声と魔力の光子が弾け、交差する。
その後。
レーデが帰って来ることは、なかった。




