三十八話 馬車での旅
中央大陸へと向かうルートは俺が手配した。
都市から出ている馬車で約七日間の道のりを旅し、港まで着いたらレッドシックルの客船を使って中央大陸へと戻る。
北大陸の港への到着予定は順調に進んで七日、余裕を持って八日、そこから船での移動を考えると合計で約十日掛かる計算だ。
リーゼに荷車を引かせれば時間短縮出来そうだったがそれについては直接却下されたため、最短ルートがこの方法である。
まぁ、道中魔物が出ないとも限らないしな。リーゼの体力は温存しておこう。
中央大陸へと渡ったらギレントルとガイラーに今回の件について説明し、警戒レベルを引き上げて貰うことにする。
後は南部へ下り、渓谷のトンネルが崩れていないかを確認しつつ向こうへ越える方法を模索することになった。面子が俺を除き規格外の人間であるため、山越えも考えておく。
一応レッドポートの住民達にも話を聞き、トンネルが崩れている確証を先に得られた場合はその時点で別の手段を考えるが。その場合はギレントルに頼んで航路を使うのが良さそうだ。
そんなわけで、一旦解散して俺とリーゼは宿で荷を整える。
その後、馬車乗り場へと向かい、ヲレスと合流することになった。
乗り場には既にヲレスが立っていた。都市で流行りらしき薄手のシャツの上から翡翠のローブを羽織っており、小さな革鞄を肩に通しているだけの出で立ちで俺とリーゼを出迎える。
淡黄色の髪が風に煽られ、ばさばさと片眼鏡を掛ける右目へ容赦なく降り掛かっており、事ある毎に眼鏡の位置を戻しているのがどことなく面白い。
「少し僕が早すぎたのかな。それとも君達が遅かったのかな」
「チェックアウト等の手続きに加えて荷物を全部運ばねばならん以上、時間は掛かる。俺達は定住しているわけじゃないんだ」
「そうだね、少し配慮が足りなかったよ。なら僕の自宅兼仕事場の医術院に要らない分を置いていくかい?」
「いや、いい。そろそろ馬車が来る頃合いだ」
後、余計な心配事が増えそうだ。
「それもそうだね。遅れると次までの時間が随分と空いてしまうのが馬車の難なところだよ。僕も空を飛ぶことが出来れば良かったのだが、あれは優雅じゃない」
「使えはするんだな」
「無論。やらないだけだよ、下々からの視線が目障りだ」
「……そうか」
俺は特に突っ込むことはせず、ヲレスより若干距離を置いて立ち止まる。俺とヲレスの間にリーゼが入り、その形で馬車を待つことになった。
馬車は港に着く前に三つの村を経由することになっている。出発は都市からであるため先に予約を入れることは出来るが、乗り合いとそう変わらないので途中で人が乗り込んでくることもある。定員は六名だから既にその内の半分は埋まってしまっているわけだが。
経路としてはダライト村程の規模を三つ通り、終着点が港町だ。その距離を七日掛けて走行することになる。
長い旅だ。
恐らく真面目に旅をやるのは、今回が初めてになるのだろうな。
「来たか」
遠くから馬車のやって来る音がし、程なくしてその姿が見える。馬車は俺達の前に止まり、流れるようにして乗り込んだ。
次の村までは馬車で二日掛かる。
地図上の距離だけで言えばそこまで掛かるはずはないのだが、最初は道が悪いらしく思うようには進めないようだ。
なのでがたがたと揺れる馬車の内部は居心地が良いとは言えず、三人は時折激しく揺れる振動に各々壁に体重を預けていたり魔法で身体を固定させたりなどして対策を取っている。
リーゼの乗り物酔いについては心配していたが、船とは違って馬車は案外平気なようだ。まだ序盤であるため、油断は禁物だが。
今日は陽が落ちる手前に到着予定の湖でその日を過ごすということらしい。野営一式は俺が持ってきているため、何故か何も準備をしていないヲレスの分も心配は要らない。
そんな彼の荷物は簡単な研究道具に治療道具と、魔石などの骨董品とは別の枠組みである特注魔道具、それに小金だけだった。これが魔法使いと一般の差か。俺が不便だとは思わないが、自分が使えると相当に便利なことだけはよく分かる。
馬車に揺られながら、俺はヲレスに声を掛けた。
「そうだ、ヲレス。隠すことでもないからお前に有益な情報をくれてやろう」
「ん? なんだい」
ヲレスそれまで片眼鏡越しに眺めていた景色から視線を外し、俺へと目を向けた。
馬車は内部の会話が御者の人に聞こえないような分厚い壁が敷かれているため、基本的には客席の会話が御者に聞こえることはない。何か要望があれば小窓を開いて声を掛けることは可能だが、大声を出さない限りは何を話しても問題はない。
俺がこれから話すのはそれなりに衝撃を与えるもののはずなので、関わりのない人間が聞くべきではなく、馬車の構造は有り難いものだった。
「その前に一つだけ。随分と危ないことを出発前に言ってくれていたが、研究対象に俺とリーゼを含めるなよ」
「なんだい、それでは取引みたいなものじゃないか。君達に害はないと言ったろう。で、君の言う情報はそれに見合うだけのものなのかい?」
研究の欲求を抑えようともしていなかったヲレスは、退屈そうに返してきた。
「それなりにはな。魔物の件についてだよ」
「ほう? なるほど、詳しく聞こうじゃないか」
突如興味を持って身を乗り出してきたヲレスに苦笑する。
俺が話したのは、知能の発達する人型の魔物についてだ。流石に俺の背景まで含めて話すことはしなかったが、彼にそこまで教える必要も意味もないだろう。
幸いレッドポートには殺した頭目の死体が保管されているはずだ。ギレントルが捨てていなければ、だが。
もし可能であれば、それをヲレスに持ち帰らせ研究させておけばいいとの打算があっての説明である。それこそどちらにも得があるというものだ。
一通り魔物について教えると、ヲレスは興味深そうにメモを取りながら頷いていた。すぐに自分の世界に浸ったり、かと思えば唐突に俺に質問を投げ掛けてきたりなどがあり、逆に言えば主立った会話はそれだけだった。
途中から「お腹が減った」というリーゼの予定通りの会話もあるにはあったが、用意していた干し肉や腹持ちのいい保存食などを食べさせて落ち着かせるなどしている内に夜がやってきた。
夜は視界も悪く、馬の調子も整え休ませるために陽が出始める早朝までは動かない。
湖畔で陣を張り、初日の野営は終了した。
二日目。
昼過ぎに最初の通過点である村へと到着。行商が居たために少しだけ食糧を買い足し、他に乗り合う客もいないためすぐに出発した。
景色の遠くには山が見えたが、都市付近は山岳地帯の影響を受けての足場の悪さだったのだろうか。
途中からなだらかな道になっていたため、馬の速度も幾分早くなっている。
途中一度だけ魔物の数体が道を邪魔してきたが、リーゼが出るまでもなく御者が振るう薙刀にて始末されていた。客を乗せるだけはあって、それなりに腕は立つようだ。
その日は戦闘後と夕方に小休憩を挟み、森の広場で夜を過ごす。
猪や熊などの肉食動物が野営時の火に寄ってきたがヲレスの魔法によって瞬殺され、晩の鍋に用いる食材となった。食べ切れない分は土に埋めるなどをして処理し、各々睡眠を取って夜が更ける。
三日目も同じような時を過ごし、休憩を挟みつつ馬車の時間をゆったりと過ごす。途中でヲレスに肉体の解析を行って貰ったりついでに魔力抜きもして貰ったりはしたが、それだけだ。
四日目。
経由する二つ目の村にてとうとう一人客が乗ってきた。薄い灰色の髪色が特徴的な女性で、俺達と同じく港まで向かうらしい。
他人が乗ったことによってか自然と俺やヲレスの事務的会話も減り、逆にリーゼと女性の会話が多くなった。
ルルと名乗った女性はすぐにリーゼと打ち解けたようだ。
その内世間話がこちらにも飛び火するようになり、次第にヲレスもその輪に混じっていったようにも思われる。彼も彼で話し好きではあるらしい。
俺はあまり会話に参加することはなかったが、三人の話を聞きつつ外を眺め、時間を潰していた。
問題なのは五日目であった。
予定が狂うのは旅をするなら結構な確率で起きることだが、これは予想外の展開だ。
「おいおい……これはまたいきなりだな」
俺は空を見上げ、灰色に覆われた空を眺めて微妙な顔をする。
天候が荒れ、嵐がやってきたのである。
その為仕方なく馬車を止めたことにより、予定が大幅に狂ってしまった。雨風についてはヲレスとリーゼが交代で結界を張って事なきを得たが、嵐が止むまでは半日以上も経過してしまった。
更には豪雨の影響で通り過ぎた後も、道行く先で薙ぎ倒された木々が、山付近では土砂崩れや大岩による弊害によって先行きが難航する。馬車を止めては動き、障害を片付けては止まるの繰り返しになってしまったため、ほとんど動けていなかった。
「時々こうした嵐が発生するのですが、今回は酷い。申し訳ありませんが、予定からはかなり日を貰ってしまうかもしれません」
「急激な天候の変化は仕方ないだろう。俺達だけならまだしも、村で乗り合った女性の方もいることだしな。あまり急がなくてもいい」
「ええ、お言葉に甘えさせて貰います」
急ぎたいのはやまやまだがな。
というかヲレスが空を飛んでリーゼが俺を担げばいいだけの話のはずなんだが、そこはリーゼが譲ってもヲレスが譲らないため中央大陸への道のりは非常に遠くなってしまいそうだ。
「何、安心するといいよ。サーリャと知人であれば分かるだろうけれど、彼女はいっそ戦闘狂と言っても差し支えない程の戦闘特化の魔法使いだ。生存力も高い。しぶとく生きているだろうね」
「……否定はしないが」
「はい。サーリャなら一刻を争うような事態にはなっていないと思います」
まぁ。
俺よりも彼女のことを良く知るであろう二人がそう言うのなら、そうなんだろう。
一度俺と一緒にアウラベッドとも相対している彼女だ。下手な行動は起こさないか。
それに本当に一刻を争う事態だとリーゼが思っているなら、何も言わずに俺とヲレスを担いで港まで直行しそうなものだしな。
しかし、これはどうするか。
嵐は止んだが、まだ雨は降っているし何より灰色の雲のお陰で視界が悪い。
馬も休ませた方がいいだろう。
こんな中途半端な場所で馬が使い物にならなくなったら、それこそ大事だ。
「少し休みましょう。私が言うのも何ですが、こうした日は動くことをおすすめはできませんから」
四日目にて乗り合った女性のルルがそう言ったことで俺を含める全員が賛同し、今日はここで休息を取ることになった。
「雨風程度を凌ぐ結界なら僕が長時間張っておいてあげよう。これは多少動物の気を引いてしまうが、君の戦闘能力があれば問題なしだ」
「えへへ、そのくらいのことなら私に任せて下さい!」
ヲレスは魔力を込め、中空に半透明の結界を作成する。結界の強度にもよるが、弱めに設定しておけば長時間機能し傘の役割を果たせるみたいだな。
しかし、馬車と俺達がその日過ごす広さをカバーするとなると当然動物も気付き、雨宿りをしにやってくるであろう。そちらの侵入は考慮していないからこそのヲレスの言葉であるが、その辺りはリーゼを高く評価しているらしい。
というかそれなりに仲良くなっているんだな。
ヲレスに褒められたリーゼは嬉しそうにしている。
そっちは彼らに任せよう。
俺は地図を広げ、現在地を御者と一緒に確認し今後のルートを話し合う。
「ううむ……こちらは通行出来ない可能性が高いので、こちらを通るのはどうでしょうか」
御者によると当初の予定だったルートは土砂崩れによる被害が大きい可能性があるため、回り道がしたいと提案してきた。
そうだな。
通れなければ時間の無駄になってしまうことを考慮すると、最初から回り道をして安全なルートを通った方がいい。
「懸念があるとすれば、このバツ印か」
「ええ。そうですね……」
地図に記されているバツ印を眺め、御者は渋い顔をする。赤いインクで記されたその意味は、山賊注意の危険マークだ。
レッドシックルのような海賊とはまた違って、この辺りで一つの社会を形成している集団のことを一般に山賊と呼んでいるだけなのだが……正しくは人間狩りを行う蛮族のことだ。この辺りは旧大陸以外の情報で少しばかり目にしたものだった。
「あまり詳しくは知らんが、そんなに危険なのか?」
「そうですね……遭遇してしまえば戦いは逃れられません。相手には地の利がありますから、不利になるでしょう。足である馬車を狙ってくることも予想されます」
「そうだな。俺達だけならどうにでもなるが、馬車や女性を守りながらとなると、か」
「あちらの女性の方は馬車に退避して貰って、私と……度々申し訳ないのですが、力のある皆さんにも戦って貰えれば通れると思います。一旦村まで戻るのもありですが」
当初のルートは通行できない可能性が高く、回り道は山賊に出会う危険が少々か。
俺は地図を見つつ、馬車が通れそうなルートが御者の言う遠回りしかないことに歯噛みする。
「戦う分にはいいんだがな。リーゼかヲレスに結界を張って貰って馬車の守りに集中させ、俺が戦えばいいか……」
「ありがとうございます」
「いや、お礼はいい。それと貴方は馬車を動かせる大事な人でもある。戦闘に入らざるを得なくなった場合はこちらで何とかするので、馬車の守りに付いて欲しい」
御者の戦いぶりは見ていたが、動物や個体で弱い魔物ならともかく知能を持って殺しにくる狩りのプロ相手だと手に余るだろう。むしろ後ろで待機してくれた方がいい。
もしも御者に何かがあったとして、俺はこんな荒い道で馬を制御する技能は持ち合わせていないからな。当たり前だが道も地図だけじゃ把握し切れん。
ヲレスは……扱えなさそうだ。
リーゼは考えるまでもない。というか考えるだけ無駄だ。
御者より馬の方が性に合っているだろう。
俺は懐に手を入れ、ナイフと銃の所在を確かめる。
あまりヲレスに銃は見せたくない。
しかし人間相手ならナイフも十分に通るな。レッドシックルの剣を使うのもいいだろう。
銃を使う時は、本当に危険な時だけにして。
「本当に、それでよいのですか?」
「御者の体裁ってのは事ここに関しちゃ気にしなくていいぞ。物には役割というものがあるからな、戦いは俺達に任せてくれ」
俺は鞄から幾つか村で購入していた食べ物を取り出した。固いパンや塩漬けの野菜や肉などだ。安価で大量に売っていたからリーゼの小腹が空いた時用にこうして購入していたが、振る舞っておこう。
水瓶も出して、湖で汲んだ飲料水を全員分用意する。
「飯にするぞ。今はあまり落ち着けないだろうからすぐに食える奴しか出さんがな。お二人も、良ければどうぞ」
御者とルルの二人には先に差し出しておき、走ってやってきたリーゼとヲレスの順に渡す。
この五日間自然と俺が食事担当のような扱いになっていたために、毎回遠慮がちに頂く御者と四日目から行動を共にしているルル以外は平然と受け取って食べ始めていた。
別にいいんだがな。
御者に渡す分は俺の好意でもあるし、女性の分はついでだ。
高級な物なら話は別だが、リーゼと俺だけで食うわけにもいかんしな。
俺も自らの分の食べ物を手に取り、パンに齧り付いた。




