三十七話 選択肢一つ
情報が錯綜していたため、俺はひとまずリーゼの言葉を中断させた。
残念ながら俺は魔力中毒によって衰弱し気絶していたこともからな。その間も含め、俺の知らない事情を知っているであろうリーゼには俺が居なかった場所で起きていた出来事の全てを説明して貰っていた。
ヲレスはあの一言以外は何も言わず、死体に手を加えている。手を翳して何らかの魔法を行使しているのだが、内情は分からないため特に反応すべきこともなかった。
「――なるほどな」
たどたどしい説明を終えたリーゼに、俺は深い溜め息を吐いていた。
「す、すみません……」
「ああ、いや別に怒っているつもりはないが。ただ俺の知らない間に、そこそこな面倒事に巻き込まれていると思ってな」
最初の段階で既に司教がリーゼに接触し、サーリャの情報――つまりは中央大陸の現状を教えてきたこと。
それと勇者の力を強化するために教会へ戻り、魔物を倒しに行くような要請があったことだ。
リーゼが俺に言ってこなかったのが俺の負担になると思ってというのがまた面倒な点だったが、あの時点で司教などについて包み隠さず話されていた場合俺は学校の内情に関して今より詳細に踏み込めていなかったのは確かだ。
実際に見たわけじゃないが、派手に言い合いをして見事に殺され没した死体へちらりと視線をやり、そのご大層な姿に納得してまたリーゼへと戻す。
泣きそうな顔がこちらを覗いている。
「司教の言葉通りなら、ゴルダン渓谷のトンネルが壊されてその奥が魔物だらけになっているという話だが……。俺達は最近そこを通ってきたばかりだ。更に通行不可となっているなら、司教がその情報を掴んでいるのには少しばかり疑問が残る。俺とリーゼのテレパスの限界距離を試したことはないが、それでも渓谷間も離れていたら繋がらんだろう。独力でテレパスを繋ぐにしても、制限の課された魔石とは違い逆に通信距離は短くなっているはずだ。以上を持って、司教の言葉は鵜呑みにすべきではない」
俺はそう結論を付け、しかしと繋げる。
「現場からタイミング良く逃げ出した、なら話は変わるがな」
「私も半分は信じてなかったです。でも、もしものことがあったらって思うと」
「そうだな。魔物の件を考えれば何も不自然なことではない、果たして海上と陸地の重要な通り道を潰して何をしようとしていたのか――」
サーリャが現場にいるなら、時系列としてはダライト村の後すぐに起きたか。そうなるとサーリャ自身が情報を流した可能性も考えられるが、それでも司教に渡ったと見るのは少々強引である。
何故ならサーリャは教会を信頼していない。最初の前提を覆すようだが、助けを求める性格でもないだろう。
そうなると、司教がサーリャの動向を知っていた理由が分からなかっった。司教の言葉は鵜呑みにしてはならないが、全てを偽物だと吐き捨てるには情報が濃い。
全くのでたらめではない可能性は、十分に高かった。
「本人が死んでちゃ、これ以上考えても無駄か」
もう少し手前の段階で俺が事情を知っていれば、司教を締め上げて色々と吐かせていたんだがな。
「ああ、もしかして僕のせいかな? すまないね。どうしても実験体が欲しくて、うっかり殺してしまったよ」
「それはうっかりではないだろう。だが過ぎてしまったことだ、大したことじゃない」
相変わらず死体へ手を翳しながらこちらへ首だけを向けてきたヲレスに、俺は苦笑する。
「ところで君は、僕がサーリャと知り合いなのをどこで聞いたのかな」
「誰にも聞いちゃいないさ。片っ端から魔法学校に関する情報を掻き集めていた際に手に入った、ほんの些細なもんだよ」
「ふむふむ。まぁ調べればすぐに分かる程度のものだったか、僕のことは。別に隠していないし仕方ない。けれども気になる。生半可な情報収集じゃそんなことについてまで調べは付かないはずだけど、もしかして最初から僕に用事はあったのかな? 余所者にしては、よく僕のことを知っているご様子だし」
うん? とヲレスは首を傾げてみせる。
「その通りだ」
俺としても黙っていて得することはないので、そのまま答えた。
「いや、な。この身体のこと云々は抜きにして、実は俺は魔法学校に入学するためにこうした情報収集を行っていたんだ」
「ああ、つまり僕に紹介状を一筆したためて欲しいと」
「いやそれ自体はサーリャから貰っているんだがな」
「うん? ああ、そうだね。サーリャと知り合いなら丸腰で足を踏み入れるわけがないか……では何故?」
首席である生徒や力のある人間が推薦といった形で紹介状を渡しておけば、ある程度の融通は効くそうだ。そのためヲレスの言葉は何ら間違いではないが、俺は既にそこの段階は突破しているのだ。
問題は、学校自体に介入できないこと。
「紹介状を受け取ってくれる奴がいないんだよ、敷地に入る前に門番に追い返されてな。だからこうして裏から探りを入れて、直接入学の手続きを済ませようということだ」
「あぁなるほど。魔法に適正がないどころか毒ですらある君が魔法学校へ入学しようとは、些か疑問視する部分はあるけれど。その点はさておき、合点がいったよ。君、もしかしてそれだけ調べておいて知らないのかい」
「何がだ?」
ヲレスは何でもないことを述べるように、さらりと言った。
「ちょっと学長が殺されちゃってね。そりゃ、部外者は問答無用で立ち入り禁止にもなるさ」
アリュミエール魔法学校学長の死は、俺やリーゼが到着する更に数日前に遡る。
学長は魔法学校を首席で卒業した実力者の一人で、全盛期よりは劣るが結構な魔法の使い手だったそうだ。
それが、全身がばらばらになって学長室に転がっていたのを発見されたのが朝から昼にかけての時間帯であった。
第一発見者は準学長となる学長補佐役だ。
直ぐに人員を動かし、死の原因を探ったところ分かったのはこれだけだった。
外部からの強引な侵入であったこと。
魔力の軌跡が残されていたことから、何らかの魔力的な能力が行使されたこと。
範囲が学長室に限定されており、狙いは最初から学長ただ一人であったこと。
そして、魔物の反応が検知されたこと。
以上の四つだ。
学長の死を安易に知られるべきでないと学校側はその死を秘匿し、部外者からの接触の一切を断つことに決定。普段通り学校を機能させ、有能な生徒を使って犯人を特定するため活動している――。
と。
秘匿されているはずの情報をぺらぺらと喋ったヲレスは、最後に俺を見て納得の表情を作った。
「僕はあまり精力的に手助けしていたわけじゃないけれど、不可解な事件にずっと頭脳の何割かを捻らせていたんだよ。だってそうだろう? 魔物の反応が引っ掛かるということがそもそも可笑しいことではあったんだ。けれど、これでまた一割ほど謎が解けたよ。今回発生した学長の死は、君達と」
ヲレスは喉奥に刺さった骨が取れたようなすっきりとした顔で死体の顔を叩き、こう締めくくった。
「司教と、背後に潜む教会や魔物など――この世界の“裏”が出張って来ている可能性が、高いんだね」
「……そうか。学長なんて存在が死んでりゃ、俺のような不審者を敷地に侵入させるわけにはいかないだろうな」
「うむうむ、そういうことだね。非常に残念なことを言うけれど、学校に入学するのは諦めた方がいい」
今日、ヲレスに出会ったのは相当な幸運だったかもしれない。
今まで俺も調べてはいたが、そもそも学校が俺を敷地に入れない理由が分からなかったのだ。門番は理由も話さず突き返し、それからも学校に入れるような状況は発生しなかった。
さも簡単に調べられるように言ってくれたが、ヲレスがここで話してくれなければ俺が知ることはなかっただろう。それほどまでに情報統制は徹底している――いや、こんな奴が知っているとなるとそれも程が知れるが、そこそこ敷かれていたのだ。
先日都市に着いたばかりの無知な俺が調べられる難度ではない。
「そうなると、ああ。司教を殺してしまったのは悔やまれるね。それもかなりだ。死体の脳味噌を解剖して記憶だけを取り出す技術が僕にあれば、このような下らないことで悩んだりはしなかったのだけれど。色々知りたかった、確かに具合のいい死体は欲しかったけれど、この思考のつまを取り除く方がもっと大事だったと今なら言えるよ」
ヲレスは唸りながら死体を持ち上げ、興味が失せてしまったように肩に担ぐとマイペースに廊下の奥へと消えていく。
俺はその光景を眉間に皺を寄せながら眺め、一息吐いた。
「お前、よくあんなイカれた奴に自分を売り出そうと思ったな」
「えへ……へ……」
「自分のしたことの重大さが分かったか?」
「……はい」
「今回は、サーリャのように後でケアしてくれる人物がいなかったんだからな」
「……はい」
頬をぴくぴくと痙攣させながら笑うリーゼの顔に生気が感じられないのを見て、俺は現場の介入に間に合ったことを心底良かったと思った。
全てが決定してしまった後だったら、彼はそうそう取り消そうとはしなかっただろう。
折角の戦力をここで彼の不透明な研究に使われるなど、全く洒落にはならない。そうなるなら金貨を投げ捨てた方がまだマシだ。
「……さて、入学が困難となると方法は限られてくるな」
別に俺は、学校に入学して真面目に授業を受けようなどと考えているわけじゃない。いくら理論を覚えようと概念を理解しようと、俺自身に魔法が使えなければほとんど意味を成さないのだからな。
ヲレスに金を積んで直接呪縛魔法についてを引き出すことも考えるか。
とはいえあれも専門分野だ。医術学と呪縛魔法では全く方向が違うのだろう。
「その、すみません」
「何を謝る必要がある。今回のことでお前が何かをしたことは一つもないだろう」
「そうじゃなくて……お金のことです」
「ああ、金か」
リーゼは今回、一歩間違えると所持金を全て無くす事態に陥ってしまった可能性のことを言っているらしいな。
「今回、金についての心配はするな。俺が倒れた後のお前の行動に文句はない。保険として一部の金は宿に置いているというのも上出来だ」
そうなれば、例えヲレスに全てを支払ったとしても確定で金貨二十枚は手元に残ることになる。そりゃ元々の所持金と比べれば心許ないわけだが、ヲレスが先ほど言っていたように充分過ぎる額ではある。それだけで食っていくには問題ないのだ。
俺が常に金に気を配っているからこそリーゼは勘違いしているようだが、最初の手持ちがたかだか銀貨数枚だったことを考えれば分かるだろう。
「とにかく、ここからどうするかだな」
現在学校への入学は難しく、教会はリーゼに何かをさせようとしている。
渓谷が閉ざされているのであれば、中央大陸に渡ったところで意味はない。
しかし気になるのは、今回も魔物が絡んでいることについてか。
学長室に魔物の痕跡があったのはどういうことなんだ? 俺には以前からアウラベッドのような魔物が人間に扮して校内に紛れ込んでいたとしか考えられないが――。
毎回、魔物のやることの先が掴めずにいる。
結局のところ海を占拠していた理由だって分かってはいないのだからな。
「いやぁお待たせしたね。ごめんね二人とも、アレを薬品漬けにして長期保存しておくのに少しばかり手間取ってしまって」
考えていると、廊下の奥からヲレスが戻ってきて何の脈路もなくそんなことを言い出した。
「いや、誰も待っていないと思うが」
「何を言い出すんだい、君の身体の解析が遅れてしまっているだろう。一日二日じゃ足りない。単純な話じゃないからもっと掛かってしまうかもしれないけれど」
「……ああ、そういう話か」
あれだけの奇行と言動を見ていると、こいつに身体を弄くられそうで気が引ける。ほぼ間違いなく、こいつの腕は度重なる人体実験の結果だろう。
明らかに特殊なリーゼはともかく、俺にまで興味を持たないでくれ。
「そう、僕は薬品漬けにしながら考えていた。一番効率も良く皆が納得する方法を」
「……? 話が見えないのだが、一体何を言っているんだ?」
そして唐突に語り出すヲレスは、片眼鏡をくいと上げつつ俺達を見ているような見ていないような不思議な雰囲気で語る。
「僕は君の身体を調べたい。そこの君の身体も調べたい。丁度サーリャのお知り合いみたいだしね、ついでに今世間を騒がせる魔物についても調べたいと思っていたんだよ。丁度学長も殺されて僕も動きやすい頃合いで、頭に挟まったつまが心地良く取れそうなんだ。では二人とも、一緒に中央大陸へと向かおうじゃないか」
狂人っていう単語が入っているからにはそれ相応だとは思っていたがな……。
方向性が、そういう向きか。
「待て。話がお前の中完結しているが、俺にも分かり易くそうなった経緯を説明しろ」
「……ん? ああ、そうか。ごめんよ、どうにも集中し始めると周りのことを考えられなくなってしまう性分でね」
つくづく思う。
俺は人望がないのを強制される呪いにでも、掛けられているんじゃないのかと。
「君は僕の患者で、魔力が毒になってしまう症状を治すためにここにいる。そうだね?」
「……間違ってはいないが」
「うんうん、僕が側にいれば魔力抜きはいつでもできるんだ。僕も君の身体を解析できて一石二鳥でなお良い。そして勇者は中央大陸に向かってサーリャを助けたい、そうだね?」
「……はい」
「では僕も協力しよう。そうすれば君の身体について理解を深めることが出来て、かつ魔物の死体も調達出来て、司教の言葉の真偽も確かめられる。更にこの問題を完全解決出来れば僕が学校に真相を報告し、君も無事入学することが出来る。僕は頭のつまが取れる。どうだい、とても素晴らしい提案だと思わないかい?」
素晴らしいのはお前の頭だと言ってやりたいが、ここで何を言っても聞いてくれなさそうだ。
一応利害関係は一致しているようにも思われるが。
「まさかそんな提案を受けるとは思わなかったよ。だがお前の言う通りで、確かにどちらにも得がある。全くもって実験されたくはないが」
「いやいやいや、実験じゃないよ。ただ解析するだけなんだから、害はないからね。安心するといいよ」
「……」
ヲレスは「どうかな?」と続けて聞いてきた。
俺は黙ったまま一度リーゼと顔を合わせると、リーゼは無言で小さく頷いてくる。俺に任せたと言っているのか。
……。
そうだな。
この都市で俺が動いても学校関連の防備は固く良い成果は望めない。そしてヲレスの案に乗っても、気を付けてさえいれば悪い方向へは進まないだろう。
仕方ない。
「いいだろう。その案、乗ろうか」
俺はしばらくの思考の後、そう返事をする。
ヲレスは「問題なし」と言って、満面の笑みを作った。




