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トラベラーズ・レコード  作者: くるい
誤りの北大陸
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三十六話 医術師ヲレス

「そ、それは……」

「払えないと? 別に僕は直接的な値段を言っているつもりはないよ。勿論根こそぎ絞り取る気だけれど、逆に鉄貨一枚しか所持していなくともいいと言っているんだ。それで払えないということは、あの患者に金は払いたくない、若しくは僕の施術が気に食わないということになるが」


 リーゼはどうしたらいいのか分からなくなって顔を下に向けてしまった。頭の中でぐるぐるとヲレスとの会話が回り、自分が何を言ってしまったのかすらも、分からなくなる。


「ヲレス殿。それは困りますな……私はこの件に関しては付いてきただけの身でして、こちらを見られてもどうしようもありません」

「ん? いやいや突然何を言い出すのかと思いきや、まず言い訳が口から出るとは情けない。勿論君からも貰うよ、何故なら僕の施術を見たのだからね」

「彼は私の知人ではないのですぞ……?」

「だけど安心して欲しい、僕が求めるのは現金だけ、後で金銭に変換なんて面倒な行程を挟まねばならない金品は御免だよ。裏に何があるか分からないからね、特に君の懐に入っている十字架の金塊とかはさ」

「き、金塊ですと……? これは神より賜われた聖具ですぞ、そのような物と一緒にして欲しくはない」

「金塊だよ、金塊。元は鉱山から掘り出した金から造られたんだから。溶かして再構築してメダルに変えればあっと言う間に金貨だ」


 司教は歯を噛み締めてヲレスを睨み付けるが、当の本人はどこ吹く風。今この瞬間、金を受け取るためだけに医者をやっているかのような満面の笑みをして司教の肩に手を置いた。


「君は僕の噂を知っているはずだよ。医術学における希代の天才にして、《傲然搾取の狂人医術師》ヲレス・クレイバーの名を。どのような成り行きで僕がどのように振る舞っても、施術を見た時点で君は関係者だ。分かるね?」

「ぐ、ぐぬ……だが、この方は勇者ですぞ? いくら君が地方まで轟く噂を持っている有名人でも、そのやり方を見過ごす訳にはいきませぬ。私の十字架をメダル呼ばわりしたことも、本来であれば――」

「君の常識で話を展開されても僕は困ってしまうばかりだ」


 ヲレスの笑顔が唐突に無くなった。どこまでも突き抜ける無の表情が司教を刺し貫き、冷えた視線が司教を釘付けにする。


「僕は宗教にはとんと疎くてね。友人の何人かは君のように協会に精通している者も居るが、それと僕が理解を示すかはまた別の話だ。君がどのような神を祭り上げようと、そのようなオモチャで何を崇拝しようと僕は一向に構わないのだけど、しかし僕の場所ではその下らない価値観で話すのはやめてくれたまえ。ここでは僕が全てだ」


 感情のない顔はそのまま下を向いたままのリーゼへと向けられる。

 掛けられた片眼鏡に魔力が込められ、ヲレスは静かに口端を歪めた。


「しかしこの女の子が例の勇者だったのか。宗教などの話はさておき、一度この目で見てみたいとは思っていたよ。なるほどこれが勇者の仕組みか、ふむ、ふむ。研究足り得る素材ではある。先程の彼と同じく、僕の興味を注ぐに値するものはあるね。ふむ」


 ぴくり、とリーゼの耳が動く。

 それにはヲレスも司教も気付かない。


「……貴様……今、私の全てを否定したな? 貴様のような一介の人間が、神を否定したな? 許せん、許せんぞ――」

「一介の人間、ふふ。ふふふ、面白いことを言うな、君。まるで君が一介の人間ではないかのような発言だ」

「私は神より選ばれし使いですぞ! 貴様とは違う、この世を導く役目を与えられた司教だ! このような愚弄を黙って許すと思っているのか、貴様のこの地位を今すぐに砕いていもいいのだぞ!」

「いやぁ耳が痛いね、物理的に」


 言葉通りに小指で耳の穴をほじくり、ヲレスは哀れみすら向けずに司教を怜悧に見下している。

 一笑。軽く嘲弄して、ヲレスは片眼鏡の魔力を収めてしまった。


「久々に出会ったよ、君のような愚者には。いや、訂正しよう。愚者が僕の前に姿を現すなど久々だ。誠に耳が痛いね、鏡に向かわせて声も一緒に反響させ、改めて君に聞かせてやりたいものだよ」

「いいだろう、そうやっていつまでも馬鹿にしているがいい――貴様はすぐ地に堕ちる。教会に刃を向けた罪、必ずや天罰となって貴様に降り掛かるぞ――ッッ!?」

「仮にそうだとして」


 司教は言葉を閉ざす。否、言葉が途中で止まる。

 ヲレスの右手が司教の喉元を握り潰していたからだ。くぐもった呻き声を挙げて司教の骨ばった手がヲレスの右腕を掴むが、ヲレスお構いなしに壁に叩き付ける。清潔に保たれた壁に、司教の脂汗が張り付いた。


「まず君はただの人間で、神の使いじゃない。そして隣に崇拝し敬うべき勇者様がお傍に居られるというのに、君は自己保身や威厳を保ちたいがための言動に走るばかり。ここでの本来の役割は、勇者の代わりに身を削ることではないのかな。あくまでも君の意見から読み取った僕の解釈なのだけれど」

「ぐ……うぬ、は、離、せ――キサ――ガハァッ!」

「痛いだろう、苦しいだろう。これでもついこの前まで僕も一線級の魔法使いだったんだ、自分で言うのもなんだけれど……ふふ、僕はそれなりに強いよ。じゃあなんで今は医者かって? 間違えて仲間を研究の一環で殺してしまってね。それがあって……何、気にすることではないさ。あれは僕の中では最初から最後まで決定事項だった。僕は最初から戦うつもりなんてなかったからね」


 くぐもった呻きが苦しげに変化し、断末魔寸前の叫び声に変わって初めてリーゼが顔を上げる。


 リーゼの瞳に映るのはヲレスに首を絞め上げられて宙に浮かぶ司教の姿だ。

 けれどリーゼの瞳は虚ろで、ぶつぶつと独り言を呟くばかりだ。目を真っ赤に充血させた司教の骨ばった手がリーゼに助けを求めるが、虚しくも宙を掴むばかり。

 リーゼは何か別のことに集中していて全く反応を見せない。


「ああ、そう。そうだった。話を戻そう。そんな僕が言うことでもないけれど、君。話を逸らすのは良くないな。怒りに任せてなのか見せかけの作為かは測りかねるけれど、君がどのように神を語ったところで金の問題は消えてはなくならない。そして、君は僕の怒りを買ってしまった。値段は君の命と身体で引き換えるとするさ。それでは、今日の出会いに最上の感謝を」

「ま、まて、止め、金な、ら――」


 ぼきり、と嫌な音が鳴った。充血した眼が飛び出さんばかりに突出し、開いた口から唾液と舌がだらりと垂れる。ヲレスが手を離すと、司教の身体は力無く床に崩れて転がった。


「今回は割と綺麗な死体が欲しかったんだ。ありがとう、こんな機会を恵んでくれて。でもそれとは別に施術を見た代金は貰うからね。でも君はもう自分で動くことができないだろうから、僕が代わりに取ってあげるよ。――さて、後処理は必要ないかな。何故ならたかだか司教程度を僕の領域で舐り殺したところで、教会は誰も動きやしない。僕から出向いていきなり枢機郷辺りを嬲り殺しにするくらいのことでないと、誰も僕に手出しをしようとは思わないさ。そうだろう?」


 びくりびくりと痙攣する司教に向かって、聞こえるはずのない台詞を呟きながら金の入った袋を取り上げる。「これで問題なし」と言って、ヲレスは興味を失ったように司教から視線を外した。

 その眼はリーゼを捉える。


「ふむ、それで。全財産で君は納得するんだろう? 僕のルールは僕とお客が双方納得するためのルールだ、これで君も僕もお互い満足で納得のはず。君と一緒にいた司教の方は結局よく分からなかったけれど、君は患者を担ぎ込んできた張本人だからね。さっきみたいなことにはならないだろうね」


 そして同じように、リーゼの肩にヲレスの右手が乗せられた。

 司教の唾液と少量の血液が付着した、ヲレスの白い手。


 リーゼは言葉にならない呟きを止め、ヲレスと視線を交わした。視界の端に司教の亡骸が目に入ることとなってその死を知ったリーゼだったが、それはほんの些細なことであったらしい。


 虚ろだった瞳から一変。

 強くヲレスを見つめ、リーゼはこう言った。


「ヲレス、さん」


 声自体は小さかったが、決意の込められた強い声だ。突然に呼ばれてヲレスが一つ返事を返すと。


「その……すみません。私、あんまり深く考えずに言っちゃいました。でも、このお金はレーデさんの大切なお金で、やっぱり私が軽々しく手出ししちゃいけないんです。レーデさんはこのお金を使って、大事なことをしようとしているんです」

「それで、結論君はお金を払えないと?」

「――はい。すみません。だから私が、私がお金の代わりじゃ――駄目ですか」


 リーゼは司教が血祭りに上げられている間、ずっと一人で考えていた。


 一度奴隷になったことはあったが、リーゼは決して自分のことをただ軽く見ているわけではなかった。純粋に自分に今の所持金全ての価値があると計算して、言ったのだ。


 ヲレスは当然頭に疑問符を浮かべて不思議そうに片眉をつり上げ、リーゼが何を口に出したのかを咀嚼する。

 その行動がリーゼには「まだ足りない」と思われたのか、リーゼは更に自分を押し出した。


「さっき私に興味があるって言ってました。だからお金は渡せませんが、私を研究して下さい。この前奴隷市場でだって、今持ってるくらいのお金で私は売れましたから……その、それじゃ駄目ですか」


 リーゼが今もっている約六十枚ほどの金貨にはヲレスも気付いていると判じてのこと。その辺りの判断は、司教が見せてもいない懐の十字架をヲレスが一瞬で見抜いたことで分かり、逆にその事実をリーゼは利用していた。


「君は自分が何を言っているか正しく理解している? 僕は先程金品はお断りだと強く言ったはずだけれど」

「大丈夫です。私は怪しくないですし、裏もないです。絶対に逆らいません。ですから……お願いします」


 深く頭を下げるリーゼの瞳はどこまでも真摯であった。多少ヲレスの話を聞いていない部分が見受けられたが、物の価値としてヲレスに不満がないのは確かだった。寧ろ、絶好の機会だ。

 司教の死体を見て研究に使うと示唆している以上、研究がどういったものを指すのかは理解しての言葉だろう。


 ヲレスはリーゼの案に乗るか乗るまいか深く考え。

 考えた上で、結論を――。


 口に出す前に、それは遮られる。


「そこまでだ。リーゼ、俺はお前に上手な買い物を教えたはずだが――その勘定の中に、自分までもを含めろと言った覚えは一つもないぞ」


 診察室から出てきたレーデによって、止められたのだ。







 アリュミエール魔法学校に十二人存在している首席の一人、ヲレス・クレイバー。

 彼は魔法の中でも医術に関することを専門として学び、自分専用の術式を幾つも編み出した天才である。


 十二歳の頃から学校へ通い、現在は十八歳。合計八年間ある学校生活では六年生。およそ二年ほど前から独立して医者をやっており、都市にて医術業を展開している。

 別名《傲然搾取の狂人医術師》と呼ばれ、その独特なやり方と確かな腕から北のみならず各大陸にまで噂が広がっている。また本人が隠そうとしていないため、医術学という分野が学校に存在するのは周知の事実として流れていた。


 俺は目の前の青年のプロフィールを思い出しながら、まずは一言お礼を言った。

 この情報は主立った生徒について調べていた際、真っ先に飛び込んできた情報の一つである。


「助けてくれて感謝する。しかし残念ながら俺には一部分記憶がなくてな、たった今状況を整理していたところだ」

「随分と起きるのが早いのだね。僕の予想だと、まだかなりの時間は要するとは思っていたのだけれど」

「限界値を乗り越えれば、俺は一応の活動は出来るようになる」

「なるほど」


 早く目覚めたところで体調は優れないがな。本調子にはほど遠く、身体は鈍い。


「それで、やはり俺が倒れた原因は魔力によるものだったのか?」

「うん? そうだけど、君は僕が調べるもっと前から原因に心当たりがあったらしいね」

「可能性を考えるなら、俺に思い当たる部分はそれしかなかったからな」

「そうだね。君の身体は僕よりも君の方がよく知っていそうだ。それだけ特異な体質なら、尚更か」


 リーゼにわざわざ回復魔法を掛けさせたのは、最終確認のためだった。まさか、その後すぐにぶっ倒れてしまうとは考えなかったが……。

 それでこの現状となると、リーゼが俺を連れてヲレスの元に運び込んだしかないな。


 ヲレスの側で死んでいる男に心当たりはないが、ここらで一悶着でも起きたのだろうか。


「んで今どんな状況だ? リーゼ」

「はい、えっと――あだっ……!」


 俺から近寄って拳骨を振り降ろし、リーゼの頭頂部に直撃させる。両手で痛そうに頭を抱え込むリーゼから目を逸らし、俺はヲレスへ向き合った。


「ああすまない。まぁ聞くまでもなく状況は分かっているさ。お前のやり口は知っているよ、ヲレス・クレイバー」

「どうやら声を掛けてくるほんの少し前から会話を聞いていたみたいだね。うん、それなら話は早い。先程僕が定めた条件で決まったところなんだ」

「全財産か? ふざけるな、たった一度の診察でそこまで要求されてたまるものか」


 ヲレスの言う通り、俺は少し前からヲレス、リーゼ、死体となってしまった男の会話を壁ごしに聞いていた。

 なので大体のことは把握している。


 死体の男――リーゼの関係者、十中八九教会の連中であろう――も言っていたが、事前情報でヲレスのやり方は耳にしていた。

 非常に面倒な相手である。下手をすると殺しに来ないとも限らないが、ヲレスのルールは無慈悲ではなくそれなりに良心的な設定はされている。教会の奴らのような交渉する気のない一方通行の頭を俺がしていなければ、あのような結末は迎えまい。


「ふん、まあそうだね。では話を白紙に戻して、もう一度一から進めようじゃないか。君はいくら払う?」

「2000だな。仮にも名医に掛かった代償は大きいが、俺の症状を取り除く程度ならわけないだろう。単なる魔力抜きであれば、魔石を使えば俺にもできたはずだ」


 生憎、その魔力などのエネルギーを吸う《吸魔石》はここら辺には売っていない代物だったがな。

 だが原因さえ掴めていれば、俺にも症状を緩和できることに変わりはない。今回は俺が倒れてしまったことでリーゼが焦った結果だったが、どのみちここへ足を運ぶ可能性はあった。

 ならば仕方ないだろう。


「これでも懐の大部分を渡すことになるんだ。満足できないか?」

「――ふふ、いや、いいよ。その決断力、中々いいと思うね。先程の会話を聞いていたら怖じ気づいてしまいそうなものだけれど」

「ここでお前が全財産を強制するようなろくでもない医者だったらとっくに営業崩壊している。いくら自由でも、客がいなきゃ仕事は成立しないだろ」

「うん、その通りだよ。あくまでも僕は双方納得の交渉の場を設けるだけ、そこの彼女は僕の言い値で決めてくれるみたいだったから、そうしたまでさ」


 先程までは全財産を搾取するつもりだったはずのヲレスはあっさりと頷き、俺は懐から所持していた金貨を投げて渡す。足りない分はリーゼの袋から抜き出し、その場でヲレスに支払った。

 リーゼはぽかんとした様子で俺を見ていて、何故それで納得しているのか全く分かっていないようだったが。


「ああ、そうだそうだ。この話は君の耳には届いていないから、改めて話をするとしよう。君の症状は君が魔力を処理出来ない体質にある。だから今回の施術で治ったとはいえ、一時的なものだ。またいずれ、君の身体は魔力に蝕まれるだろう。先ほど君が言った吸魔石ではないが、似たようなものを作ってお渡しすることは可能だよ。それにはもう少し君の身体を詳しく解析する必要があるけど、どうかな」

「追加料金の方は?」

「それは要らないね。実を言えば、君の支払ってくれた分でも十分過ぎる程には貰っているんだよ。潤沢だ」


 そりゃそうだ。

 その金があれば、しばらく何もしなくとも生きていけるんだからな。特に、このような都市ではな。


「なら頼もう。定期的に体調崩すのは俺も勘弁願うからな」


 思えば疲労が加速したのはリーゼに回復魔法を掛けて貰った辺りからだ。そうでなくとも、恐らく魔力というものは息を吸うだけで徐々に蓄積してしまうに違いない。


 さて、と俺は咳払いをする。


 ヲレス・クレイバー。

 実はというと、俺は彼にれっきとした用事があったのだ。魔力の件についても用事の一つであったが、もう一つ重要な用事がある。

 それはこの十日間で下調べを続け、得た情報から辿り付いたもの。


 彼が学校首席だと知った時点で、目を付けてはいたのだ。

 丁度いい。


「少し聞きたいことがあるんだが……お前は、サーリャって魔法使いを知っているだろう」

「……おや? これはまた随分と懐かしい名前が飛び出したものだね」


 サーリャ。

 その正体はアリュミエール魔法学校首席の一人で、かつてヲレス・クレイバーと行動を共にしたこともある人物だった。

 紹介状を平気で送り付けるその性質からただ一介の生徒ではないとは思っていたが、まさかそのような立場に居るとはな。

 生憎と俺はサーリャに良い印象は欠片もないが、それだけの人物であるらしいことはこの都市で探ることができた。


 そのサーリャと関わり深く、しかも本人も首席であると分かっているのなら、声を掛けない理由はどこにもないだろう。


「……あっ、そうです。レーデさん、聞いてください!」


 俺が話を展開させようとすると、突然裂くようにしてリーゼが叫んだ。俺が訝しげに顔を向けると、リーゼは先程よりもよほど焦った様子で口を開く。


「サーリャが、サーリャが大変なんです! 中央大陸が魔物に占拠されて、その中にサーリャが取り残されているんです……!」

「……魔物だと?」

「占拠? それは初耳だな」


 俺とヲレスが同時に反応を返す。

 リーゼは俺とヲレスに視線を預け、どこか焦りながらも深く頷いたのだった。

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