三十三話 予期しなかった異変
この世界の大陸は大まかに分けて四つある。
その他も合わせると六つの大陸が図には書かれているのだが、大陸として定められてはいないため正式には四つである。
一番巨大な大陸を中心としているので真ん中には中央大陸が記されている。ガレアやレッドポートがある大陸だ。
魔法都市アリュミエールがある大陸が北大陸で、左上の端に位置している。それと対極になっている大陸が旧大陸と呼ばれており、位置としては東。
地図上の真下に位置するのが南大陸である。
――と。
俺は雑貨店から購入した地理情報の記載された本を片手に、もう片手には各地域へ住む民族や部族などの記載された本を開いてそれらを照合していた。
場所は昨日と同じ大衆食堂、席は一番端でゆっくりとできる席を取ってある。
何故俺がこのようなことをしているのかと言えば、俺の出身地を決めるためである。無論、学校へ入学するための情報だ。
そもそも完全なる部外者だという時点で怪しいが、そこはサーリャの紹介状が通用すると仮定するしかない。その時点で突破できなければ、まず入学は無理だからな。
そうなると正式な方法で調べ物を行うのは不可能になってしまうが、そんなことを考えるのは無理だと分かった後でいい。
部外者に付いては省こう。しかし俺の出身地なども何も言えないのは、怪しいを通りこして異質だ。
今までプロフィールをまともに作っちゃいなかったが、ここらで一応考えておくとしよう。
まず地図に記載される地理情報を元に、公にされている部分を調べ上げる。次に特定されている町、村、集落を確認し、すぐに身元の嘘が発覚してしまわない地域を探す。外見の特徴があれば、似た部分を重点的に絞って調べる。
だが予想に反して、前回の世界と比べると簡単に過ぎたことだった。俺が無法地帯と評する世界なだけはあるな。
俺は地図上で唯一位置の名が付けられていない旧大陸へと着目した。
この大陸は中央大陸の次に巨大であるが、自然や起伏の多い地、火山などが目立つ大陸だ。旧という名の通り、全大陸の中で最も未解明で謎が多く、情報が薄い場所であることがすぐに分かった。
そこには発見しているだけでも百以上の民族、部族が存在していることが分かった。生態が明らかにされている民族も存在すれば、全く不明の民族も存在しているためにはっきり言って見分けなどは付かない。
だからこその旧大陸という名が付けられているそうなのだが、実に分かりやすく手間が省けた。
そして俺は適当な民族を作り上げ、そこで生まれ育ったことにするつもりだ。
重要なのは、記載されていない“民族”であることだ。
自分ででっち上げるのだから当たり前もいいところだが、習性も分布も向こうは理解していない分の誤魔化しが利く。
旧大陸からこちらへ渡って馴染んでしまう者も少なからずいるために、俺もその一人だと言い張れば向こうとしてはそれ以上追求の余地がない。
早速俺は民族名、大まかな生態だけを作り記憶することにした。
名前には特に法則性は持たせず、前回の世界で必要となった際に習得していた日本語、五十音を用いた発音を使用。
最後のンを先頭にし、アとイを使用したン・アイ族とした。
はきはきとした発音はこの世界共通で一番広まる中央大陸の言語とは別物なので、妙な信憑性も生まれるだろう。相手方が望むならこの言語を使い、適当な会話を展開してやってもいい。
さて。
生態、メインは狩猟、動物を石剣や木弓などの武器で狩りながらも独自の手法で野菜を栽培するなどの雑食。
十数人の少数からなり、男だけが狩りに出掛け女が家を任される典型的な民族ということにしよう。
その程度でいいか。
俺個人の情報としては、年齢が大体三十ほどであるとしておけばいい。記載無しとなるほどに俗世から離れた民族であるため、正確なものを作る必要はない。
経緯は狩り最中に集落から離れ過ぎてしまい、そのまま大陸を渡ったことにしておく。
名前はレーデでいい、変更点はない。民族名を付けるでもいいが、既に集落から出てしまっているので別に使わなくともいいだろう。
大陸を移動してしまったことで集落へ戻ることを諦めた俺は旅を続け、サーリャと出会い初めて見た魔法というものに興味を持ったことにする。その他も使えるようであれば勇者との関係やレッドシックルの剣を見せるのもいいが、それは時と場合によって決める。
以上が決めた情報だ。
入学してしまえばほとんど使うことは無くなるだろうがな。一応、後でリーゼにも言い含めておくことにする。そうでないと、万がリーゼが一余計な口出しをしてきた時が面倒だ。
それと俺が大衆食堂に来る前に調べたのは生徒、教師の魔法学校の出入りだ。外面からしか見ていないので予想に過ぎないが、恐らく講義型の授業を取っているのであろう。一定時間ごとに固まった人数が魔法学校を出入りしているのが分かる。人数としては数十人単位であるが、それが何度もとなると総数は計れない。
年齢は十代ほどの若者が圧倒的に多かった。門番の対応から察するに、リーゼのような年齢が盛んに通うことは確定した。しかしそれだけではなく、年齢の高い者もそれほど少なくはない程度には出入りしていた。その全てを教師と断定するには数が多く、その年齢にして生徒である者も一定数いるようだ。
生徒のほとんどは帰りに昨日俺やリーゼが向かった通りなどへ向かうこともあれば、住居の多い通りへと消えていく。
あまり詳細に調べて怪しまれても困るので、ここまでとした。
で、俺はまず校内の責任者の誰かを見つけ出して連絡を取らねばならない。何個か声の掛け方を考えたが、やはり一番いいのは人捜しといった体を装うことか。
直接学校に入学したいからと話を持ち掛けても、最初の相手が一教師や生徒ではそもそも話が発生してくれず、警戒されるのが落ちだ。
逆に人捜しでサーリャの名を出し、仮に直接知っている者が現れてくれれば会話の主導権を握ることも可能である。
行動に移る前に、魔法学校以外でも修得可能である基礎的な魔法辺りは把握しておこう。
サーリャが使っていた魔法は省くが、回復魔法や戦闘時の肉体強化はほとんど誰でも行える芸当なのだ。普及率が高い魔法であれば、一覧と説明若しくは指南書くらいは本として纏められていてもおかしくない。
そもそも、魔法に興味のある人間がその程度のことも熟知していないのは論外だ。言い訳にもならん。
大衆食堂を出た俺が向かう先は、図書館施設だ。
都市に設置された図書館は広く、世界の様々な本が手書きの複製で集まっているという。原本と複製本で明確に棚が分けられていて、複製本が置かれる場所は一般公開がされている。
入場に銀貨が一枚必要なのと、複製とは言えども貸し出しなどは行っていない。勿論個人の書き写しやメモも禁止だ。また原本が置かれる場所へは金貨一枚を要求されるが、複製されていないものもあるそうだ。
そこまでして原本などに触れる必要がない俺は銅貨一枚を払って入場し、必要な資料を探す。
よく使う本などは購入しておきたかったが、見ることしか出来ないのならば仕方ない。
魔法に関しての資料はあっさりと見つかった。ガレアの町の時点ではそこまで詳細な情報を得ていなかったため、純粋に助かる。
一つは大々的な肉体強化魔法。
基礎中の基礎とも言われる魔法で、全身に流した魔力で身体能力の底上げを行う。極めて無駄のない魔力管理が必要で、精神が乱れると精度が落ちやすく魔力消費が激しくなってしまうのが欠点。
常に魔力を張り続けるため、長時間の使用は肉体に負荷が掛かる。魔力量に比例するが、それ相応の魔力を込めることで大幅な身体強化が可能。
次に回復魔法。
肉体強化と似たようなもので、同じく基礎魔法の一つ。ただし魔力の質を変化させる行程が必要。
局所的に魔力を高めてその部位の治癒促進を行う魔法だ。基礎回復能力も上昇する分、自然に治すよりも断然回復が早い。
他には火を起こす魔法があり、魔力で火と同じ原理の現象を生み出す魔法がある。
また空気中や大地からほんの少し抜き取った水分を自身の魔力と練り合わせて直接水を生み出す魔法もあるが、魔力濃度の関係で飲み水にはできないらしい。用途は火事の鎮火や衣類の洗濯、食器洗いや水浴びがメインだ。
水場がないところでは必要な魔法だな。
これら二つは生活魔法の代表で、他には微風を起こして髪や洗濯物を乾かしたり掃除の手助けをする風の魔法などもある。
魔石に刻まれるテレパスや投影機の魔法は、そこには存在しなかった。
何故だから知らないが、骨董品にされるばかりで一般には使われないらしいからな。実際に俺以外が使用する場面を見たことはない。
使用に制限や制約などの条件があるからこそ使い勝手は悪いが、便利に変わりはないはずだ。もしかすると高価な物だからかもしれないな。
生産状況にも関わってくるのであろう。既に今の時代では新しく造られていないのかもな。
「……ふぅ」
目眩と鈍い頭痛が起き、俺は一旦作業を中止する。
眉間の間を押さえ、しばらくの間目を瞑った。
ずっと本を見ていたからだろうか、最近は疲れ気味な傾向がある。この世界でも、然るべき休憩や睡眠は取っているはずだがな。
いつもの通り、少し休めば元に戻るが……。
眉間を必要以上に押さえていたがために開けた視界は少しだけ暗くなっていたが、すぐに元通りに戻った。
その後もしばらく調べ物を続けていた俺だったが、再び目に疲労による症状が現れたので、今日は止めにする。
別に急ぐことではない。
数十日もこんなことに費やしたくはないが、明日もある。行動を起こすのは、もう少し先でいい。
最後にもう一度ぱらぱらと本を捲って内容を再確認した後、元の本棚へと返却して出口へ行き、持ち出しがないかどうかの身体検査を受けて図書館を後にした。
「リーゼ、いたのか――」
宿に帰ると、そこにはリーゼの姿があった。ベッドの隅で壁にもたれ掛りながらすやすやと寝息を立てている。
「……寝ているのか」
手元には金貨袋が置かれてあり、俺はおもむろに手に取って袋を広げる。果たしていくら使ったのかを見ようとして、中身が一切減っていないことに気が付いた。
リーゼに手渡したのは金貨が五枚、それがそのまま袋に入っているということは……一体俺が外へ出て帰ってくるまでこいつは何をやっていたというのか。
結構な時間も経過しているはずだ。
まさかずっと寝ていたわけでもあるまい。
「……ん、んん……あ、レーデさん」
俺が袋を置くと、閉じられた瞼がゆっくりと開かれる。リーゼは寝惚け眼でこちらを見つめ、そう言った。随分長いこと壁へ体重を預けていたせいか髪の毛に変な癖が付いてしまっていたが、さして気にする様子もなく身を起こしてくる。
「帰ってきてたんですね」
「おいリーゼ、お前飯も食わずに何していたんだ」
「……あ、ええと」
目線を下に移して金貨袋に結ばれた紐が緩んでいるのに気が付き、リーゼは言い難そうに頬を引っかく。
「なんと言ったらいいんでしょう……その」
「まさかとは思うが、買い物の仕方が分からなかった……とかじゃないだろうな」
俺が睨むと、リーゼは右に目を逸らして苦笑した。
「あ、あはは……えへへっ」
「……」
「あ……あの、その、ごめんなさい! というかずっと寝てました!」
「……そうか」
とてもではないが歪としか言えない笑顔を見せるリーゼ。
俺は一言だけ頷いて上着を脱ぎ、机の上に畳んで置いてから備え付けのソファの方へと腰掛ける。
「悪いが俺は少し疲れた。まさか一人で買い物が出来ないとは思わなかったが、これから出掛ける気力は俺にはない。少しの間、眠る」
体調は優れないが風邪の症状ではなく、俺が知り得る病気の兆候でもない。
恐らくは心労と疲労が合わさっただけなのだろう。そこまで動いていないとは言っても、やけに密度の濃い日々を過ごしていたからな。
「そっちで寝るんですか?」
「仮眠だからな」
ソファに全体重を乗せる。背もたれに沈み込んで目を閉じると、睡魔がすぐにやってきた。
やはり疲れは蓄積していたのだろう。俺はそのまま、深い眠りへと落ちていった。
「――さん」
声が聞こえる。
暗闇の中、俺を呼ぶ声がどこかから鳴っている。上か、下か、前か、後ろか。反響し響き渡るその声は、どこからかは分からない。
俺は宙に浮かび、虚空を見つめているだけだ。
「誰だ」
俺は小さくそう放つ。虚空に消える俺の言葉に返事が返されることはない。
しかし頭に残るその声は、どこか懐かしいものを感じさせる声だった。最早何が懐かしいと言えばいいのかを忘れていた俺ですらも、そう思った。
暗闇は変貌する。
赤茶けた荒野。茶色と黒とで埋め尽くされた大地にただ一人、俺は無手で立っていた。
夢だと気付くのにそう長い時間は掛からなかったが、俺はここでは傍観者でしかない。脳に流れる記憶の整理風景をただ見つめ、観測しているだけの者。
風景に俺以外の何かが現れることはなかった。荒野は砕け、緑溢れる平野が顔を出し、また崩れて暗闇に戻る。次に構築された風景には、真っ赤な血しか映っていなかった。
暗闇に飛び交う血液の雨が降り注ぎ、俺の肌を濡らす。濡らして消えて、地面へ吸い込まれていく。
視界が白く染まった。
俺は血塗れの姿でそこに立っていた。いつもと変わりない、俺自身の姿のまま。
「……」
俺の前には墓が立てられていた。小さな、四角の墓。手入れのされていないその墓は、苔が付着し緑色に変色している。
俺はふと、その苔を取り払おうと手を伸ばし――。
「――さん!」
鈍い衝撃と共に、視界は溶けて消失した。
「レーデさん、レーデさん起きてください! もう朝です、というかもう昼に差し掛かってます!」
「――ああ……昼だと?」
耳元のうるさい声に目を開けると、俺を両肩を揺さぶっているのは何故か涙目になっているリーゼだった。
俺が起きるとほっと溜め息を吐き、俺の肩に乗せられた手の動きが止まる。
「そうですよ。仮眠って言って、結局全然起きなかったじゃないですか」
リーゼは頬を膨らませている。
いつの間にソファに横になっていたのかと疑問を覚えつつも毛布を剥いで起き上がり、窓の外を遠めで眺める。
確かに昼だな。俺は昨日夜になる前に寝たはずだが……常であれば寝過ごすことなど絶対にないはずだが。
「お前が掛けてくれたのか、助かるよ」
「風邪引くといけませんからね。それより、その、寝起きのところに悪いんですけど……ご飯、食べません?」
リーゼはお腹を押さえ、力ない表情で呟いた。
そういや、リーゼは昨日から何も口に入れてはいなかったはずだ。買い物が出来ないそうだが、まさか俺が起きるまでずっと我慢していたというのか、そうなんだな。
「俺が寝ている間にどこかへ出掛けたりはしなかったのか? リーゼ」
「私も寝ました!」
「……昨日から今日にかけてずっと寝ていたのか」
「はい、空腹は眠れば収まりますし」
「何のためにお前に金を渡したのか全く分からないんだが、そこまで腹減っても一人で飯を食う選択をしないってことは……相当だな」
「えへへ」
「笑うところじゃねぇよ」
まあいい。
値段が定められているとはいえ、あまりに無知なまま買い物をしてきてぼったくられても困るのは俺だからな。
「ちなみに、金の価値は分かるのか?」
「大まかになら分かりますよ」
「物価は?」
「その辺はあんまり……そうです、いくら使っていいとかいくらまでなら大丈夫だとかが分からなくて。ほら、レーデさんいっつも値段気にしていますし」
それはそうだが、俺のそういった側面を見ているのならもう少し学習してもいい頃合いだが。
だが実際に自分で行うのとただ見ているのでは、やはり違うのだろう。
仕方ない。
「分かった、俺が買い物の仕方を教えてやる。俺がいない間にずっと家に引きこもられては俺が困るんでな。一人で町を出歩いても問題ないようにはしてやる」
世間知らずだということは前々から知っていたが、いや、最初から考慮すべきだったかもしれない。
「本当ですか!?」
「嘘を吐く必要はどこにもないだろ」
食い物さえ普通に買えるようになればひとまず他はいい。昨日都市で見回った中から数軒選び、リーゼに通わせる店を覚えさせるとしよう。
その後に情報収集を行うことにして――。
立ち上がって上着に袖を通し、銃やナイフなどの最低限必要な物を入れ忘れていないか確認する。
「――っ」
俺は、いよいよ自らの異変に眉を寄せていた。
全身が重い。十分に時間を取って休んでいたはずなのに、だ。寝過ぎによるものでもない。断言は出来ないが、風邪でも病気でもない不自然な異変であることは確かだった。
疲労のような感覚が全く抜けていない。恐らくこの症状は……ここ数日で発症したものではないはずだ。
それだけは、理解した。
「だ、大丈夫ですか? レーデさん」
「気にするな、ただの立ち眩みだよ」
ふらつきそうになった身体を押し留める。
不安げにこちらを見つめたリーゼにはそう返し、俺は部屋の扉に手を掛けた。




