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トラベラーズ・レコード  作者: くるい
停泊の海賊船
30/91

二十九話 決着の先

 ソイツは俺に狙いを定め、黒い魔力を露わにした。


「テメェ等海賊が現れることは予想済みなんだよ――」


 そして、ソイツは甲板の床を蹴り砕き、俺に急接近する。受け身の姿勢を取るが、確実に――防ぎ切れない。


「……チッ」


 舌打ち一つ。重傷覚悟で交えようとした時だった。

 俺の前方に誰かが立ち塞がり、鈍く発光する赤い剣が、残像と化して、ソイツの拳を打ち返す。


「なんだか知らねぇが、お前が原因だってのはようく分かったぜ」

「ガイラ――」

「分かってんだろ、ここは俺がやる」

「あぁ? その剣、テメェらどこまで俺をコケにすりゃ気が済む――ってんだよ!」


 二度三度鱗と剣が打ち合い火花を散らす。ガイラーの肉体からはギレントルが使用したものと似通う赤色の魔力を放出していることから、既に身体強化は為されている。

 だが打ち合った方の手が若干の痺れを見せていて、そこまでしても正面衝突は行えないのだと分かる。


「助かった」


 しかし、今のがなければ少々危なかった。

 事前に俺の事情を知っていたガイラーだったからこそ、こうして助けに入ってきてくれたのだ。彼はもう片方のソードブレイカーは抜かず、赤い剣のみを両手で構え直す。

 鈍く、血の色に発光する剣――それを見て、魔物の形相は烈火の如く変貌した。


「その力は、テメェら人間の業じゃあねぇ――いい機会だ、その命ごと返して貰う」

「なんで魔物が俺達と同じ言葉を解してんのか分かんねぇけどよ、こいつはウチの海賊のとっておきだ。お前如きに返すもんは一つもねぇな」


 赤き、その力。

 ギレントルやガイラーに会う以前にも、その力は一度だけ目にしている。奴隷商のボスが発したその独特の鬼気。

 返して貰うとは、一体どういうことなのか。


「魔導球展開用意――見ての通り俺はこいつ相手にすんので精一杯だからな! 他の奴らに連絡回してこい!」

「テメェ一人で、俺を相手に出来るだと? 舐めてくれる。テメェ等じゃ束になっても俺にゃ太刀打ちできねぇ」

「っは、やってみねぇとわかん――」


 ずしり、と重い拳がガイラーの懐に突き刺さった。


「――か、はっ」


 目にも止まらぬその動きは、ガイラーが剣を防御に回す隙さえ与えず腹部を大きく抉り、俺の右を通過して甲板の床を転がっていく。床に付着する赤い液体は、吐血か。

 一撃でこの威力。大きな力を消耗して油断していたとはいえ、リーゼが重傷を受けるような威力だ。肉体強化をしてようやくリーゼに一歩といったギレントルと同等かそれ以下の実力しかないガイラーでは、やはり少々難があるのだろう。


「脆い、弱い、儚いなぁ人間はよ。そうは思わねぇか人間共、テメェ等人間共はクソ雑魚だ。なのに何故、この世界はテメェ等が回している? テメェ等が中心に回っている? ありえねぇ、ありえねぇぜ――だからテメェ等はここで、くたばるんだよ」

「お前も人間もそう変わりはしないだろ、魔物」


 まだリーゼは復活する気配がない。船員もまさかガイラーが一撃で倒されるとは思ってはいなかったらしく、それぞれ命令された動きを止めてしまっている。


 仕方ないが、俺が出るしかないか。

 相手が生物である限り、勝ち目がないなどということはないのだから。


「テメェさっきから、勘に障ること言ってくれるじゃねぇか。一番最初にミンチにされてぇってことか、なあおい」

「変わらない、と言っているんだよ。お前も俺も、ここんところに余計な思考を持っている」


 ナイフの腹で二回自分のこめかみ辺りをつついてやると、ソイツは苛立たしげに深い息を吐く。


「そんなにミンチにされてぇか。なら」


 俺はその動きを注視する。突っ込んでくる際、ソイツは極限まで抜いた肉体に緊張させ、折り畳んだ脚を引き伸ばし、一気に懐へと潜り込んでくる。

 こんなものは人間に対応出来るような速さではない。


 だが。俺は奴が動く前にから既に動いていた。相手の行動を見据えたまま、押さえ付けるように腕を交差させ位置を固定した銃の引き金を引く。それと片方の腕にあるナイフで相手が狙ってくるであろう身体の部位をカバーしておき――その刹那。

 強烈な衝撃と振動を以て、俺は後方に弾け飛んだ。一切床に足を付けることすら許されず、勢い強く壁に叩き付けられ、全身に耐え難い激震が走る。口から血が吐き出され、床へ飛び散った。


 内蔵ごと揺さぶられるような酷い痛みに耐えつつ甲板に膝を付くと、見上げた先で――腹部を滅茶苦茶に抉られたソイツが、怒りをたぎらせていた。

 弾は貫通してはいない。それはつまり、身体に侵入した銃弾はその勢いが止まるまで体内で暴れ回ったことを意味する。考えるまでもなく、致命傷だ。

 普通の人間ならば死ぬ。


「クソが――テメェ、何しやがった……」


 だが、魔物の耐久力は高い。アウラベッドもそうだったが、魔物に分類される者共は軒並み生命力が高く、恐らくあの程度で死には至らないだろう。


「さて、な」


 再度口から少量の血を吐き出し、俺の方も中々に酷い有様らしいと認識する。先の衝撃で物すら掴んでいられる握力がなくなり、手から滑り落ちた落ちた銃ががしゃりと甲板に弾き返され、俺の血でつうと滑り緩やかに回転する。

 もう片方の手から滑り落ちたナイフは、無惨にもひしゃげていた。


 ……ったく。

 肋骨の数本がイカていても何らおかしくはなかった。

 肺に刺さっていなけりゃいいんだが。


(レーデさん!)


 俺の視線の先、その魔物の後ろ。陥没した甲板から飛び上がったリーゼが虹色の剣を振るい、俺へテレパスを送ってくる。


(俺は気にするな。そいつに集中しろ)

(……はい。その、すみません。安静にしていて、下さい)

(言うほど大した怪我じゃない。いいからそいつに集中しろ)


 肋骨の数本が軽傷かは別として。


 俺が見る限り、リーゼに外傷などは見られなかった。勇者という存在のとんでもない治癒力で治したのか、回復系統の魔法を使ったのか、あれなら戦闘行動に問題はなさそうだ。今度は纏虹神剣てんこうじんけん天聖虹陣てんせいこうじんも共に発動状態で、それを構えて魔物と対峙するリーゼに隙はない。


「あぁ? 大人しくくたばってりゃいいものを――」

「あなたは――許しません。絶対に」


 リーゼが先に踏み出し、限りなく白に近い虹色の残滓が下から上へと斬り上げられる。


 その戦いを眺めつつ、俺は腹部を押さえて辺りを見回した。数を減らしつつも、未だトカゲ共は新しく現れているため、正気を取り戻した船員達がどうにか対処している。恐らくあれも、核になる卵のような物が海中か海底かどこかにあるはずだ。

 アウラベッドと同じなら、本体をどうにかしさえすれば何とかなるであろう。


 今は……。


「……おい、大丈夫か」

「ぐっ……畜生、ああ、俺ぁ大丈夫、だ」


 深く亀裂が入りへこんだ壁の中央部。ガイラーが血反吐を吐きながら床に倒れ込み、荒い息を吐いている。


「お前よぉ……なんか知ってたんだな、あれのこと」

「悪い。ただ、魔物が喋ると言って、実物を見ずにいた場合……お前が信じるとはとても思えなかったが」

「あたりめぇだろ……そんなもん、恐ろしくて信じたくもねぇ。こんなもん、見せつけられる、までは……なぁ」


 右肩の間接が外れてしまっているのか、だらりと下がった腕を左手で押さえながら玉の汗を甲板の床に落とす。豪奢なコートは、今や台無しだ。


「肩、直してやろうか。多少の激痛はあるが」

「あぁ頼む、自分じゃ出来そうに……――ってぇ……。いきなりかよ、痛ぇぜ馬鹿野郎……」


 返事を聞いた時には肩に手を掛け、離れた関節を元に戻す。

 顔を歪めたガイラーは嵌まった肩を何度か回し、ふっと笑う。激痛でかそれまで以上に汗が流れ出ているが、再び剣を手に握り締めて深呼吸を一つ。


「……ありがとよ」

「副船長、無事でしたか――いつでも発動可能です」

「おう今すぐやれ、視界の晴れてる今がチャンスだ」


 ガイラーと準備を完了させた船員が合図を取る。


 トカゲ共と戦っている船員に、その親玉と激しい戦闘を繰り広げるリーゼ。

 ほどなくして、その戦いに赤色が差した。全てを浸食する勢いでその色は広がり、それら全ての戦いの風景が赤く染まった時。


「……船に上がってきたこと、心から後悔させてやるよ」


 ガイラーの持つ剣が、その中で更に紅く異様な輝きを見せた。見渡せば他の船員も己の得物を輝かせ、急激に強化された海賊達の猛攻撃が始まる。


「っしゃぁ、ぶっ潰せ!」

「生きて帰れると思うなよ――」

「一匹残らず駆逐してやるぜ、そらぁ!」


 これまでとは全く違う陣系を展開し、トカゲとニ対一に持ち込み一方的にその身を斬り刻んでゆく。先ほどまでの苦戦などがなかったかのように、一方的にトカゲの数が減らされる。乱れ宙に舞うトカゲの鮮血、振るわれる赤き刃。視界を染める赤き世界。


 ――残ったのは、リーゼと対峙する親玉のみとなった。

 殺戮の雨が甲板に降り注ぎ、同胞の血を浴びたソイツはリーゼの猛攻を受け流しながら吠える。


「テメェら人間は、弱い。だから数がいる。武器がいる。俺達の力を奪う必要がある。俺は要らねぇ――テメェ等だけがその力、保有してると勘違いしているようだな」


 その鱗が、赤く黒く変色した。


神触結界しんしょくけっかい


 だが、その変色はリーゼの一声によって遮られた。リーゼとソイツを四方に囲む結界が姿を現し、内部だけが元の色素へと強制的に戻される。相変わらずリーゼは全身を虹の粒子に包まれ、自らの変化を遮断させられたソイツは、三白眼を見開く。


「――勇者ぁぁ――」

「言いましたよ。私は、あなたを討ちます。一体誰に意識を向けているんですか」


 完全に外界と隔離された世界で、リーゼは切っ先を魔物の頭部へ突き付ける。

 宣言と斬り込みは時を同じくして、結界の壁に真一文字の血痕が刻まれた。


「テメェみてぇなのがこの世に現れさえしなけりゃ、もうとっくに、人間など――」


 ソイツの胴体が斜めに斬り裂かれる。鮮血がソイツをリーゼを赤く染める。リーゼの剣は、体を真っ二つにする前にその両手で押し留められていた。剣に触れた手が蒸発するように煙を吹き、血が滴り落ちる。


「――滅ぼ」


 銀閃が走る。いつの間にか、ソイツが押さえていたはずの刃はそこにはなく。

 首が胴体を離れ、ソイツは言葉を途中で切って甲板を転がった。ごろりと血の絨毯を作りながら結界の隅にて動きを止める。


「……そうなっていたかもしれませんね」


 神触結界しんしょくけっかいが消滅し、再び内部が赤く染め上げられる。その中で、血塗れの少女は小さく呟いた。


「だから私が、いるんです」









 戦いはほとんどリーゼの独壇場によって幕を閉じた。最初に現れた巨大な蛇と人型のトカゲの魔物以外には単体で強力な魔物は居ず、魔導球によって強化された海賊達の手によって船上にいるトカゲを片付け、海底に存在していた巨大な核はリーゼの剣によって両断され卵としての機能を停止させた。


 一人悠々と帰ってきたギレントルは頭部だけで数メートルはあろう蛇を首から斬り取って肩に担いだ状態で船に戻り、「あたしの出番はなかったみたいだねぇ」と笑って、持ち帰った筈の頭部を海に投げ返していた。

 その他の魔物の死体も海に投げ捨て、持ち帰るのは“言葉を喋る頭目の死体”のみだ。


 こちらの被害は、他の船に乗っていた船員十二名の死亡者だった。一時的に視界を奪われてしまったことによる混乱が招いた結果であったが、ギレントルやガイラーは仕方のないこととして処理した。

 俺やリーゼが少なからず魔物の秘密を隠していたことについては特に言われることもなく、「リーゼちゃんがいなけりゃ被害はもっとやばかっただろうよ。或いは全滅もあったかもしれねぇな」と礼だけを言っていた。


 そうして、海を閉鎖する魔物を全て駆逐し終えた海賊船は、レッドポートへと引き返す。

 到着はその日の深夜。時間にして半日と少しといったところである。道中で魔物からの襲撃も予想していたが、結局のところ一体も現れることもなく港まで無事に辿り着いた。


 これから海賊達は死者の亡骸を港町から少し外れたところへ埋葬するとのことで、そこで俺やリーゼと一時解散することになった。


 報酬の受け渡しなどは後日、俺達の借りる宿を知っているガイラーが迎えにきて話をするとのことだ。


「……ぐ、流石に一晩で治る類の傷ではないな」

「大丈夫ですか? 一応、また後で応急処置をさせて下さい。私もその、サーリャみたいに何でも魔法が使えるわけじゃないですけど……」

「ああ、頼む」


 帰り道。閑散とした町を歩きながら、俺は胸部の痛みに耐えつつ別のことに思考を費やしていた。

 俺の傷で酷いものは肋骨数本の複雑骨折のみだ。後は全身打撲程度で目立ったものはなく、リーゼが言う応急処置程度の回復魔法で問題はなくなった。肋骨に関しては自然治癒を待つしかないのでどうしようもないが、回復魔法で間接的な治癒が可能な為長引くことはないはずだ。


 つまりリーゼが骨折をたかが数分で治したのは自らの治癒能力、ということになるが、そこは勇者という説明で片付けるしかない。

 リーゼ本人も、詳しいことは口では説明出来ないそうだしな。


 それはいい。

 今回の海の閉鎖の件だ。俺はアウラベッドやイデアが絡んでくるのだと思っていたが――現れたのは完全に新手の魔物だけであった。

 海の閉鎖自体は俺が来る前から行われていたが、アウラベッドが町に顔を出した時点で俺がその海に干渉してくることは十ニ分に理解していたはずだった。


 だが、そこにはあるはずの介入はどこにもなかったのだ。

 まるで俺達が何事もないかのように海を閉鎖する魔物を討伐しに向かい、海賊がいずれやってくることだけは事前に知り得ていた魔物達が反撃し、破れた。

 ただそれだけの結果。


 向こうの魔物が本当のことを言ったのかは定かではないが、俺のことは知らないと――そう答えた。本当に知らないのであれば、今回の件は全て納得がいく。

 魔物の行動は基本的には完璧であった。


 完全に計算外だったのは俺とリーゼだけで、最初に海賊船に暗闇を落とした時点で相当に厳しかったのだ。それを砕いたのはリーゼの能力であって、それさえなければ解除には相当な時間を要したであろう。

 下手をすれば、レッドシックルが全滅した可能性さえ――。


 が、そうではなかった。現実として海を閉鎖していた魔物の討伐には成功し、この目で首が落ちるところを目撃している。


 しかし喋る魔物など、奴との関連性がないわけがない。

 魔物が一枚岩ではなかった、との見方でもまだ納得は出来るが……。


「魔物には魔物の“目的”がある……ねぇ」


 果たして何を目的として海を閉鎖するに至ったのか。

 それらはまだ不透明だが、いずれは立ちはだかるものだと理解し俺は溜め息を吐いた。


 いずれにせよ、近い内に見えてくるはずだ。

 今はただ、この傷を癒すことに専念しよう。恐らく今の情報では、いくら思考に時間を費やしても答えは見つからない。


 仕事は無事に完遂した。

 とりあえずは、明日の報酬に期待でもしておこうじゃないか。

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