二十六話 追憶
大量の敵を斬り伏せる人物が居た。
強固な鎧に全身を固め、前方から押し寄せる敵を構えた騎士剣で叩き斬っていく。
重装備にしては鮮やかで流麗な動きを持ち、自身より巨大な大剣によって一太刀の下に敵を崩す。
広野。草原。樹海。
至る所で、同じ光景は何度も訪れた。そして、その度に、その男は目の前の敵を剣の錆としていく。
それが、俺の生きた時代。
俺がとある国に所属する兵士だった頃の、そんな過去である。
「まだ生き残りはいるか? 一匹たりとも逃すな、確実に根絶やしにしていけ!」
「了解した」
敵は、人ではなかった。
真っ黒な怪物。地面の底より這い出る異形の侵略者が、俺達人間の相手だった。
言い方を変えれば魔物と表現して差し支えはないだろう、地獄からの民。その民は大陸のとある地表に穴を開き、そこから大軍勢を送り込んできた。体型が同じでも人間より一回りほど巨大な体長、漆黒の体表と圧倒的な数で人間達をあっという間に絶望に叩き込む。
そこで各国の首脳達が迅速な対応を取り、団結し集まったのが人類の防衛軍――七つの国より集められし戦力を集結させた、漆黒の侵略者に対抗するための、人間の勢力だ。
その中の一人が俺だった。
そして、その人間の勢力は漆黒の侵略者率いる軍と戦争を始めたのだった。
向こうは連続的に『ウィルド』と名付けられた大陸の巨大な穴から現れる。俺達人間はそのウィルドを攻略、破壊、埋め立てる為に何度も勢力をぶつけていた。
そうだ。何度もだ。
それが数年、数十年経てば人間も疲弊する。
若い頃から従軍していた俺も、当然のように疲弊し続けていた。終わりの見えない戦い。延々と現れ支配領域を広げる侵略者。
俺が直接思い出したのは――その、敗戦の記憶。
「何人がやられた!」
「第七隊から十隊からの連絡が根絶。全滅したものと思われます」
「そうか……」
戦場は、侵略者の出現する因縁の地。ウィルド。
地上を穿つように、ぽっかりと空いた巨大な穴。どこまでも続く漆黒の闇から這い出てくる同色の侵略者達との最終決戦の地。
人間はとうとう辿り着いたウィルドに総戦力をぶつけていた。
当然、そこには俺も参加している。
兵士の一人として敵を斬り、潰し、殺し、消し去る。
だが押されているのは、人間であった。
際限なく湧き続ける侵略者の軍は次第に人間達の勢力を塗り潰し、戦況は悪化。後退せざるを得なくなった人間勢力は背後の樹海、渓谷などへと逃走。
細かく連絡を回していた部隊間も、時間が経つに連れて連絡が取れなくなる。連絡班がやられたか、そもそもの部隊そのものが全滅したのだろう。
残された人間の部隊は第三からこの俺の所属している第六部隊だけ。一つの隊に五十人の編成で組まれ、計二十部隊からなる千人の精鋭部隊は――あっという間に、侵略者に駆逐されていった。
他の国が管轄している他の軍とは連絡など取れようもなく、俺達も――壊滅を待つだけだった。
生存する仲間達は、少しずつ少しずつ侵略者達に殺されていく。
俺達は逃げることでしか時間を稼ぐことができなかった。
静寂なる時間が、刻々と過ぎていく現在。
遠くでは断続的に戦闘音が聞こえてきているが、まだこちらからは遠い。
――俺の所属する第六部隊は、岩陰に隠れてやり過ごしていたのだった。
俺は騎士剣を握り締め、小さく歯軋りをする。
「隊長」
「……言うな」
この第六部隊もかなり消耗したものだ。精鋭を集めた五十人編成の部隊とは名ばかりか――そう言いたいほどに、脆く散ってしまった仲間達。いや、そうじゃないだろう。
ただ単に、相手が悪かっただけか。
とにかく、だ。
残った部隊の面子は隊長と俺を合わせて僅か八人。そして俺を含め、その全員が傷を負っている。重軽傷様々ではあるが、侵略者に対抗するには心許ない。
応急処置は少し済ませてあるが、本格的に戦えば傷などすぐに開く。
隠れた先が起伏の激しい岩場だったため、すぐに敵から見つかることはないが。
「一つ、俺の無駄話でも聞いてくれないか」
「戦略の話はどうした。腐っても隊長はアンタだろ。俺じゃ他の奴らに指示は飛ばせない」
残り、八人。この戦場を潜り抜けるためには、無駄話などしている暇などないはず……いいや。
「……はっ。お前は、まだこの状況を切り抜けようと考えているのか?」
「さぁ。ただ、生きている限りは抵抗しなきゃな」
そうか。
もうこの部隊は、諦めているのだ。
きっと諦めているから、この岩場に身を潜めているだけなんだろう。俺もその一人に過ぎないが。
隊長は兜を外し、横に置いた。汗と血とで汚れた傷だらけの顔と、やつれた姿を見て思う。
今日が最後か、と。
「……ま、そうかもしれんな。お前の言うことはもっともだろう。でも、周りを見てみろ」
俺は隊長の指示通り、辺りへ視線を配る。そこには意気消沈した隊の兵士が力なく倒れ、座り、動かずに停滞している。
兜のお陰で誰の顔も窺えないが、誰も彼もが疲弊していたことだけは容易に窺えた。
「お前、家族が居るんだっけな」
「……誰から聞いたんだ? 俺は言っていないはずだが」
「この前、祝杯の酒の席で聞いたぞ。あまり自分のことを話さんお前だったから俺は嬉しかった。俺みたいなのは、お前みたいに幸せやってる連中を守る為に戦っていたんだと理解した。まぁ――この有様じゃ、世話ねぇが」
大規模作戦は何度も行ったが、その内どこかで勝利した時に大騒ぎした記憶があったっけな。俺も呑んだが、その時か。
「分かったよ。無駄話、聞こう」
俺は溜め息を吐き、そうして隊長と同じように兜を取った。恐らく、俺も隊長と同じようにやつれて情けない顔をしているのだろう。
騎士剣は岩に立て掛けて、隊長の横に座る。
この中で一番元気が残っているのは俺、か。
「俺にもお前のように家族が居た時もあったもんだよ。まぁ、病気で無くした。俺がこんなジジイになっても戦い続けるのは、帰る場所がねぇからだったかもしれないな」
隊長が傷の入った頬を掻くと、そこから血が滲み出してくる。あまり放置していると、蛆がわきそうだ。
しかし残念ながら、処置する道具はもうどこかに置いてきてしまって持っていない。
「お前の家族は確か、嫁さん一人だけだったな。子供が産まれる予定はあんのか?」
「ないな」
「まさか、何も済ましてねぇってこたないだろうな? 嫁さん悲しくて寂しくて泣いちまうぞ」
「そうじゃない。俺達がこの戦いを終わらせたら、また産まれる機会もあったかもしれないけどな……」
俺にも家族は居る。軍に入る前から、ずっと隣で育ってきた幼馴染の妻が一人。俺が従軍するようになって中々会えなくとも、俺をずっと待っている一途な妻だ。
「そうか。帰りてぇよな……そりゃ」
「覚悟はしていたさ。別に、後悔はしていない」
俺も戦場に出る身だ。
いつでも死ぬことは覚悟していた。その上で、今の家族が俺には在った。だから後悔などしていない。
俺が死ねば、妻は確かに悲しむだろう。だがもう充分話し合って、俺が死んでもしばらく生活できるように準備はしてある。
「今なら軍放って逃げてもいいんだぞ。誰も咎めやしないし、処罰もない」
「逃げても死ぬだけだ」
「ここで華々しく戦って散るのは、残ったもののない独り身の俺の大儀だ。でもお前は、まだ守らなきゃならない人がいるじゃないか。こんなところで命を捨てないで、死にもの狂いで逃げ帰ればまだチャンスはあるかもしれないぜ」
「……いや、遠慮しよう」
大分風通しがよくなってすっきりした。
俺は兜を被り直そうとするが、凹んでいて存外被り難い。外す時も多少難があったのはそのためか。俺は諦めて兜を地面に置き、立ち上がる。
「そろそろ、俺達の元にも迎えがきたみたいだ。ほら、今から逃げても遅いだろ。俺は隊長の指示に従うさ」
「んー……早ぇなぁ。ウチの隊だって久々の休憩で皆のんびりしてんだからよ。少しは待ってくれてもいいんじゃねぇかって俺ぁ思う」
遠くから、侵略者がやってくる音。
隊長も俺に続いて立ち上がり、地面に転がる騎士剣を重そうに持ち上げた。
見やれば、他の兵士達もその音に気付いて立ち上がっている。何人かは諦めたように座ったままだが、それもいいだろう。
どのように終わるかは本人達が選ぶ道だ。
ざわめく木々。吹きすさぶ風が、血と戦の香りを運んでくる。
「いいのか? 俺は暗に逃げてくれって言ったつもりなんだぜ」
「そんな粒ほどの可能性に賭けて一人殺されるような道を選ぶつもりはない」
その気持ちは嬉しいが。
俺も立て掛けた騎士剣を再び手に握る。
ずしりと重い感触が、全身を支配した。
「だったら。俺はここに残った全員でこの作戦を攻略し、堂々と家族の元に帰るっていう――そういう粒ほどの可能性に懸けて、戦うさ」
「そんなん粒じゃなくて、何も見えやしねぇよ」
「……隊長、命令をくれ。無駄話は、そろそろ終わりらしいからな」
大岩。その上からのしりと現れたのは、漆黒の化け物。俺達人間を侵略する、地底の侵略者共だ。
そいつは俺達を見た瞬間、ようやく見つけたと言わんばかりににやりと口を横に引き裂く。次いで、他の化け物共も姿を現し始めた。
――こいつらが、俺達の敵だ。
「ああ、無駄話は終わりだな。――お前らァ、聞け」
隊長が騎士剣を掲げ、最初の一体に向けて突き出す。
そして、言った。
「俺からの最後の命令だ。こいつら全員ぶっ殺して、死んじまった仲間の墓ァ立ててやろうぜ!」
「……おう」
隊長の命令。たったそれだけで、他の兵士もそれぞれ返事をし、自らの武器をその手に構える。今まで座って呆けていた連中も、己を昂らせて立ち上がってゆく。
残り、たったの八人。
それでどうこの軍勢を切り抜けろというのか――何も言うまい。士気は整った。後は、戦うだけだ。
俺の記憶は、今も鮮明にそれを描き出す。
俺はその化け物相手に力の限りの殺戮を尽くした。
次第に減っていく仲間達の姿を見ながらも、戦い続けた。
第六部隊の隊長は戦いの半ば、身体を真っ二つに折られて絶命した。
そして――俺達は敗北した。
最後に運良く残った俺は、敵と味方の死体の入り交じる岩場の上で、血に濡れた騎士剣を一人掲げる。俺を取り囲む残り数百体以上の侵略者は、残された俺を殺しに来る。
その時の俺は何を思い、何を抱いていたのだろう。
今となっては分からない。だがきっと、その時死んでいたら――その時は、俺にとっての過去にならなかった。
それだけは事実で。
結果――俺は、死ななかった。
騎士剣を構えた俺は、天上より光が満ちていることにようやく気付く。漆黒の侵略者達は、その誰もが上を見て固まっている。
当然俺も、その光を見て動きを止めていた。
その光の中心に存在しているのは、一人の女。白銀に包まれた神々しきその姿は、とうとう俺の目の前まで降りてくる。
誰もが動かない中、その女は言った。
「――力、貸して欲しい?」
それが俺と、女神の邂逅。
俺の人生を歪ませた、女神との出会いだった。




