二十四話 襲撃の夜、白銀血色
その夜のことであった。
夜、と言っても陽は先程落ちたばかりなのだが。
宿の一室に戻ってきた俺は一人就寝の準備をしているリーゼを余所に銃の手入れをしていた。机に向かい合う形で作業を行っていて、幾つかの弾薬やナイフ、金貨袋もそこにある。
明日は早い。準備が出来次第、俺もすぐに寝よう。
「リーゼ、ショートソードはいつ直す? 明日はあの虹色の剣で戦うんだろうが、早めに直しておいた方がいいだろう」
今や金貨袋には文字通り金貨が入っている状況だ。加えてこの仕事さえ終わらせてしまえば中々の大金が懐に舞い込んでくるため、余裕が出来ている。
贅沢をするつもりはないが、リーゼの折れた剣を直す金くらいはあるということだ。これを折ったギレントルに請求してもよかったが、リーゼの剣自体は安物の量産品。
大した金も掛かるまい。
「そうですねー……余裕があったらでいいんですけど」
「今から直しに行くか? 一応、鍛冶屋なら一件見つけているぞ」
鍛冶屋としてもまさかこの剣を直しに来る奴がいるとは思ってはいないだろうが。
「明日出航だ。戻るまでに何日要するのか分からない以上、戻った時にいつでも剣が返って来る状態が望ましいからな」
「じゃあ、行きましょう!」
がばりと布団を剥ぎ、リーゼは一瞬の内に起き上がってショートソードを拾い上げる。
やはり、それなりに嬉しいみたいだ。
「なら早めにしよう。店がいつ閉まるかは把握していない」
こびり付いた火薬や煤などの汚れが付着した布を机の上に置いて、銃に弾薬を詰める。銃とナイフを懐へ仕込み、荷を背負う。
「あの、レーデさん?」
「なんだ。剣先をどこかに落としてきたとかじゃないだろうな」
「違いますって! そうじゃなくて、いつも荷物全部持ってますけど……置いていかないんですか?」
リーゼにしては至極真っ当な質問だった。
今まではまともな住まいではなかったし、今回の海賊船は別にしても、今は立派な宿に住むわけだしな。
外出する度に荷を全部持っていくのは疑問だろう。
「人に取られちゃ困るからだ。宿と言っても必ず安心できるわけではない。それに、言うほど大した量じゃないぞ」
着替えなどの生活類に関しては、鞄から出して部屋に置いている。
「私、持ちますよ?」
「いやいい、俺が持っていなければ意味がない」
中に入っているものは弾薬なども含め、必需品だ。
それに煙草などは腐っても高級品。奪われでもしたら洒落にならん。
「それじゃ行くぞ」
鍛冶屋に着くと、丁度鍛冶屋の主人が店終いをしようとしている場面に遭遇した。
あと一歩遅ければ店に入ることさえ叶わなかったろう。
俺が声を掛けると、店主は「んん?」と眉をつり上げこちらを見てきた。
「こんな時間に済まないな。折れた剣を直したいんだが」
「あー……いらっしゃい。ただ今日はもう無理だな、炉の準備が出来ない。明日来てくれりゃいいが」
「いや、今日でなくても構わないんだ。武器だけ預かってくれれば、直しは明日でいい」
数日の間町を空ける旨を伝えると、店主は嫌そうに顔を歪めた。
「戻って来る気あるか? 直すのはいいが、取り来ないとウチも困る。それだと先払いになるよ」
「構わん。リーゼ」
「あ、はい! これです」
リーゼがショートソードの折れた先と、柄を渡す。店主は更に顔を歪めた。
「……別にいいんだが、これを?」
「はい!」
無垢な笑顔で受け答えをするリーゼ。店主は俺の方をちらりと見たが、何となく理由は察したようで傾げた首を元に戻した。
「先に言っておくけど、新しく買い直した方がずっと安いぞ? この港にゃ売ってねぇけど、銀貨が数枚あればどこの町だって買える」
「ほう、随分と優しいんだな」
「後で変ないちゃもんつけられても困るからだよ。で、高いの承知で直すんだな?」
剣を受け取り、店主はそう言った。
「金貨一枚だ。悪いが職人の手が加わるってことで、これ以上下がらない」
「……ああ。いいだろう」
少し値が張るが、仕事の報酬さえ貰えば大した額ではない。
「承ったぜ、愛情があるんはいいことだ。いつ来るんだ?」
「すまないが未定だ。数日後には帰ってくるとは思うが、何せ海上だからな」
「海上……?」
「そう、仕事でな。だから、店の隅にでも保管しておいてくれると助かる」
海上、と言っただけで店主は何かを察したようだが、俺が話を戻すと特に言及はしてこなかった。
そうだろうな。自ら海賊に関わりたいとは思うまい。
「近い内に必ず取りには来る」
金を渡すと、店主は受け取った剣を大事そうに布で巻いて頷いた。
「ああ、既に金は貰ってあるんだ。バッチリ仕上げといてやるぜ」
「頼んだ」
「お願いします!」
俺もリーゼも頭を下げると、店主も頭を下げ店の中へと入っていた。なるほど、一階が仕事場で二階が自宅になっているんだな。
「それじゃあ、戻――」
俺は振り返って遠くを見やり、首を傾げた。
何やら少し騒がしい様子だが、騒動でもあったのだろうか。
「レーデさん。魔物……魔物の、気配です」
「……ここに、か?」
「今、いきなり気配を感じました――向こうです」
リーゼが指を差したのは、騒動の方向。人が慌ててこちらの方へ逃げてきたり、叫び声や悲鳴なども微かにだが聞こえてくる。
俺は懐の銃を取り出し、リーゼも警戒を露わにした。
「いきなりってのは何だ」
「さっきまでずっと、何もなかったんです。それが――」
あの時、トンネルに現れた魔物のようなやつか? そんなのがどうやって町のド真ん中に。
いや、出せたとしても何の為に。
悲鳴が一際強くなり、数人かが俺とリーゼの隣を通り過ぎて後ろへ走り逃げていった。
――鬼気が、肌を焼いた。
「久方振りだな。人の子――それと」
俺にも感じる、強大な鬼気。
そいつは次の瞬間、俺とリーゼの目の前に悠然と立っていた。
黒い翼。角。その右手に掴まれているのは、血の滴る男の生首。
「――“魅入られし者”よ」
あの時対峙した人型の魔物が、歪に笑っていた。
その姿を確認したとほぼ時を同じくして、リーゼが叫ぶ。
「纏虹神剣――!」
リーゼが虹色の剣を生み出し、そこに同色の雷が宿る。ばちりと迸るその剣とリーゼを睨み、魔物はフンと鼻息を洩らした。
今、リーゼは防具を着込んできていない。生み出した剣だけを持って、華奢なだけの小さな勇者はその切っ先を魔物に突き付ける。
リーゼがずっと見ているのは、魔物の手からぶら下がる男の首だ。
滴り落ちる血は地面を赤く染め上げている。
リーゼはそれまで見せなかった圧倒的な敵意でもって、魔物を睨み付ける。
魔物はそのリーゼの視線に気付いたか、ふと生首を持ち上げた。
「そうか、これが気になるか? ならば貴様にくれてやろう」
リーゼが剣を中段に構えた瞬間、魔物は生首を投げてくる。放物線を描いて飛んでくる生首――魔物を斬り払おうとしていたリーゼはそれに一瞬硬直し、腹の中心へ蹴りを叩き込まれた。
それは深々とめり込み、リーゼは呻き声と共に後方へ転がっていく。
一方生首は地面に激突し、ころころと血液を垂れ流しながら俺の足下にぶつかった。
俺はコートの下に銃を隠し、横目でリーゼの状態を確認しつつ眼前の魔物と対峙する。
「今、お前は何と言った?」
「――魅入られし者。と、言ったぞ」
不敵に笑い、リーゼを蹴った際に上がっていた足をゆっくりと元の位置に戻した。
俺は魔物の姿を凝視しつつ、一歩後ろへ下がる。魔物は俺に襲い掛かる様子もなければ、そもそも動く素振りを見せない。
ならば、何故ここに現れたのか。
その理由は、俺だけが知っていた。
「――貴様を迎える準備が整った。我と共に来るがいい」
「……やはりな」
人の言葉を解する知的な魔物。
リーゼもサーリャも、そのような魔物は見たことがないと言っていた。
白銀の羽根が落ちていた。そいつは今も俺の懐に入っている。
そしてこいつは、俺を回収しにやって来た。
この魔物が高度な知能を手に入れた大元がある。
――この魔物には自らが抱いた理想がある。
ならばこれまでの魔物の不明瞭な動きにも納得が行くというものだ。
「二つばかり、訊かせて貰おうか」
「……いいだろう、言ってみよ」
リーゼが後ろで痛みに呻きながらも、ゆっくりと立ち上がろうとする。リーゼが本気で臨戦態勢に入れば、こいつと話す機会は失われるだろう。
俺は口を開いた。
「お前は俺の名前を、知っているか」
「……名、だと?」
あからさまに眉をしかめ、魔物は不可解そうに俺を睨む。
分からないか。
そうだろうな。
「では、お前は俺を捕まえてこいと命令した奴を、何と呼んでいる?」
「訊いて何の意味がある」
魔物は今度こそ不可解そうに首を傾げた。俺の質問の意図が全く理解できないようで、沈黙の時間が数秒だけ流れた。
そして俺が次の句を告げないことを察し、魔物は静かに口を開く。
「――イデア。聞き覚えがないとは、言うまいな」
俺はその解答に満足し、懐から左手を抜く。魔物はそれに警戒の色を見せたが、俺がその手の拳を放した途端に目を見開いた。
手から落ちるのは、白銀に輝く羽根。夜だというのに、自らが光るように輝くそれは、ひらりひらりと地面へ舞い落ちる。
「ああ……イデアね。やはり奴はいつの時代もいつの場所も、俺を見逃してはいなかった、ということか」
「貴様、何を言っている?」
その羽根へ意識が逸らされ、俺の言葉に惑いを見せる魔物。
俺は心底自嘲気味に笑い、吐き捨てた。
「その名のもたらす意味は理想。お前の知らない遠く離れた世界の言葉。そして、俺が以前に生きていた世界の言葉でもある。つまりお前は奴の理想の為の駒――というわけだ、哀れな魔物よ」
よくもまあ、陰湿なことをやってくれるものだ。
長年俺を追い掛け回していただけのことはある。
「お前はお前の理想を抱いたまま死んでゆけ。操り人形」
「――ッ!?」
短く、鋭い銃声。
硝煙の臭いが鼻を刺激する。
俺の撃ち放った銃撃は、魔物の腹部に深く侵入していた。どくどくと赤黒い血を流す魔物は俺の手元を見て、舌打ちする。
「貴様、小癪な……!」
「勝手に優位に立てていると勘違いしてくれて、助かったよ」
羽根に意識の削がれた隙にコートの内側から相手を撃っただけのことだ。服に穴が空いてしまったのが残念だが、この程度は後でいくらでも直しは効く。
「以前俺の攻撃を避けたということは、当たっては不味いと言っているようなものだ。もう少し警戒しておくんだったな」
小細工は二度は通じない。
俺は銃を内側から抜き、直接構えてそのまま二発撃つ。流石にそれは避けられたが、一撃目に受けた一発がさぞ痛いらしい。
腹からどくどくと血を流し、魔物は口からも血塊を吐き出している。
「貴様――貴様は、イデアの何を、知っている……! 言え……!」
「さあな。但し一つだけ、お前に親しみを込めて忠告だ」
次は頭部に狙いを定めた。
魔物の血走った目線と、俺の目線が交差する。
「奴は決してお前の理想を叶えはしない。死ぬ前に、その胸に刻み付けておけ」
「――黙れ――!」
俺の言葉を遮るように、魔物が強力な魔力を発した。全身から発された黒色の魔力が波動となって、視界をも黒く染め上げる。
「少々、手荒い真似をしても――いいと、言われている!」
「……ッチ」
魔物の姿が魔力に隠れ、強力な波動に邪魔されて照準がほんの少しずれ――次発は額を逸れて黒い角に直撃する。
角の一本が折れたが、それでは致命傷にならない。
魔物の周囲で幾重にも収束した黒い球体が、俺へと向けて一斉掃射される。
回避は間に合わない――。
ならばと俺は両腕を交差させて衝撃に迎えると、
「神触結界!」
障壁が俺の目の前に展開され、黒い魔力弾を全て防ぎ切った。その威力に障壁に亀裂が入るが、壊れない。そして魔物の追撃もなかった。
「せえあああああっ!」
リーゼが俺を押し退けるようにして飛び出し、輝く剣を魔物目掛けて突き出したからだ。
魔物は俺へ攻撃する余裕すらも失い、腹から血を垂れ流しながらもリーゼの剣を両手の爪で受け止める。
「どこまでも我の邪魔をするか、人の子よ!」
「あなたは何人も人を殺しました! きっとこれからも止まらない。私は、あなたを許しません!」
リーゼの剣が強烈に輝き、振り抜かれる斬撃は幾重にも重なる。それは魔物の爪を引き裂き、鮮血が両腕に刻まれた。
魔物は大きく後退するが、全身からの出血が激しいせいか動きがぎこちない。
「……何か勘違いをしているな? 我に襲い掛かったのは人間からだ。今宵、我は殺戮を目的として来ていないぞ、人の子よ」
「――ふざけないでください」
冷えた罵倒と同時、リーゼは突っ込んだ。
「ふざけているものか。我はそこの男に用があったまでだ、目的が違えばこんな町――今すぐ壊してやる」
「っ!」
魔物は空に飛び上がり、リーゼから距離を取った。大きく開いた翼は黒い魔力を放出しながら羽ばたく。
「天聖虹陣」
リーゼが新たな詞を紡いだ。すると彼女の周りにも同じように虹の輝きが纏い、空中に身体を浮かばせるではないか。
この前リーゼはアレは能力の底上げと言っていたが、そういった運用か。
一際強い輝きはリーゼから溢れるように波打ち、雷光が迸る。
「逃がすと思っているんですか――」
「……よぅく分かった。貴様があの男と結託をするというのであれば、こちらも致し方あるまい」
魔物は依然血を吐きながらも、不敵に笑う。
そこから覗く犬歯から己の血を垂れ流しながらも、魔物は力強く叫んだ。
「ヴァンドゥル、ズールグレイ、エトモタイア!」
それは魔法――否。
漆黒の空。空間が歪み、リーゼを取り囲むようにして三体の新手が出現する。
それは魔物の名称。
血を吐くあの魔物とよく似た姿の三体。
二本の黒い剣を構えた、一本角の魔物。背中には立派な翼が広げられ、圧倒的な鬼気を持って三体がリーゼに剣を突き付ける。
「我が主、アウラベッドは告げられた」
「この女子を斬り伏せればよいのか――」
「結局は戦う運命という訳だな! 勇者よ!」
各々が言葉を発し、それにあの魔物からの命令が与えられる。
「我は魅入られし者を相手する。そこの子を足止めしろ」
「御意に」
「レーデさん!?」
言うなり、重傷を負いながらも魔物は俺へと一直線に向かってくる。
リーゼは俺の方へ戻ろうとするが、取り囲む魔物三体に行く手を阻まれてしまった。
俺は向かい来る魔物へ準備すべく、新たに弾薬を補充する。
……それなりに準備はして来た、というわけか。
しかしどういうわけか、今はイデアと呼ばれている“奴”は来ていない。奴が来れば、魔物と違って――俺にも分かるのだから。
魔物は俺の目の前まで飛んでくると、翼を折り畳んで降下してきた。その瞳は俺を見下げたまま紅く煌めき、折れた方の爪で押さえられた傷が、痛々しげに肉を覗かせている。
魔物は目の前に着地し、血に塗れた片手の爪をぎらりと輝かせた。
俺は万全の状態で銃を片手に構えつつ、再び魔物と相対する。交わされた視線は、鋭い。
「最初からあの三人を呼んでいればよかったんじゃないのか?」
俺はリーゼと交戦する三体の魔物を眺めつつ、もう半分の意識をこの魔物に向けていた。
「先ほども言ったが、我は貴様に用があるだけだ。戦いに赴いたわけではない」
「……そいつは殊勝なことだな。魔物とは一方的な暴虐の限りを尽くす怪物、ではなかったのか?」
「違う、今や我らはそのような下等生物と同じではない」
「イデアに与えられた、か」
「――その通り」
俺はゆっくりと銃口を魔物に向けトリガーに指を掛けたところで止める。
「貴様――レーデと呼ばれていたな?」
「そういうお前はアウラベッドなどという大層な名を貰っているらしいじゃないか」
あの三体の内の一体が呼んでいた名は、間違いなくこの魔物であろう。
「それも、授けられたか?」
「違う」
確固たる意思で俺の質問を一蹴し、魔物――アウラベッドは黒い魔力を生み出す。
「今度は我からも質問させて貰おう、貴様は何者だ」
「……ふん。魅入られし者などと俺を勝手に呼んでおいて、今更何を聞いているんだ、お前」
俺は溜め息を吐いて、地面に落ちている白銀の羽根を一瞥する。血に汚れたそれは、なおも褪せずに輝いている。
白銀に。
そう。これは言葉通り、翼から抜け落ちた羽根だ。
そしてこの翼はこの世に存在するものではない。
この羽根は、イデア――あの女の物だ。
――俺はその羽根を、靴の裏で踏み潰した。
見えなくなるように、染め上げて血にでも溶かすように。
「俺がお前を操り人形と言った意味、分かるか?」
「……」
「その無言は分からないということか。まあいい、何も聞かされていないならそれでいい。お前、イデアが何処からやってきたかくらいは知っているだろう?」
別の世界へ侵略すると言い出す脳味噌があるくらいだ。その程度のことは、こいつも聞いているだろう。
「俺もイデアもこの世界の生物じゃない。もっと言えば、イデアは生物ですらない。奴は他を利用するだけ利用し全てを貪り食う、お前らより遙かに質の悪い――」
――女神だよ。
そう言ってから、俺は踏み付けていた足を退かす。
その羽根は、輝きを失って赤く染まっていた。




