二十一話 野蛮な友達計画
「どこで捕まえたんだ、あんな純粋で可愛らしいの。お前にべったりじゃねぇか? どうなんだそこんところはよ」
さっきまでの真剣な目はどうしたというのか。
俺は盛大な溜め息を吐いてやると、どこまでも下世話な話を展開する目の前の男に向けてこう言った。
「奴は俺が購入した奴隷で、旅の連れだ。想像するような仲ではないぞ」
「あ、あぁ? 奴隷かよ……って嘘吐け! 自由過ぎんだろ! 首輪も枷もなんもしてねぇじゃねぇか!」
「いざと言う時に頼りになる戦力だからな、普段は自由にしていても構わない」
「戦力だぁ?」
ガイラーはさぞ不思議そうに俺を睨んできた。
「別に信じてくれなくても構わんが、奴は性奴隷としてではなく戦力として購入しただけだよ」
「信じねぇっつうか、なんかよ……本当にそういう関係じゃねぇのか?」
「ああ、だから相談には乗れんぞ。どちらにせよ俺は奴隷を購入して連れているだけで、人生の先駆者じゃない」
そんな不名誉な称号は要らん。
「嘘言ってる顔にも見えねぇんだよな……いまいちあの娘が戦えるってのもぴんと来ねぇが、人は見かけじゃよらんからなぁ」
いつの間にか再び酒を飲み始めていたガイラーだったが、その内「あー」と天井を見上げながら唸って、俺へと視線を下げる。
「そうか、そいつぁ悪かったな。だがあの娘、お前にべったりなのはマジじゃねぇか」
「そうだな」
理由は知らないが、リーゼからの好感度が非常に高いことは認めよう。
俺は酒の残りが少ないことに気が付き、残りは一口に飲み干した。ガイラーに二杯目は要らないことを告げ、荷を手に持つ。
「そろそろ出るとしよう。俺と会話をしていても実りのある話は出ないだろうからな」
「いや、いや、待て待て待て」
するとガイラーは慌てたように俺を止め、俺が仕方なく荷を降ろすと何やら真面目くさった顔つきに戻って続ける。
「お前んとこの娘が相談してんじゃん……! あれ絶対俺にとって悪い方向に進むよなぁ?」
「勝手に宿を占領して客を追い出しているような輩に良いイメージを持て、というのがおかしいだろ」
「ぐ、否定はできねぇ……ってかそう思ってんなら、何でお前俺を庇うようなこと言ったんだ? 不思議でならねぇんだが」
さっきは盗聴したことを全力で否定していたが、あっさりと手の平返してくるやつだな。
まあいい。
「自分で物事も決められない者に、俺は手など貸さん。誰だって自分の道は自分で選ぶもんだ」
「……はぁ? なんだそりゃ」
間の抜けたガイラーだったが、俺が立ち去ろうとした瞬間に「おいおいおい!」と声を掛けてくる。
「分かった、分かった! 確かに俺のイメージは悪いな……ちょっと強引過ぎたきらいはある。頼むぜ、お前達宿に泊めたのだって俺の首絞めるためじゃねぇんだよ」
そいつは自分勝手だな。
俺とリーゼはあくまでも客で、泊まるか泊まらないかをガイラーに決められる筋合いはない。金は払っている。
だが、そうだな。
「ガイラー、手助けしてやらんこともないぞ」
「おお本当か!? 流石は俺の見込んだ男だぜ!」
勝手に見込むな。
俺はガイラーの目の前に残る魚の揚げ物を一切れ引ったくり、口に放り込んだ。
「――副船長って、言ったよな」
ラフォレイト・フィオーナ。
この町で昔からある宿屋経営の夫妻の娘、として生を受けたどこにでも居る町娘。年齢は推定十八。
幼い頃から母親はいなかったらしく父親の手によって育てられてきたが、去年病気にて父親を亡くした。それ以来は娘であるフィオーナが宿を一人で経営しており、慣れないながらも父親時代に作ったコネを使って宿を切り盛りしていた。
「それで、男っ気もなく仕事熱心な姿に心を惹かれたガイラー・ストレイドは思い切ってプロポーズ。しかし返事は芳しくなく、のらりくらりと躱され続けた副船長のガイラー・ストレイドは自身の持つ権力を使って強引に宿を占拠、強制的に二人の愛の城を作ったわけだ」
「何で淡々と悪意満載に解説してやがんだおめぇ! 悲しくなるだろうが!」
「間違ってはいないだろう」
「……ああ、間違ってねぇのが腹立つが……間違ってねぇな」
それでも「合っている」や「正しい」とは言わなかったガイラーは、唸りながら顎に手を当てる。
――と、まぁ。
酒場から出て宿屋の手前にある路地裏、そこで一旦立ち止まった俺とガイラーの二人は、これからに向けての会話を繰り広げているのだった。
「これって、なんか無理臭くねぇか?」
「さぁな」
今更になってそんな分かり切ったことを言うガイラー。それも最初から分かっていたことなので、俺は目の前を通り過ぎる通行人を眺めつつ、適当に返しておく。
だが、俺も出来る限りのことはしてやろう。
レッドシックル副船長、ガイラー・ストレイド。
彼に協力をする代わりに俺が頼んだのは、「金稼ぎの出来る仕事の斡旋」と「北大陸への渡航費を無料にする」の二つだ。
ガイラーはそれについて、仕事の斡旋は確約できるとは言っていた。渡航費に関してはあまり期待出来ないそうだが、前者が確約できるのなら十分だ。この町の権力を手にする海賊の副船長ともなれば、俺が探すよりマシな仕事も見つかりそうだしな。
「いや俺今まで娼婦とかそんなんばっかと関係持ってたからよ、ああいうのちょっと分からねぇんだ。押せば行けねぇのか?」
「そこまでの事情はあまり聞きたくないが……十代で親父無くしても真面目に親の仕事継いで働いてる奴と、娼婦を同じに考えない方がいいんじゃないのか」
「娼婦も若かったんだぜ? 比較的真面目な奴もいた」
知るか。
今後面倒事を増やされないよう、リーゼには近付かせない方がいいかもしれないな。余計な色事を俺に押し付けられても流石に困るというものだ。
「では話し合いの場は俺が設けよう。そこはリーゼ……フィオーナと相談している俺の連れと上手くやる。で、だ」
俺はガイラーへ首を向け、目を合わせた。
「断られるのは覚悟しておけ。そして断られても暴挙に出るんじゃないぞ」
「出るわけねぇだろ。いくら副船長ったって、女に振られて殴り殺しでもしたら恥だろうが」
「そりゃ良かった」
最低限の良識はあるらしい。今の情けない状況でも十分恥ずかしいと俺は思うのだが、結構だ。
出来ればこの縁談を成就させて欲しいもんだな……いや縁談というのは違うか?
とにかく。そうすれば宿に宿泊する俺達は優遇されるだろうし、仕事の斡旋、あわよくば渡航費も払わずに済む。
しかしあくまでも決めるのは当人のフィオーナであって俺ではない。可能性が望み薄なら、俺の方で手を打つことにしようか。
「さてガイラー、先ほどの言葉は撤回する」
「あ?」
「断られるのは覚悟しておけと言ったが、間違えた。ほぼ間違いなく断られるだろうから、素直に受け入れろ」
「はぁ!? いやちょっと待」
「話は終わっていない。むしろ断られてから本番だ、そう焦ることはない」
俺の言葉に全く理解出来ない表情で、ガイラーは両手を広げて反論する。
「それ遠回しに諦めろって言ってんのか?」
「そうではないな。いいか、よく聞け」
正攻法で行っても仕方ないだろう。
俺達の関わらないその後の展開までは保証しないが、ガイラーとフィオーナの関係をなんとか続けさせてやるには――これが一番堅実だ。
「まぁ、もし万が一……良い返事が返って来たら、それもいいだろうがな。断られたらこう言え」
「お、おう……やけに自信あるな……? いいぜ、やってやろう」
「友達になって下さいだ」
「――は?」
よく聞こえなかったようなので、もう少し丁寧に言ってやるとしよう。
「俺と友達から始めて下さいって言うんだよ。そこはフィオーナも頷くように差し向けてやる」
「……なんだそりゃ!?」
俺は驚愕の様相をしているガイラーの肩を叩き、自信満々に伝えるのだった。
俺はガイラーを宿の外に待たせ、一足先に宿へと戻っていた。
ガイラーがフィオーナに一歩近寄るためには、俺がある程度場面を整えてやらねばならない。
つまり、フィオーナが妥協できるように俺が説得するのだ。
「リーゼ。開けるぞ」
一応女二人の居る部屋である。一応ノックと共に扉の前から声を掛けると、中からリーゼの返事があった。フィオーナの声も聞こえる。
俺が出てからそこまでの時間は経っていないにせよ、まだ話していたんだな。
「あ、レーデさん! 本当に一人でご飯食べちゃったんですか?」
部屋に入ってきた俺を迎えたのは、どこか悲しそうな顔をしているリーゼの発言だった。
第一声でまず飯の心配か、リーゼよ。
「いや少し予想外の出来事があってな、飯は食っていない」
ガイラーから引ったくった魚の一切れ……は、カウントせずともいいだろう。
「それは本当なのですか? お酒のにおいがしますけど……」
フィオーナが俺の返しを聞いてか、そんなことを言ってきた。すかさずリーゼが「お酒飲んできたんですか!?」とこちらを凝視してくる。
「ああ、近場の大衆酒場に行ってきた。と、言うより連行されたといった方が正しいか……」
「れ、連行ですか? 大丈夫だったんですか?」
今度は一転して俺を心配するリーゼであったが、その俺が話しているのだ。何事もなかったなんてことは直ぐに理解したようで、安堵する様子がはっきりと窺えた。
お前はいつも変わらないな。
「廊下でガイラーに会った。フィオーナだったか? お前警戒していたみたいだが、話全部聞かれてたみたいだぞ」
「……!」
まずはそのことを知らせると、フィオーナは俺を見たままの姿勢で硬直してしまった。俺が彼女の名前を知っていることなど些細なことのように、数秒の時間が流れる。
「折角の機会だったんでな。俺は俺で、ガイラーから話を聞いていた」
「話を聞くというのは……」
「お前のことに決まっているだろう」
フィオーナが絶句する。
俺は彼女には構わず、リーゼへ言葉を放った。
「それでリーゼ、何か進展はあったのか?」
「ええと、まあ……」
「何やら含みがある言い方だな」
リーゼにしては決まりの悪い台詞だった。その考えを聞こうと耳を傾けてやると、彼女は彼女なりの答えを返してくる。
「やっぱり私が口出ししていい問題じゃないと思うんです。でも海賊さんがこれ以上宿に居座るのはやっぱり迷惑ですし、でもレーデさんが言ってた通りフィオーナさんより先に何かしてしまうと解決できませんよね」
リーゼにしては中々深い部分まで考えているではないか。
俺がなるほどと相槌を打つと、フィオーナがこう言った。
「あの人と話を付けようと思います。いい加減、宿の経営を邪魔されると困るんです。確かにあの人がお金を工面してくれている現状、私の生活に影響はないのですが……ここは、父の残した最後の居場所なんです。その宿をこんな形で風化させたくはありません」
今まで決めあぐねていた意志を固めるかのように、彼女は決意を表明した。自分に言い聞かせ、ガイラーと相対する恐怖を取り払っているみたいだな。
そうか、この宿は父の残した形見であったな。だからフィオーナは、それを守る為に若いながらも宿を経営していたのか。
「では、奴のプロポーズを断るということだな」
「それは……」
フィオーナは黙る。
リーゼがもやもやとしていたのは、やはりそこか。
「その件には触れずにガイラーを追い出そうという腹積もりなら、今までと変わりはないと思うがな。お前はなるべく奴の怒りに触れたくないと思ってやっているのだろうが、宿から追い出すことに成功したところで状況が好転するとは思えん」
「追い出すのですから、断ったのと同じなのではないのですか?」
「察しが良いい男なら話は別かもしれんが、あの海賊がそんな男に見えるか? これだけ露骨に拒否されていても迫ってくるんだ。直接プロポーズを断らない限りは諦めないだろう」
まぁ断ったところでガイラーの性格じゃ諦めないだろうが。
フィオーナは下唇を噛み締め、眉間に深い皺が寄る。再び言葉を発しなくなった彼女に畳み掛けるよう、俺は続けた。
「というか、最初からそのつもりなら直接断ればいいんじゃないか? 奴の報復が怖いなら、どのみち追い出した瞬間に終わりだろうしな」
「……」
「何を戸惑うことがある。お前のそういった曖昧な言葉の数々が、あの海賊を縛り付けていたかもしれないんだぜ。奴は何よりも答えを欲し、結果を知りたいんだ。お前がさっさと断っていれば、そもそも宿を占領されることはなかったかもしれないぞ」
答えを出さずに勝手に相手が諦めるっていうのは、一番心が気楽だ。何より自分が一番傷付かない方法だからな。
相手によってはその方がいい場合もあるが、今回に限っては悪かったな。俺がガイラーと話した分じゃ、奴は今までずっとフィオーナのその返事を待っていたように思われる。
やり方が強引なことに変わりはないが、圧倒的な力を持つ権力者にしては随分と穏便なやり方でな。
「そこで断って状況が悪くなるんなら、初めて俺とリーゼの出番だ」
話は最初に立ち返る。
しかし今度はフィオーナが自らの意志で断った、その後だ。もしも荒事に発展するなら当初の予定通りにすればいい。きっとリーゼもそう考えたはずだ。
「お前も色々事情があって、仕事一筋でやってきたんだろ? その中であんなのに突然絡まれても困るのは当然だからな。だが気負わず自分に正直になればいい。俺はともかく、リーゼは勇者だ。勇者の存在を知っているかはさておき、お前が困っていればリーゼは助けてくれるさ」
「……勇者、ですか?」
フィオーナはきょとんとした目でリーゼを見やる。
「知ってるのか」
「……物語の中と、噂程度には」
「そうか。ならばリーゼはその物語の中に登場する勇者と一緒だ。レッドシックルという組織が相手にならんほどにはリーゼが強い」
「そ、そうですよ。何も心配は要りませんって!」
リーゼも同調して握り拳を作ると、フィオーナに語り掛ける。
「……分かりました。でも、本当に大丈夫なんですか」
よし、その気になったか。
そろそろガイラーの養護も少しはしてやらなければな。
「それに、俺は奴と話をしてきたと言ったろう。その過程でお前が断るだろうということも伝えたが、素直に受け入れていたぞ」
「……それは、建前だけではないのでしょうか」
「そうも見えなかったな。んで、奴から伝言がある」
言ってからわざとらしく咳払いをすると、フィオーナとリーゼの視線が一斉に俺を貫いた。
「あの人からの……伝言、ですか?」
「ある程度こっちでもお前のことで話していてな、ガイラーが大人しくなるように俺の方でも手を打っていたんだよ。んで、今そのガイラーは俺の言う通り大人しく宿の外で待っている」
「……え?」
驚くのも無理はない。
というか俺も驚きだ。荒くれ者っていうからには、あの副船長は聞き分けのない暴君のようなものだと勝手に思っていたからな。大目に見なければただの野蛮人だが、根本的な部分に良識は残されている。
「レーデさん……やっぱりフィオーナさんのこと考えてくれてたんですね!」
「そういうわけでは……まあいい。そんなところだ」
こんな部分を取り繕っても仕方ない。リーゼの思うように勘違いをさせておいてやろう、別に支障はない。
俺はフィオーナの目をしかと見つめ、一言放った。
「ガイラーは、改めてお前にプロポーズしたいんだとよ」
「……はい?」
フィオーナは不可解そうに眉を歪め、首を傾げた。
「丁度いいチャンスじゃないか。今度こそ正式に断る場が出来たな、フィオーナ」
「ええと……今から、でしょうか?」
「俺が呼びに行けばすぐにでも来るが?」
と返せば、少しの時間を置いて、彼女は覚悟を決めた顔付きで頷いた。
「……分かりました。私も心の準備は、出来ています」
「そうか、なら俺から一つ助言をしておいてやろう」
ここからはまたガイラーには少しばかり可哀想な目に遭って貰うことになるが、それで関係を保てるなら十分だろう。
その程度は容認して欲しいものだ。
俺はにやりと口端を歪め、口火を切った。
「お前が奴のプロポーズを断ると、今度はこう言ってくる手筈になっているんだ。だからな――」
「お、おう……なんだ? この雰囲気はよ」
後ろに流している茶髪をがさがさと掻いた野蛮人――ガイラー・ストレイドは、部屋の隅――ベッドの奥、壁に背を預けて佇む俺とその隣にくっついているリーゼを見、最後に部屋の中央で正座をしているラフォレイト・フィオーナへ目をやってから苦々しい顔で呟いた。
フィオーナは緊張の面持ちでガイラーを見据えている。彼女は一言も発さず、ごくりと生唾を飲んだ。
重々しい空気の中、俺とリーゼはその光景を眺めているだけだ。俺はくつろいだ姿勢のまま、ガイラーに向けて言い放った。
「どうした。始めていいぞ」
「すげぇやりづれぇな……これ」
「何を言う、ここはお前とフィオーナ二人だけの空間だ。俺達は存在していない、気にせず続けろ」
「何馬鹿なこと言ってんだ! そこにいるじゃねぇか!」
「当初の目的を忘れているぞ。早くプロポーズをしろ」
「何で俺は催促されてんだ……?」
ガイラーは頬を掻いたりなどのリアクションを取っているが、その間もフィオーナはぴくりともしない。髪色と同じく真っ黒の瞳が、ガイラーを瞳の中に吸い込まんばかりに一心に見つめている。
「お、おう……なんか、意味わかんねぇしアレだが、分かったよ」
決まりの悪そうにぼやき、フィオーナに向き直る。彼も何故か正座の形を取って座ったため、そこそこそれらしい雰囲気になった。
では今度こそ静観しようじゃないか。
「ああっと、な。今まで色々やってたが、改めて言わせてくれ」
ちらちらと俺の方を窺っては来るものの、ガイラーは何も言ってはこなかった。
「なんでしょう」
フィオーナは小さく、堅い調子で返事をする。目の前にガイラーが居るというだけで酷く緊張してしまうのだろう。無論そこに恋愛感情による緊張は欠片もなく、あるのは不安のみだが。
しかしそんな返事でも一応は会話が成立したことで、ガイラーも心が決まったらしい。
彼は深呼吸をして、
「――俺の子供を産んでくれ」
理解の範疇を超えたプロポーズが降ってきた。
「……」
……。
……。
ガイラー以外の三人の時が、止まった。
俺もまさかこいつがこんなド直球な告白をしてくるとは思っていなかったため、言葉を見失う。
程なくして枕がガイラーの側頭部に直撃した。一瞬体勢を崩したガイラーが驚きと理解の追いついていない目でこちらを見る。
枕を投げたのはリーゼだった。
ああ、お前そういうこともするんだな。よくやった。
「何考えてるんですか? いきなりそんなこと言われて返事返せるわけないじゃないですか!」
ごもっともである。
だがガイラーとしては全くの本気であるらしく、悪びれるそぶりも見せない。
「い、いきなり何しやがる! 存在しないんじゃなかったのかよ!」
「ガイラー」
「ああ?」
「お前のプロポーズに返事できない理由が分かった」
俺はどうしたものかと眉間を揉む。
「いや詳しく聞かなかった俺も悪いがな。俺の子供を産んでくれ、は流石にないだろう」
「俺は本気だぜ?」
「問題はそこじゃない。それが自分より一回りは年若い少女に向かって吐く台詞か? 怯えられるに決まっているだろ、よく考えろ間抜け」
……おっと、口が悪くなってしまったな。
ガイラーは一瞬俺を睨みかけたが寸でのところで本分を思い出し、何かを言い返すのを押し止めたようだ。
「たとえお前の本当の姿が真摯的で優しい人間であったとしても、レッドシックル副船長の肩書きを持った粗野な見た目の男が突然子作りを迫ってきたら恐怖以外に感じるものはない」
「俺、そんなに怖いことやってるか?」
「じゃあ例え話をしよう」
未だ失言に気付く様子のないガイラー。
俺はまるで息をするかのように嘆息し、こう言った。
「お前が海賊船に乗って海を渡っている時、唐突に三百メートルはあろう怪物が現れた。そいつは海賊船を持ち上げ、更にガイラーだけを狙って掴み取る」
「お、おう……? なんだそりゃ」
「その怪物には絶対に勝てない。そんな絶望的な状況の中、怪物は人の言葉でガイラーに子作りを迫ってきた。その怪物はガイラーに一目惚れしてしまったのだ。どうにもできずにうろうろしていると、怪物は種族が違っても大丈夫だと付け足してガイラーだけを海賊船から連れ帰」
「分かった! もう分かったから止めろ!」
海での恐怖はダイレクトに出来事を想起させたか、ガイラーは顔を青ざめさせて途中で制止した。
まだ話の途中なんだがな、仕方ない。
「俺そんなに酷くねぇだろ!? なぁ?」
「フィオーナ、どう思う? この野蛮人が迫ってきて怖くなかったか?」
「……怖いです」
フィオーナはガイラーから後ずさるように膝を擦って後退し、少し俺とリーゼの方に逃げてきた。
というかもう少し言葉を考えたらどうなんだ。相手は娼婦でもなければ何の耐性もない少女だぞ。いや少女というには大人びているが、見た目で判断されても困るというものだ。
というか年齢を考えろ。十は違う年下の女に言っていいプロポーズの台詞ではない。
「本人が怖いそうだが、何か弁解はあるか?」
「いや、そんなつもりは……なかったんだ」
自分の状況をフィオーナと置き換えて考えてみたのだろうか。ガイラーはがくりと項垂れ、視線を下に落とした。
フィオーナはとうとう部屋の端まで下がり続け、ごつんと踵が壁に当たってようやく止まる。
そこから立ち上がって、彼女はおずおずと口を開いた。
「すみませんが、あなたのお誘いは受けられません」
はっきりとした、拒絶の言葉。当然の返答なのだが、ガイラーは呆然とした表情でフィオーナを見上げる。
「彼らから話を聞き、私の誤解も含まれていたことは謝ります。それでもあなたのやったことは許容できるものではありません。あなたが本気で私のことを想ってくれているのだとしたら、どうか私のことは諦めて下さい。お願いします」
「あ……す、すまん! 悪かった! 何も言わなかったからよくわからなかったんだ!」
どれだけ人の感情を察知するのが下手だったらそうなるんだろうな。
俺は特に口には出さないが、壁に背を預けたまま静観を続ける。
「すみません。素直に怖いって言えば、分かってくれたのかもしれません。とにかく、私のことはもう諦めて下さい。居座るのも止めて下さい……迷惑ですから」
「……そうか、俺ぁ確かに迷惑だな……悪かったと思う」
恋は盲目とは言うが、ここまでだったとはな。
ガイラーがどこまで本気だったか知らないが、こうして目の前で数々の否定をされ、絶望に打ちひしがれているところを見ると、少しは同情してやりたくもなってくる。
別にしないが。
「んで、どうするんだ?」
このまま話が終わると俺に旨味がない。仕方なく俺がガイラーに合図を送ると彼は今更気付いたように面を上げ、見下ろすフィオーナと目を合わせた。
「あ、ああ……! 俺と友達から始めてくれ!」
そして何を思ったが自信満々にそんなことをのたまった。
そう言えとは伝えたがな、少しは前後の言葉を考えて放って欲しいものだ。
普通に考えれば何も考えていない(実際に何も考えていない可能性もあるが)発言の後、当然のように静寂が部屋を包み込む。
まぁ、いいか。
フィオーナに目配せし、彼女が小さく頷いたところまで確認して目を離した。後は自由にやってくれ。
やり過ぎは禁物だが、その辺りは弁えてくれるだろう。
「――友達、ですか」
彼女の声のトーンが一段階下がった。凍り付くような調子に冷や汗を流したガイラーは俺に目だけを向けて何かを訴えてくるが、我関せずとして無視した。
「友達というのは、人を付け回したり自由を奪ったり、取引相手との商談を破談にして追い返したり、お客様に迷惑を掛ける人のことでしょうか」
「は? いや、そりゃ」
「違いますよね。友達というのはそういうものではなく、もっと対等な関係で、仲の良い関係であるのが友達なのですよね」
突然にっこりと微笑み、両手を合わせて首を傾げるフィオーナ。ガイラーはその豹変した様子にどうしていいか分からず戸惑っているが、フィオーナの猛攻はまだ止まらない。
「そういう関係が望みであれば、私は構いませんが……その前に、今までの損害をどうにかして修復してくれませんか? 得ていたかもしれないお金の面は別にいいです。これまで懇意にして下さったお客様、格安で取引をしてくれていた方々との縁をきっちり戻してくれるというなら、考えましょう」
「お、お……?」
「それが出来ないのであれば、私は今後二度とあなたに関わりませんし、近寄ることを許しません。強引にでも来るというのなら私は自分の喉を裂いて死にます。私のことが好きだというなら……それくらい、やってくれますよね?」
フィオーナは言い切って、そこで話を終わらせた。既に笑顔はなく、不安に陰る瞳が「本当に大丈夫なのか」と言いたげにちらちらと俺を見ている。
俺がフィオーナにした助言はそう難しいことではない。
根本的な話、本気で好意を寄せているガイラーが多少のことで暴力や権力に訴えるとは考え付かなかっただけのことである。
酒場での会話で奴は自らそのようなことを抜かし、勝手に似たような境遇だと勘違いして見ず知らずの俺に相談を持ちかけたりする人間だ。
多少の言動は許されるだろうし、そうならないことはリーゼが枕をぶん投げても激情に駆られないのが証明している。
別にガイラーはリーゼが自分より強い、とは今でも思っちゃいないだろうしな。
とにかくフィオーナにはそれを説明し、内容自体はフィオーナの意志に任せただけだ。それとこちらの都合で、ガイラーとの仲は最低限でいいから保っておくと後々役に立つ旨の助言もしたが。
それでも万が一のために俺とリーゼが部屋で待機しているが、ガイラーの様子を見てそれはないと確信ができた。
「そうすれば、俺と友達になってくれるのか?」
とても海賊らしくない台詞を吐き、ガイラーは突然立ち上がる。その行動にフィオーナがびくりと震えるが、次なるガイラーの言葉はその震えすら取り払った。
「そんなことでいいならすぐにやってきてやるぜ? ちょっと待っててくれ、今から終わらせてくるからよ!」
「……え?」
言うなり身を翻し、ガイラーは扉を開けてどこかへ走り去ってしまう。どたどたと足音を立てながら消える背を呆然と眺めながら、フィオーナはぼそりと呟いた。
「何なのですか……」
そいつは奇遇だな。俺も同じことを考えていた。
あの海賊の行動力が高いことは分かっていたが――。
彼女の心境を表すには正にその言葉が合っていたのだろう。開け放たれた扉を眺め、フィオーナはしばらくそのまま立ち尽くしていたのだった。




