十九話 赤き剣の海賊
レッドポートは漁業が盛んな港町である。
それと『レッドシックル』という巨大な海賊が拠点としている町でもあり、別の大陸に渡る時にはその海賊が経営している船に乗ることで別の大陸に渡ることが可能だ。
海賊とだけあってその安全性は抜群だが、代金が高い。しかし金さえ払えば快く北大陸まで連れて行ってくれるため、下手に別の手段で渡ろうとするのは得策ではない。
そんなことをすれば、敵に回すことになるからな。
海賊が漁業や一部市場を操っていて、表面がいいのが特徴だ。巨大な組織が君臨することで、中途半端な連中が力を振り翳すことが出来ないのが理由だろう。
一方で海賊達の気性が荒く胡麻擂りや機嫌取りが少々大変みたいだが。
要は奴隷市場の別パターンというやつだ。
向こうはその組織が腐っていたために荒れに荒れていたが、こちらはその辺り上手に取り仕切っていると見える。
「しかしお前いつまで元気なんだ……? 元気なのは別にいいとしても、あまり目立つ行為はするなよ」
「分かってますよーレーデさん。それよりお腹、減りましたね!」
「俺は減っていない」
「ええ!? 美味しい匂いしますよ?」
「しないな」
ラディアン達家族に村長と、関わった面々に挨拶を交わしてダライト村から出、このレッドポートまで歩く間のこと。
リーゼはずっとご機嫌な様子だった。
無論要因は分かっている。しかしこうなると誰が予想できようか。
俺が眉間を揉んでいる間も、リーゼは辺りをちらちらと眺めて出店に並ぶ商品を見ては目を輝かせ、また別の出店を見ては目を輝かせ、と相変わらず食い意地が張っている。
俺は今朝リーゼとした会話を思い出しながら、静かに嘆息した。
「――俺がこの世界の人間ではないと言ったとして、リーゼ。お前はどう思う?」
そう言うとリーゼはぽかんと口を開け、赤桃色の髪を揺らして首を傾げた。
「……えっと、どういうことですか?」
「……」
率直でよろしい。寝起きのリーゼに話す内容にしてはどうやら難解であったようだ。間抜け面で固まるリーゼにもう一度、今度は分かり易く問うてやることにした。
「俺が他の星からやって来たと言ったらどうする、と聞いたんだ」
「他の星って、あの、夜に空で光ってる星のことですよね?」
「そうだが……?」
「もうレーデさんいくらなんでも私を馬鹿にし過ぎですよー! あんな小さいところにレーデさんが住めるわけないじゃないですか!」
「……は?」
俺は絶句した。
この世界では単に天上が未知の存在なのかリーゼに学が無いのか知らないが、俺は後者だと思う。
「あのな――」
お陰で俺は星というものがどういった存在であるのかの説明をする羽目になり、長ったらしい解説の後にようやくリーゼも理解した。
俺も天体に詳しいつもりはないが「惑星、なるほどぉ……」と頷くリーゼにどこか白けてしまう。割と大事な話を切り出したつもりだったのだがな。
「じゃあ、じゃあその、この星も遠くから見たら光ってる粒みたいに見えるんですか?」
「惑星は光らんと言ったろう」
そしてどうしてか勉強熱心なリーゼの質問は違う方向へと突っ走っていき、話が逸れること十数分。
一瞬自分でも何を言おうとしたか忘れそうになり、話題を強制的に戻した。
「つまり俺はこの世界で生まれ育った人間ではない、ということだが。理解したか?」
「あれ、たとえって言っていませんでしたっけ?」
どうでもいいことだけは覚えてくれやがる脳味噌だがな、俺は遠回しに聞くのを止めにしただけだ。
「例えの話はしたが、それは事実だ。後、お前も気付いているだろうからこの際言うが、俺は教会など知らん。お前を都合良く操れるようにとそう名乗っただけで、お前が勇者だということや教会の存在はそこで初めて知った。その辺は少し済まないな」
「あー……なるほどー……そういう話でしたか」
やはりというか、リーゼは特に驚いたりする様子もなかった。逆に安心したように頷き、それからじっとりとした目付きで俺を見つめてくる。
「なんでその話をしようと思ったんですか? レーデさんは」
「少し考え直した結果だ。サーリャにも言われたしな、その方が都合がいいと思っただけだ」
これからの展開を考えるに、俺から伝えておける情報も円滑に渡せた方がいいからな。
それにイメージの悪い教会の肩書きを仮でも持ち続けていたところで、きっと意味を成すことはない。
むしろ逆効果だろう。
「へぇー……サーリャですかー……なんか私の知らないところでいっぱいお話してるんですねー……」
「何だ?」
「なんでもないです。そうですか、やっぱりそうですよね。レーデさん全然教会の人っぽくなかったんで、言われて納得です」
少し拗ねたようにそっぽを向くリーゼであったが、すぐ視線を俺に戻してそう返してきた。
「それについて何も思わないのか?」
「本当のことを話してくれて、私は嬉しいです。でもどうして教会を騙ろうと思ったんでしょう」
「その時はそうしておくのが良いと思っていたからな。お前との上下関係を作るために戦って見せたのは、その一環だ」
今となってはそれすら意味があるかも分からなかったが。
こいつの様子を見る限り、ないな。
「そんなことする必要なかったんですよ? だって私から買って欲しいって言ったんじゃないですか。レーデさんなら安心できそうって直感的に思いましたし」
「お前のその直感は一体どこから来るんだろうな」
「分からないですけど、でもレーデさんは優しいなって分かりました!」
とことん頭の痛い話だ。
俺はクソ真面目に発言しているリーゼに嘆息した。
「……まぁそうだが、俺はお前の素性を知らなかったんでな。お前が反逆できないようにするには無難な方法だった」
「えへへ……すみません。なんだか気を使わせてしまったみたいですね」
仮にも買われた側の人間ではない台詞を、リーゼは呟く。
「まぁともかく、話して支障が出ないと分かったからこうして話したわけだ」
「レーデさんが異世界人《丶丶丶丶》っていうのも、ですか」
異世界人ね。
中々それらしい解釈をしてくれたもんだ。
「そういうことになる。一応聞いておくが、信じられるか?」
「はい。確かにレーデさんって、異世界人ぽいですからね!」
何故お前にそんなこと言われなきゃならん。
確かに顔立ちや戦闘スタイルはこの地にないものだが、それだけで異世界から来たと判断されても困る。
理解したばかりの言葉を使うんじゃない。
俺はリーゼの発言をスルーして、さっさと用件を伝えることにした。
「それで、俺が現時点で成すべき目的は二つある。その内の一つに関連するものがアリュミエール魔法学校にあるかもしれないんでな、当座は入学する資金稼ぎのためレッドポートに向かう。いいな」
――回想を終えた俺は、あの話以降妙に上機嫌なままのリーゼにやれやれと首を振った。
そんなに俺が自分のことを話すのが嬉しいか。まだ大したことは教えていないんだがな。
「リーゼ、とりあえず飯を探すのは後にして今は宿探しだ。長期滞在することになりそうだから、できれば格安の宿がいい」
この辺りはサーリャから大変な資金を貰った以上、その通りにしたいと思っている。これで野宿とかしているのが露見してもどやされそうだ。
俺も金まで貰っておいて裏切る真似はしたくないからな。それにしっかりとした宿を取っておけば、今後動き易くもなるだろう。
そう悪いことばかりでもない。
「分かりました、そしたらご飯食べに行きましょう!」
「ああ、そうするか」
まぁ腹が減るのは分からんでもない。
料理の腕はどうあれ、焼き魚や磯の匂いは俺の鼻を少しくすぐっている。あまり期待はしないが、単純な料理であればそれなりの味は押さえているだろう。
俺はリーゼを引き連れ、町を散策がてら宿を見て回ることに。
その後。
適当に数時間掛けて町の隅々までの調査を終え、俺は一息吐く。
「こんなものか」
右手にはこの世界で製造不可能な技術を誇るペン。
左手には小さなノート。しかし限りなく丁寧な作りをしたそのノートは、この世界にあるどんな本よりも綺麗な代物であると言えよう。
どちらもこの世界の誰かに渡れば革命を起こさんばかりの技術の塊だ。
そんなものを俺が躊躇いもなく使用しているのは、今更というものだな。
「なんですかそれ?」
先日サーリャが紹介状を書いた際に使った一枚の紙と筆とは一線を画した代物を使っている俺に、リーゼは当然のように疑問を吐いていた。
最早何も隠す理由がない以上、別世界の文明の利器は使えるところで使わせて頂くことにしている。
何でも出来るようになるため己を進化させ続けた他の世界とは違って、誰でも簡単に扱うことのできるように発展し成長し続けたあの世界の科学とはとんでもないものである。
「文字を書く為の道具だよ。無論、俺しか持っている奴はいない。お前が気にしても無駄だ」
勿論、限りはあるが。
長持ちさせるよう持ち込んだのはシャープペンシルだが、どれだけ大切に扱っても芯が無くなれば終わりだ。残念ながら俺はここまで高度な技術が必要になる芯を一人で造る自信もなければ勉強もしていない。
はっきり言って、物にもよるが銃を一丁造るより複雑だ。当初はそれも疑問に思ったものだが、今となってはそれも詮無いこと。
無くなればその時点で終わりだが、別にそれでいい。
その頃には代用品を所持していることだろう。
俺はそのノートに、今日収集した限りで得た町の情報を書き続けていた。
そこには様々な情報を記しており、宿屋の位置取りや値段から各食料品店の食材、物価、詳細にまで至る情報を書き連ねている。滞在期間が長ければそれほど町を活用するということで、生活に関わりそうなものはメモを取っておいたのだ。
まず第一に安い宿と安い食材を提供してくれる店を確保しておかねばなるまい。これでも過去には金貨という大金を腐る程持ち合わせていた男の台詞かとは自分でも思うが、今はそうではないのだ。
早いところ金を掻き集めて海を渡り、目的地のある大陸に辿り着くためには節約が肝心。サーリャに持たされた金を使って先に渡ることも考えてはいたが、掛かる費用が渡航費だけでない以上焦りは禁物だ。それにそこまで急ぎ足になる必要はない。ここではじっくりと金を貯め、堅実に行動するのがベストである。
「俺の所持品などどうでもいい。リーゼ、比較的良い宿を発見したぞ。空いているかどうか確認し、無事に部屋を借りられれば飯だ」
「本当ですか!? 今すぐ行きましょう!」
本当に俺の所持品への疑問などすっかり忘れてしまったようで、リーゼは早くと言わんばかりに俺の言葉を待っている。
そうか、まだ場所も教えていないからな。
俺は食事にありつきたい一心で目を輝かせているリーゼにも分かるよう、目当ての宿を指差した。
「あれだな」
遠目から見ても分かるほど、その宿はボロボロだった。
「え……え? あれ、ですか」
「あれだ」
見間違いだと思ったか疑心気味に聞いて来るリーゼ。しかしそうではないと知って、微妙な顔付きになっていた。
俺はそんなリーゼの心情を察しはしたがその一切を行動で汲み取ってやることなく、宿のある方向へと歩を進めた。
「い、いらっしゃいませ……お二人様ですか」
宿の扉を開けた俺たちはぎこちない言葉に出迎えられ、ぎしりと軋む木製扉の音と共に中に入った。
「ほう」
どうやら外観ほど中は廃れていないらしい。
天上に吊された照明からはぼんやりと黄色い光が発されており、薄暗くはない程度に内部を照らしている。流石に清掃は行き届いているようで、綺麗なものだ。
所々床や壁に穴などの形跡が認められるが、しっかりと塞がれている。
簡素な受付に座るのは若い女性だった。椅子から立ち上がって俺達を見る眼差しには驚きと不安のようなものが入り混じり、客商売には慣れていなさそうだが……。
誰かの代わりに受付に座っているのだろうか?
別に構わないんだが、しっかりと案内してくれるんだろうな。
「二名だ、他に連れはいない。二人部屋を一つ、空いていないか?」
「は、はい。その、確認して参りますので、少々お待ち下さい」
「……? ああ」
奥から物音一つしないが、そんなに人が埋まっているのだろうか。全くそうは思えないのだが、受付の女性は頭を下げて廊下の奥へと駆けていってしまう。
ちょっと待て、どうしてわざわざ見に行く。帳簿とか入室表とかそういった紙とかに記録してないのか? 一々客の有無を自分の足で調べるほど業態がなっていないのか……それとも、やはりあの女性が誰かの代理でたまたま座らされているだけなのか。
少し心配だ。
だが、ここは一泊銅貨二枚という非常に有り難い値段の宿だ。他の宿は安くても銀貨一枚とそこそこ高く、気乗りがしなかったからな。
銅貨二枚で客足もなさそうだというのは地雷を踏んでしまった感はなくもないが、かといって別の宿を選ぶと毎日リーゼの一日分の給料とほぼ同じ金を取られ続けるわけで。
食事などの値段も計算に含めると、とてもではないが金を貯められるとは思えない。
いや、宿に仮住まいをして金を稼ごうという奴もいないか……。
「……あぁー? なんだぁお前ら」
宿に対しての不安を他の宿の値段と計って折り合いを付けていた俺は、廊下側から聞こえた野蛮な声に眉をひそめた。瞬時にそちらに目をやれば、女性が消えていった廊下から一人の男がこちらへ近寄ってくるではないか。
麻色の衣類に毛皮のベストを羽織った男だ。オールバックにした茶髪が特徴的で、無精髭が顎を中心に生えている。腰に差した剣は血の色の如き赤に染まっているが、元々そういった色なのだろう。
その男は奥二重の鋭い目付きで俺を睨むと、隣のリーゼへ視線をやる。
「宿泊客ってぇのはお前らか? へぇ旅の者か……なるほど、なるほど」
一つ一つ確かめるように頷いていった男は、ずかずかと受付の向こうへと潜り込んでいく。
……ん? この大柄な男はあの女性が呼んできたのか?
「おうおうよくこんなぼろっちぃ所に泊まりに来たなぁおい。さては安いって理由だけでここ来たろ。俺が誰だかも知らねぇな?」
「知らないが……受付に居るってことは、経営者ではあるみたいだな。それで先ほどの受付にも聞いたんだが、部屋は空いているか?」
「えぇ? ……はぁっはっはっは! 動揺もしねぇのかよ! 普通この顔と剣見たらもっと違う反応するもんだろおい。あぁ部屋は空いてるぜ、二人部屋だろ? というか誰も泊まっちゃいねぇさ」
では何故あの女性はわざわざこの男を呼んだんだ。
男は机の下から紙を引っ張り出して筆を取り、俺とリーゼをもう一度交互に見やる。
「いいだろう、その気概に免じて泊まってっていいぞ。何時にインしようがチェックアウトは太陽がてっぺん通りすぎた辺りだ。何日泊まるかも聞いてねぇが、金はその時間帯に払って貰うぜ」
「そうか。了解した」
一つ返事で頷くと、男は途中で筆を止めて「名前は?」と尋ねてくる。俺がリーゼの分まで答えてやれば、にやりと笑ってこう返してきた。
「そうかそうか――ちなみに俺は。レッドシックル副船長のガイラー・ストレイドだ。宜しくなお二人さん」
レッドシックル副船長――そんな肩書きを堂々と名乗った男は、俺達にも分かるようにでかでかと紙に二人分の名を記入して、
「逃げんじゃあねぇぜ? もう名前書いちまったからよ」
片眉をつり上げ、もう一度獰猛に笑ってみせたのだった。




