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トラベラーズ・レコード  作者: くるい
勇者を売った女
19/91

十八話 離別

 サーリャが事前に逃していた村人を連れてリオン村に帰ってくる頃には、日没に差し掛かろうとしていた。死傷者ゼロ、負傷者五名の内軽傷三名重傷二名といった被害に抑えたサーリャは、村の人々から感謝の嵐を受けていた。


 彼女の迅速な対応があってこその結果である。

 俺とリーゼはそれに関して大したことはしていないのだが、同じように感謝された。サーリャは村人からの好意のお礼は全て断っているようだったが、後でその理由を聞いてみると「貧困層から金巻き上げてどうすんのよ」ということだった。

 尤もである。確かになけなしのお礼金など貰ったところで大したものにはならない。そんな恩ならば後に取っておくに限る。


 俺とリーゼとサーリャがダライト村へ帰還したのは、完全に日が落ちてからのことだった。






 考えることは山積みだ。

 ラディアン家、俺とリーゼの二人で借りる部屋にて。

 椅子に腰掛けて本棚から数冊ほど書物を漁り、その内の一冊を読みながらも俺は思考に時間を費やしていた。


 今リーゼはこの部屋にはいない。自分でサーリャを捜したいと言ってここまで来たのだ、折角再会したのだから彼女の元にでもいるのだろう。

 ちなみに飛び出してしまったことの報告も含め、リオン村での出来事は村長に話してある。ラディアンにも説明はしてあるため、差し当たってやることはない。


 棚に置いてある本の種類は物語を描いている読み物が多く、資料や辞典などの直接に役立つ類は少ししかなかった。とはいえ物語も全くの無駄ではない。

 こうした本がちゃんと存在し家庭にも置いてあるので識字率はそう悪くないと思うのだが、どうしてこうも治安が悪いのだろうか。

 こんな時、数百年前から近年にかけての歴史書が都合よくあればいいんだがな。


「……どうするかな」


 その内の二冊程度を読み、粗方読み終えた辺りで俺はごちる。

 今日も疲労が重なったお陰で瞼が重い。

 まだ慣れ切っていない文字だらけの本を読んだのも原因の一つだが、一番は考えるまでもないだろう。


 色々と思わせぶりな台詞を放って消えた、魔物によるものだ。いや俺としてはあんなのはどうだっていい。

 リーゼ達からすれば大問題だろうが、俺はそうなったかもしれない原因を既に見つけてしまっているのだ。


 ――つまりは。

 懐から忌々しげに取り出した白の羽根は、手の内で神々しく白銀に輝いている。


 こいつは俺が“世界を移動している一番の要因”であり、災厄の一つだった。


 何故なら。

 俺は、こいつから逃げ続けているのだから。


 前の世界ではこいつが現れる要素もなければ俺や周囲に介入してくる気配は欠片もなかった。

 その代わりに俺の成すべきことも絶対に成し得ない世界だったのだが、こいつは俺のことを見失ったと思っていたのだ。


 追跡を諦めてくれるのが一番なのだが、こいつの性格上そうはいかないだろう。前回の世界には介入の余地が存在せず、侵入できなかっただけの可能性が高い――。


「まだ逃げられるほど、条件は整っていないが……」


 今は何よりあの魔物の言動が気に掛かる。

 それは間違っても放置していいものではないし、この世界で俺の望む答えが埋まっている可能性は、まだあるのだから。


「あ、レーデさん。部屋にいたんですね」


 扉の開く音と共に中に入ってきたリーゼが声を掛けてきた。

 俺は静かに羽根を懐に戻す。


「俺を捜してたのか? 何か用でもあるのか」

「はい、サーリャを見送りに行きましょうって言いに」

「見送り?」


 いきなり何を言い出すかと思えば。


「ちょっと用があるらしくて、また出掛けちゃうみたいなんですよ」

「サーリャはお前の旅仲間じゃなかったのか? 何も言わなくても付いてくるもんだとばかり思っていたがな」


 元はと言えば、リーゼと一緒に旅をしていたのは俺ではなくサーリャなのだ。かといってリーゼ連れて消えられても俺が困るため、サーリャが旅に加わる前提で今後の予定を考えていたのだが。


「まさか今から出発するのか? 夜だぞ」

「みたいです。私も明日でいいんじゃないかって思うんですけど、どうしてももう出ちゃうらしくて……」

「そうか。サーリャにはまだ一つ聞いていないことがあったからな、ついでに行くとしよう」


 机に積み重なった数冊の本を棚に入れ直し、上着を引っ掴む。


「また私を除け者にしないですよね!?」

「しないから安心しろ」


 涙目で訴えてくるリーゼの肩に手を置くと、「よかったです」と呟いて彼女は身を反転させた。


 サーリャの話がどこまで本当なのかは分からない。

 しかしあの話に嘘を吐く理由もなく、リーゼの過去は大方サーリャの話通りと考えていいのだろう。

 すると。この笑顔も、調子も、全てが俺にはどこか造り物に見えてしまう。多分それは、先入観なのだろうが。


「まぁ……そうだな。魔法について少し聞くだけだよ」


 掴んだ上着を羽織りつつ、俺はリーゼの後ろ姿をぼんやりと眺めていた。






「やっと戻ってきたわね……」


 サーリャは、村の前に立てられている看板に背中を預けて待っていた。どことなくうんざりした様子だったが、サーリャを目にするとひらひら力無さげに手を振ってくる。


「どうして見送りにわざわざそいつ呼んでくるのよ、なんも聞かずに呼び行っちゃうんだから……ったく」


 昼間見たような真っ赤なローブを羽織り、旅に出るとは思えない手軽な荷物を肩に掛けているだけだ。魔法使いだとその程度で十分なのだろうか。考えてみれば大概のことは魔法でどうにでもなるので、あながちその予想も間違っていないのかもしれない。


「こんな時間からどこに出掛けるんだ?」

「私も私で忙しいっていうか……あんたにゃ関係ないわよ」

「ああ、関係ないな」

「まぁ丁度良いか。リーゼに渡そうと思ってはいたけど、別にあんたでもいいわよ。どうせ使うのはあんたでしょ」


 言うなりローブの内側に手を突っ込み、中から袋を取って俺に投げて付けてきた。ほぼ直線的に向かってきた袋は俺の腹部に直撃したが、羽織っていた上着の前を締めていたので直撃の痛みはない。

 地面に落ちる前に受け取ると、サーリャは「これで返せるとは思わないけど」と呟いて、看板から背中を離す。


「金よ。それでしばらくは生活できるんだから、ちゃんと町では宿取りなさいよ。リーゼから聞いたけど、小屋に泊まったり野宿したり奴隷商追い出した孤児院で泊まったりじゃ、ちょっと可哀想」

「余計な世話だがありがたく……おいお前」

「金貨五枚。リーゼ買った時の代金に比べればはした金でしょ、そんなの」

「……金貨だぞ?」

「身の回りとか貴重品全部売っ払ったり色々工面して、それ。いや全部あんたに渡したわけじゃないけど、こんなんじゃリーゼを直接買い戻したり村を助けられたりなんかしないわ」

「いいのか? 貰っても」

「よくなかったら渡してないわよ」


 五枚。確かに俺が元々所持していた金額から見れば少額であろう。だがそれはあくまでもリーゼを購入した値段と比べて、の話。

 大金を平然と投げつけてきたサーリャは、申し訳なさそうに顔を俯かせる。


「それだけのことをあんたはやった。あまり言いたかないけど、別の人に買われるよりあんたが買った方がマシだったんじゃないかしら」

「そいつはどうだか分からんが」

「とにかく渡したわよ。見送りはもういいから、リーゼも元気でやるのよ。私は別にその男は信頼とかしてないけど、あんたがそれでいいなら言うことはないわ」

「サーリャ、ほんとに行くの?」


 リーゼが名残惜しむように引き留める。


「うん。私にしかできないことだから。ああリーゼ、そこの男に変なことされたら躊躇なく八つ裂きにしていいからね」

「レーデさんはそんなことしませんよ」

「……っ……そ、そうね。分かったわ」

「お前、今何考えた」


 レーデという名に言葉を詰まらせたサーリャだったが、先ほどの申し訳のなさそうな顔はどこに行ったのか、憎たらしく片眉をつり上げて俺を睨んできた。


「あんたがリーゼにやらしいことしないかってことに決まってんでしょうがぁ?」

「やっやらし……っ!?」

「俺がそんな歳に見えるか」

「見えるわね、奴隷市場の肥えた中年の豚共は変態趣味が多いって聞くわよ?」

「レ、レーデさんそうなんですか?」

「……そんなわけがないだろう」


 俺は鼻白む。

 首裏を掻いて、何故かしてやったような顔のサーリャに一つ、尋ねることにした。


「俺は中年に見えるか?」

「ハァ聞くとこそこなわけ? さては年齢気にしてるわけね? 気にしてるんでしょ」

「別にそういうつもりで聞いたわけじゃないんだがな」

「分かった分かった。そうねぇ、顔がやつれてるから老けて見えるけど、別に中年には見えないわよ、変なこと言って悪かったわね」


 そうか。俺はそんな風に見えるのか。

 まるで、昔と変わっちゃいないな。


 サーリャは若干バツの悪そうにし、素直に謝ってくる。

 別に謝罪が欲しくて今の質問をしたつもりは欠片もないんだけどな。


「じゃあ私はそろそろ行くわよ」

「待て」

「何よ? あんたも私を引き留めるっていうの?」


 お前を引き留めるためだけに呼び掛けるか、と言おうとしたが、話が変に逸れても困るので喉元手前で軽口を飲み込んだ。


「いいや。もう一つ質問させてくれ」

「はぁ……何よ、手短にお願いするわ。私ここでどんだけ立ってるか分かる? そろそろ行きたいのよ」


 うんざりした様子からして、ここでリーゼと長話でもしていたのだろう。何回も旅へ発とうとするのを止められたに違いない。さっさと行きたいのなら、リーゼが俺を読んで来る間に行ってしまえばよかったものを。


「生憎と俺は魔法に疎くてな。魔法の種類に、呪術のようなものはあるか?」

「呪術……? なんでそんなのが知りたいの? 呪縛魔法ってのがあるにはあるけど」

「どういう魔法だ?」


 詳細を聞くと、サーリャは難しそうに唸る。


「色々あるわよ。自分に制約を掛けて、その代わりに強大な力を手にするだとか。他人を拘束するだとか。もっとも危険なのが、対象に直接的な呪いを与える魔法だけど……何がしたいわけ?」

「いいや。あるのか、と思ってな」

「言っておくけど、契約出来ないからってそんな魔法リーゼに付与したらあんた殺すからね」

「するわけないだろ」


 なるほど、呪いがあることが分かった。

 中身を聞いてみると主従契約に似通った部分があるな。それよりも性質が悪い魔法、と考えればいいのか。


「それで全部か? できれば関連する魔法も教えてくれると助かるが」

「……あのさ、さっき私は手短にって言わなかった? あぁもうちょっと待っててよ……仕方ないわね」


 いい加減苛々してきた様子のサーリャだったが、重たい息を吐いた後に鞄から何かを取り出した。

 筆と紙……? そこに書き出す気か? 口頭で伝える方がよっぽど早いと思うのだが。


 そんなことを思っていると、サーリャは手も使わず空中に紙を広げ、同じく手を使わずに筆を操り黒インクに浸す。

 文字を記すのにも何らかの魔法を使用したのか、高速で動いだ筆が広げられた紙に文字を記していった。


 それを折り畳み、サーリャは紙を俺に押し付けてくる。


「はいこれ。アリュミエール魔法学校への紹介状よ」

「アリュミ……何?」

「アリュミエール魔法学校よ。魔法のこと知りたいならそこ行けば? 私だって呪縛魔法の専門的な知識は知らないんだから、そこで学びなさいよ。私はそこに在籍してた身だし、これ渡せばどうにかなるわよ」


 渡すなりさっさと筆を綺麗にしインクと共に鞄に入れ、サーリャはこう続けた。


「この先のレッドポートから出航する船で行けるわ。ここから北大陸に渡ることになるけど、行くなら勿論金は掛かるわよ。そう高くないけど、一人金貨一枚。で渡ったら大陸の中央付近の都市にあるから。都市の名前もアリュミエール。あっちは唯一の魔法先進国で専門的な魔法は基本的に公開されないから、誰かの紹介がないと入れないわ。だからそれ無くすんじゃないわよ」


 受け取った紹介状を指差し、サーリャは「いい?」と念押ししてきた。

 どうやら無くして誰かに拾われて悪用された場合、自分が困るそうなのだ。自筆で書いたものだから当然だろうが、よくそんなものを信頼のない俺に渡したな。


「ああ……感謝する。だが入学に年齢は関係ないのか?」

「別にないわよ。でもそもそもあんた魔法使えそうにないんだけど、どうして知りたいわけ?」

「お、おいお前」


 俺とサーリャの会話に聞き入っているリーゼを一瞥しつつ、サーリャの言葉を遮ろうとする。が、そんなことはお見通しだったのか、サーリャはふんと鼻で笑った。


「隠してどうすんのよ。リーゼはこいつが魔法使えないって知ってるわよね?」

「え……レーデさん、もしかして隠してたんですか? これだけ一緒にいれば私も流石に分かりますけど……気付かない方が、その、良かったんでしょうか?」

「そうか……」


 俺は口を半開きにしたまま閉口してしまった。

 そこまであっさり言われると、なんだかどうでもよくなってくる。


「いや、知ってたならいい。いつからだ?」

「えーっと、強化魔法とかも使わないので……おかしいとは思っていました。手加減とかしているのかなって思ってましたけど、魔物と戦う時も使わないんですもん、レーデさん」

「……なるほどな」


 まぁ、別に知られても今更困るものでもないか。サーリャがばらしたのは置いといて、どっちみち知られていたわけだ。隠し通すのも馬鹿らしい。


「まぁともかく。私の紹介でも学費は免除されないから、行くなら私の渡した金貨じゃなくて自分で働いて入りなさいよね。それは生活費のためだから」

「言われなくてもそうする」


 折角生活が安定しそうなのに、学費や渡航に使うものか。


 俺は有り難く紹介状を懐に入れ、流石にこれ以上会話をするのも悪いと感じてサーリャを送り出すことにした。


「じゃ、行くわ。どっかで出会ったら、まぁその時はよろしく」

「ああ、色々と感謝する。最初会った時は全く信用せずに悪かったな」

「お互い様よ。それじゃリーゼ、またね。旅は……ごめんね。しばらくはその変態に生活担当頑張って貰って」

「おい」

「うん。サーリャ、あんまり無理はしないでね。それと……」

「分かってるわよ。じゃ」


 放置させておけばまた延々と引き留めそうなリーゼと違い、サーリャの方はあっさりとしたものだ。

 別段リーゼとの別れを名残惜しむ素振りも見せず、背中を向け暗闇へ遠ざかっていく。


 しばらくこちらに向けて後ろ姿のまま手をひらひらと振っていたが、次第にそれもなくなり。

 サーリャは宵の闇へと完全に消えていった。


 向こうはゴルダン渓谷がある場所だが、何の用で向かうのだろうか。


 そこまで聞こうとは思わなかったが、少しばかり気にはなった。


「リーゼ、そろそろ寝」

「うう、ザーリャ……行っぢゃっだー……」


 何故かリーゼは泣いていた。

 別に永久の別れでもないだろうに。まぁサーリャとの温度差は少しばかり激しいと俺も思うが。


「行くぞ」


 俺はリーゼの肩を叩いて我に返らせ、ラディアンの家へと戻るのだった。






 疲れが取れずに身体が重く感じること以外には、今朝は異常などなかったように思う。


 サーリャと別れた次の朝だ。

 俺は早くから起き上がり、目元を赤くしているリーゼの寝顔を一瞥して立ち上がった。


 日々の疲れが少しずつ溜まってきているのか、多少寝た程度ではその疲労が拭い切れないのか、未だに気怠さが残っている。

 伸びをしてその気怠さを払い、俺も旅支度の為に部屋に散らばる私物を整理することにした。持ち込んだ衣類の一部は洗濯して貰っているのもあるため後で回収しに行かねばならないが、別に手間というほどでもない。


「……さて、どうするか」


 一通り荷を確認した後再びリーゼに目をやると、彼女は幸せそうな顔で眠りこけていた。涎が垂れているほどの爆睡である。


 そんな間抜けな姿をしている少女。

 奴隷市場で購入した、女勇者。


 無論俺が奴隷を購入した理由は、こいつが俺の代わりに働く戦力となることであった。

 あの町を拠点としていた俺はこの世界の知識も今ほど持ってはおらず、勇者といった存在すらもそこで初めて知った俺は――猿ぐつわを噛ませられて大人しくしている少女の、隠された強大な力に戦慄したものだった。


 俺の目的にリーゼが正しく合致したとは思わない。が、結果的に様々な有益な情報をもたらし、俺の身を確実に守ってきたのがリーゼであるのは確かだ。

 まぁ、その分災いを持ち込むのもリーゼなわけだが……俺がもしも単体で化け物クラスの魔物と対峙した時、生きていられるかといえば――そうではなかっただろう。

 俺だけでは勇者の存在を知ることもなく、魔物について知識を深めるまでもなく、ゴルダン渓谷の魔物に殺されていた可能性は否めない。


「いや、そもそも俺を最初に求めてきたのはこいつから、だったな……」


 私を買って下さいなどと、今にして思えば売春婦に迫られたような複雑な思いしか込み上げないが――この涎を垂らした間抜け面の性格や事情を知った今、こいつも俺を選んだ理由が必ずあったのだと思う。


 ラーグレス・レーデ。

 結果的に俺が家名を除いて語ることとなったその名前は、元々はリーゼの兄に持たされた名前であった。リーゼから俺にその名前を提案したのに、何かしらの意味もないとは思わない。


「……っは……ん! あれ、あれ……? おはようございます……」


 その瞳が開かれ、がばりとリーゼは身を起こした。何の夢を見ていたか、何度も瞬きをして辺りに目をやり、そこで俺と目が合って数秒の後、挨拶をしてくる。


「ああ、おはよう。リーゼ」


 そうとだけ返し、俺は未だ寝ぼけているであろうリーゼを見続ける。


 ――俺がレーデに似ていた?

 いいや、サーリャの話を聞く限り、俺が本物のレーデに似ている点などどこにもないだろう。だが、それはいい。


 確かに目の前のリーゼは、俺に信頼を寄せていた。

 今までは信頼というより俺がリーゼの目的に連れ添う形だったからこそ全く意見をせずに付いてきたものとばかり思っていたが、今回の件でそうでないことは理解した。


 普通は長年旅を共にしたサーリャが現れたら、サーリャの元へ行くのが当然。しかしリーゼはそれすらしなかった。そんな素振りも見せなかった。

 サーリャに会うのが目的だったリーゼが、サーリャに付いて行かずに俺の元に残り続ける理由がどこにある。


 俺がリーゼに見せつけた力など、些細なものだろう。リーゼが本気を出せば、俺など軽く追い払える力があるはずだ。尤も、リーゼは俺相手に纏虹神剣てんこうじんけんはおろか、虹色の剣すら出さないだろうが……それでもだ。

 本当にリーゼが付いていきたいと思っていたなら、形だけの主である俺が全力でリーゼを抑え付けようとしたって振り払うだけの力がある、ということだ。


「な、なんですか、あの……レーデさん? ……私の顔、何か付いてます?」


 いつまでも俺が視線を外さないことに奇妙なものでも感じ取ったのか、リーゼは首を傾げながら自分を指差した。


 何故俺が自分のことを話さないかと言えば、秘密にしなければならないことだから、では全くない。誰かを俺の事情に巻き込みたくない、ということでもない。

 話して信じる要素が欠片もないからだ。


 如何に俺が本当のことを話したところで、夢物語や世迷い言が過ぎるだけ。誰も俺の言葉など信じず、理解を示さない。

 当然だ。


 俺が今まで住んできた世界にどれだけ異質な異能があろうと、文明が栄えていようとも、神が実際に存在していても、魔法にも勝る科学が発達している世界でも。

 俺の知る“転移”など、知っている者はどこにもいない。その世界は必ずその世界で独立していた。それはこの世界とて、違わず同じだ。


 つまり、俺の常識は誰にも通用しない。言語が違えば意志疎通が叶わないのと一緒で、誰も俺の言葉に耳を傾けることができないだけなのだ。


 しかし、こいつなら。


「リーゼ」


 サーリャの言ったことは本当だろう。リーゼは俺の言ったことは信じる。それが嘘であろうとも、嘘だと知っていても信じているだなんてことは。


「はい? 何でしょう」


 俺の呼び掛けが神妙なものであったからか、リーゼは居住まいを正して俺の目と目を合わせてきた。


 リーゼは、無条件にこちらへ歩み寄ってくる唯一の存在だ。それは勇者だからなのか、リーゼという少女の本来の性質なのかは分からない。

 ただ俺は。


 奴隷市場で買っただけの少女――彼女だけは俺の言葉を真正面から信じてくれると、半ば確信めいたものを感じつつ。

 こう切り出すのだった。


「もしもの話をしよう――もしも、俺がこの世界の人間ではないと言ったとして、リーゼ。お前はどう思う?」






 ◇






 時系列は少し前に遡る。

 漆黒に染まる星空の下。僅かに照らし出される城のバルコニーへと、舞い降りる影があった。


「只今帰還した――ギルディアは居るのか」


 発される重々しい声。その背から伸びる黒い翼。夜空と同じ漆黒の飛膜が折り畳まれ、額に二本角を生やした男は城の床へと足を着けると、奥へと歩き眼前の暗闇へそう放った。


「おーお帰りー、アウラー。ルディアちゃん捜してるのー?」


 闇の中から飛び出てきたのは、荘厳な城に全く似付かわしくない鈴の音のように透き通る女の声。

 その女にアウラと呼ばれた黒い翼の男は、少々苦い顔をしつつも受け答えをする。


「我はアウラでなく、アウラベッドという名がある。妙に略さず、呼んで欲しいのだが」

「そう? でもアウラの方が可愛くない?」

「可愛いという問題ではなく……誰であろうと自分の名を身勝手に変えられて良い気分にはなるまい」


 自らのことをアウラベッドと呼称した男。

 その前まで近付き、ようやく女の容貌がうっすらと浮かび上がった。


 銀一色に輝く細く艶やかな髪。留められた髪飾りで右側に流された前髪のすぐ下、白磁のような肌から覗かせる整った眉と瞳は髪色と同じ白銀に染まっている。

 その色に合わせているのか、纏う衣類も純白で揃えられていた。だが清廉さを思わせるはずの衣類の露出度は高く、半透明のレースで身体を覆っているが説明するまでもなく透けている。

 お陰で最低限大事な箇所を隠す下着が丸見えになっていて、アウラベッドが若干視線のやり場に困っていることに彼女はまるで気付かない。


「ルディアは気に入ってた気がするんだけどなーぁ」


 彼女の瞼が半分ほど閉じられ、妖艶な色気を帯びる桃色の唇が不機嫌そうにすぼめられた。


「貴女は適当な名を授けらても、嫌ではないというのか」

「私は適当に決めてないですよーだ。でも、別に名前なんてどうだっていいとは思わない?」

「……聞き捨てならないな。その言葉は――」


 女の言葉に男は眉をひそめたが、次なる女の突飛な行動によって続きを紡ぐことは叶わなかった。


「どーだっていいよ?」


 銀の髪が左右に舞い、その女の細腕が男に抱き付いていた。男を見上げる女の顔は妖しく輝き、押しつけられる柔い胸の感触が先程の続きを忘れさせてしまう。


「ながーくながーく生きていると、名前は意味を成さなくなるの。だってその名を覚えていられる生物なんて、自分以外にいなくなっちゃうんだから」

「……永く、とは」


 それはもう永久に悠久の時間だよ。そう返して抱き付いていた腕を背中から放し、放心するアウラベッドの両頬に添える。


「例えばアウラが五万年生きているのだとしたら、私はその五万倍は生きている。その間に色々経験して、たーくさん思い出を作った。その中で私が私でいられたのは、たったの数十年だったよ? アウラも私と一緒に居たら、すぐ気付くよ。だから大丈夫、なんにも心配しなくていいよ」

「我には理解出来ぬ話だな……」


 最初は名前の話をしていたはずだとアウラベッドは苦笑するが、いつの間にか怒りは退いていた。すっかりと収まった感情と共に彼女は頬から手を離し、こう言う。


「ねぇアウラ、私の名前を呼んで?」

「……その意味は」


 いつの間にかアウラと呼ばれて抵抗していない自分に気付きながら、アウラベッドはその訳を問う。

 しかし、返答などはやはり返ってはこなかった。


「いいから、いいじゃない。名前くらい呼んでくれたって、けち」

「――イデア」


 イデア。

 そう呼ばれて満足し切った様子の彼女は、微笑んだ。


「ルディアはさっき、ゴルダン渓谷の方へ行ってくるって出ていったよ」

「渓谷、何故に」

「ほら、例のアレ。一応壊しておくんでしょう?」

「あぁ……失念していた。済まない、我の失態でもある」

「んーん。気にしないで」


 城のバルコニーへと出て、彼女は柵に手を掛け夜空を見上げる。


「イデアに連れ従う大切な皆。私の理想の為に死んでくれる皆。どこまでも付いてきてくれる皆なんだから、その程度。どうだっていいよ。そうだアウラ、収穫はあった?」

「……――我の報告をし忘れていたか。イデア、貴女の捜し求めていたモノが見つかったかもしれない」


 アウラベッドはその鋭い目付きをイデアの背にやりながら、そんな報告をする。


「……ほー。期待しちゃうよ、アウラ」


 イデアは夜空に輝く星々を見つめたまま、そう呟いた。

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