十六話 漆黒と白銀の調べ
火魔法である《ファイアーバード》を大量に飛ばし、俺が仕方なくサーリャの後をついて歩いてからそれほど時間の経過しない内、サーリャはリーゼの居場所を捕捉した。
「なんでこんなところにいるのよ……?」
同系等の魔法か、火で形造られた目玉を空に飛ばして探査していたサーリャは顔をしかめる。
俺としては悪趣味な火の目玉が気に掛かって仕方ないのだが、言及する必要もないので無言で歩いている。
リーゼから聞かされていたサーリャの印象と実物の印象が違い過ぎて困ったものだ。
生活全般を担当し、裏方作業をこなす人物と聞く限りではもう物静かな人物なのかと思ったが、どうやら見当が外れてしまったようだ。
現実のサーリャは空想上のそんな人物ではなく、歳相応に未熟で感情的などこにでもいる子供であった。
火魔法の腕は確かなものだと言えるが、それ以外が良く説明したところで個性的の一言に尽きる。
怒りの沸点が低く、そもそも暴力的な態度が目立つ。リーゼよりも扱いが面倒そうだ。
扱う必要もないのだが、事ここに至ってはこいつと対応しなければならないのは俺だけなのだからな。
あまり余計な言葉を挟んで機嫌を害し、牙を剥かれても困る。
まぁ俺への対応の悪さに関しては「リーゼを購入した」と素直に告げてしまったのが理由にありそうなので、反省点もあるが。
「今、リーゼがどこにいるか分かる……? あんたが通ってきた山林、そこの端よ。通って来たなら気付かなかったわけ?」
「……山林だと?」
空中に浮かんでいる目玉が捕捉したってんなら事実リーゼはそこにいるのだろうが、何故道を戻っている?
いや、戻っている以前に、それでは道すら逸れていることになる。
「全く気付かなかったが……道中に魔物の死体が転がっていたから一度は村まで来ているはずだ。リーゼも村に到着したところまでは連絡を取り合っている。少なくとも俺が山林から抜けるまでの時間でリーゼはこっちに来ちゃいない」
「ちょっと待ちなさい、連絡を取った? どうやって」
俺に平手を押しつけて更に表情を厳しくしたサーリャは、様々な思考を巡らせながらこちらを眺めてくる。俺のことを訝しんでいる様子がありありと窺えるが、俺は敵じゃないぞ。
こいつからしてみれば奴隷市場に売られていたリーゼを購入した不審者といった負のイメージしかないんだろうが――。
そう言えばテレパスの説明をしていなかったか、それでは説明不足だったな。
俺は魔石を取り出し、サーリャに見せてこう付け足した。
「リーゼと連絡を取っていたのはこの魔石だ。知ってるかどうか」
「知ってるわよ、テレパスでしょ。よくあんたこんな旧時代な代物使ってるわね。稀少だけど、そんな物収集家以外欲しないわよ」
「……そ、そうか」
サーリャがあまりに突っ込んだ姿勢で話してくるため、思わずたじろいだ俺は弱々しく頷くしかできなかった。
旧時代とかは知らないが、この世界の人間が断言するなら俺よりも正しいのだろう。だが便利な物は便利である。
「で、その魔石はリーゼと繋いであるんでしょ? なんで使わないの」
まるで咎めるように言ってくる彼女に更に説明をしてやると、やっぱりかという溜め息と共に鼻で笑ってきた。
「あのね……それは何の異常でもないわ、ただの魔力切れよ? 魔石が無限に使えると勘違いしているのか知らないけど、定期的に魔力を補充してあげないと限界が来て使えなくなるわ。あんたのそれはただの魔力切れによる強制遮断よ」
「……は?」
「さっきから思ってたけど、あんた魔力ないでしょ。ま、魔石使ってるし何となく分かっちゃいたけど。貸しなさい」
貸せと言う割に無理矢理魔石をひったくり、サーリャは憤慨しながら魔石を手元で転がす。
「へぇ、なるほど、属性は雷か」
何か独り言を呟き、サーリャは何でもないことのように魔石に光を灯した。電流のように放射される力が魔石に流れ込むと、テレパスの魔石はぼんやりとした光を取り戻す。
「これで早く連絡取りなさい。リーゼは何か変なのと対峙しているみたいだけど、戦ってはいないわ。状況聞いて、対処しましょう」
「……ああ、感謝する」
この一瞬でサーリャに魔力が存在しないことがバレたが、相手が魔法使いじゃそんなものなのか?
こんな調子ならば、言っていないがリーゼも気付いているのだろうか。意味深な発言も俺に残しているし、その可能性も否めない。
まさか、魔石にも電池切れがあるとはな。無限に使えると思ったわけではないが、サーリャが雷に変化させた魔力を流しこんだのを見るに原理は電化製品と一緒か……。
稀少といった理由で情報が集まらなかったとはいえ、購入した俺が間抜けのようだ。
時間が経つにつれ落ち着き、幾分冷静になってきたサーリャに一向頭の上がらないまま、俺はテレパスを起動した。
するとすぐにリーゼからの思念が脳内に送り込まれてくる。
(……レーデさんっ! どうして途中で切っちゃったんですか!?)
(すまん、色々あってな)
ただの魔力切れという俺の知識不足による失態だったため、どう説明するもないのだが。
(今、レーデさんどうしてます?)
(サーリャと合流した、今は山林手前まで来ている)
サーリャの方を見ながら言うとじろりと見返してきたため、何事もなかったかのように別の方角へと視線を逃がす。
(えっ……レーデさん、サーリャと一緒に村まで戻っていて下さい)
(何故だ?)
「なにしてるのよ、話は終わった?」
「いやまだだ、何故かリーゼが村に戻れと言ってる」
会話途中に口を挟んできた彼女にそう言えば、最初から答えを分かっていたのかこう返してきた。
「……ああ、そう。リーゼはね、私達を過剰に心配するのよ。いつものことよ、だから村に帰ると約束をした上で、状況を聞かせなさい」
「そりゃ一理ある……分かった」
腐っても長年の連れか、リーゼのことを理解している。
サーリャは炎の目玉から得た情報を元に、リーゼに話し掛ける前に遠くからの状態を教えてくれた。
「リーゼは人型の魔物と対話して……え、人型? なによそれ……会話、言葉を喋る? ちょっと待ってあんた、早くリーゼに聞いて」
それでもって勝手に焦り出したサーリャから意識を離し、思念をリーゼに送った。
ある程度知った体で話せば、教えてくれるか。
(リーゼ、今人型の魔物と話してるな? 何を話しているんだ)
(……っなんでそれを、もしかして近くにいるんですか?)
(ああ、居る。事と場合によっては加勢するぞ)
悪趣味な目玉が遠距離から視認しているだけだがな。
(駄目です――早く、逃げて下さい。この魔物は今日や昨日の魔物とは格が違います、いくらレーデさんでも、サーリャでも敵いません! 後は私がなんとかしますから)
電子の切断音のような亀裂が、ぶちりと脳に走る。
――途端。リーゼに、連絡がつかなくなった。向こうから拒否したってのか?
あのリーゼがそこまでする相手、とは――。
「おい、サーリャ」
「……何気安く名前で呼んでんのよ、許した覚えはないわ」
「そんなことはどうでもいい」
リーゼに言われた言葉を流すように彼女に伝えると、彼女はそれまでの苛立たしげな表情を収め、ゆっくりと目を閉じた。
次に開いた目が静謐かつ怜悧な気配を放っていたのを、俺は見逃さない。
確かにその瞬間、サーリャの雰囲気は変貌していた。
子供臭かった様子から一変。大人びた表情を見せ、しかし寂しげに遠くを見つめている。
「……あの子、毎回こうだから」
小さくそうとだけ呟き、サーリャは突然俺の右腕を引っ張った。
「行くわよ。結局、あんたが何者か私は知らないけど……悪い奴じゃないんでしょ」
「……ふん。俺が悪い奴に見えるのか」
「ええ、とっても」
顔も見ずにそう言って、サーリャは右腕を掴んだまま先へと進む。俺は為す術もなく引っ張られて行くのだった。
「気配消して止まって」
村から少し歩き入った山林内部、正規の道から離れた獣道。草木を掻き分けて進んだ先、遠く離れた位置にてリーゼと、対峙する何者かが視界に映った。
その時点で空中を泳いでいた目玉を消失させ、サーリャは彼から見えない木々の裏側へと隠れて俺も引っ込めさせる。
戦闘は未だ始まっていない。
相手の口元が動いていることから、リーゼと会話を続けているのだろう。
リーゼは虹色の剣に雷を纏わせ警戒しているが、その“何者”腕を組んでいるだけに留まっている。戦闘体勢に入ろうという素振りは窺えない。
――完全に人の形を持ったそれ。
しかしその肌は今まで見た魔物と同じように黒く――背中から、同色の翼が生えていた。コウモリの如く骨ばった筋が通り、皮が肥大化したような膜が左右に広がっている。そして、額から二本の角が生えていた
。
道中で倒した魔物を人型にしたような――そんな姿だった。
「……っこの距離じゃ、何言ってるのか分かんないわね。でもこれ以上の接近は止めた方がいいわ、下手に見つかると膠着状態を壊しかねない。あんた、もう一度リーゼにテレパス使える?」
「“――加護を受けし人の子。我が目的はこの世にあらず、別の大地で繰り返す”。奴はそう言っているが」
俺はサーリャの質問には答えず、あの魔物が喋っていたであろう言葉を繰り返した。
「……何で分かるのよ?」
驚いたように聞き返してきたサーリャに口元を指差し、手短に説明する。
「読唇術だ。奴の口元の動きで何を喋っているかは推測が出来る。リーゼに関しちゃ俺達に背を向けてしまっているから分からないがな」
ちなみに、テレパスは今も使えそうにもない。リーゼが自らの意志で遮断してしまっているのだろう、魔石が輝いても一向に通信が繋がらないのだ。
それほど俺達を近付かせたくなかったのか。
残念だが、俺には具体的な魔物の強さが把握しかねる。リーゼもそうだったが、魔力が関わってくる場合俺の強さの計算は当てにはならない。
「へぇ……す、凄いじゃない」
「あの魔物、リーゼが倒せないほどの相手なのか?」
やたら素直に褒めてきたが、こんな技術を褒められても現状がどうなるわけでもなかった。
俺はサーリャに魔物の強さを聞きつつ、魔物が喋る内容を読み取っていく。
「そうね……アレ、凄い魔力の内包量よ。その気になれば周辺一帯を消し飛ばせる力は持っている。それに人の言葉を解する魔物なんて、今まで一度も見たことない――でも、リーゼが勝てない相手じゃないと思う」
そう評する辺り、やはりあの手のタイプは今回が初か。
最初に行ったテレパスで届いた言葉の中に、それを匂わせる単語も入っていたからな。
リーゼが取り乱す要素としては十分だ。
「それより、まだ何か言ってるわけ?」
「ああ。要約すりゃ『お前達が手出ししなければこちらも今後一切手は出さない、お前がここで退くならこちらも退こう』と言っている」
「……はぁ? 先に村攻撃してきたのあっちでしょ? ふざけないでよ!」
「声のトーンを下げろ、お前が気付かれたくないと言ったんだろ」
だが、サーリャの言うことは正しい。
魔物側から村を襲っておいて手出しはしないとは、矛盾が過ぎる。
それと、奴は不可解なことを言っていた。対面しているリーゼには理解できないであろう、とある台詞。
「別の大地で繰り返す……そのようなことを言っていたな」
別の大地とは、この大陸ではないどこかを指して言っているのか? いいや、それでは意味がない。この世で殺戮を続ける限り、千の言葉を尽くしたとしてもリーゼは止まらない。
だが大地がこの世を指す台詞ではなく、別の世界のことを指すものだとしたら?
世界を転移出来る術を手に入れた――。
有り得ない。
転移の力など、存在していいものでなければ、自ら進んで修得できる能力ですらない。そもそもアレは、能力ですらない。よしんば世界間を転移出来たとしても――そこに、魔力という概念は使用不可能だ。
しかし必ずしも、転移も魔力もないとは断言できない。ただの遠距離移動といった代物であれば、一応は。
まぁ。仮に奴らの思惑が俺の予測で合っていたとして、俺には何の関係もないが。
――しかしそこで見逃すほど、俺は妄執のみに囚われてはいない。
「……ん?」
魔物がわざとらしく首を傾げ、リーゼが剣を構え直す仕草が見えた。
会話は終わり、か。
「どうやらここまでのようだな」
「ちょっと!」
一歩踏みだそうとした俺をサーリャが掴む。が、それを振り払って代わりに短く告げた。
「リーゼが魔物との交渉を断った。ならば待機する理由がない」
懐から取り出した銃を片手に飛び出す。俺はリーゼと魔物が交戦を開始した横から、強引に割り込んだ。
それは雷を纏う虹の刃が、魔物の爪と交差した時のことだった。
魔物もリーゼも俺の方へ意識を寄越し、リーゼが驚いた顔で叫ぶ。
それには構わず、俺は魔物に銃口の狙いを定めた。
「答えて貰おう。別の大地とやらは、何を意味する?」
「……ほう。いつから聞いていた? 人間」
聞こえてくる流暢な言葉は、この世界の人間が使用する言語としてなんら違和感の無いものだ。想像していたより人間味のある声を耳にし、俺は改めて魔物に尋ねる。
「ずっと聞いていたよ、魔物。そいつは此処とは別の大陸のことか?」
これは、質問すること自体に意味がある。
「質問の意図が図りかねるな、人間よ。その問いは貴様に投げたものではない」
「なら直接言って欲しいか? お前はどこの世界へ往く気だ」
「これは驚いた。この数瞬で理解するとは、人間の発想ではない……しかし、教えると思――」
言い切る前に放った銃弾が、魔物の頬を掠める。
決してそれを狙ったつもりはない。魔物は自らの反応速度で、眉間へ穿たれた銃弾を躱してみせたのだ。
「野蛮な攻撃だ……しかし興味深い。この目で見るまで発動が見破れぬ攻撃など、我は初めて見たぞ」
「――神触結界!」
俺の前面に広い結界が張られ、更にその前にリーゼが滑り込んでくる。
「あなたの言ってることは分かりません。何で人を殺すんですか? 食べる訳でも、生きる為でもない癖に――」
「人間を喰うなど下級の魔がすることだ。しかし貴様も分からないわけではあるまい? 欲求というものは、満たせば満たすほど渇いて疼いて、足りなくなるのだということを」
「……分かりません!」
リーゼが斬り掛かり、人型の魔物は両手の爪を用いていなしていく。その全身から黒いエネルギーが溢れ出した数秒後、ふっと魔物の姿が消えた。
「今殺り合うのはこちらとしても不都合――今はその時ではない! しかしこれだけは覚えておけ、人の子よ。これまで貴様に殺された同胞の念は、少しばかり重いとな」
その姿は山林の上空にあり、宙空にて俺達を見下ろしている。浮かんでいるというよりは、空間そのものを踏みつけているかのような――圧倒的な、存在感。
「それは、あなた達が――」
「我らが貴様らを襲うのもまた事実。では貴様も我らを憎むがいい、それだけのことよ」
言うだけ言って、魔物の姿は霧と漆黒の魔力に紛れて消失した。
一歩遅れてサーリャが息を荒げながら登場してくる。
「はぁ……っはぁ……消えた? 何で、何が起きたの、今」
俺は奴の消えた場所を睨み付け、しばらくそうしてから辺りを目で確認していく。すると視界の端に、不自然な焼け跡が見つかった。
放心するリーゼと何やら走ってくるだけで疲れた様子のサーリャは放置し、その場所まで歩いて向かう。一応敵襲に備えて銃は構えていたが、特に何かが出現することはなかった。
「……」
焼け跡の地面に、ところどころ肉片や皮などがへばりついている。これはどう見ても昨日俺達を襲った巨大な化け物の亡骸であった。
先ほどの人型を見てしまった後では多少は霞むが、この魔物も相当に強力であったはずだ。
なのにこの惨状……やったのはリーゼではないだろう。
あの魔物か? だとすれば、何故。
「……こいつは」
焼けた大地の中心部。きらりと輝く小さな欠片を見つけ、俺は屈んでそいつを掴み取る。それは化け物の体毛とはまた違う――白銀に輝く、小さな……羽根?
こいつは――“この世界の物”では、ない。
俺は顔を歪める。
銀に輝く羽根を握り潰し、乱暴に懐へとしまい込んだ。




