十二話 道中会話
ダライト村へのルートはこうである。
ガレアを出て丘の上にぽつりと建っていた茶屋の方面へ向かい、途中で王都への道に曲がる。そこで湿地帯に出るが、真っ直ぐ向かうと王都への道になってしまうので途中で右に進行方向を変える。
すると王都やガレアからの進行を隔てるかのようにそびえるゴルダン渓谷へと突き当たるので、その渓谷に作られたトンネルを通って渓谷を抜け、先にある街道を進むとダライト村に着く。
渓谷への一番安全なルートがこの湿地帯を経由した迂回ルートだ。
地図上ではガレアから直接渓谷へ進んだ方が近いのだが、起伏の激しい地形や気性の激しい動物や原住民が多く住むため、空でも飛べなければ交通不可能な道である。
目的地まで掛かる時間は推定二日。ゴルダン渓谷手前で野営をし、次の日の朝に渓谷を出、その後は休まずトンネルを抜けて村まで歩く。
「まぁ、そんなところか……」
次の日の朝方、孤児院跡地にて。仕事場からくたくたになって先ほど帰ってきたリーゼに、俺は購入した地図片手にダライト村へのルートを説明していた。
夕方から朝までばっちり働かされたのだろう。眠そうに俺の話を聞いていたリーゼは瞼を何度も閉じて開けてを繰り返しながらも静聴し、話が終わって「以上だ」と告げると同時にこう返してきた。
「その、道程は分かりましたけど、なんでダライト村……? っていうところに行くんですか?」
「お前肝心なところだけ聞いていなかったな」
俺は顎をぽりぽりと掻いて眉根と目を細め、リーゼを見た。まぁ、加護を受けているリーゼと言えどもそれなりに疲労しているのは一見で分かるので、大目に見てやろう。
「長ったらしく説明したのが悪かったか? ならば結論だけ言っておこう、ダライト村はサーリャの地元だ」
「……えっ、そうなんですか? どうして早く言ってくれないんですか!」
俺は軽くリーゼの後頭部をひっぱたいた。
「言ったが、お前が聞いていなかったんだろ。出発は今日の昼だ。フィンの一家と孤児院で合流した後一緒に向かうから、それまで寝ておけ。仕事場の酒場に事情を伝えるのはガレアを出る際でいいだろう」
「わ、分かりました。じゃあ、ちょっと本当に眠いので少し寝てきます」
リーゼはサーリャの名前を聞いた瞬間だけ元気になったが、直ぐに眠気を復活させて目を擦りながら廊下を歩いて寝室へととぼとぼ歩いていく。
その様子を眺めながら、静かに地図を丸めて懐にしまうのだった。
「サーリャ嬢ちゃんを知っているのですか」
これは昨日のこと。俺の言葉に反応した母親の方が、すぐにそう返してきた。
どうやらフィンが今よりももっと幼い頃からの関わりがあるそうだ。サーリャが魔法使いとして旅立つまでフィンが良く遊んで貰ったこともあって、それなりに仲が良かったらしい。
「俺とリーゼはそのサーリャを捜していてな。丁度いい機会だから、一緒に行ってもいいか? それならもしも何か危険な状況に陥っても護衛することができる。代わりに道案内を頼みたい」
「ええ、ですが、サーリャが村を旅立って以降――」
戻っていないかもしれない、と続けようとした母親にリーゼから聞いた事情をそのまま伝えると、どこか納得した様子で両親は頷いた。お陰でリーゼがサーリャと旅を共にしていたのを知り、是非とも来て欲しいとまで言われたということだ。
昼前になり、概ね時間通りにフィン達の家族は孤児院跡に到着した。ちなみに母親の名前がサフィリー、父親がラディアンだ。
寝ているリーゼを起こしてすぐに準備をさせ、待ってくれていた三人の元に連れていった。挨拶を交わし、リーゼに両親の名前を伝えたりと不自由のないよう紹介を済ませる。
「皆さん、よろしくおねがいします!」
一度寝て元気になったリーゼはその愛嬌もあってか、すぐに家族と仲良くなっていた。俺はほとんど口を出していないからその限りではないが、別に懇意になっておく必要もない。
さて。出発の前にリーゼの仕事場に行って今日までの給料を受け取り、休暇或いは退職してからガレアを出よう。そのことについては事前にフィンの家族側に言ってあるため、先に寄り道させて頂くことになった。
「どうだった?」
酒場の前で待っていた俺は酒場を出てきたリーゼに問う。すると彼女はやたら笑顔でこう言ってきた。
「はい、またいつでも働きたくなったら来てくれって言ってました!」
「そういう意味で聞いたわけじゃないんだが……そうか、良かったな」
俺は給料がいくらだったのかを聞きたかったのだが、まあよかろう。次にガレアに立ち寄ることがあったとしても、安定した働き先が残っているのは結構なことだ。
まぁ、それはまた落ち着いてからでいいだろう。今の調子のリーゼに仕事中の無駄話をされても面倒だしな。
「では、もうガレアに用はないな? ないなら出発だ」
そう聞けばリーゼを含めた全員が頷く。
俺も軽く頷いてから、全員でガレアの出口へと向かった。
湿地帯は人の手がほとんど入っておらず整備されていない地形だ。
あるのは精々が合間に設置される指標の看板のみで、道に迷わない程度の配慮がされている程度である。
そんな地形を、俺とリーゼは一応の警戒をしながら進んでいた。家族連れというのもあり、戦える人間だけが歩いているわけじゃないからな。
しかしながら湿地帯は至って平和なもので、大型の蛙や鳥などは出現しても俺達に敵意を剥き出しにする敵はいなかった。
俺は最初その蛙や鳥が襲い掛かってくるものと思っていたが、どうやらあれは“魔物”ではなく“動物”という類に分類されるらしい。まぁ動物にも人間を襲う種はいるが、肉食と草食とかそういった違いだろう。俺には魔物と動物を隔てる基準は分からないが、襲ってもこない相手に危害を加える理由はないため、そのまま先を急いだ。
「三日で銀貨三枚と銅貨六枚か、手伝いにしてはよく稼いだじゃないか」
道中リーゼの給料を聞いた俺はそれなりに納得していた。その給料で生活していくことを考えれば心許ない金額ではあるが、家を借りるでもない俺からすれば全く問題はなかった。一日で銀貨一枚、銅貨二枚。
これだけ稼げているのであれば、しばらくガレアでリーゼを働かせるのもいいだろう。
あそこでなら俺も情報収集は捗る。
長期となるとリーゼが黙っちゃいないかもしれないが、今は楽しんでいるようだしな。
「手伝いじゃないですよ、ちゃんと私も一員です」
「それはもう少し働いてから言う台詞だな」
まだ三日ならそう難しい仕事は任されていないだろうに。この容姿と性格に愛嬌だ、役回りはもっぱら看板娘に違いない。
「ところでお前、何でサーリャの故郷を知らなかったんだ?」
「え、だって教えて貰ってませんもん」
改めて聞き直すと、リーゼはあっけらかんとそう言った。
「そりゃ聞いてなかっただけじゃないのか?」
「はい、聞いてません。人の過去って、私が勝手に聞いていいものではないと思っていますから。本人が話してくれるまで、私から聞くことはありません」
なるほどそりゃ一理ある。
毅然とした態度で答えるリーゼに半ば驚かされていると、逆にと今度はリーゼから尋ねてきた。
「レーデさんだって、私に隠してることいっぱいありますよね」
「ああ、あるな」
多少気に掛かる言い方だったが、俺はそのまま返した。
人は何かしらの秘密を抱えて生きているもんだ。誰かに話したくないことの一つや二つは必ずと言っていいほどにはある。
俺は勿論、リーゼもあるだろう。
「いっぱい……ですよねぇ……それだって気にはなるんですよ? レーデさんの戦い方だって初めて見ましたし、見た目も私達と少し違いますし、かなり遠くから来た人なんだなっていうのは感じています」
「ほう、間違っちゃいないがな」
「でも秘密があったってレーデさんは私に優しいじゃないですか。私を使って悪いことをしようともしていないですし、何度も助けてくれてます。ですからそれで、いいんですよ」
一度こちらを向いてきてはにかんだリーゼは、続けてこう口を開いた。
「ええと……今回それが裏目に出ちゃった、てことはあります。大体あそこまで深入りしておいて、村の名前も知らないのはおかしいってレーデさんなら思いますよね」
「騙されたんじゃないか、とは言ったな」
「騙されてはないです! と、とにかく、気付いていたとしても私からそういう部分を聞くことはないです。自分から打ち明けてくれるのが、一番ですからね」
……確かに。俺も不思議がられたことはあるが、必要以上に質問をされたことは一度もなかったな。俺が持つこの世界に存在しない持ち物については勿論、過去にも触れてはこなかった。
俺にこう言ってくる辺り、何か気になる点はあるんだろうが。
「そうか。お前にも考えがあってそうしているんなら、深くは突っ込まないさ。馬鹿だとは言わせて貰うがな」
しかし、その姿勢は正しい。
人は秘密を用いて円満な人間関係を作るのだ。その秘密を破ってしまったら、その関係は終わる。続いたとしても、同じではいられない。
秘密が秘密でなくなる時まで――さて、そんな日が来るとはあまり思えないのだが。
「どのみち村に行けば分かることだ、過ぎたことについてとやかく言う必要はない」
「お二人共、この先が渓谷です」
道案内のため先導していたフィン達家族の主ラディアンが立ち止まってそう言う。見れば湿地帯はここまでのようで、遠くには山脈が見えていた。霧に隠れて全容を窺うことはできないが、規模としてはかなりのものだろう。
もう夜か。これ以上進むには視界も悪くなっているし、当初通りに進めようか。
「それじゃもう少し進んで渓谷に入り次第、比較的安全そうな場所を見つけて野営を行う」
「分かりました。夜を過ごす野営道具一式は私達にお任せ下さい」
「助かる。こっちはあまり便利なものは持ってきていないからな」
湿地帯とは違ってゴルダン渓谷内部は危険もあると思われる。朝疲労で危険に見舞われるのは勘弁願いたいので、ここらでしっかり休憩を挟んで明日に備えよう。
携帯食料を取り出しながら、遠巻きにリーゼとフィン一家をしばらく眺めていた。
その夜のこと。
夜空の星のみが光源となる渓谷では一寸先を見るのも危うく、視界にぼんやりとした景色は映るものの、薄暗くて歩くのもままならない。
そんな世界で。
「――まだ、朝じゃないんだがな」
張ったテントの中から出た俺は、こちらに背を向けて立っている人影を見つける。口にくわえようとした煙草を懐に入れ直した俺は、その人物に声を掛けようと立ち上がった。
「リーゼ」
「……レーデさん。起きてたんですか」
「いや、俺は今起きた」
夜空を見上げていたリーゼは俺の声に気付いて振り返った。眠そうに目を擦る仕草を見て、俺は疑問を口にする。
「ずっと見張ってたのか?」
「……あっ、ああいえ、何でもないんですよ」
「んな眠そうに言って隠せると思うな。言ってみろ、この先に何かあるのか」
俺には特に何も感じないが、そこはリーゼの領分だ。俺はあくまで五感と経験で得られるものだけで考えるが、こいつは魔力やら何やらの直接的な力の感知をしているみたいだからな。
つまりはそれ関連の、何かだ。
リーゼは少しだけ不安そうな顔をして俺の目を見る。
それから安心したように頷き、こう言った。
「この先、多分ですけど……魔物がいる気がするんです。大丈夫だとは思いますけど、もしもこっちに来た時に心配で」
「なるほど……魔物か」
俺は魔物など見たことはなかったが、リーゼが常時警戒するほどの相手だ。それだけ凶暴で、危険になってくるのだろう。
「それなら寝ておけ、朝までは俺が見張っておく」
「……でも」
「対魔物戦になった時、戦力の要はお前だ。それが寝不足で全力を発揮できずあっさりとやられちゃたまらないからな。見張りは一人でやるもんじゃない、交代だ」
魔物の文献についても少しは仕入れてある。
魔物にも種族があって姿形が違うことや、その全てが異形を成していること。魔法を使うこと。しぶといこと。
つまり魔物は動物という大きな枠組みの一区切りに過ぎないということで、それが分かれば俺にも戦いようがある。
相手が神性の化け物とか空想上の悪魔に怪物の類ならば、ただの人間では太刀打ちできないだろうが。
「俺もさっきまでは寝ていたんだ。明日に備えてゆっくり寝ておけ」
若干唸りながらも素直に引き下がったリーゼ。その姿を見送ってから、改めて煙草を取り出し燐寸で火をつける。
「……神性の化け物に悪魔など、俺としてはいてくれた方が嬉しいんだがな」
煙を吐いて、今や見えない渓谷の方面を眺めた。
早朝。
魔物の気配があるせいでうまく寝付けなかったのか、一番早くリーゼが起き上がってきた。その次にフィン、ラディアン、サフィリーとがほぼ同じ時間に起きてきて、テントなどを片付けて出発の準備を整えた。
深夜の一件について話すべきか悩んだが、俺は止めておくことにしておいた。余計に不安がられても邪魔にしかならない上、一旦中止となってガレアに戻る羽目になるのは困る。その場合俺は置いていくつもりだが、リーゼがどうするかで意見が分かれても面倒だ。
リーゼも魔物の件について特に言うつもりはないらしく、そのままダライト村へ向けて歩き始めた。
並びとしては前にリーゼ、安全な中央に家族、最後尾に俺を配置して進んでいる。ラディアンは一応戦えるそうだが、奴隷商に拉致されていたことを鑑みると到底戦力としては数えられないので家族を守るといった名目で真ん中にいて貰った。
「それにしても、少し静か過ぎる気がするな……」
「ラディアンさん、何か異変でも?」
「ええ。異変というより、何と言いますか」
どう説明したものかという風に首を傾げるラディアン。そういえば彼らは一度ガレアへ来る時にも三人でこの道を通っているはずだからな。その時と雰囲気が違うのだろう。
「そうです、生命を感じられません。いつもはハンターボグが横切ったりするのですが」
「ハンターボグ? 知らんな」
聞いてみると「この辺の地理には疎いようでしたね」と言って、ラディアンは丁寧に説明してくれた。
ハンターボグは茶色の体毛、体長一メートルほどで四足の獣だ。常に三体以上の集団で動いており、持ち前の聴力と嗅覚で遠くの獲物を見つけて襲い掛かる。特徴的としては同種族内でも昼行性と夜行性のどちらも存在していて、つまりは昼夜問わず活動している種族ということだ。
自分達よりも弱い生物しか獲物にせず、五人編成で行動しているような人間の集団にはまず襲い掛かることはしないそうだが。
それでもこの静けさはおかしいというのだ。
襲うことはなくても人間がスピードの点に於いて劣ることを知っているハンターボグ達は時たま道を横切ったり近場を通ったりはする、しかし今回はそれが一切ない。
まるで最初からこの場に生物など存在しないかのように――。
「なるほど。そりゃ不自然だな」
俺はリーゼの方を向けば、彼女も若干緊張の面持ちで歩いていることが分かった。普段通りに見えなくもないが、確実に前方を気にしている。
昨日の今日だ。
俺はリーゼの横まで並び、小さく問う。
「リーゼ、この先に何かいるのか?」
「……いえ……それが、今朝にはもう何も感じなかったんです」
「昨夜のもか」
「……はい。ぱったりと」
リーゼは釈然としない様子で俺の方を一瞥し、すぐに前に視線を戻した。
「先ほど言っていたハンターボグも、気配すらありませんし」
「……ふむ。ここに元々生息していた生物は、危険を感じて事前に逃げていた可能性がある、か」
動物の危機察知能力は人間のそれと比べてかなり高い。自然災害の前兆には素早く察知し、その場から逃げてしまうとは言うが……。
何かがあるようには思えないんだがな。
「そろそろトンネルには着きそうですが」
「ああ、道程に障害がない分予定より早くトンネルが見えてきたな」
少々不安そうにしていたラディアンだったが、俺がリーゼの隣から後ろへ戻る際にそんな報告をしてくれた。
遠くの方に向こうへ抜けるトンネルがあるのが分かる。ここまで来た以上、引き下がるのはどうか思うが……一応リーゼに聞いてみるか。
「リーゼ、行けそうか?」
「はい、大丈夫です。私がいる限り必ず皆を守りますから。ですけど、野生動物が根こそぎいなくなっているのは心配です。何かがあった時、レーデさんは家族の皆さんを連れて後ろに下がっていて下さい」
「……そうか、そうしておこう」
ここまで神妙な顔をしているリーゼは初めてだった。だが、大丈夫だと言うのであれば信頼に値する実力をこいつは持っている。
それならば、先に進むとしよう。
一度立ち止まった一行はトンネルに向けて歩を進め始めた。
しかし。
この辺りで薄々俺もリーゼも気付いていたのだろう。必ず何かがあることには。
だからリーゼの周囲に虹色の粒子が微かに浮かび、俺は懐から銃を出して右手に構えていた。
直接的な異変が始まったのは、トンネルに到着した瞬間であった。
「……うっ、何か、来ます! レーデさん!」
「分かっている!」
リーゼの合図で家族を後ろに下がらせたその時、大地の振動を強く足下に感じた。同時に耳鳴りが発生し、辺りの空気がびりびりと震えている。
そして、それは。
トンネルを守るかのように――遙か上空から飛び降りてきた。
俺達の道を塞ぐような形で。道のど真ん中に降ってきたそれはただそれだけで地面を陥没させ、大地に亀裂を生んで派手に着地する。
唐突に空気が変わったかと思えば――。
「なんだこいつは……」
俺が息を呑むほどに、そいつは異形を成していた。
十数メートルはあろう巨体に真っ白な体毛。巨木のような太い足で胴体を支え、肩から生える四本の腕がこれでもかというほど広げられている。
様相から熊やゴリラなどの派生だと説明してしまうにはあまりにも凶悪かつ何より巨大で、それに腕が多い。
その姿は、正しく魔物と呼べる存在であった――。
「ここは私がなんとかします! もっと後ろに下がっていて下さい、巻き込みかねません!」
虹色に輝く細剣を手にリーゼが叫ぶ。
直後、それを遮るようにして――化け物の発した咆哮が、ゴルダン渓谷に響き渡った。




