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シャナと花のバラッド  作者: 藤和葵
第五章
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07.朝告げ鳥の睦言

 

 今夜の夢は、キクがこちらへ来てまだ日が浅い頃なのだと、彼の長い髪を見て雛菊は時系列を確認する。

 陽の光を浴びて輝く髪色に見蕩れつつ、また妬ましく眺めて目を細め、キクは自身の鳶色の髪と比べ息を零していた。ずっと黒髪に憧れていた筈なのに、南蛮の象徴である輝く髪色に憧れを抱くとは思わなかった。

 キクは異人の子だ。

 日本人の母親と西欧の父親を持った混血児で、故郷の地ではその色は異端の象徴とされた。不幸にも父親の血を濃く継いでしまったキクの見目は、彼女の育った村ではとても異質で、いつだって不遇だった。

 日本人にも異人にもなれなかった少女は、別の世界へと来てしまった今も身の置き方に戸惑っている。少なくとも髪色や肌色での差別はなさそうだと確認しながらも、怖々と初めてこの世界で出会った男の背中をついて歩く。


「……出歩いて大丈夫なの?」

「散歩に出たいと言ったのは誰だよ」

「そうじゃなくて、病み上がりのあなたまで出歩く必要はないって言いたいの」

「護衛は必要だからな」


 男の返答にキクは困惑する。今まで大事にされるという扱いを受けて来なかっただけに、どう反応するべきか分からないのだ。

 母を早くに亡くして以降、誰も少女を気遣う人はいなかった。

 異質な髪色、目の色、肌の色。周りと違うだけで遠ざけられ、虐げられ、忌諱される。

 キクだって好きでこの髪色で生まれたかったわけじゃない。異人の子になったわけじゃない。それなのに、一転した扱いに困ってしまう染み付いた己の下っ端根性には笑ってしまった。


「怪我を治しただけでそんなに大切にされる価値はないわよ」

「そう言うなよ。部族長の長子の俺の命を救った功績だ。誇っていいぜ?」

「それ、あなた自身が言うとおかしく聞こえる」


 男は笑ってキクの頭を撫でた。

 こんな風に頭を撫でてくれる手を母以外知らない。下働きで荒れているが柔らかい女の手と掛け離れてゴツゴツと硬く、正直触り心地は良くないとさえ思うのに大きな掌から伝わる熱量は嫌いじゃなかった。

 お天道様みたいな人。

 体温も笑顔も向けられる優しさも、与えられるもの全てがキクの胸に染み渡る。

 キクにはまだ分からぬ感情が生まれ、その瞬間を共にしている雛菊には痛いほど伝わった。それも一方通行の想いなのだと分かってしまっているから、この夢を通じての過去の共有は非常にタチが悪いと憂鬱にさせるのだ。



 * * * * *


「…………ふう」


 目覚めの一番に、雛菊から溜息が漏れ出る。

 ラキーアに戻る前夜から、夢を通して過去のセラフィムの記憶を垣間見るようになった。そこからセラフィムとしての力の使い方を学べるのは、指導者のいない身としては有難いものがある反面、人の感情まで覗き見しているような悪趣味さがある。だから過去のセラフィムの夢を見た日の朝はどうにも憂鬱だった。


「うぅ……キクさんごめんなさい」


 大事な思い出を盗み見たらまず懺悔が始まる。自身の心の禊の為の恒例行事だ。この行為で記憶が削除される訳でもなし、必要だから見せられているものだろうと頭では理解してはいるが、それと抱く罪悪感は別である。


「ねえ、キクって誰?」

「んー、心の友みたいな人……」


 組んだ手を胸元に添え、ひたすら心内で謝罪を繰り返し念じる最中の横からの質問に雛菊は無意識に答える。しかし違和感にすぐ気付いて首を振れば、隣で大きく伸びをする少年の赤い瞳とかち合った。

 雛菊に宛てがわれたゲストルームはひとり部屋とは言え、ベッドは大きくて余裕がある広さ。勿論寝具はひとり分なので一枚の毛布を一緒に被る形で少年は添い寝している。


「……そこで何してるの、シャナ……」


 努めて冷静に尋ねた。気をしっかり張り詰めていなければ今にも悲鳴を上げそうだ。そう言えば涎跡が残っていないだろうか。髪を手櫛で直して好きな人の手前、身形を整える恋する乙女心。彼がその機微に察してくれたらこの夜這い地味た行為は控えてくれただろうか。

 表面上真顔の裏でひたすら動揺している雛菊の心知らずや。夜這い或いは朝這いに及んだ少年はふわりと穏やかな笑みを浮かべると寝そべりながら片手は頬杖を付つき、空いた手はその隣で半身を起こしている雛菊の太股へと伸ばす。


「恋人の寝顔を見に来てはいけないかい?」

「しゅ、趣味が悪い! あと私の心臓が保たないからやめてね!」

「どうして心臓が保たないの?」


 恋人と言う単語を囁かれるだけでもまだむず痒いのに、煽るように向ける艶めいた視線も雛菊には刺激が強い。


「それよりこの部屋ちゃんと戸締りされてたよね? 廊下には見張りの衛兵さんがいるし、窓の外は絶壁だよ?」


 今は以前のような続き部屋でもない。それでも雛菊の身辺警備はかなり固い。出入口にはシャナとソノラの施した結界が張られ、人の出入りは監視されているし、定期的にチェリウフィー直属の部下の巡回もある。隣の部屋にはゾフィーも控えていて、夜明けの今頃には雛菊の警護に着く流れだ。


「シャナ、ゾフィーが来たら怒られるよ」

「来なければ君は僕の行為を許してくれるんだね。安心して、結界を強化してるから邪魔は来ないよ」


 シャナは口で口を塞ぎ、返事などおかまいなしに雛菊の胸に顔を埋める。その行動に雛菊はぎょっとしたが、下心は感じなかったのでそっとシャナの髪を掬うように撫でた。


「どうかした?」

「別に……。今日も君は出掛けると聞いたからちょっと堪能しに来ただけ」


 何を堪能してるのか。やっぱり引っぺがそうかと思ったが、背中をきゅっと掴まれて腕ごと拘束されると難しい。


「心臓の音、早いね」

「誰の所為だと思ってんの」

「ああ、僕の所為? なら喜ばしい限りだね。期待されてるなら今後の進展も望める」

「言い方がいちいちヤらしいの」


 けれど言葉を深読みし過ぎると藪蛇な気がして、雛菊はそれ以上の指摘は控える。それにシャナは胸に顔を埋めるというより耳を当てているようで、口より下心は見えない。


「何が聞こえる?」


 腕は拘束されているので身を捩り、顎先でシャナの頭をぐりぐりと刺激する。シャナの髪は猫毛で、触れると柔らかく細い毛先がふんわりと撫でてくすぐったい。シャナの髪は不思議で、普段は黒いのに、陽の光に透けると濃い緑味を帯びる。今もそうだ。窓の隙間から射してくる朝陽を浴びて、まるで植物の光合成と同じく栄養を受けているように見えた。その時は森林に身を置いたような朝露に濡れた草木の匂いがする。雛菊はその纏う空気が心地良く、シャナを抱きしめるのも抱きしめられるのも好きだ。——それを口にすると増長させそうで決して言わないが、拒まない態度で本心は筒抜けているのかも知れない。だが改めて確認されるより幾分かは恥ずかしくないので、雛菊の心の安寧は保たれている。

 今、その状態で心音はどう聴かれているのだろう。尋ねるとシャナはより深く顔を埋めて答えた。

 

「鼓動が聞こえる。それと呼吸音と、血液の流れる音……君の生きている音だ」


 愛おしげな優しい声は雛菊の鼓膜を揺らす。シャナは顔を上げるとおもむろに雛菊の右肩の傷のある部位を撫でた。


「君が今日も生きている。僕はそれだけで嬉しいし、安堵するよ」

「お……ううん、不安にさせてごめんね」


 大袈裟だよと言いかけて雛菊が言葉を飲んだのは、シャナの生い立ちを思い出したからだ。

 シャナは精霊の加護の為か、酷く長命で、彼の人生はいつも置いていかれる側だ。それに比べて雛菊は普通の寿命の人間で、セラフィムとして命を削る身。そこかしこにシャナを不安にさせる要素があるのだろう。


「……嫌な夢でも見た?」

「黙秘する」


 見たのだろうか。

 シャナは見た目も実年齢もあやふやだから、たまに少年ぽく甘えられると雛菊は弱かった。

 解放された手で頬を撫で、額にかかる前髪を掻き上げれば紅い双眸と視線がぶつかる。

 何度見ても透き通るような緋の目は雛菊の心を揺さぶり、無駄に鼓動を速くさせた。

 花の蜜に誘われるように蕩けた顔でもしたか、自然とキスを交わした後でベッドに押し倒されて雛菊は自分の窮地を悟る。

 目の前の少年の瞳に無垢さはなく、男の色を宿していた。


「ちょっ……シャナ、それ以上は……」

「なに? はっきり言ってくれなきゃ分からないよ」


 言わせる気もない態度で口付けをし、呼吸を深く混ぜ込む。この少年は具合の良くない返事をこの手でよく潰すのが得意だ。

 息苦しさに胸を掌で叩けば、圧倒させるようにたちまち青年へと姿を変えるから始末に負えない。


「ヒナギク、あのさ、僕、けっこう我慢したと思うんだよね」

「私はまだまだ早いと思うな」


 これまでに一線を越えそうな流れがなかった訳では無い。シャナは何度も踏み止まってくれたおかげで、雛菊の貞操は守られている。

 シャナとの行為が嫌でもないし、いずれはその身に受け入れるつもりだ。それでも、まだ早いと謎の貞操観念で雛菊は拒み続けている。過去の数度はそれでも応じてくれたシャナも、今日は異なる様子だ。

 これはいよいよ本当に何かあったのかも知れない。

 シャナを焦らせ、怯えさせる何かが起きたのか、連想させる夢でも見たのか。

 かと言って、雛菊もいっぱしの乙女として、こんなムードのない流れで女の子の一番大切なものを捧ぎたくはない。

 とにかく気付け薬をかまさなくてはと、雛菊は深く呼吸をして歯を食いしばると同時に頭を思いきり振りかぶった。

 骨と骨のぶつかる鈍い音に雛菊の脳味噌が揺れたが、それは相手も同じ。額を赤くしたシャナは、不意打ちが余程効いたか目を白黒させて雛菊の拘束を解いた。


「——ったぁ! ちょっと君、何すんの!」

「それはこっちのセリフだよ! 朝っぱらから盛らないで! あ、だからって夜ならOKって屁理屈もなしね、私、がっつかれるのは好きじゃないから」


 にこりと牽制を立てれば、シャナは姿を少年に戻して拗ねた顔で睨みつける。寧ろ恨みがましいシャナの視線には慣れていたので、雛菊には痛くも痒くもない。


「プリン、多めに作ってあげるからいい子にしてよ」


 お決まりの文句で機嫌を窺えば、シャナは不服ながらも容認した。

 子供騙しのおやつを本気で受け取ったわけではないのは雛菊でも分かる。おそらく、キツめの頭突きで冷静になってくれたのだろう。諸刃の攻撃でもある抵抗に、雛菊は己の額を撫でつつ衣服を正してシャナを見た。


「何を抱え込んでいるか知らないけど、それで暴走されちゃ私の身が保たないから吐き出してよね。……それを言う相手が私でなくてもいいんだから」


 僅かな沈黙の限界に「ホントは寂しいけど」と含ませてシャナの額を撫でると、少年は気持ち良さそうに目を閉じる。その仕草に猫のようだと愛しさも募るが、此処で欲望のままに抱きしめたらふりだしに戻ると知っているので我慢する。雛菊の行動は大概に男泣かせなのだ。


「君がセラフィムでなければって、思わない日はないよ」

「そう言うけど、私がセラフィムじゃなかったら、今頃シャナとは出会えてないんだからね」

「……だから八方塞がりで困るんだ」


 尖った唇に雛菊から少しだけ触れて、シャナを宥める。無論、シャナはそれでは足りないと、離れようとする雛菊の顔を引き戻すように髪の毛を掴んで唇を開きかけたところで室内に爆音が響き、爆風と木っ端が二人の足元を掠めるように通り過ぎた。


「あら、ゾフィー。安心なさい。セラフィムの寝所に不埒な輩はおりませんことよ」

「しかしソノラ様、アサド様とチェリウフィー様からシャナ様をその不埒の頭数に入れろと仰せつかっておりますれば……」

「ですって。セラフィム、安心して生娘のままでいられるわね!」


 高らかに笑い声を響かせるソノラに、雛菊は眉間を押さえた。

 おそらく、いつものようにゾフィーが雛菊の部屋に参じようと扉に手を掛けた所、シャナが強めた結界でどうにもならなかったので、創天の魔女と名高いソノラの力を借りたという流れだろう。ソノラもソノラで中の雰囲気をぶち壊したい気持ちで派手に扉を破ったに違いない。

 その二つ名に負けぬ能力はシャナも認めているので、この世界の術師の序列に疎い雛菊でも凄さは理解して来た。


「……シャナが何を不安に思うかは敢えて聞かないけどさ、もし今日の件ならあの魔女がいるから大丈夫だと思うよ」

「うん、破壊力なら断トツに群を抜いてるから、盾にしたらいいよ」


 つがいは頷き合う。


「さーて、セラフィム、いつまでも乳繰りあってないでさっさと着替えてちゃっちゃと支度なさい。今日はわざわざあたくしが貴方の晴れの舞台に付くのだから感謝して貰わなきゃですわ!」

「そうだね、壊したドアを直してくれたら考えるね」


 でないと侵入したシャナがチェリウフィーに成敗されると告げたら、ソノラは見張りの兵に「ですって」とウインク一つで動かしてしまったので、雛菊が術以外の末恐ろしさを覚えたのはまた別の話だ。

 


 

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