06.ツルツルとサラサラ
「ヒナ……?」
止まらない雛菊の涙に狼狽えたアサドは、普段の軽口もろくに飛ばせずに冷や汗を掻く。それが分かっている雛菊も何か言い出そうとするが、嗚咽が漏れた。
「とりあえず場所を変えようか」
商店の建ち並ぶ狭い路地でこの騒動はかなり目立つ。世話になったばかりの床屋の主人も顔を出し、今にも声をかけそうな雰囲気だった為、アサドは慌てて雛菊の頭に上着を引っ掛け隠すように移動した。
視界の悪い雛菊を庇いながら長距離の移動はなく、連れられた先は路地裏に広がる雑木林の中だった。
人目を逃れ、急に町の喧騒から外れただけだが一変した景色に雛菊は目が眩む。加えて、唐突に現れたような緑の情景と、木漏れ日に透ける金の髪色にぐっと胸が詰まった。
「もしかして俺って、ヒナをスゲー困らせてばっかかな……?」
袖口で目頭を押さえ、涙を拭う雛菊にアサドは困ったように尋ねた。
確かに彼に泣かされたことは何度かあったが、それが悪いことだとは思わない雛菊は静かに首を振る。だが、今泣いている訳はとてもアサドには言えないので、困らせているのは自分のほうだと申し訳ない気持ちだ。
けれどその否定だけでアサドは安心したようで、落ち着きを見計らって腰に下げていた物をおもむろに取り出して雛菊の頭に載せる。
重量はないが、鏡もないこの場所で贈り物を手に取る以外で確認しようがなく、雛菊は載せられた物を手に取って目の前に掲げた。
「これって……」
鼻声混じりで驚きの声を発する。
手触りの良さは普段の手入れの良さだろう。馴染みのある色合いに、その成れの果てに衝撃が走るのは無理もない。
捧げられた物は、丁寧に編み込んで作られた金の髪輪。無論、誰の髪から作られたかなんて言われなくても分かる。
アーシェガルド国においてその色は実りの色で、富の色だ。
金色の髪と瞳を持つ一族はとても古く、今では王家を含む極僅かな人間にしか継がれていない。
その希少な色は幸福の象徴ともされ、この国での婚儀の際に取り入れられている。花嫁の金の冠は昔、嫁ぐ娘に嫁入り道具を持たせてやれぬ父親がせめてものと、己の髪で編んだ冠を贈ったことが由来だ。
東の部族に虐げられ西に追われた今の王家の祖の一族が、貧しいながらも晴れの日を祝う為、我が身の一部を捧げ、幸福を願う。今でこそ毛髪を使うとういう部分は織物へと変化はしているが、福にあやかろうと金の髪の一部を欲する者は今でも後を絶たない。
――そんな文化を異世界から来た雛菊が知る由は当然ないのだが、アサドがあまりにも過去に重ねて来る物だから動揺してしまった。
アサドが涙の訳を聞き出そうとはしない、野暮な男でないのが救いだ。むしろ優し過ぎて損をしている気がするのだが、それを雛菊から指摘するのはとても残酷なので口にはしない。
「……どうして急にこんな大事な物を?」
鼻をすすり、やっと落ち着いた雛菊は金の髪輪を頭に再び頭に載せて尋ねる。アサドが簡単に説明をしてくれたが、金の髪輪は花嫁衣装の一つである。しかし、雛菊に当面そんな予定は特にない。
訝しむ雛菊をよそに、アサドはキョトンと首を傾げる。
「でもヒナはシャナと添い遂げるだろ。俺、急な事したか?」
「そっ……!」
途端、雛菊の顔が沸騰する。
結婚の予定などはないが、言われてみれば添い遂げるつもりで選んだ相手なら確かにいる。家族を残してでも選んだ相手だから生半可な想いでもないが、つい最近までの女子高生感覚が抜けてもいないのに結婚という発想はなかった。
「私、やっとシャナに受け入れて貰えたばかりなのに気が早いよ」
「そうか? 俺としてはどうせなら早く分かりやすい形で収まって、ヒナに幸せになってもらいたいんだが。ほら、俺まだヒナのこと愛してるからよ」
臆面もなくそう言ってしまえるアサドに胸を痛めつつ、雛菊はぐっと涙を飲んで思いきり笑う。
「私もだよ。二番目にだけどね」
伝えない方が良かったのかも知れない。アサドが一瞬泣きそうに微笑んだように見えたが、雛菊は気付かないふりをした。アサドが斬られることを願っていたのを感知したからだ。
彼なりに何処かでけじめをつけたかったのだろう。風が吹くたび、短くなった襟足が首筋を刺すのか、時折痒そうに顔を顰めるアサドの髪に雛菊は手を伸ばす。
「あんなに長くてツルツルな髪がもったいないね」
「男にツルツル禁句な。どうせならサラサラと言ってくれ」
鼻を摘んで注意をされてしまった。雛菊は「ふぁい」と間の抜けた返事をし、二人顔を合見わせて笑った。
* * * * *
「アーシェは損な人ね」
「損なもんか。幸せな姿を見届けられたんだから果報者だよ」
鼻を鳴らしておいて何を言うんだか。少女は嬉し泣きだと言い張る男の金の髪をまじまじと見てぼやく。
「せっかく長くてツルツルな髪だったのに、残念だわ」
「ツルツル言うな。サラサラと言え。サラサラと!」
男の訴えはわりと切実に響いたが、少女は軽く流す。
男の背中まで伸びた長い髪が、風に靡くのを眺めるのが好きだった。短くなった今の姿が嫌いなわけではないが、短くした理由が素直に喜べないものだから仕様がない。
「あなたの髪が短いと、だらしなく伸びきったあなたの髪を編むという、あたしの楽しみがなくなってしまったじゃないの」
「つまり、編んだ髪を手綱のように引っ張って俺の頭皮を虐めるお前の呼び出しがなくなったのか」
「その方が楽なんだもの。アーシェがのっぽなのが悪い」
「お前がチビなのが悪い」
人が気にしていることをつつかれ、いつもの腹いせに金の手綱に手に掛けようと手を伸ばすが、それがもう届かないものだと思い出して少女はむっと唇を尖らせた。
「……あたし、あなたの長い髪が好きだったのよ」
素直に本音を吐き出せば男は苦笑し、少女の藁色の頭を荒く撫で回す。
「こんなもん、また伸びらぁな。だから泣きそうな顔すんなよ」
「そんな顔してない。アーシェの方が泣きっ面よ」
少女の強がりに男が笑った。子供扱いされたのだと気付いた少女は顔を赤くして男の肩に拳を奮う。痛がらないのが悔しい。
「アーシェの馬鹿。お人好し」
男の気持ちを知る少女はもう一度拳を奮い、衣擦れの音を弱々しく立てる。
男はこの時ばかりは痛みに耐えるように微笑んで、少女の目尻をついとなぞった。
「……お前の馬鹿さ加減には負けるさ」
男は、寝台に横たわる少女の額に唇を落とす。
「お前は俺を憎めば幸せになれるのにな」
男の言葉に、少女はそれこそ涙目で答えた。
「それだけは叶えれない願いだわ」
* * * * *
予想はついてはいたが、こうもはっきりと体で嫉妬を表現されると、まだ初な雛菊は反応に困ってしまう。
急に留守をしたお詫びにと、手土産の焼き菓子でシャナのご機嫌を取るつもりだったのだが、帰城するなり入口で待ち構えていたシャナに手を引かれて彼の仕事部屋に連れ込まれる運びになるとは考えていなかった。
共犯である筈のアサドは、共犯だからか「今日は素直に譲る」と爽やかに逃亡してしまった。「薄情者」とは言わないが、せめて一言フォローは置いていって欲しかったと、雛菊はそろそろ痺れてきた両腕の感覚を取り戻そうと指先に神経を集中させる。
かれこれ数十分、雛菊はシャナにきつい抱擁を受けていた。
両腕を拘束するように、何処にも行かせないような力でしがみつかれると彼がどれだけ不安を感じていたのか察せられる。だから暫くは雛菊も何も言わず、シャナの気の済むままに体を委ねた。が、限界もあった。腕は持ち上がりそうもなかったので、頭を動かし、顎下にあるシャナの髪を掠めるようにキスをした。拘束が僅かに緩んだ。
「……勝手に出掛けてごめんね?」
「心配した」
「アサド君が一緒だから特に危険はなかったよ?」
「だからだろ」
ですよね。
シャナの言い分が分からぬほど鈍感でもない雛菊はもう一度謝る。
信用して欲しいとは思うが、シャナがソノラと二人きりで出掛けたら自分だってこうやって拗ねてしまうだろう自信はあった。
信じる信じないではなく、自身の感情の問題なのだ。
ヤキモチとは制御の効かないものらしい。
「アサドにまた求婚でもされた?」
「ううん。逆にシャナとのこと祝ってもらった」
「祝った?」
「どんな風に?」そう問おうとしていたシャナの口の動きが、雛菊の頭上の冠に目が行って止まる。
「あいつにしては粋な計らいだな」
シャナの手がそこに触れ、雛菊も手を添えた。
「これはね、私達に必要な儀式だったんだよ。シャナに何も言わずに出掛けたのは悪かったとは思うけど……」
だから許してと乞うのは狡いと知りながら、シャナを見つめる。
シャナはこちらから視線を向けると弱腰になりがちなのも折込み済みだ。
雛菊の視線から逃げたシャナが小さく、悔しげに唸る。
「許す……けど、浮気は一回までだからね」
「なんでそう受け取るのかなぁ」
浮気ではない。
そう反論したかったが、果たしてそんな気持ちが微塵もなかったとは言い切れるだろうか。
「ねえ、私の中のセラフィムがアサド君の魂に惹かれるのは浮気?」
雛菊の問いにシャナが眉を顰め、意味を求めたが返事はしなかった。
その所為でせっかく軟化したシャナの嫉妬がまたぶり返し、落ち着かせるのに体を張るはめになるのだが、その先は馬に蹴られる話なので割愛しよう。




