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シャナと花のバラッド  作者: 藤和葵
第五章
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05.心の名前

 

 太陽と雲を並べた色のストライプ模様の片屋根テントの陰に、極彩色の青果が山となって連なる。

 以前住んでいた街で見知った物から初めて見る物まで眺め、見覚えのある果物を見つける。


「あ、ペシェが安い」


 産毛の生えた朱色の皮に覆われた丸い果物を前に、雛菊は足を止めた。


「買うか?」

「うーん。買ったところでプロ仕様の調理場に図々しく押し入るのはねぇ」


 アサドの問いに雛菊は渋る。

 購入し、そのまま食すのもいいのだが、希望用途はトッピングだった。ペシェの瑞々しい甘味はプリンのアクセントに最適なのだが、宮廷暮しの賓客 には腕を振る舞う場がない。

 乙女として一度は憧れるだろう夢の宮廷生活は朝のベッドメイクから始まり、その日のファッションコーディネート、朝昼晩の食事に午後のティータイムまで世話をする使用人がいる生活だ。楽ではあるが怠惰にも繋がりそうで、正直雛菊の生活スタイルには手持ち無沙汰過ぎる。こちらを見下ろして聞いてきたアサドを通せばなんとかなるかも知れないが、好意に甘え過ぎているようで口には出来ない。


「つい癖で確認しちゃっただけだから」


 そう言って露天の前を通り過ぎようとすれば、アサドが店主にコインを投げ渡し、ペシェを一個手に取った。


「食べ歩きなら平気だろ」


 柔い実を腰の裏に仕込んだナイフで切り分け、アサドはその半分を雛菊に手渡す。


「食べようぜ。この果物は思い出のやつだしな」

「思い出……? いひゃ!」


 どんな思い出が詰まっているのだろうか。いい記憶に違いないアサドの笑みに首を傾げると、何故か唐突に鼻の先を弾かれた。見やるとアサドは拗ねた顔になっている。


「忘れてるな? 俺と初めて出会った日に自分が食べた物も忘れたのか、お嬢さんは」

「あ! そ、そうだったね」

「俺はしっかり覚えてたのになぁ……」

「悪かったって! でも、あの時食べてた物より、出会い方の方が衝撃的過ぎたんだからしょうがないじゃん」

「そ、それは……うん……まあ、な」

「あと女の子の鼻を弾かないでよ! 別に本気で痛がってないけどさー」

「腫れたら舐めて治すよ」

「おばか」


 いつもの掛け合いである。

 この軽薄なアサドの物言いで苦笑して流す、今までの空気に雛菊は内心安堵した。

 もしこれを戯れと出来なければ、今日はとてもではないが二人きりになどなれなかった。

 どのみち今日の日の最後は、到底笑顔になれないのだから。

 雛菊はそう感じ取りながらアサドの袖を引いた。


「ほら、アサド君、どうせ食べるなら向こうの開けた場所に行こうよ。こんな人混みでペシェなんて食べたら、蜜で汚しちゃうよ」

「はいはい。おかーさんの躾に僕ちゃんは従いますよ」


 軽口で受け答えしながらも、行商で賑わう通りを行き交う人の流れから雛菊を庇うようにリードして歩くアサドの優しい背中が痛かった。




 * * * * *


「二人でゆっくり話したい」


 そんなアサドの要求は、何故か城下町デートという形で成された。場所も市民の居住区を含むので、ルビは宮廷で留守番だ。彼は不満そうだったが、王宮内をアサドが拒んだのだから仕方ない。

 彼曰く、王宮内は落ち着かないらしい。

 当初、雛菊はセラフィムとしてアサドの婚約者のような立場にいた。非公式ながらも第二王子が至高の花を連れ立てば、それだけで周囲の期待を煽る。それなのにセラフィムの心は、つい最近までお尋ね者であった天才と名高い精霊師を選んだ。

 湧き上がる三角関係、宮廷ロマンスに野次馬の耳はあちらこちらに咲いている。

 失恋の痛手を抱える可哀想な王子を慰め、あわよくばなんて漁夫の利を狙う貴族令嬢もいるらしい。

 諸々の説明を受け、雛菊もアサドの希望に同意した。ここのところシャナと並んで歩くと、やけに周りが騒つく理由も分かった。

 野次馬根性の強い風潮は、それだけこの国が平和で、人々の心に他に関心を持つ余力がある証だ。執政者側に近いアサドはそれもまた由と諦め顔を見せる。ただし好奇の目から逃れる権利は主張したいようだ。

 市街地までわざわざ足を伸ばしたアサドは、久々の外出の雛菊より清々しい表情を見せている。本題には入らず、城下町散策を満喫していいのか、内心後ろめたく思いながらも今の友好状態の空気を変えたくなくて雛菊からも触れていない。


「うわ……果汁で手がベトベトだ」


 路端に設置されたベンチに腰掛け、雛菊は右手を地面に向かって切って振った。赤い石畳みに米粒程度の大きさの円が放射状に濃い色が落ちる。蟻の餌にも満たない滴を見下ろし、爪先でそこを削る。その行為に特に意味はない。ただの暇潰しだ。

 ただいまアサドは通りがかった床屋店主相手に濡れタオルを所望中である。もう少し先まで歩けば噴水広場が解放されているらしいのだが、祈祷用の神聖な場なので手水として使えないとのこと。

 背を丸め、開いた膝に手の甲で頬杖をついて前を見据える。濡れタオルを借りに行った彼は未だ広い背中を向けたまま。何を手間取っているのか、店主のマダムに捕まったアサドは苦笑いを浮かべている。そして押し負けたか、暖簾で目隠しされた店内へと引き込まれてしまった。色男の受難だ。

 雛菊の贔屓目を抜きにしてもアサドは格好良い。ともすればその姿に見慣れた今でも見惚れる瞬間がある。

 強くて優しく、陽射しを受けてより輝きを増す金色の髪は絵本で見た理想の王子様像そのままだ。

 その見目は女性を惹きつける。若い女性もそうだが、特に市場で買い物に来ると、押しの強い傾向にある中年女性にアサドはよくちょっかいをかけられる。きっと今もそうなのだろう。雛菊は経験上、此処で助け舟を出すと自分まで女性に絡め取られて余計厄介な展開になるのだ。

 女性は美しいものが好きだが、それと同等に色恋話も好物なのでアサドと並んで買い物に行けば恋仲とからかわれたなんて一度や二度ではない。

 事実はそうではないのだから否定をすればいい。ずっと前なら軽く言葉に出来たのに今は口に出せない。アサドの気持ちを知ってしまったから、彼の前で否定すると余計に傷つけてしまうようで遠慮したかった。

 偽善だろうと甘かろうと、アサドもまた雛菊にとってかけがえのない大切な存在なのだ。

 雛菊が胸に宿るシャナへの気持に自覚した時、アサドからの求婚は断っている。アサドは泣き出しそうな顔で「知っていた」と承諾をしてくれた日があった。

 その後、関係を改めて構築できればもう少しましであったかもしれないのに、雛菊が元の世界に強制送還されるという唐突な間が空いた。雛菊不在の数ヶ月間をアサドが如何に躍起になっていたか、嫌がらせのようにソノラに聞かされ、まだ好意が継続しているのは恋愛初心者でも分かる。


「あたくしの趣味ではないけれど、イイ男を二人も手玉に取ってホントいいご身分ですわねー。まあ、あたくしは二人と言わず両手で足りないくらい殿方の心を奪う罪作りな極上のイイ女ですけれどね!」


 ソノラ得意の嫌味もこの日ばかりは耳に痛かった。雛菊に男を手玉に取っている意識はないが、反論はしなかった。どの部分がソノラの指摘箇所になるか確証はないが、半端な優しさが心を抉る刃と化すと身を以て知っていた。

 どんなに熱く強く激しく求められようと、アサドの気持ちを受け入れることは出来ない。雛菊にとってシャナ以外の異性は考えられない。

 けれど、アサドに対する感情は皆無ではない。

 雛菊にとってアサドはシャナとはまた別の意味で特別な存在で、シャナへの感情を“恋”や“愛”と名付けるのなら、アサドへの気持に名前はなかった。友愛や親愛に近いようで違う感情を表現する言葉を雛菊は持ち合わせていない。


「もし、アサドに求められたら君は後悔するかい? 僕の手を取ったことを取り消したいかい?」


 シャナは聞いた。あまりに信用のないセリフに腹が立ったが、震えていた拳に気付いて抱き締めた。

 後悔なんてない。握り締めたシャナの手を離したいなんて考えたことはなかった。かと言って、シャナの不安を払拭させるだけの雛菊の心の全てを開示させるなんて不可能で、実際問題言葉や行動で徐々に証明していく手立てしか思い浮かばない。

 三人の為に、アサドとはなんらかの形で終止符を打つことは必要だ。

 頭では理解しても気が重くなるのを未練と呼ぶのだろう。


「ーーよし!」


 対して回転の早くない頭の中での問答に決着をつけ、雛菊は無意識に伏していた視線を上げた。飛び込む陽光に軽い眩暈を感じたがすぐに収まる。足元に振り落とした果実の滴は乾ききっていた。

 あれからいくらか時間は経ったように思えたがアサドはまだ店から出て来てはいなかった。


「おかしいな。ナンパを躱すのは得意なのに……」


 幾度となく女性からの誘いを上手に断るアサドを見ていて知っている雛菊は首を傾げる。これは御託を並べずに助太刀が必要なのかも知れない。

 そうとなればまず中の様子を窺おうと、ベンチから腰を上げるればーー……


「悪りい。待たせちまったな」


 勢い虚しく、丁度アサドが店から出て来た。要件の割に時間が掛かったが、トラブルがなさそうで何よりだ。

 雛菊は路端から床屋の入口までの短い距離を二、三歩詰めて「何かあったの?」と尋ねるつもりで息を飲んだ。


「何があったの?」


 ついて出た言葉は一字異なる。


「おかしいか? 急いでいたから整える程度で適当にしてもらったんだけど……」


 気恥ずかしそうにアサドが首を掻く。これは切り出しにくい癖だけでなく、寂しくなった箇所を埋める為の動きかも知れない。


「自分でも思い切ったなと思うけど、これで俺の魅力が損なうなっんてあり得ないだろ? どうよ、今の俺もイケてるっしょ?」


 まるで犬のように褒めてくれるのを待っている笑顔を前に、雛菊は同意をしてあげたかったが言葉に詰まった。

 言葉の代わりにアサドの首筋へと手を伸ばす。ついさっきまで背中まで伸びていた毛先がこんな場所まで来ていた。随分と短くなった髪に触れ、たまらず雛菊は泣いてしまった。

 名前のない感情もまた、同じ名前だったのだと。

 

 

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